059 もう一つの旅路
「おー……ア?」
キルリスが目を覚ましたのは、見知らぬ部屋だった。
天井も見知らぬし、ベッドも見知らぬし、空気の匂いも嗅ぎ知らぬ。
しかし太ももあたりに突っ伏して寝ているその頭には見覚えがある。
「カウリィか?」
「ん……んうぅ……」
呼ばれ、目をこすりながら起きるカウリィ。
彼女は目覚めたキルリスを見るなり、
「ひゃあっ、起きたのっ!?」
お手本のような驚き方をした。
「おウ、起きたゾ。デ、ここはドコだ?」
「メイリア」
「おー、すゲーな。一応北には進めタのか。シシシッ」
「シシシじゃないの。キルリスってば途中で意識を失うわ、魔法は蛇行した挙げ句に途中で消えるわで、そこから一日近くキルリスを抱えたままさまよって大変だったんだから。しかもここに来てからも、一日以上寝てるんだもん」
「……腕は治らなかったンだナ」
キルリスは、存在しない右腕を幻視し、さすがに暗い表情を見せた。
しかし出血はもう止まっており、痛みも我慢できるレベルだ。
もっとも、傷口には包帯が巻かれており、そこが若干の血で汚れているということは、回復魔法による治療ではないと思われる。
「命からがらこの村にたどり着いたら、ギルドの人が助けてくれたの。でも、ちょうど他の村でけが人がいっぱい出たとかで、【光使い】がいなかったみたいで」
「緊急事態……ヘンリーの野郎カモな」
「あの気持ち悪いカミソリ男、一般人まで平気で殺してた……」
「ありゃ性癖ってヤツだ。典型的な快楽殺人鬼。話しテモ通じる相手じゃネエ。ま、あたしモ似たようなモンだけどナ。シシシッ」
「キルリスは違うっ!」
「同じダってノ。立場が変わレバ見る目も変ワル。そんなモンだ」
「そんなことは……」
「別に誰が変態でもドーでもいいダロ。どーせお前モ、そのうち誰カを殺スことニなるんダ」
「……私が?」
「クリスんトコに行くンだロ? あいつが歩いてンのはそういう道ダ。生き残ルためには殺スしかネエ」
うつむくカウリィ。
だが彼女はすぐさま立ち直り、まっすぐにキルリスに向けて言った。
「そうだね。うん、確かにそうかもしれない。私も殺すよ、そのときは」
「意外と思いキリがいいンだな」
「立ち止まってたって何も変わらないもの。自分で動いて切り開いて、立ちはだかる壁が人の命なら、それもぶち壊すぐらいの気持ちでいなきゃ!」
「ヒュウ、強いネエ」
「血かもね。兄もそうだったから」
「ヘエ、兄貴がいるノカ」
「元黒の王蛇よ」
「……マジか」
これにはキルリスも驚きを隠せなかった。
しかしそれは、カウリィも同じことである。
キルリスが黒の王蛇の人間だと知ったときは、実はかなり驚愕していた。
そして今まで彼女に話さなかったのは――信用できる相手かを見定めていたからだろう。
「名前ハ?」
「フレップ・リンベリー」
「すマン、知らナイな」
「現場じゃなくて研究の仕事やってたみたいだから」
「それッテつまり……魔薬を作っテタってコトか?」
「それは無かった、と思いたいな。馬鹿な兄でさ、『すっごい給料が高い仕事を見つけた!』って嬉しそうに言ってきたかと思えば、それが裏社会を牛耳ってる傭兵団の組織だって言うんだもん。でも……うん、たぶん、薬は作らなかったんじゃないかな、って思う。そう、思いたい」
「“元”っつッテタな」
「そのあと、急に死んだから。私が十三歳のとき。で、一人じゃセントラルマリスで生きてくのは無理だから、仕事を探してたらメイドの募集を見つけたってわけ」
「そレでリーゼロットってヤツの屋敷で働いたノカ……結構、波乱万丈ダナ」
「まあね。もっとも、兄は生きてたんだけど」
「さっき死ンダって言ったロ」
「私もそう思ってたのに、いきなり屋敷に手紙が来たの。しかもわざわざ調理長を経由して、誰にも気づかれないようこっそりと」
