056 僕らの分断
握った骨剣で、聖女の一撃を受け止めた。
続けて二撃目、同じ刃でガード。
こんな腕になってもわざわざ短剣で戦う律儀さが、我ながら妙に滑稽に思えた。
「笑う余裕があるのですね」
三撃目を弾いたところで、聖女はその勢いを利用して後ろへ飛ぶ。
「ただの自虐だよ」
剣と脚部が雷光を纏う。
「それも余裕のうちでしょう」
その光が彼女の体を打ち出しているのだろうか――軽く地面を蹴るだけで、恐るべき速度で彼女は迫る。
薙ぎ払われる斬撃を、僕は飛んで躱す。
体が腕に引っ張られるような感覚。
空中で逆さの体勢になりながら、相手の背中に向かってナイフの投擲。
散弾――風を纏った針鼠。
彼女は振り向きざまに迎撃、撃ち落とす。
「ふッ、くぅ!」
これまでとは明らかな反応の違いが見て取れる。
投げた僕が驚くほどに、その威力は向上していた。
一方であちらは強化魔法を使っても、防壁の向上は劇的ではない――当たれば傷ぐらいは増やせるか。
続けて着地前に、二発目の投擲――空魚。
先ほどとは異なり狙い定めて投げたナイフは、彼女の眉間をめがけて飛翔する。
「はあぁッ!」
聖女は声をあげ、ナイフを弾き落とす。
僕は着地する。
両者、顔を上げる。
視線がコンタクトした瞬間――僕らは同時に前に飛び出した。
「[ライトニングエッジ]ッ!」
「風刃血鷲ォッ!」
互いに、大ぶりの一撃。
衝突――ゴオォォッ! と魔力と魔力が爆ぜ弾け、耐えきれず周囲の長椅子が吹き飛ぶ。
――イエラは無事なのだろうか。
ふとそんなことを思う。
「よそ見をしている暇などッ!」
なおも刃の雷光は健在。
立ち位置はインファイトのレンジ内。
「おおぉぉぉおおおおッ!」
光速の斬撃が、連続して僕に叩き込まれる。
速い、だがまだ見えている――だったら、速斬で対処を!
二十の斬撃、二十の迎撃。
瞬きの刹那、繰り広げられる攻防。
互いのラッシュが相殺される。
刃と刃が弾きあったその場所に、閃光が爆ぜた。
反動で互いに地面を削り後ずさる。
ああ、あまり好ましくは思いたくないけれど――おかげさまで、対等に戦えてしまっている。
やだなあ、これじゃあ僕が“殻”だって証明するみたいなもんじゃないか。
だったら中にいるお前は誰なんだ。
だったら外にいる僕は誰なんだ。
ただでさえ落ち着かない心を、これ以上、乱さないでくれ――
「なお心ここにあらずなどとッ、舐められたものですね!」
左側から斬撃――僕は右腕でガード。
聖女が消える。
僕の背後――左側より攻撃。
僕は[シャドウステップ]を発動し逆に彼女の背後を取る。
後頭部を狙い斬首発動。
聖女は地面に大剣を突き刺すと、それを棒のように使いくるりと回り、回避の後、左腕を狙った膝蹴りを繰り出す。
今の僕の武器は右腕だ。
それもまだ使い慣れていない。
だからこの単純で執拗な“左側からの攻め”にも、どうしても“大きなアクション”による対応しかできない。
そしておそらくは――ここで僕が右腕で受け止めたのなら、彼女はその隙を使って僕を殺しにくるだろう。
「づ、ぐぅっ!」
だったらあえて、脆弱な左腕で受け止める。
「腕を犠牲に!?」
聖女の膝がゴリュッ、と僕の骨を砕き、潰し、腕はたやすくへし折れた。
なんて威力だ、しかも雷撃のせいで感覚が痺れて――でも、今なら足を掴める!
よし、このまま地面に叩きつければッ!
