053 美味なる罪過
「このっ……開けなさいよ! たまたまそこに居ただけで捕まえるとかどういう神経してんのよ!」
ヴァイオラは憤りながら、牢屋の格子を何度も殴りつけた。
糸使いとはいえ、師匠の弟子である彼女の拳はかなりの威力だ。
この程度の鉄なら歪めることはできるはずだが、びくともしない。
もちろん魔法を使ったところで、破壊できるものでもなかった。
要するに、村人たちと同じなのだ。
「……ったく、わけわかんないわ」
「あまり暴れるなよ、ヴァイオラ。ここは体力を温存しておけ」
「師匠、そうはいうけど……ねえクリス、そっちは脱出できそうな穴とかないの?」
「ここ地下だから、そういうの見つけるのは厳しいんじゃないかな」
僕たちはそれぞれ、違う牢屋に入れられていた。
ヴァイオラは隣、斜め前に師匠、そして正面にはキャミィ。
「でも諦めるつもりはない。早くここから出て、村から脱出してみせる」
膝を抱え、うつむく彼女に向けて、僕はあえて強い言葉を使った。
本当は、脱出の手立てなんて見つかっていないくせに。
そんな本心を見透かすように、キャミィの表情は変わらない。
捕まったこと――というよりは、あの”儀式”がショッキングすぎて、まだ立ち直れていないのだろう。
「そのためにも、イエラと連絡を取りたいところだけど」
イエラは、ここにはいなかった。
彼女だけは侵入者ではなく、この村の人間として歓迎され――おそらく今頃、自分の家にでも戻っている頃だろう。
「彼女が我らを逃がす算段を立ててくれればいいのだが」
「あの女、本当に信用できるの? こうなることをわかってて私たちをここに連れてきたのかもよ」
「それは無い。少なくともイエラは、あの“聖女”とかいう女のことは知らないみたいだった」
「……でも、隠し事はしてたと思いますよ」
ぼそりと、暗い声でキャミィが言った。
そういえばこの村に来る前、彼女はそんなことを言っていた気がする。
確かに、僕も彼女がすべてを知らなかったとは思わない。
「イエラという女がどこまでこの町の惨状を知っていたのか。そして何のつもりで我らを連れてきたのか……解せんな」
「一つはっきりしてることは、ここの連中が魔薬中毒だってことぐらいね」
「イエラさんは、そんな感じじゃありませんでした」
「そうなる前に逃げ出した……そして助けを求めるために僕たちをこの村に……」
「さすがに無理よ。マリシェールとはわけが違うわ。ここの連中はどうしようもなく狂ってる。救うも何も、もう完全に終わってんのよ」
誰も何も言えなかった。
同じことを考えていたからだ。
ここはもう、誰がどんな手を尽くしても救える場所じゃない。
おそらく、セントラルマリスから近いことで、大量の魔薬が流れ込んできたのだろう。
もっとも――それと、あの村人たちの異様な力が関連しているかは疑問だが。
「魔法も効かない、師匠が武道家のスキルを使っても突破はできそうにない、イエラが助けに来るかもわからない――時間がないってのに、どうしてこうも厄介事にばかり巻き込まれるのかしら」
「私たち……もしかしたら、もうとっくに敵の本拠地に乗り込んでるのかもしれませんね」
「ヴァイオラの言う工場とやらはただの中心でしかない。連中の支配は、我らが思うよりもずっと大きいというわけか」
「ひょっとして、あのわけわかんない女も黒の王蛇の人間だったりしてね」
「だとしたら、なおさら脱出を急がないと」
「お、もしかしてクリス、何かいい手段でも思いついた?」
“いい”と胸を張って言えるものではない。
けど、今よりはずっと状況を好転させることはできる。
「まあね。ヴァイオラ、牢の外に魔力は伸ばせる?」
「ええ。隙間から手を外に出す分には問題ないみたいね」
「ならこっちに、地面に這わせるように魔力を伸ばして。“影”を作ってほしいんだ」
「任せなさい」
ヴァイオラの闇の魔力が、這いずりながらこちらにやってくる。
僕は息を吐き出して、意識を集中させた。
◆◆◆
イエラはクリスたちと離された後、ミオラに手を引かれて、自分の家に連れて行かれた。
ミオラ・リーリルム――現在十二歳のその無邪気な少年は、イエラの実の弟である。
年齢差は八歳。
未だ幼さが残るあどけない顔には、血と、臓物の断片がへばりつき、生臭さを漂わせている。
コントラストに吐き気を催す。
家に入る。
中は汚れていた。
ゴミと、ゴミ以下の何かが溢れ、異臭が漂う。
散乱した服は黄ばんで汚れ、羽蟲どもが部屋の隅に群れていた。
「あ、そうだ。忘れてた。おかえり、お姉ちゃんっ」
「……た、ただいまー、ミオラ」
引きつった笑みで答える。
世界は変わってしまったのに、、声も感情も表情も変わらずにそこにあるから、イエラも不変を演じるしかない。
「ねえ、ミオラ。一人なのー? お父さんとお母さんは?」
「生きてるよ」
「え?」
「みんながお父さんで、みんながお母さんなんだ。だから、僕は寂しくないよ!」
見開かれた瞳は、まっすぐにイエラに向けられる。
嘘なんか言ってない。
本気でそう思ってる。
その証明のように。
だからこそ狂っている。
この村は歪んでいるのに、そこにある気持ちだけがあまりに真っ直ぐだから。
そもそも、イエラは父と母の所在を聞いただけだ。
そこでどうして『生きている』という答えが返ってくる?
