060 中央危険地帯
セントラルマリスに近づくにつれて、空気が淀んでいくのを感じる。
都市郊外にある工場から立ち上る煙が景色を霞ませ、真横を流れる色の変わった小川は異臭を放つ。
走り続けるリーくんも、こころなしか元気がなかった。
僕が顔をしかめると、ヴァイオラは『ね?』と言わんばかりにこちらに視線を向ける。
この街で暮らしていた彼女にとっては、当たり前の光景なのだろう。
単純な空気の汚染だけでなく、この中に魔薬の成分が混ざっているかと思うと、背筋が寒くなった。
◇◇◇
都市全体を囲む城壁を東へ移動する。
ヴァイオラ曰く、ここに抜け道があるのだという。
実際に向かってみると、そこには瓦礫で雑に蓋をされた穴があった。
人の出入りは可能だが、リザードは通れないだろう。
元より、リザード車のような目立つ方法での移動はできない。
キャミィはリーくんに言い聞かせ、外で待っているよう命じる。
そして穴をくぐり、僕らはセントラルマリスの内部へと侵入した。
「……嫌な空気だなー」
街を見るなり、イエラがつぶやく。
僕もまったく同じ感想を抱いた。
ヴァイオラいわく、ここはセントラルマリスの中でも貧しい人々が暮らすエリアらしい。
歩く人々の目が淀んでいるのは、そのせいなのか――いや、おそらくは違う。
「ウェスマリスと似ているな」
「魔薬中毒者、ですね」
近隣の村ですらあの有様だったのだ。
工場そのものがあり、黒の王蛇の影響力も強いこの街が、薬に汚染されていないはずがない。
少なくともこの貧民街エリアでは、ほぼ全員が薬に溺れていると見ていいだろう。
……あまり立ち止まりたくはない。
こういう場所で、執事服は否応なしに目立つから。
一応、僕はキャミィから借りた服を着ているから、執事三人が並ぶよりはマシだろうけど――スカートは久しぶりだから下がスースーするし、胸も少しキツいかな。
「……じいぃぃぃ」
そしてこの服装に着替えてから、キャミィの視線を感じる。
決して睨まれているようではなさそうだけど、こころなしか欲望がにじみ出ている気がする。
まあ、実害があるわけではないから放っておいていいだろう。
僕らは師匠の導きで、近くの宿屋へと向かった。
古びた、お世辞にも綺麗とは言えない宿の中。
店主は大きい態度で椅子にふんぞり返り、睨むようにこちらを見ていたが、師匠を見るなり慌てて立ち上がる。
たぶん、知り合いなんだろう。
「例の部屋は確保してありますんで、どうぞっ」
「いつも世話になるな」
「いえいえ、あんだけ金もらってますからねぇ。ささ、みなさんもどうぞどうぞ」
露骨にこびた仕草で、僕らは一階の部屋に案内された。
室内はそこそこ広い。だがベッドは一つしかない。
「我は協力者と合流してくる。お前たちはここで待っていてくれ」
師匠はそう言い残し、夜の街へと繰り出す。
残された僕たちは、それぞれ違う場所に腰掛ける。
ヴァイオラはソファに。
イエラは椅子に。
キャミィは動かず、僕の動向をじっと見守る。
ひとまず僕がベッドに座ると、ぴたりとくっついたまま、彼女は隣を確保した。
その様子を見ていたイエラはすくっと立ち上がると、僕の隣に腰掛ける。
「……暑くないの?」
「私のハートはいつでもクリスさんへの愛で燃え上がっていますよ!」
「一人じゃ心が寒いからー」
イエラはともかく、キャミィは会話になってない気がする。
助けを求めるようにヴァイオラを見ると、彼女はふっと視線をそらし、
「私はミーシャ一筋だから」
と茶化すように言った。
僕だってリーゼロット一筋……だし。
「しかし噂には聞いていましたが、セントラルマリスって本当に都会なんですね。周りは工場だらけですし、中央のほうは高い建物が並んでます」
「私は何度か来たことがあるけど……前はもうちょっと綺麗だった気がするなー」
「そりゃそうでしょうね。空気も汚され、人も汚され、今のセントラルマリスは巨大な墓場みたいなものよ。中央の方は比較的薬物汚染はマシでしょうけど、まったく使ってない人はいないんじゃないかしら」
「薬ってそんなに安く手に入るものなの?」
「貧民街のほうはやっすい魔石を使った質の低いものが出回ってるんじゃないの」
そんなものを使えば、体への副作用は間違いなくある。