――すると、彼女は地面に突き刺していた剣を引き抜く。
そして片手でその巨大な刃を、こちらに向けようと――馬鹿げている、その体勢からそんなことが可能だっていうのか!?
「チィッ!」
思わず舌打ち。
無理せず、安全をとって、聖女を手放し、壁に向かって投げつけた。
彼女は肩から衝突し、顔を歪めながらゆらりとよろける。
一連の交戦が終わると、脳内麻薬の分泌が一旦落ち着いたのか、猛烈な痛みが左腕に走った。
「い、づ……っ、はぁ……ふぅ……」
脂汗が浮かぶ。
血の気が引くような感覚。
「……これにも対応しますか、厄介なものを目覚めさせてしまったようです」
彼女は顔を歪めながら、ぶつけた肩に手をかざす。
肩の骨ぐらいは砕けたと思っていたけれど――光に包まれると、簡単に治癒されてしまった。
強化魔法も超一流、回復魔法も超一流、そして本人の身体能力も超一流ときたもんだ。
悪魔さんの力でも借りないと、対抗なんてできるわけがない。
その証拠といわんばかりに、とっくに僕の心はしぼんでいるのに、腕は猛々しく脈打っている。
熱い。溶かした鉄のような血液が巡っている。
元々の右腕は、まるでボロ布のように近くに打ち捨てられていた。
「随分と、悲観的な顔をするのですね」
「この村の有様を見せておいて、喜べるわけがない」
「人ならざるものへと変わり果てる……心か、体か、それだけの違いでしかない、ということですね」
「心が変わってないっていう確証だってない。僕にだってわからないんだよ、どこまでが以前の自分で、どこからが今の自分なのか。そういうことなんだ、お前たちがやっていることは」
「……」
「人を二度殺す。体だけでなく、心まで。狂ってもなお、正気は心の内側から、外の自分が何をしているのか見せつけられる。ここから出してくれと叫んでも、誰も助けてくれやしない」
「……それは貴女の想像でしかありません」
「いいや違う! 僕は見たんだ。この村の男性が残した、悲痛な日記を」
「そこに、書かれていたと?」
「彼は薬で狂っている自分自身を俯瞰していた。怖かった。僕もいずれそうなるんじゃないかって。リーゼロットもそうなってるんじゃないかって。だからお前のことが許せない、って! はは……そんな最中に、これだよ。喜べるはずなんてないじゃないか。それとも、黒の王蛇にとっては喜ばしい結果だったのかな?」
聖女は、気まずそうに視線を逸した。
まるで罪悪感がありますよー、とでも言うように。
「何だよ、その顔は。自分でやっておいて」
「……」
「後悔するなら最初からやらなければよかった」
「……それは、違うと思います」
「へえ、どう違うっていうの?」
「何もやらなくて後悔することだってある。だから、私は歩みを止められないのです」
「自己満足だよ、そんなの」
「誰だってそうです。何だってそうなのですよ。突き詰めれば、正義も悪も、全ては自己満足でしかない」
「極論だ」
「ですが真理です。リーゼロットさんとやらは、貴女に救ってほしいと願ったのですか? この村の人々は、私を殺してほしいと願ったのですか? 違いますよね。貴女が、そう思っているだけです。正しいか間違っているかなんて、結果が出るまでわかりません」
「だったら、この村の有様は正しかったと? お前たち黒の王蛇は、そうしてまで自分がやったことを正当化しようっていうのか!?」
「無秩序に終わるより、救いはあったと――そう思っています」
「ふざけたことを言うなアァァァッ!」
飛びかかる。
獣のように、悪魔のように。
致命的に噛み合わない。
この女は何を言っているんだ? 本当に僕と彼女は同じことについて話しているのか?
薬をばら撒いた張本人のくせに、そうやって、まるで自分の罪から逃げるような言動ばかり繰り返して。
何が秩序だ、何が救いだ。
本気でそう思ってるんなら悪魔はお前だ。
死ね、死ね! より多くの人間を不幸にする前に僕に殺されてしまえッ!