それはつまり、“命に関わる何か”が起きたのだと、そう証明しているのではないか――
「な、なら、顔を見たいな。先に二人を探すね」
イエラはミオラの手を離して、両親の行方を探ろうとした。
しかしミオラは人間離れした力でイエラの手首をつかみ、逃さない。
「痛いよ、ミオラ」
「探しても見つからないよ」
「い、痛いの。ねえ、ミオラ」
「探しても見つからない。ううん、お父さんとお母さんはここにいる。見てわからない? お姉ちゃん、わかるはずだよ。ちゃんと見て。お願いだよ」
「ミオ、ラ……やめ、て……」
「見て。見て。見て。お姉ちゃん、いるよね? お父さんとお母さんは、ここにいるよねっ!?」
「あ――」
ゴリュッ、という鈍い感触と同時に、イエラの手首がぷらんと垂れ下がる。
「い、ぎいいっぃいいっ!」
何かが内側で爆ぜるような痛みに、彼女は思わず顔を歪め、声を上げた。
膝から崩れ落ち、全身から冷や汗が吹き出す。
「あ、あがっ、は……う、ぐううぅ……っ!」
「……お姉ちゃん。あ、ごめん、お姉ちゃん。僕、力加減がうまくできなくて」
「離してえぇっ!」
ミオラの手を振り払い、よろめくように後ずさるイエラ。
背中がゴトンと壁にぶつかる。
彼女は胸を上下させながら、小刻みな呼吸を繰り返し、ミオラを睨みつけた。
「お姉ちゃん?」
「来ないで」
「ねえお姉ちゃん、ごめんよ。僕もそんなつもりはなくて」
「来ないでって言ってるの」
「本当にお姉ちゃんが戻ってきたのが嬉しくて。でもね、嘘を言っているわけじゃなくて、お父さんとお母さんは――」
「来ないでよぉおおおおおッ!」
イエラは狂乱しながら、右手を前にかざし、光の魔法を放つ。
攻撃魔法はほぼ使えないので、威力はかなり低い。
それでも――十二歳の少年にまともに命中したのなら、かなり大きな火傷を負わせることができるだろう。
しかし魔法はミオラの顔に当たると、弾かれ、壁に激突してそこを黒く焦がした。
「お姉ちゃん……どうして、こんなことするの……?」
「お父さんとお母さんが、みんなの中にって、何? もしかして……食べたの?」
「違うんだ」
「違わないよねぇっ!? 食べたんだ。さっきのおじさんと同じように、みんなでバラバラにして……」
「違うんだよ、お姉ちゃん。あれは聖餐って言ってね、みんなが一日を無事に過ごしたから与えられるご褒美で」
「そんなこと言う前からやってたくせに今さら正当化しないでよぉッ!」
しゃがれた声で叫ぶイエラ。
彼女は頭を抱えながら、床にへたり込む。
「だから、おかしいって言ったのに……絶対に、それだけじゃ終わらないって言ったのに……私……」
脳裏に浮かぶのは、イエラが初めて見た、食人行為の光景。
――最初は、罪人だった。
食われた男は、女子供を殺した上に盗みを働いた重罪人。
どうせ処刑される。
だから、一口ぐらい食ってみてもいいのではないか――そう、村長の息子が言い始めたのがきっかけだと聞いた。
なぜそのような行為に及んだのか。
それは、ウェスマリス全体が、深刻な魔薬汚染に陥っていたからに他ならない。
◇◇◇
三年前――黒の王蛇が魔薬の製造を始めて間もなく、ウェスマリスに薬を売りに来た男がいた。
彼は言う。
『これは万病に効く薬なんだ。飲めばたちまち病は消え、疲れだって吹っ飛ぶ。何なら気分だって良くなるんだぜ』
都合の良すぎる話だ。
誰も信じなかった。
しかしその薬は、詐欺にしては驚くほど安かった。
何人かが冷やかしでそれを購入し、服用し――そして彼らは、すぐさま溺れた。
得られた快楽は、人生を塗り替えるに十分過ぎるものだったらしい。
また、中には病弱がちな女性もおり、薬を飲んでから彼女はみるみる元気になっていった。
今になって思えば、ただ感覚が麻痺していただけなのだが――噂は瞬く間に村中に広がり、誰もがそれに興味を示す。