「なンでそんなコトしてたンダ? サラにヤバい仕事でも始めたノカ?」
「内容は知らないんだよねー。ただ、名前と顔を変えて生きてるってことと、黒の王蛇に反抗するような研究をしてるとだけ。でもそれからも定期的に手紙は送られてきて、一方的ではあるけど、自分が生きてるってアピールしてくれたの。いやあ、妹の私としては、馬鹿な兄なんて生きてようが死んでようがどっちでもよかったんだけどね」
そう言って、カウリィははにかんだ。
言葉とは裏腹に、兄が生きていることは、彼女にとって大きな希望となったようだ。
「そイツ……もしかしタラ、あたしが会おウとしてたヤツに関係あるカモな」
「そうなの? でも、黒の王蛇の幹部なんでしょ? 兄は黒の王蛇からは抜けてるし……」
「ソウいうコトにして、実際は反魔薬派の連中と繋がっテタ可能性は高イ。皮肉な話ダガ、魔薬を誰ヨリも危険視シテるのは、黒の王蛇の内部の連中だからナ」
「そっか……研究を続けるにはお金も必要だもんね……」
「ダナ。もしかしタラ、その兄貴に会うコトもできるかもしれネェ」
「うーん……でもそれって、幹部に会えた場合だよね。あの変態とやりあってから、もう二日以上経ってる。生きてる可能性は……」
「かもしんネェが、生きてる可能性にモ賭けておきタイ。なんたって、次に会いにいくヤツはとびきりの大変態だからナ」
「変態より?」
「アア、あいつが小変態ニ見えるぐらイノ大変態ダ」
「……会いたくないかも」
「シシシッ、実はあたしもソウだ。ダガ、こーゆー緊急事態では頼リニなるヤツでもある」
二人が言葉を交わしているうちに、さらに日は昇り、外は明るくなる。
早朝を過ぎ、朝――カウリィの言っていたギルドの関係者が目を覚ましたのか、ドアをノックする音が聞こえてきた。
入ってきたのは、橙色の長い髪を後ろで束ねた、快活そうな二十代後半の女。
「おっ? 目ぇ覚めたんだ。よかったよかった、そのままくたばったら死体処理に困るトコだったよ」
彼女はギルドの人間らしく、上品とは言えない口調でキルリスの目覚めを喜ぶ。
キルリスも、そういう人間は嫌いじゃない。
歯を見せながら「シシシ」と笑う。
「あんたガ助ケテくれタのか。ありがとナ」
「いいってことよ。冒険者のフォローはギルドの役目だかんね。あたしはリャン・ルーってーの。よろしくね」
「あたしはキルリス……ってノハ知ってるナ」
「もちろん。ところでその喋りだけど、もしかして他国の出身?」
「生マレはオルドゥの国境付近だ」
「あー、確かフィオレンタムを挟んだ南西だっけ? 珍しいじゃん」
「ガキの頃に流れテきたからナ。ほぼガロイアで育っタヨ」
「モロに戦争の影響って感じ。でも訛りは抜けなかった、と。オルドゥの言葉は喋れるの?」
「少しナ」
「いいなー、そういうのあると食いっぱぐれないよね」
「あたしニハ向いてないカラ、人殺しで食ってるケドな」
「あはは、わかるわかる。そんな感じする」
「……あのー」
当たり前のように盛り上がる二人に、カウリィが困った様子で割り込む。
「あ、ごめんごめん。ついキルリスに興味が湧いちゃってさ」
「あんタが助ケテくれたらしいナ、感謝スル」
「いいって、むしろギルドとしては【光使い】が確保できなくて申し訳ないぐらいだから」
「他の村で怪我人が出たって聞いたんだけど、そっちはどうだったの?」
カウリィの問いに、リャンはため息をつきながら、首を横に振った。
「フォーレスからの応援要請だったけど、あっちに向かった【光使い】の報告聞いてみると全滅らしい。てゆーか、怪我どころか、体の大部分が吹っ飛んで内臓しか残ってないって話」
「その死に方……」
「ん、知ってんの?」
「いいヤ、あたしタチは何モ」
「うわー、それ知ってる感じの言い方だ。あたしは厄介事嫌いだから首は突っ込まないけど。ってことはあれかあ、二人は黒の王蛇の関係者」
「なんでそれが……」