「く――でしたら、貴女はッ! 人々がッ、獣のように共食いして! そして滅びる世界が! 正しいというのですかッ!」
「最初から、薬さえなければって言ってるんだよぉぉおおッ!」
がむしゃらに力をぶつけ合った。
互いに、感情の赴くままに。
しかし胸に気持ち悪さが張り付いている。
やはりそうだ。
噛み合っちゃいないんだ、最初から、何かが。
この女に感じる違和感は、気色の悪さはそこにある。
そもそも――この強さ、明らかにグラードどころかキルリスよりも上ってことは、こいつは幹部だ。
“十悪”とか言ってたっけ。
ひょっとして、黒の王蛇の上から十人ってこと?
だったらそんな人間が、こんな小さな村に、ずっと張り付いてるなんてありえない。
要するに――途中からなんだ。
おそらくは、手遅れになったあとから、彼女はこの村にやってきて――そして、聖女の真似事みたいなことをしている。
そう考えれば、イエラがこの村の状況を知っていたことと、聖女の存在をしらなかったこと、二つの事実が両立しうる。
自己満足、か。
黒の王蛇みたいな悪人集団に属しておきながら、変なやつもいたもんだ。
聖女? 救いたかった? とうに終わった村に、秩序でももたらして? あの気持ち悪い儀式がそうだって言うのか?
ああ確かに、それは正義の行いなのかもしれない。
お涙頂戴で、多くの人が支持する、感動的な方法かもしれない。
耳障りはいいよね。
でも、どちらにしたって――間違ってる。
こんな村の人々を、魔法まで使って生き延びさせようだなんて。
「貴女は間違っています。そう、イエラさんも同じように。たとえどれだけ苦しくとも、人は、命あってこそ人なのです。命さえあれば、人は人なのですよ!」
「この村の人たちを見ても、そう思えるっていうのか!」
「思えます! 彼らは必死に生きている! だから、私は余生を少しでもまともに過ごせるようにとッ!」
「その必死さ――ああそうか。お前も、何かに重ねてるんだな?」
「ええそうです。私は、私の過ちを正さなければならない」
「はは……そうだ、僕も重ねてるんだった。お互いに、身勝手な話だよ。だったら、結局のとこ、イエラの意見を尊重するのが一番なんじゃないのかな」
「……それは」
「イエラは、何て言ってた?」
「……」
「そっか。自分と違う考えだから、黙殺する、と」
「……確かに、殺すべきと言っていました。今すぐにでも、終わらせてあげるべきだと」
「だったらそれを――」
「彼女に全ての責任を背負わせるのですか? もしもその決断が間違っていたとき、イエラさんだけが苦しみを味わうのですか?」
「誰も恨みはしないよ」
「嘘ですッ! 人は恨む、憎しむ! 自分は選ばなかったくせに、自分は決断を拒んだくせに、それを下した人間を、徹底的に悪だと糾弾するのですッ! だから私は、私は……もう……っ!」
顔を両手で覆い、取り乱す聖女。
――面倒な女だなぁ。
率直に、そう思った。
まあ僕も、大差なく面倒なやつなんだろうけど。
互いに半端者で、互いに迷っていて。
だから――共感と同時に、自己嫌悪めいた気持ち悪さを感じるのか。
「繰り返さない。そのためにも、負けてはならない! 私は常に、正しさを証明するために最強でなくてはならないのですからッ!」
「理想を押し付ける先が間違ってるんだ!」
「ですから最初から言っているのです。これは、自己満足でしかないのだと! そして何より、貴女は私の敵でしょう!」
そして開き直り。
もっとも、僕と彼女は敵同士、最初から言葉を交わすことに意味などないのだけれど。
どちらかが死ぬ――それ以外に勝負が決する方法などありはしない。
「貴女の限界はわかりました――次で、決着を付けます」
魔力が、聖女の周辺に渦巻く。
さらに上位の魔法を使うつもりか。
「[ヴァイアス]」
魔法の種類は多い。
ひとえに光魔法といっても、数百も種類があるという。
ある程度は、僕も把握しているけど――聖女が使ったそれは、知識の中に無かった。
魔力量からして上位スキルだと思うけど……見た目や周囲への影響がないということは、やはりこれも自己強化魔法なのか。
「行きます」
右手で大剣を握る。
上段に構える。
力の籠もったその腕は、まるでしなる弓のようだ。
そして左手はそっと刃に添え、腰を落とす。
その構えを目にした瞬間、僕の中の生存本能が警告した。
おそらくあれは、右腕のみに強化を集中させた状態。
あるいは、自らにかかった強化魔法を右腕に集めた、とでも言うべきか。
今までのどのような攻撃よりも鋭く、速い斬撃が襲ってくるだろう。
いくら想像力を張り巡らせても、いずれの道を選ぼうとも、被害をゼロで抑える方法は見つからない。
問題は、どこを捨てるかだ。
悪魔の右腕は論外、悔しいがこの腕がないと彼女とは戦えない。
だから向こうも、この腕を真っ先に狙ってくるだろう。
左腕は使用不可、両足はまだ残ってるけど――そうだ、いっそ脚を捨てて、そこから悪魔の脚が生えてくるのでも期待してみる?
