008 群がる魚
『君と話がしたい、どうか私に時間をくれないか!』
道のど真ん中で土下座をされた僕に、断る術はなかった。
僕はキャミィが戻ってくるのを待って、改めて待ち合わせをした酒場へと向かう。
キャミィには今のところ、『知り合いと食事をする』としか言っていない。
だってあの人が来るっていったら、たぶん怯えて付いてこなかっただろうから。
「……ひっ!?」
酒場に入ると、キャミィは彼女の存在に気づいたのか、引きつった声をあげて僕の後ろに隠れた。
「あ、あの人がいますよクリスさん。ここは撤退すべきだと思うのですがっ!」
けれど待ち合わせの相手は彼女だから、帰るわけにもいかない。
僕はキャミィにしがみつかれたまま、そのテーブルに近づいた。
「ぐりずざぁん、どおじでぞのでーぶるにぢかづぐんでずがあああ!」
キャミィの涙声には濁点が多い。
ひとまず慰めるために軽く頭を撫でると、彼女の震えは少しだけマシになった。
そして、例の人物と同じテーブルの席に座ると、キャミィは戸惑いながらも事情を察したのか、途端に僕をジト目で睨みはじめた。
「ぐすっ……クリスさん、わかっててこのこと黙ってましたねぇ……!」
顔を真っ赤にしたキャミィにぽかぽかと叩かれる。
そこそこ痛い。
「ごめんね、話したら来ないと思ったから」
「来ませんよぉ! 殺されるじゃないですか私ぃ!」
キャミィの声に気づいて、女性はこちらを向いた。
「やっと来たか……殺すとは何の話だ?」
「ひいぃっ! すっとぼけて私を殺しにかかるタイプのサイコパスですねっ!」
「今朝のことで誤解を与えてしまったのならば申し訳ない。私の名はディヴィーナ、この街で冒険者をしている。今日、たまたま【暗殺者】がギルドで登録しているところを見て、止めなければと思ってしまったんだ」
「息の根をですか? それとも心臓の鼓動ですかぁっ!?」
「冒険者としての活動をだ。魔力を持たない人間が生きていけるほど甘い世界じゃない。道を踏み外す前に、止めさせたかったんだ……だが、どうやら甘いのは私のほうだったようだな」
キャミィのペースに乗せられないあたり、この人も、何かと思い込みが激しいタイプなのかもしれない。
外見は冷静沈着で経験豊富な女戦士、といった雰囲気だけど。
「今日の狩りの件も聞かせてもらったよ、君たちは間違いなく実力者だ」
「笑顔で人を殺すタイプのサイコパス……」
「もうそこから離れようよ。ほら座って」
「……はぁい」
ようやく落ち着いたキャミィを、僕の隣の席に座らせることに成功した。
けれど彼女はすぐに椅子ごと動き、僕の真横にぴたりとくっつく。
そしてぎゅっと腕に抱きつくと、疑いの眼差しを女性に向けた。
「僕も事情はわかった。善意で止めようとしたことも、戦う意思がないことも、理解するよ」
「ありがとう……!」
「それで、僕たちに頼みがあるって話だったよね。その前に、自己紹介がまだだったっけ」
「クリスとキャミィだったな、名前ぐらいは把握している」
「そこは相手に言わせたほうが話が綺麗にまとまるのでは……?」
「こらこら、キャミィ」
「すまないな、人と話すのはあまり得意ではないんだ」
「だと思いました!」
怯えなくなった途端に強気になるな、この子は……。
しかも頼んであった料理まで食べ始めてるし。
「まったく……」
「構わんよ、事実だからな。妹にもよく、言葉足らずだと叱られていたよ」
「妹さんがいるんだ」
「ああ……とても優しい子で、一年前までは、私と組んで一緒に冒険者をしていた」
「過去形、なんれふね」
「一年前、妹は急に様子がおかしくなった。性格も刺々しくなり、私に行き先も告げずに家を出ていくことが多くなったんだ」
思春期にありがちなこと――なんて気楽な話でもなさそうだ。
ディヴィーナの言葉には、確信めいたものが感じられる。
それは決して自然な流れで起きたものではなく、何者かの介入によって発生した事件である、と。