「ビンゴぉ! まあ、単純にフォーレスで起きた虐殺が、黒の王蛇の内ゲバじゃないかって言われてるからなんだけど。最近、きな臭いよね。ティンマリスに現れた巨人も、噂によると黒の王蛇が関連してるって話だしぃ?」
リャンの話が事実ならば、やはり、すでにキルリスが会いたがっていた幹部は、すでに――
顎に手を当て、眉間に皺を寄せるキルリスを、カウリィは不安げに見つめた。
「……どうするの、キルリス」
「どっちにシロ、向かうシカない」
「お、そろそろ出発する感じ? 腕の傷は大丈夫?」
「まだ痛むガ痛いホドじゃナイ」
「どういう意味なのそれ……」
「あははー、冒険者あるあるだねえ。オーケイ、じゃあこれ返しとくから」
リャンはポケットから取り出した端末を、キルリスに放り投げた。
彼女は左手でそれをキャッチする。
「ああ、それね、私が修理できないかってギルドに頼んでみたの……クリスさんと連絡が取れたら、それが一番だと思って」
「そうカ、気が利クナ」
「伊達にメイドはやってないもの」
えっへん、とカウリィは胸を張る。
「自慢げなところ申し訳ないけど……それ、修理できてないから」
「ええぇぇっ!?」
「何でダ?」
「うちみたいな小さなギルドで修理できるレベルの故障じゃなかったんだ。一体、何がどうなったらそんな壊れ方するわけ? 一瞬で、限界許容量を遥かに越える魔力が注がれなきゃそうはならないって」
「キルリス、心当たりは?」
てっきり、ミーシャとの戦闘中に壊れたものだと思っていた。
しかしあの中で、大量の魔力を端末に注ぐような余裕はあっただろうか。
「……わかラン」
「そっか……でも、何かやな感じするね。これじゃあクリスさんと連絡も取れないから」
「相手は冒険者? ならギルドの通信端末使えば?」
考えていなかった――というより、冒険者は個々が端末を持っているので、普段はその必要がない。
だから頭に入っていなかったが、連絡先の入手も含めて、それが一番手っ取り早いのは自明であった。
◇◇◇
ギルドに備え付けられているのは、設置型の大型端末だ。
中央には大きな画面があり、両側に音を出力する穴があいている。
入力端末は別途用意されており、無数のボタンが並ぶそれをリャンが操作する。
大きいのは古いから――というのも理由の一つではあるが、冒険者に配られる携帯型のものに比べて機能も多いし、通話も安定している。
登録された冒険者一覧からクリスのものを選ぶと、すぐに通話が開始する。
呼び出し音は三回――
『もしもし?』
向こうから懐かしい声が聞こえてくると、まっさきにカウリィが反応した。
「お久しぶりですクリスさんお元気ですかぁっ!」
あまりの勢いにリャンは引き、キルリスは「シシシ」と笑った。
『その声……もしかして、カウリィちゃんなの?』
「はいっ! 覚えててくださったんですね!」
『もちろんだよ! よかった、生きてたんだね! 屋敷が……その、魔物になったリーゼロットに破壊されたって聞いて心配してたんだ』
「どうにか私だけは……生き残りました。旦那さまと奥様のおかげです」
『あの二人が? 姿を見せたの!?』
「双頭の犬のような姿になっていましたが、龍になったお嬢様を止めてくださったんです……」
『……やっぱり、あの二人も魔物に』
クリスも予想はしていた。
だが、こうしてはっきりとした情報を得るのは初めてだ。
しばしの沈黙。
そこにキルリスが割って入る。
「よウ、クリス。そっちモ元気みてーダナ」
『え、キルリス!? カウリィちゃんと一緒にいるの?』
「命からガラ逃げ出してきたトコで偶然会ってナ。それカラ一緒に行動シテる」
『びっくりしたよ……そんな偶然があるなんて。ああ、でもよかった。連絡が取れなくて心配してたんだ。キルリスの声が聞けてほっとしたよ』
「そウカ……シシッ、あたしもクリスの声が聞けて嬉しいヨ」