もっとも、体が壊れきるまえに心が壊れるので、問題はないのかもしれないが。
「それにしても謎よね、クリスの使われた薬」
「僕の?」
「だって十年前なんでしょう? どう考えても黒の王蛇が作ったものではないわ。なのに話を聞く限りじゃ、“悪魔”なんて他の魔物とは明らかに格が違うものが眠ってる。イエラは見たんでしょ? どうだったのよ」
「記憶は曖昧だけど……でもー、あの“聖女”と戦ってる時点で、すごいと思うなー」
「ニール先生も、他の薬よりも高価な魔石が使われてるって言ってましたね……」
「本当にそれだけなのかしら。グラードやミーシャの例を見る限り、魔物化したあとの強さって、元の人間の魔力に依るんじゃないの? でもクリスは【暗殺者】、魔法使いですらないわ」
「何が言いたいの、ヴァイオラ」
「ああ、別に責めてるわけじゃないのよ。ただ、明らかに“特別”だって、そう言いたかっただけよ。そのあたりが解明できれば、クリスもその悪魔とやらの力を、自在に使えるようになるんじゃないかって」
「あれは魔物化だよ、一時的な。あまり使いすぎると、たぶん元に戻れなくなる」
僕が、くしゃりと丸められて捨てられるんだ。
あるいは、いつの間にか自分が気づかないうちにそうなっていて、僕が僕じゃない何かに入れ替わっている可能性すらある。
いや、もしかしたらもうすでに、そうなったあとで――
「……できれば、使いたくはない」
「気持ちはわかるけど、あれ無しで勝てるの?」
「……」
「私だって、できることなら魔物の力がほしいわ。それで黒の王蛇に勝って、ミーシャを救えるっていうんなら」
「ヴァイオラさん、それは本末転倒だと思います」
「うん……やめたほうがいいよ。絶対に、何があっても、あんなものに頼るべきじゃない……」
「わかってるわよ。頼るつもりはないけど、頼りたい気分って言ってるだけ」
ヴァイオラも、不安なんだろう。
僕が悪魔の力を手にしても、聖女には勝てなかった。
そんな相手が何人もいる。
いくら今回は工場の破壊が目的で、戦闘が主目的ではないといっても、いつエンカウントするかはわからないし、いずれは戦って、倒さなければならないだろう。
それだけの力を、自分がいつ手に入れられるのか。
時間はあまり残されていないというのに。
おそらく、明日には工場への潜入は実行されるだろう。
早ければ今日の早朝かもしれない。
その直前だけあってか、師匠のいない部屋には、妙な緊張感が漂っている。
それを察してか、あのキャミィでさえも口数少なになっていった。
ただ、不安そうに僕の腕に絡みついて、肩に頬を押し付ける。
イエラも同様に。
会話は途切れたまま沈黙が続き――それは数十分後、師匠が戻ってくるまで続いた。
「戻ったぞ、全員揃っているか」
師匠と一緒に、例の協力者が入ってくる。
髪はド派手な赤と青。
顔には濃い目の化粧が施され、道化師のような色合いの服を着た、いかにも怪しげな男――僕はぐっと我慢したけど、キャミィとヴァイオラは露骨に怪しんでいた。
「紹介しよう、彼の名前はサム。セントラルマリスで裏の仕事を請け負っている、言ってしまえば違法冒険者だな」
「ドーモ、サムだよ! みんな、よろしくねっ!」
大げさな動きに、妙に抑揚の大きな喋り方。
そして……漂う血の香り。
なるほど確かに、師匠があまり頼りたがらなかった気持ちもわかる。
こいつは普通じゃない。
普通に生きようと思っても、それができないタイプの人間だ。
「あれあれー? みんなお返事してくれないのかな? ドーモ、サムだよ! みんな、よろしくねっ!」
「……ヴァイオラよ、よろしく」
「キャミィ、です」
「イエラだよー……」
「僕はクリス、よろしくお願いするよ」
「うんうん、挨拶は大事だ! ね、ベアトリス君!」
「はぁ……そうだな」
師匠も疲れた様子だ。
ここまで連れてくるまで、苦労したに違いない。
だが――少なくとも、サムの持ってきた情報は確かだった。
彼はテーブルの上に手書きの、しかし精巧な見取り図を広げ説明を始める。
「ハイ、じゃあこれが侵入に使うための地図だよ。二時間後には突入するから、しっかり頭に叩き込んでおいてね!」
「に、二時間後ですかっ!?」
「善は急げっていうだろう?」
「サムの言うとおりだ。聖女のこともある、できるだけ向こうの体勢が整う前に攻め込みたい」