「やがて家にも戻らなくなり、行方知れずになった。もちろん私は妹の居場所を探したよ。その結果、とある傭兵団のたまり場であることがわかったんだ」
「傭兵団?」
「冒険者の集まりのことです。昔、戦争があった頃の名残ですね」
「その傭兵団の名は――“黒の王蛇”」
「……うげ」
キャミィは露骨に嫌そうな顔をする。
「その顔、あまりいい集団じゃないみたいだね」
「最近、ここらの領地で勢力を拡大してる傭兵団です。噂によると、領主とズブズブの関係とかで、多少悪いことをしても咎められないんですよ。関わったって不幸になるだけです」
「奴らがここ、ティンマリスに勢力を伸ばしたのは……ちょうど一年前。妹がおかしくなった時期と一致する。きっと、奴らに何かをされたに違いないんだ。頼む、このとおりだっ! どうか妹を助けるのを手伝ってくれないか!」
テーブルに頭を擦り付けて、僕たちに頼み込むディヴィーナ。
受ける理由もなければ、断る理由もない。
僕はひとまず、気になったことを彼女に聞いてみることにした。
「だったら、他の冒険者に頼んでもよかったんじゃない? 僕なんてこの街に来たばっかりの、新人冒険者だよ」
「そうですよぅ、ティンマリスには冒険者なんていくらでもいるじゃないですかぁ」
「この街に、黒の王蛇の息がかかっていない冒険者は、ほとんど、残っていないのだ」
「え゛……」
「キャミィ、知らなかったの?」
「しりませんでした……」
「冒険者と……関わりの深い商人たちも同じく、すでに奴らの傘下に入っているだろう」
「キャミィ、それも知らなかったの?」
「じりまぜんでじだぁ……!」
キャミィ、同業者の友達いないのかな。
少し不安になってきた。
「黒の王蛇は、恐怖と暴力で相手を支配するような人間の集まりだ。妹を奴らに渡すわけにはいかない!」
「で、でもですよ、もしかしてそれ、妹さんは自分の意思で黒の王蛇に従ったかもしれないわけで……」
「そんなはずはないッ!」
ディヴィーナの血相が急変する。
彼女は立ち上がると、テーブルを叩き、前のめりになりながらそう激昂した。
「ひえぇっ」
「あいつは……リジーナは、とてもいい子なんだッ! 誰よりも優しく、誰よりも暖かく、そんなリジーナがいきなり変わるなんてことあるはずがないだろうッ!」
「ごっ、ごめんなさいぃ……!」
キャミィは僕の腕にぎゅーっとしがみつくと、可愛そうなぐらいに真っ青になって震えた。
僕が肩に手を置くと、少しだけ落ち着いた様子だった。
涙目になるキャミィを見てディヴィーナも冷静さを取り戻したのか、表情が元に戻る。
「……っ。すまない、取り乱した。とにかく……リジーナの身に、何かが起きたのは間違いない」
「で、でも根拠がありませんよぉ……今の話だけで、私たちに黒の王蛇と敵対しろというのは、さすがに厳しいですぅ」
「わかっては、いる。他の冒険者たちを、責める、つもりもない。そのほうが……利益になると判断したから、みな、奴らの、はぁ、軍門に下ったのだろうからな」
「でも、僕はリジーナさんの身に何かが起きたと思うな」
「クリスさんっ!?」
「それが事実なら、そんな連中を放っておくわけにはいかない」
「いやいや、黒の王蛇はまずいんですって。確かにクリスさんはとてもお強いですが、あちらにはSランクの冒険者がうじゃうじゃいるって話なんですよ? それにっ、これ……別に報酬とかある話じゃないですから。本当に何のメリットもないんですよ?」
「もしここでディヴィーナの頼みを断ったら、僕らは黒の王蛇に呑み込まれるってことだよ?」
「長い蛇には巻かれろってやつです。少しぐらいみかじめ料を取られるのは仕方ありませんよぉ……」
キャミィの考えは商人として正しい。
多少の金でリスクが軽減できるのなら、安いものだ。
他の商人たちも、そう思ったからこそ、黒の王蛇に従ったのかもしれない。
ただしそれは、相手が“理性のある悪”、あるいは“常識的な悪”だった場合のみに成立する取引である。
「みかじめ料だけで済むかな」