一瞬、キルリスが女の顔をしたのをカウリィは見逃さなかった。
話は聞いていたが、どうやら本気で彼女はクリスに惚れているらしい。
人間として信用できるかどうかとはまた別に、ライバルとしての警戒心を上げるカウリィ。
「そっちハどうシテるんダ? 馬車の音は聞こえるガ」
『セントラルマリスに向かってる途中。キルリスは合流できそう?』
クリスの問いに、キルリスは自らの右腕があったはずの場所に視線を落とす。
「すまナイ、あたしは間に合いソウになイ」
『……そっか』
「マダ、仲間も集めラレてナイんだ」
「先回りされて、幹部に殺されてたんですよ! 十悪とかいう変態にやられて!」
『十悪!? キルリスたちもやりあったの?』
「クリスもカ」
『こっちは聖女ってやつとね』
「No.Ⅲ……大物じゃネェか、よく生き残レタな」
『色々あったんだよ。そっちはどんな相手だったの?』
「No.Ⅷ、“画聖”ヘンリー。触レタ人間の内臓以外を吹っ飛ばす、悪趣味ナ変態野郎ダヨ。あたしも右腕を持っていかレタ」
『腕を……治療は?』
「できなカッタ。ダガ、このまま終わるつもりハない。工場攻略には間に合わナイが、そのあと合流スル」
『……わかった、無事に再会できるよう祈ってるよ。キルリス、カウリィちゃん』
「はいっ、必ず生きて会いましょうね!」
「次会えタラ、キス以上まで進めるからナ」
『あ、あはは……』
「はあぁぁぁあっ!? キルリス、あんたクリスさんとキスをっ!? キスしたってーの!?」
「ジャあな、クリス」
『う、うん、じゃあねー……』
「あ、ちょ、まっ! クリスさんにも聞きたいことがっ! あー! 切った! 切りましたねクリスさーんっ!」
「シシシシッ」
どことなくキャミィと似たリアクションを見せるカウリィに、肩を震わせ笑うキルリス。
その後もカウリィはキルリスに食いかかり、その様子を見て、リャンは苦笑いを浮かべたのであった。
◇◇◇
それから数十分後、準備を整えたキルリスとカウリィはメイリアの村を発つ。
目指すはここから北西に位置するフォーレス。
ギルドが融通してくれたリザード車に乗れば、明日には到着するだろうし、セントラルマリスへの距離もそう遠くない。
もっとも、頼るべき味方は、すでにヘンリーに始末されている可能性が高いが――それでも、キリルスは諦めたくなかった。
「ほんとにウチの冒険者を連れてかなくてもいいの?」
見送りに来たリャンが言う。
キルリスは愚問だ、と謂わんばかりに笑う。
「シシッ、生半可な奴じゃ役に立たネェからナ。何が起きるかわかンねぇ、マズは自分の身を守ることヲ優先するんダナ」
「やっさしーい」
「本当に黒の王蛇ってヤバい連中だから、リャンさんも気をつけてね」
「さすがにあいつらでも一般人には手を出さないでしょ……って言いたいところだけど、ティンマリスって前例あるもんね。そうそう、さっきの通話を聞いててやっと気づいたけど、あんたたちフィスの知り合いでしょ?」
「フィス?」
「アア、ティンマリスで会ッたギルドの女ダナ」
「やっぱり。黒の王蛇に抵抗してる冒険者がいるから支援してやってくれ、って頼まれてたのよ。ってわけで、これどーぞ」
リャンは何かが詰まった袋をキルリスに手渡す。
中からは香ばしい匂いが漂っていた。
「こレハ?」
「パン。情けないけど、うち田舎だからこれぐらいしか出せないのよ」
「ううん、すっごく助かる! リザード車も手配してもらったし……本当にありがとう、リャンさん」
「あたしカラも、ありがとナ。世話にナッタ」
「いいってことよ。それじゃ、今度こそじゃーねー」
手を振って離れていくリャン。
ちょうど小腹が空いていたので、カウリィとキルリスは袋に入れられた硬めのパンをかじり、リザード車が走り出す。
目的地であるフォーレスに、生存者がいることを祈って。




