055 ブーロクンハート・ブロークンマイセルフ
眼前に迫る刺突は、もはや肉体の動きだけで回避することは不可能だった。
スキルに頼るしかない――だが聖女は正面におり、また脇を抜けても“無傷で切り抜けるヴィジョン”が見えなかった。
つまり[アサルトブリッツ]による移動では避けられない。
仕方なく、連続使用ができない[アサシンダイヴ]で聖女の背後へ。
だが背後を取ったからといって、攻撃はしない。
あえて聖女に背を向けて、距離を取ることに専念する。なぜならば――
ヒュオッ!
瞬間、正面を向いていたはずの彼女の刃は、僕の後頭部に迫っていたからだ。
聖女の動きはスキルを使用した僕の速度を越える。
だから僕は[アサルトブリッツ]で正面に移動――刃は後ろ髪を掠め、何本かを宙に散らした。
「よき判断です」
一旦、攻撃の手を止めて微笑む聖女。
褒められても嬉しくはない。
僕は地面に片手を付き、[アサルトブリッツ]による慣性を利用しながら、天地無用の体勢より“風刃針鼠”の発動。
複数のナイフの投擲――散弾ゆえに個々の狙いに人の意思は感じられず。
ある意味でそれは、狙いすまされた一射よりも撃ち落とすのが困難なはずだが、彼女はその素振りすら見せなかった。
金属にぶち当たったような音を鳴らし、肌に触れるより前に弾かれ落ちる銀刃。
ミーシャ以上の魔力障壁――いや、それにしたって硬すぎる。
そのとき、聖女に当たらず、背後の壁に衝突したナイフも、同じような挙動で弾かれ落ちるのを僕は目撃した。
……魔力障壁とは別に壁があるのか?
聖女はまだ動かず、微笑み不気味にこちらを見る。
僕は風刃飛魚を使用――割れた窓枠めがけてナイフを投げる。
すると、ガラスなど無いはずのそこに到達した瞬間、刃はカキンと何かにぶち当たって落ちた。
「最上位魔法[サンクチュアリ]といいます」
僕が気づいたことを察してか、聖女は勝手に説明を始める。
「あなたがたが牢から出られないのも、村人たちが力を得たのも、この魔法の力です」
「……まさか、村全体に」
「ええ、大抵の相手はこれだけで屠れてしまいますね」
「じゃあ、さっき窓ガラスが割れたのは?」
「演出です。派手だったでしょう?」
――ふざけている。
なぜ笑う。
村のあの状況を見て、なぜ笑えるんだ。
人が、人でありながら、人間性を奪われるあの地獄を前に、どうして笑うんだ!
「赤い光が強まった……怒っているのですか? デリケートな人なのですね。人殺しの【暗殺者】のくせして」
「平然とできるお前が異常なんだ」
「そうですか? 村のことを言っているのなら、もうあそこまで行くと人間に見えませんから、逆に平気ですよ?」
「黙れええぇぇぇええッ!」
突進、一気に接近する。
初撃で首を狙う――風刃速斬でスピード重視の斬撃。
聖女は剣でそれを防ぐ。
続けてスキルの連続使用、コンマゼロ秒の斬撃は、もはや同時攻撃に等しい。
それも涼しい顔で防がれる。
否――そもそも防ぐ必要すらないものを、あえて防いでいる。
挑発するように。
無駄だ、無駄だ、無駄かもしれない――けれど、攻撃の手は緩めない。
速斬からの、風刃痛打。
打撃、からの爆発的な風の流れ。吹き上がる瓦礫。
その勢いを利用してわずかに距離を取ると、風刃針鼠でナイフをばらまく。
すかさず[アサルトブリッツ]を発動、位置を変えて再び針鼠。
繰り返す。
高速移動、からの投擲、投擲、投擲――分裂したものも含め、数百の刃が聖女を取り囲んだ。
それも、全てが極大の風の魔力を纏ったもの。
たとえどれだけ[サンクチュアリ]とやらが優れていようとも、これで無傷とはいかないはずだ――
「なるほど」
そして聖女は納得したようにそう呟くと、大剣を一振りした。
「――ッ!?」
ゴオォォオオオッ! と屋内に嵐が巻き起こり、風圧だけで僕は吹き飛ばされ、壁に背中を強打する。
無論、あれだけ必死に投げたナイフは全て地に落ち、聖女はなおも無傷であった。
……なんなんだ、こいつは。
こっちは魔法を使ってるっていうのに、あっちは魔法すら使わない、ただの斬撃で……?
こんな、こんな理不尽な力の差があるものなのか?