ギャンブルだけど、真っ向勝負で聖女に勝つよりはマシな確率かもしれない。
まあ――でもそれに頼るのは最悪のパターンってことで。
今は体を犠牲に、相手の首を掻っ切る方向で作戦を固める。
意識の集中。互いに互いの姿だけを視界に捉える。
雑音は排除、気配も遮断、とにかく目の前の攻防にすべてを注げ。
しなる腕に力がかかる。
引き絞られた弦は、添えた左手が離されることで一気に加速し――
「おぉぉぉおおおおおッ!」
咆哮とともに、斬光が空を裂く。
当たり前のようにその斬撃は宙を舞い、物理的接触を必要とせず、狙った相手を両断する。
迫る殺意を前に僕は、前に出ようとして――視界の端に、誰かの姿を捉えた。
『クリス、危ない!』
おそらく彼女はそう思い、飛び出したのだろう。
――どうして。
いや、別にここにいることはおかしくない。
むしろ、いて当たり前だ。
けど、何で、この瞬間に?
きっとそれは、奇跡的に、絶望的に、絶妙なタイミングだった。
わずかでもずれていたら、間に合わなかっただろうし、聖女は剣を振り下ろさなかっただろうから。
そしてイエラの両手は僕の体を突き飛ばし、彼女の体は、胸の下あたりから、飛来した剣気により真っ二つに断ち切られる。
傾く世界で、僕が見た彼女の断面は、まだ汚れていないから鮮やかで。
思ったより赤ばかりではないんだな、とか。
内臓や脂肪ってあんな色なんだな、とか。
他人事のように観察し、けれどそれは、情報を咀嚼するまでのわずかな時間だけ。
「あ……」
聖女が、目を見開く。
「イエ、ラ……?」
付き合いはあまり長くない。
互いの事情だってあまり知らない。
けど、倒れ込みながら、二つに分かれたその姿は、今の僕の心を握りつぶすには十分すぎて。
くしゃりと。
殻の僕は、内側からほとばしる“何か”に、驚くほどあっさりと飲み込まれた。
「う、うあ、あ……うわあぁぁぁぁああああアアアアアアアッ!」
弾ける。
爆ぜる。
消え失せる。
さよなら、僕。
おはよう、誰か。
「貌の無い……悪魔……!? ま、待ってください、今ならまだ彼女の治療がッ!」
白い。
世界が白い。
空白がそこにはあった。
「ぐううぅぅううっ、ここまで強化しても、抑えきれない!? しかもっ、この速さは!」
白い。
「しま――っ!? がっ、ひぎっ、ぎいいぃいいっ! あ、あがっ、は、ひ……腕、引き、ちぎ……っ」
どこまでも、白い――
「まだ、間に合います。ここは、休戦を――っ!? あ、あ、う、ああぁぁぁあああああッ!」
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