「あの人とは会いたくないからねー」
「ということは、まず戦闘を避けることが前提の作戦ってことでいいのね」
「当然だ、我も魔法使いと戦う術は持たないからな」
「うんうん、ベアトリス君はクソザコ【武道家】だからねっ!」
――いくらなんでも無礼がすぎる。
僕とヴァイオラは同時にサムを睨みつけたけれど、彼はまったく動じなかった。
師匠も多少は怒っていいだろうに。
それとも、これぐらいは彼と付き合いがあると日常茶飯事なんだろうか。
「というワケで、ベアトリス君は工場の破壊を担当。このルートから護衛役のボクと一緒に潜入して、爆弾を仕掛けるんだ!」
「僕たちと別ルートで潜入するんだね」
「うん! クリス君とヴァイオラ君、そしてイエラ君はこっちの下水道を通ってもらう」
「汚そうね……」
「そんなことを気にするなんて、ヴァイオラ君のやる気は大したことないんだね!」
「最初から顔が汚れてるピエロと違って女の子はデリケートなのよ」
「死にたい?」
「お前が死ね」
「ヴァイオラさんっ、セーブセーブっ!」
「ふんっ」
「まあいいや、ボクは大人だからね。子供の戯れは大目に見てあげるよ! イエラ君は入口で待機。もし怪我した場合は、ここまで戻ってきて治療してもらおう! そして二人には潜入後、しばらく潜伏してもらって、合図が出たら陽動を始めてもらうよ! つまりボクとベアトリス君より先に潜入するってことだね! 陽動が始まったら、イエラ君はその時点で撤退してね!」
「あのー……私は、何をしたらいいんですか?」
「キャミィ君は城壁の外でリザードと一緒に待機しておいて。逃げるときの足になってもらうからね!」
「そういうことですか、わかりました」
「以上が作戦だよ。何か質問はあるかな?」
作戦の内容はともかく、一番気になることは――
「この作戦をどうしてサムが取り仕切っているのかを聞きたい」
「それ、私も気になってたわ」
「当然じゃないか、君たちがここに来るより前にボクはセントラルマリスにいたんだ。現場を見られる僕がメインになって作戦を組む。ベアトリス君も了承してくれたよね?」
「こいつは人間性は信用できないが、金を払って仕事をしている間は信用できる。そういうことで納得してもらえないか、クリス、ヴァイオラ」
はいそうですかと、今回ばかりは素直にうなずけない。
いくらなんでも怪しすぎる。
師匠を信じているのなら、サムも一緒に信じろと――そういうことなのかもしれないが。
「……困ったことに、ここで疑ったところで私たちには手がないのよね」
だが結局、ヴァイオラのその小さな声が全てだった。
少なくとも、このサムという男は自らリスクを負っている。
師匠と一緒に工場に潜入し、破壊工作を行うという、命にもかかわるリスクを。
だったら……見た目や言動に惑わされず、信じるべきか――
「わかりました、師匠を信じます」
「私も同じよ」
「ありがとう二人とも。キャミィとイエラもそれで構わないか?」
「もう決まったことですし、私なんて外で待機するですから、口を出すことなんてできませんよ」
「私も同じかなー……戦う力は、二人ほどないからー」
師匠が全員の同意を取ると、サムは赤い口紅がべっとりと塗られた唇を吊り上げ笑った。
「よかった! これで作戦の決行は決まりだね! 出発は九十分後。それまでにトイレを済ませて準備しておいてね!」
最後までうさんくさい口調をやめることなく、サムはそう言い残して一旦部屋を出た。
大きな作戦の前だというのに――いや、前だからこそ、不安は消えず。
作戦決行の時間まで、僕たちは一歩も部屋から出ず、言葉も交わさず、静かに時が過ぎるのを待つ――すると、ポケットに入れていた端末が震える。
着信だ。
全員の視線がこちらに向く。
僕は端末を耳に当て、通信に応じた。
『あ、クリスっ? 私よ、フィスよ』
「フィスさん、こんばんは。どうしたんですか、こんな時間に」
『用事があるのは私じゃないの。ニール先生に変わるわ』
「先生が?」
『あー……クリスさん、聞こえていますか?』
「はい、お久しぶりです」
『数日ぶりですけどね。今、そこにキャミィさんはいますかね』
「一緒にいます」
『でしたら伝えてください。ご両親の様子が――』