そのとき、再び男は薬を売りに来た。
今度は人々が殺到し、薬はあっという間に売り切れる。
男はほくそ笑んだことだろう。
全ては思惑通り、この村は手のひらの上で踊らされていたのだから。
そんな中、イエラはずっと薬に懐疑的だった。
啓示の日で【光使い】となった彼女は、いずれ医者になるべく勉学に励んでいた頃だった。
『そんな都合のいい薬があるはずがないよー。きっと危険な副作用があるはずだから、やめたほうがいいよー』
彼女はそう説いて回ったが、煙たがられるばかり。
そうしている間にも薬物汚染は進んでいき、気づけばイエラの両親までもが服用を始めた。
みな、よく笑うようになった。
イエラは一人だけ取り残されたような気分になった。
みな、よく騒いで踊るようになった。
酒がなくとも酔っ払ったような言動が増え、イエラはついていけなくなっていった。
みな、性に奔放になった。
以前ならば許されなかった不貞行為も平然と行われ、倫理は崩壊していった。
これは危険な薬だ。
イエラはそう確信したが、もう止められなかった。
止めようにも村人たちはみな薬を欲して止まないし、イエラはしょせんランクC程度の実力しかない。
薬を売る黒の王蛇の構成員に敵うはずもなく。
ならばせめて、弟のミオラだけでも守らないと――そう思っていた矢先、彼女は目撃した。
両親が、ミオラに薬を与える光景を。
目が虚ろになる。
口の端からよだれを垂らす。
誰もが薬に狂い、常識を失い、そして――悪夢が始まる。
イエラは便所に駆け込み、嘔吐した。
これは夢だ、これは夢だ、これは夢だと何度も繰り返した。
気絶するように眠り、翌朝、平然と挨拶を交わす家族を見てほっと胸をなでおろした。
けれど弟の首筋に残った痕を見て、すべては現実だったのだと知った。
彼女はまた嘔吐した。
何も信じられなくなった。
それでも――いや、だからこそ、イエラには“元に戻したい”という思いがあったのだろう。
薬の危険性を説き続けた。
もはや言葉が通じなくても、いつかわかってくれるはずと、そう繰り返した。
何度も、何日も、何ヶ月も――じきに黒の王蛇は、薬の値段を釣り上げていった。
みなが薬に溺れ、農業も酪農も廃れていく中、村にはお金が無かった。
だから、やがて商人も村に来なくなる。
薬の供給が途絶える。
すると、禁断症状なのか、村のいたるところから奇声が聞こえてくるようになった。
道端にはやせ細った男が、毛虫のように地面でのたうち回る。
商店の前では仲のよかった友達が、娼婦のような格好をして甲高い叫び声をあげている。
逃げるように部屋に引きこもっても、家の中も大して変わらない。
父と母はもはや獣のようなものだった。
唯一、弟はまだ、あきらかに顔色が悪いものの、人として大切なものは捨てていないように見えた。
だから彼を抱きしめた。
そう、救うべきものはまだある。
諦めるな、諦めるな。
イエラはそう、何度も自分に言い聞かせた。
だが、“それ”は起きてしまった。
薬に飢えた人々は、『魔薬を摂取した人間の肉体に薬が染み込んでいるのではないか』という結論に至ったのである。
最初は罪人だった。
処刑の名目で肉は切り分けられ、村の有力者の手に渡った。
初めて汚染された人肉を食した彼らは、その心地よさに排泄物を垂れ流しながら歓喜したという。
そう、一時的とは言え、禁断症状から逃れることができたのだ。
それから食人行為は驚くべき速度で村中に広まり、罪人は例外なく解体され、食われた。
罪人だけ。
これは処刑だから。
私たちは悪いことはしていない。
そう言い訳を重ねながら、人々は過ちを繰り返す。
もはや、イエラの声は誰にも届かなかった。
父にも、母にも――弟にさえ。
狂気の中、まるで自分のほうが狂っているような錯覚に陥った彼女は、ようやく悟る。
『自分の力だけじゃ無理だ』