ずるりと地面に落ちながら、僕は呆然と彼女を見つめた。
「赤い光は感情とともに輝きを増し、それに応じて身体能力や魔力が向上しているのですね。あれだけの速度と威力を両立させたナイフの投擲……良いショーを見せてもらいました」
「見世物……だって……?」
「大道芸と言い換えますか? だってそうではないですか、あんなもの、見た目ばかり派手で使いみちがない。現に私には、傷一つ付けられていないのですから」
「くっ……」
腕の力を使って立ち上がりながら、僕は歯を食いしばった。
悔しい、けど事実だ。
僕は自分の思惑を、これっぽっちも実現できちゃいないんだから。
「ところで、先ほどの攻撃ですが、少しでも傷を与えられたら、動揺している隙にあの女性を救い出して、どうにかして逃げられないか――そう考えていたのですよね?」
「……」
「残念でしたね、作戦通りに行かなくて。ですが安心してください、私の防壁を突破できないようでは、この教会から出ることなど不可能なのですから」
「それでも、やってみせるさ。僕はこんな場所で死ぬつもりなんてない!」
「でしたら、一つ提案があります」
「何……?」
「ここで敗北を認めて、セントラルマリスへの到達を諦めるのでしたら……みなさんを解放してあげます」
この女……わかっちゃいたけど、やはり黒の王蛇の――
だとしたら、連中はとっくに僕らが魔薬工場に向かってることを把握してたわけか。
ははっ、わざわざ道を選んだって無駄だったわけだ。
「もっとも、ここで私に傷一つ与えられないようでは、工場の破壊など夢のまた夢。何せ、あの場所には私と同じ“十悪”の面々が何人も揃っていますから」
「情報ありがとう。だったら絶対に遭遇しないよう気をつけるよ」
「……わからない人ですね」
「物分りが悪いってよくリーゼロットに怒られてたよ」
「それで命を落とすのですから、愚かなものです」
「やってみればいい。僕はそう簡単に死ぬつもりなんて――」
ナイフを握り、再び戦闘態勢に入る。
ふっとばしてくれたおかげで、距離はそこそこある。
これだけ離れていれば、仮に相手が攻撃を仕掛けてきても、回避の猶予はあるはずだ。
「本当に、愚かな」
聖女は冷たい声で言った。
そして、ずるりと、僕の視界から自分の右腕がフェードアウトする。
滑り落ちて、べちゃりと地面に落ちる。
「……?」
何が、起きた?
なぜ、僕の右腕は、そこにある?
どうして――こんなに、右肩が、熱いんだ?
「おひねりです。私はまだ魔法を見せていませんでしたから、ショーの対価としてそれを見せてさしあげました」
「あ……あ、あ……っ」
「[ライトニングエッジ]。速すぎて見えなかったのなら――アンコールはお受けしますよ?」
「あ、あっ、う、うわあぁぁぁああああああああッ!」
僕はみっともなく叫んだ。
これが対等な戦いの末に負った傷ならば、こうはならなかっただろう。
脳と現実の乖離が、より恐怖を増大させる。
熱さを乗り越えて痛みがやってくると、感情は余計に振れ幅をまして、僕の心をぐちゃぐちゃにした。
「お、あ、は……あ、が……っ!?」
無理だ。こんなの無理だ。勝てっこない。
膝をつく。
胃から悪寒がこみ上げる。
全身が寒気に包まれる。
だって――だって、今のはたまたま、腕を切り落としただけだから。
相手はその気になれば、今ので、僕の首を落とすことだってできたんだ。
絶対に死んでいた。
生かされている。
敵に、憎い敵に、僕は、無様に――その現実が、さらに僕の心臓を握りつぶすように、負の感情で全身を埋め尽くす。
「かわいそうに」
やめろ。
同情なんて、するな。
「報告は聞いていますよ。リーゼロット……でしたか。かの【賢者】を魔薬から救うために戦っているそうですね。虐げられながら、報われることもなく。その末路がこれですか。本当に、哀れな」
違う、違う、僕は哀れなんかじゃない。
だって、リーゼロットは僕の全てだったんだ。
助けたいって思うのは当然だろう、こんな理不尽に押しつぶされたくないって思うのは誰だって一緒だろう!?
そうだ――仮に僕が僕じゃなかったとしても! 僕がリーゼロットの友達だったなら、そう思ったはずだ!
「あなたのように優れた人間なら、慕う人々もいたのではないですか? 主など捨てて、その人間と共にひっそりと生きていれば、今頃、もっと幸せになっていたでしょうに」
ふざけたことを、言うな。
確かに、僕を慕ってくれる人はいるかもしれないけど。
でも……彼女たちだって、結局のところ、僕が、今の僕だからそう思ったんじゃないのか?