「いやいや、さすがにそんなに頻繁に犯罪を起こしてたんじゃ、領主もかばいきれませんし、何より身内からの信頼も失います。巨大な組織ほど、そのあたりはしっかりしてるはずです」
「理屈の上では正しいかもしれない。でも――現実が違う結果を示しているのなら、それを信じるしかないと思うんだ」
「へ? どういうこと――」
「キャミィ、こっちだ!」
「んひゃあぁぁあっ!?」
僕はキャミィの体を抱きしめると、倒れるように床に転がり、前方より繰り出された槍を回避した。
「はあぁ……はあぁ……はああぁぁ……!」
それはディヴィーナの槍だった。
彼女はすっかり正気を失った様子で、槍を突き出した状態のまま、肩を上下させている。
「ディヴィーナさん、やっぱりサイコパスだったんですねぇ!?」
「うおぉおぉおおおおおッ!」
獣のような咆哮とともに、振り下ろされる長柄。
「おひぇぇええっ!?」
「くっ!」
キャミィとともに転がる僕。
槍の穂先が木の床を叩くと、ゴガァンッ! と砕けた後に、その形のまま綺麗に凍りついた。
僕には魔力障壁がない。
あんなものが当たったら、槍の威力と魔法のダメージを同時に食らってしまうのだ。
ひとたまりもなく即死するだろう。
「ぬおぉぉおおおおおおおッ!」
今度は飛び上がり、真上から落ちてくるディヴィーナ。
僕はキャミィを突き飛ばし、その反動で転がった。
そして穂が床に突き刺さり、破壊した瞬間にスキル[アサルトブリッツ]を発動させる。
瞬時にディヴィーナの懐まで移動。
ナイフを逆手に持つと、ウインドエッジを発動。
生じた風を、ナイフの刃――ではなく、柄の端で叩き、爆発させた。
衝撃波はディヴィーナの魔力障壁を貫通し、腹部に強烈な打撃を与える。
「――風刃空打ッ!」
「ぐ、おォッ!」
うめき声とともに、ディヴィーナはくの字になりながら吹き飛ばされる。
死んじゃいない、けれど意識は持っていけたはずだ。
「殺りました、一撃必殺!」
「気絶させただけだから! キャミィ、伏せてッ!」
「えっ、まだ来て――ってぎゃひぃぃっ、囲まれてるぅ!?」
敵はディヴィーナだけじゃあない。
いつの間にか、二十人近くの客たちが立ち上がり、各々の武器や魔法を手に、僕たちに敵意を向けていた。
ディヴィーナとは異なり、彼らはみな、正気を維持している。
どうやら、すでにこの店そのものが、黒の王蛇の傘下となっていたらしい。
つまり、彼女はとっくに、傭兵団にマークされていたということ。
二十人が一斉に攻撃すれば、キャミィを守るのは難しい。
けれど、彼らがみな魔法使いだというのなら――【暗殺者】である僕が、速度で負ける道理が無い。
「風刃飛魚ッ!」
投擲系上位スキル[スカイフィッシュ]は、ナイフを目に見えないほど早く、相手に投げつけるスキルだ。
もしも、それを発動させる【暗殺者】自身が、自らの身体能力により複数のナイフを同時に、正確に投げることができるのなら――[スカイフィッシュ]は、その全てに効果が適用される。
僕は執事服の内側より無数のナイフを取り出す。
その数、二十。
それを一斉に、ばらまくようにして店中に投擲する――
「あれ? 誰も、攻撃してこない……?」
静まり返った店内で、キャミィは恐る恐る頭を上げた。
その瞬間、僕たちを取り囲んでいた冒険者たちは、ほぼ同時に崩れ落ちる。
キャミィも無事だし、僕も無傷。
それはとても喜ばしいことだけれど――僕にはもっと、嬉しいことがあった。
「まさか、こんなに早く尻尾を掴めるとは思わなかったよ」
思わず笑みが浮かんでしまう。
僕は騒然とする店の中を見渡すと、店主を発見。
即座に[アサシンダイヴ]を発動。
バーカウンターから奥に逃げようとしていた彼の背後に移動すると、その首根っこを掴み、顔を近づけた。
「ひっ、ひいぃ!」
「店主さん。僕たちの食事に何を混ぜたか、教えてもらってもいいかな?」
僕はとても明るい笑顔で話しかけたのに、店主はなぜか、死体よりも真っ青な顔をしていた。
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