そして逃げるように村を出た。
クリスたちに出会ったのは、それから二ヶ月後のことである。
◇◇◇
イエラは折れた手に、もう一方の手をかざし、回復魔法を使う。
ゆっくりと骨折を癒やしながら、ミオラを睨みつけた。
「理由があるから、食べたんじゃない。結局、みんな最初から、食べる理由を探してただけなんだ……だから、言ったのに……っ!」
「お姉ちゃん、どうして悲しむの? 僕にはわからないよ」
「お父さんとお母さんは死んだんだよっ!?」
「違うよ。肉体から解放されて、今は幸せそうに笑ってる」
「詭弁じゃない、そんなのぉ!」
「じゃあお姉ちゃんに聞くけど……昔と今、どっちが幸せだと思う?」
「は……?」
「お父さんとお母さん、今のほうが幸せそうにしてると思わない?」
ミオラの視線はイエラに向いていた。
しかしイエラのことは見ていない。
虚ろに、曖昧に、位相がずれて、違う世界を眺めている。
だが――イエラはミオラの言うことが、少しだけ理解できてしまった。
いや、理解というか、偶然にも“結果”が一致してしまっただけで、そこに至る思考のプロセスは全く異なるものなのだが。
確かに、死んだほうがマシだ。
こんな村で、魔薬の染み込んだ人肉を貪って生きるぐらいなら――
「二人、ずっと苦しそうにしてた。でもね、みんなの体の中にいけば、みんなで聖餐を共有できる。体が多いと大変だけど、人が減ったらもっと沢山食べられる!」
「……」
「お姉ちゃんは、前からそうだったよね。みんなが素敵だっていうのに、薬を飲もうともしない」
「私は最初から、危ないって言ってたのに……」
「こんなに気持ちがいいのに、受け入れようとしない」
「大切なものがなくなってるって、ずっと言ってたのに……」
「おかしいよ、おかしい。せっかくお姉ちゃんが帰ってきて嬉しかったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろうね」
そんなもの――イエラが一番聞きたかった。
一体誰が、何のために。
その疑問は、クリスたちと出会ったことで、少しだけ解けた。
黒の王蛇だ。
あの傭兵団がマリストール領を支配すべく薬を広めている。
でも、仮に魔薬の効能を消す何かが存在したとしても――この、身も心も冒されたウィスマリスの村人たちを救うには、もう手遅れなのではないだろうか。
「やっぱり、知らないのがいけないんだ」
「何を……」
「お姉ちゃん、よく言ってたよね。わからないことがあったら調べるのが大事だ、って。でもお姉ちゃんは、調べもせずに僕たちに間違ってると言う」
「そんなの当たり前だよっ!」
「だから、教えてあげる。ちょっと待っててね」
ミオラは軽い足取りで外に出た。
何のつもりかは知らないが、その隙にイエラは脱出を試みる。
近くにある風呂場へ。
吐き気を催す臭気がむわっと広がる。
木製の湯船には、茶色い液体が溜まっていた。
目を背け、窓から外を目指そうとしたが、すでにガラスは割れていた。
外にいた人と目が合う。
顔見知りの中年女性はにこりと笑い、こちらに駆け寄ってきた。
「っ――!?」
イエラは慌てて風呂場から出て、扉を閉めた。
「他に出口を……で、出口を……」
手足が震え、動きはとても俊敏とは言えない。
そうしている間に扉が開き、ミオラが戻ってきた。
村人たちを、ぞろぞろと連れて。
「ひっ……」
彼らはみな、薄ら笑いを浮かべていた。
おそらくは、イエラの帰還を純粋に喜んでいるのだろうが、やつれた顔のせいでそうは見えない。
「ごめんなさい、せっかくの聖餐なのに」
「い、いやあぁ、いい、いいってもんよ……な、なあ?」
「あはははは」
「ええ、私もそう思いますよ。やはり喜びというものはみなで分かち合わなければなりませんから」
「だってさ。お姉ちゃん、よかったね」
何が? 何を言っているんだ?