リーゼロットを救おうと思わない僕なんて、僕じゃない。
だから結局、無いんだよ、それ以外に、選択肢なんて。
だから、だから、そんなふざけた言葉は――
「いいえ、今からでも遅くはない。見捨てなさい。諦めなさい。理想を追い続けたところで、人は幸せなどにはなれません。まだ、引き返せるうちに」
「うるさいんだよぉぉおおおおおおッ!」
爆発する感情に身を任せて、吼える。
人の幸せを、勝手に決めるな。
人の存在意義を否定しておいて、優しさを気取るな。
不愉快なんだ。
聖女という名前も、その生ぬるい笑みも、正論めいた言葉も。
全部全部全部、僕は、お前のことが――
「ああ……」
――何だ? また、そうやって、僕を見下して。
「ですから、“引き返せるうちに”と言ったのに」
聖女の視線は、僕の右腕に注がれていた。
落ちたはずの右腕。もう無いはずの右腕。
そこに、どうして、力が入るんだ?
持ち上げる。
目の前まで持ってくる。
赤黒い。
ゴツゴツとした、血管の浮かび上がった、とても醜い、何かがそこにある。
「さしずめ、悪魔の右腕と言ったところでしょうか。内側から、まるで這い出るように――ひょっとすると、今の貴女は、ただの“殻”なのかもしれませんね」
殻なんて、言うな。
ただでさえ、僕は、僕という存在が――信じられなく、なりそうなのに。
「これ以上、試すのは危険ですね。どうせこうなる定めなのですから――殺してあげます。[ライトニングエッジ]」
聖女は雷光を纏う。
刃はバチバチと弾け、脚部を覆う稲光は地面を焼く。
そして――彼女がわずかに脚に力を入れた瞬間、その姿が消えた。
まさに光速の斬撃。
僕は目視することすらできずに、成すすべもなく――
「……これを止めますか」
腕が、反応した。
勝手に、僕の意思とは関係なしに。
腕のみならず、全身に、いつも以上に力が満ちている。
まるで僕という存在が、この腕に操られているように。
鍔迫り合いは拮抗する。
聖女は初めて顔を歪めると、力比べを諦めて、弾くように後退した。
「ぐ……が……っ!」
えぐるような痛み。
腕の中で骨のようなものが蠢き、それが手のひらから突き出す。
黒光りする刃――骨の短刀。
これを使えというのか。
気味の悪さを感じながらも、僕は流されるままにそのナイフに[ウインドエッジ]を纏わせて投げ放った。
ギュオォォオッ! ――空中でねじれ、回転しながら聖女に接近。
彼女はすぐさま気づき、大剣で防いだが、[サンクチュアリ]と魔力防壁を前に弾かれることなく、それらを貫かんと競り合う。
「ぐ……これは……っ!?」
防壁のみでのガードは不可能と判断したのか、彼女は刃を傾け、向きを逸した。
短刀はわずかに彼女の頬を掠めて、後方へと飛んでいく。
薄っすらと刻まれた傷に、わずかに血が滲んだ。
「……傷、付けられてしまいましたね」
傷口を撫でながら、聖女は苦笑する。
「貴女は素晴らしい力の持ち主です。もう少し、喜んでもいいのですよ」
「……そんな気分じゃない」
最悪だ。
頭が痛い、胸がズキズキする、お腹なんてぐずぐずだ。
これが精神的なものなのか、はたまた肉体の変異によるものなのか、それすらもわからない。
「ねえ、こんなものを見れたんだから、もう満足したんじゃない? イエラと一緒に帰してよ。戦う気分じゃないんだ」
「そうはいきません。むしろ、ますますセントラルマリスに行かせてはならない理由が増えました」
それもそうか。
嫌だな、できればこんなもの使って、戦いたくなかったんだけど。
怖いんだ。
そっちに、僕の存在が、持っていかれそうで。
「それに安心してください、ご覧の通り――」
聖女が頬を撫でる。
すると、そこにあった傷はキレイさっぱり消えてしまった。
「私には回復魔法もありますから、そう簡単には死にませんよ」
「……それはよかった」
「ですが、さすがにこのまま戦うのでは心もとないですね。少しだけ、本気を出しましょうか」
まだ何か――いや、むしろ今まで披露した手札が少なすぎるのか。
彼女が使った魔法は[サンクチュアリ]、[ライトニングエッジ]、そして回復ぐらいのもの。
まだたったの三つだ。
多ければ二十もの魔法を覚える人間もいるのだ、まだまだ、底など見せていないのだろう。
「[パワーアップ]、[ディフェンスアップ]、[スピードアップ]、[マジックアップ]」
連続して唱えられるのは、【光使い】の下位スキルに属する、“自己強化魔法”の数々。
下位魔法ながら、当人が強ければ強いほど効果を増すという、非常に頼りになる魔法だ。
そして彼女が、強化魔法を得意とする【光使い】だというのなら――なるほど確かに、これは本気のうちでも“少しだけ”だ。
おそらくは、まだまだ多くの強化魔法を自分にかける余地が残っているのだろうから。
「では、第二ラウンドといきましょう」
次元が変わる。
合わせるように、悪魔の右腕から、僕の全身に何かどす黒い力のようなものが流れ込む感覚があった。
目が慣れていく。
光速の世界で、大剣を構えこちらに迫る聖女の姿を、僕の瞳はしっかりと捉えていた。
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