「あ、待ってください先生、大事な話なら本人に変わります!」
さすがにすぐ横にいるのに、伝言するような内容じゃない。
それに先生から直接聞いたほうが正確だ。
「キャミィ、ニール先生から。大事な話だって」
「へ? あ、はい……もしもし、キャミィです」
端末を耳にあて、ニール先生から話を聞くキャミィの顔色は、みるみるうちに変わっていった。
そして通話を切り、僕に端末を返す頃には、失意の色が濃くなっている。
「あ、あの……その……」
気まずそうに、言いにくそうに、口ごもりながら彼女は言った。
「両親が、ほとんど魔物化しかかっていて……でも、完全ではないので、死にそう、みたいなんです」
僕も含めて、全員が息を呑んだ。
キャミィが申し訳無さそうなのは、タイミングの悪さもあるのだろう。
「あと何日もつかわからないから……できるだけ早く、戻ってきたほうがいいと……」
「キャミィだけでもティンマリスに戻ったほうがいい」
僕はすぐさま彼女に告げた。
「でもっ!」
きっとキャミィの胸の中は、歯がゆい気持ちでいっぱいだろう。
だが他の面々も続いて説得の言葉を口にする。
「そうね、間に合うなら急ぐべきだわ」
「たとえどんな関係でも……家族が死んだら、もう二度と会えないんだよ」
「それは……」
キャミィは別に両親と仲がよかったわけじゃない。
でも、ああして診療所に入院させて、定期的に様子を見に行っていたということは――少なからず親子の情は存在したはずだ。
「でも、でもっ、こんなときに私一人だけ帰れませんよぉ!」
「キャミィ、作戦が終わっても、いつティンマリスに戻れるかはわからないんだよ。しばらく逃げ続けて、身を隠して、数日、数週間、下手すれば数ヶ月、身動きが取れなくなる可能性もある」
「だけど……そりゃあ、両親のことも大事ですけどっ、でも、クリスさんと一緒にいることも、同じぐらい大事なんですっ!」
「キャミィ……」
胸に手を当て、必死に訴えかけるキャミィ。
僕には……返す言葉がない。
だって、いつの間にそこまで大きい存在になれたのか、って思うから。
そんなに僕は、君の前で立派な人間だったとは思えないから。
すると、師匠が腕を組みながら、冷たい声で言い放つ。
「帰ったほうがいい。最初から、この作戦に君は必要なかった」
「え……」
「師匠、その言い方はっ!」
「事実だ。正直、君にどのような役割を与えるべきか、サムとの話の中でも悩んでいたよ。キャミィが商人だというのなら、自分の配置がどのような意味なのか、それぐらいわかるだろう」
「う……それは、そうですけど……そうなんですけどぉっ!」
「それに何より、外にいたからといって安全である保証はない。“クリスと一緒に戦った”という自己満足は、自分の命を賭けるに値するものか?」
「ッ、それは値するものですッ!」
キャミィは強く、淀みない言葉で反論した。
「わかってますよ、私が役立たずだってことぐらい。まともに戦えてないから、一緒に行動したって何の意味もないぐらい! でもですねっ、まともに私のことを知らないあなたなんかに、そこまで否定される筋合いはありません! 私は命を賭ける意味があると思ったから、こうしてクリスさんについてきてるんですッ!」
たぶんだけど――師匠も、まさかここまで言い返されるとは思っていなかったに違いない。
その証拠に、威厳のある表情はどうにか保ちながらも、露骨に面食らっている。
かくいう僕もそうだった。
……ちょっと、キャミィの気持ちを甘く見ていたかもしれない。
「こりゃあこじれるわよ。罪深いわね、クリス」
「……負けられませんねー」
「こっちにも地雷があるし」
ヴァイオラは楽しそうにニヤニヤしている。
ほんと、僕が追い詰められてるときだけ楽しそうだなこの人は。
「……それは、すまなかった」
あの師匠が気圧され、素直に謝る。
だがそれは、キャミィの気持ちを少なく見積もっていたものに対する謝罪であり――彼女が“役に立たない”という言葉を撤回するものではない。
「だが、我は君の役割が、命を賭けるに値するものだとは思わない。別にクリスとは二度と会えなくなるわけではないのだ。ここは、二度と会えなくなるかもしれない、両親のほうを選ぶべきではないのか」
「……」
黙り込み、うつむくキャミィ。