混乱するイエラを、村人たちは取り囲む。
その手には、先ほど聖女から与えられた肉が握られていた。
「く、薬がないのがが、が、残念だけど、これも悪くいから……ね?」
「あははは」
「本当にイエラちゃんも早く知ったほうがいいよ。もう二十歳だろう? もったいないじゃないか」
「ほらお姉ちゃん、口を開けて」
村人たちはしゃがみこみ、手に持った肉をイエラに押し付ける。
にちゃりとした冷たい感触が、彼女の頬に付着した。
「い、いや……っ」
「ほら、ほ、ほら、いい匂いだろう? お、おいしいから」
「むぐっ、んううぅぅうう……っ!」
「あははは」
「ン―ッ! んんーっ!」
「そんなに嫌がることはないじゃないか。ほら、この肉はグレッグさんなんだ。イエラちゃん、仲良かっただろう?」
「んぶっ、ふ、ぐううぅぅ……っ!」
「グレッグさんもお姉ちゃんと一つになりたがってるよ。ほら、ほら!」
口にぐりぐりと押し付けられる人肉。
イエラは必死になって口を閉じているが、わずかに血液が流れ込んできた。
吐き気が催し、胃液がこみあげる。
しかし吐き出せば口が開き、そこに肉が入ってくる。
どちらも嫌だ。何もかもが嫌だ。気が狂いそうになる。
(誰か……誰か、助けて――)
目をぎゅっとつむり、不可能と思いながらも、見知らぬ誰かに助けを請うた。
すると――狂人どもに埋め尽くされた視界に、ちらりと誰かが映り込む。
異物だ。
この村に本来存在しないはずの、彼女は――
「おやめなさいッ!」
凛とした声に、村人たちの動きが止まる。
口から肉が離れると、イエラは止まっていた呼吸を再開させた。
「聖女様……」
「聖女様だ……」
「どうして聖女様がここに」
彼らは口々に“聖女”と呼ぶ。
純白のドレスに身を包んだ彼女は、グレッグを聖餐と呼称して殺害し、解体した、あの怪しげな女だった。
「聖女様、どうして止めるのですか? 喜びも罪も村人で共有するべきだとおっしゃっていたじゃないですか! お姉ちゃんにも喜びを与えるべきです!」
「神のお導きです」
「あ……」
「それが神の意思である以上、我々は逆らうことができません。わかりますね、ミオラ」
「はい……」
肩を落としながらも、身を引くミオラ。
そして聖女はぐったりとしたイエラを両手で抱えると、そのまま家を出た。
「は……ぅ、あ……どう、して……あなた、が……」
「あなたは薬に冒されていないのでしょう?」
「そう、だけど……いや、それよりも……あなたは、誰なの? この村に、聖女なんて、いなかった……」
そう、彼女は名実ともに異物であった。
確かに教会はあったし、たまに集会は開かれていたが、ウィスマリスはそう信心深い村ではなかったのだ。
もっと言えば、イエラがここを出た二ヶ月前の時点では、聖女などという存在は影も形もなかった。
イエラの問いに、聖女はなぜか答えを躊躇う。
だがいつまでも黙っていられないと思ったのだろう。
彼女とは目を合わせず、まっすぐに正面にある教会を見据えながら、抑揚のない声でこう名乗った。
「私はヴァージニア・アレクサンドリア。黒の王蛇の幹部――No.Ⅲ“聖女”と呼ばれている者です」
包み隠さず、全てを、ありのままに。
「幹部? ナンバースリー? 聖女?」
「数字はそのまま、黒の王蛇で三番目に強い人間ということですよ」
「そんな人間が……元凶のくせに、どうして、ここに……」
イエラは目を見開き、驚愕と、戸惑いと、憎悪の混ざりあった感情で、その美しき顔を凝視した。
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