胸が痛む。
そりゃあさ、僕だって短くない時間を彼女と過ごして、思い入れぐらいはあるから。
「キャミィ、僕は君の笑顔が好きだよ」
「クリス、さん?」
「またそうやって罪を重ねるのね……」
ヴァイオラ、うるさい。
「戦いで荒んだ心が、癒える気がするんだ。でもそれは同時に、戦いの中では不安にも繋がる。どこかで巻き込まれて、あの笑顔を失ってしまうかもしれない、と」
「重荷……でしたか?」
「ううん、それは間違いなく逆だ。キャミィがいてくれたおかげで、僕は心が軽くなった。だから、今回も戦いが終わったあとに笑顔を見せて、僕を助けてほしいな」
「セントラルマリスのすぐ外では、いけませんか」
「その途中で両親が死んだと聞いたら、きっとキャミィは今までみたいに笑えなくなる。それは、僕にとって敗北に等しい」
割と、かなり、踏み込んだ言葉だと思う。
今までは少し、キャミィとの関係を茶化していた部分もあったけど――これは紛れもない本音で。
ヴァイオラの言うとおり、浮気って言われても反論できない。
だけど間違いなく、今、この場所で必要な言葉だと思うから――
キャミィはうつむき、僕の言葉を噛み砕いているようだった。
そして唇を噛むと、意を決して勢いよく顔をあげ、ちょっと涙目になりながら口を開く。
「……わかりましたっ! 私、ティンマリスに帰りますっ!」
声は震えている。
悩みに悩んだ結果なんだろう。
「そして、最高の笑顔でクリスさんを迎えて、今度こそ私のものにしてみせますから!」
泣き笑いは、心に響く。
そんな笑顔を見せられたら、きっと今以上に、キャミィの存在が大きくなってしまうだろう。
◇◇◇
全員で見送りは目立ちすぎる――だから僕だけが、城壁の外までキャミィを送っていった。
呼ばれるまでもなく、リーくんが自然とこちらに近づいてくる。
「何かあったらキャミィを守ってあげてね」
そのざらりとした頭を撫でながら頼むと、リーくんは頼もしく「クエェェエッ!」と鳴いた。
そして最後に、キャミィは僕のほうをじっと見てきて――
「……そういえば、キルリスさんとはキスしたんですよね」
「キスされた、ね。キルリスは強引だから」
「でもまんざらでもない顔だったので、クリスさんは強引に迫られると断れないタイプと見ました」
「そうでもないと思うけど――んっ!?」
僕に勢いよく抱きつき、唇を押し付ける。
がちん、と前歯同士がぶつかった。
「い、いったあぁぁあいっ!」
すぐさましゃがみ込み、口元を押さえるキャミィ。
「あいたたた……大丈夫? 唇、切れてない?」
「うううぅ、どこまでも締まりの悪い女ですぅ……せっかくのファーストキスだったのにぃ……」
「あはは、まあ、これなら二度と忘れないんじゃないかな」
「はっ!? そうです、そうですよね! 私は記憶に残る女になれた、そういうことですよねっ!」
ほんと、最後まで無駄に前向きだなあ。
「そして今日、ここでキスができたということは! 次に会ったら……その、さらに次のステップまで進めるということですっ!」
「次って?」
「それを聞きますか!? ぐぬぬ……ハレンチ執事めぇ……」
「別にそういうつもりじゃなかったんだけど……」
「ですが私は、たとえクリスさんがドスケベ執事だろうと、大好きですから! どこいようと、どうなろうと、キャミィの愛は永遠に不滅ですぅっ!」
そう照れ隠しするように言いながら、リザード車に駆け乗るキャミィ。
そして、今度こそ、別れの言葉を告げた。
「それではまた、必ず会いましょう!」
「うん、またね。キャミィの笑顔を見れる日を楽しみにしてる」
「はいっ、全力のスマイルを準備して待ってますからねぇっ!」
鞭を振るう。
リーくんが走り出す。
「クリスさぁぁぁぁぁんっ! 大好きですうぅぅぅっ!」
キャミィはそう大声でいつまでも叫びながら、遠ざかっていく。
目立つから……危ないと思うんだけど……まあ、キャミィだしね。
そしてついに彼女の姿が見えなくなると、僕の胸には、急激に寂しさがやってくる。
どうもキャミィという存在は、すでに僕が思っていた以上に、心の中の大きな部分を占拠していたようで。
「……ヴァイオラの言うとおり、不義な執事だなぁ」
自嘲するようにそう呟くと、僕は再び戦場へと戻っていった。




