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052 屠殺村

 



 キャミィはご機嫌だった。


 ここ最近――と言ってもほんの数日なのだが――どうやら彼女はスキンシップに飢えていたらしい。


 別に誰が悪いというわけではなく、単純にそういう状況ではなかっただけなのだが。


 しかし、飢えていたのもまた事実。


 だから僕は、わざわざ彼女の隣に座らされて、当のキャミィはそんな僕にべったりとくっついていた。




「ふっふっふーん、こうやれば私もやる気が出るってもんですよ!」


「クエェェェェエエッ!」




 リー君が元気に吠える。


 どうもキャミィが鞭を持っていなくとも、彼はちゃんと目的地に向かって走ってくれるらしい。


 キャミィの存在意義が危ぶまれる。


 だが彼女はそんなことをお構いなしに、僕の肩にすりすりと頬ずりしていた。




「こうして匂いを付けておかないと、キルリスさんが戻ってきたときにまた取られちゃいますからね!」


「別に僕はキルリスのものじゃないんだけどな」


「唇を奪われておいてですか!?」


「……へー、クリスってそんな人がいるんだ」


「イエラ、誤解だから。キルリスは何かと強引でマイペースだから、こっちのことなんてお構いなしだったよ」


「ですが私は知っています。クリスさんが満更でもない顔をしていたことを!」


「そうかなぁ……」


「じゃあ聞きますけど、もし私がキスをしようとしたらどんな顔をしますか?」




 僕は無表情でキャミィのほうを見た。


 それは単純に“きょとんとした”だけのこと。




「ほ~ら! イエラさん、見ました今の!? 『ふっ、君にキスをされても僕の心は揺るがない。なぜなら僕の美貌は、君の心を揺るがすためにあるんだからね』とでも言わんばかりのすまし顔を!」


「あはは、そんな顔してたかなー……」


「してましたよぉ! 至近距離で見た私が言うんだから間違いありません!」




 キャミィは今日も絶好調だ。


 僕は延々と続く青空を見上げ、大地を照らす太陽の光に目を細めた。




「なーに爽やかに現実逃避してんですか! じゃあ聞きますけど、もし私じゃなく、イエラさんがキスをしてきたら……どんな反応します?」


「ええっ、イエラと!?」


「わ、私はー……そんなこと、しないけどなー……」


「うわっ、うわあぁっ! 見ましたかヴァイオラさん、ベアトリスさん! 二人して顔を赤くして! えっち! えっちっちー! やらしーんだー!」




 騒ぐキャミィ。


 しかしヴァイオラとベアトリスは二人の会話に夢中で、ちらりと視線は向けたものの、反応しなかった。




「イエラさんはおっとりしてるようでいて、意外と肉食系みたいですからね」


「それは、単純に食事の好みじゃないかなー……」


「いいえ、私には隠せませんよ。ずばり、イエラさんは本性を隠しています! 油断した隙にクリスさんを食べようとしているはずです!」


「僕は食べられないよ」


「食べるってそういう意味じゃないですよぉ!」


「じゃあどういう意味なの?」


「へっ!?」




 キャミィの顔が真っ赤に染まる。


 こういう反応は、普通にかわいらしいと思うんだけどな。




「へ、へあっ、あ、あの、それはですね……」


「私もわかりませんねー」


「イエラさん白々しいっ! く、このっ、クリスさんのドスケベっ! 変態執事! 巨乳マニア!」


「あいたた……別に僕は変なことを言ったつもりないんだけど」


「その無自覚ムーヴがどれだけの人の心を乱してると思ってるんですかー! この罪づくりー!」




 僕はいつもどおりなんだけど、まったくキャミィは何が不満なんだか。


 僕は助けを求めるようにヴァイオラと師匠のほうを見た。


 しかし相変わらず二人は話に夢中なようで。




「そのあと、ミーシャと二人で屋敷を出たのよ」


「そうか……あの状況じゃ仕方ないかもしれんな」




 どうやら彼女たちは、ここに至るまでの出来事を話しているようだった。


 昨日の宿でもあらましは話したから、改めて詳細に、ということなのだろう。


 師匠はミーシャのことも知っていたから、ティンマリスでの出来事はさすがにショックだったようだ。




「結局、結果は同じだったんだけどね」


「いや、我はそれでよかったと思うぞ。薬の投与が続いてれば、さらなる最悪の事態が待っていただろう。現状は、ベストではないがベターだ」


「そう言ってもらえると救われるわ」


「ミーシャはティンマリスの診療所に預けてあると言っていたな。そこの主は信用できる人間なのか?」


「ニールっていう先生よ。キャミィの両親を二年間も診ているそうだから、信用はできるんじゃないかしら」


「ニールか……」


「師匠、心当たりでもあるの?」


「ちょうど、同じ名前の知り合いがいてな。彼も医者のようなことをしていたよ」


「へえ、偶然ね。そういえば、ニール先生も――」




 そこまで話しかけたところで、イエラがふいに立ち上がった。


 ヴァイオラたちは会話を中断し、彼女に視線を向ける。




「ウェスマリス……」




 それはイエラの故郷の名。


 自然が豊かで、食べ物に恵まれていて、美味しいものが沢山ある豊かな村――であるはずだった。


 しかし彼女の視線の先に広がる景色は、荒れ果てた畑。


 牧草地も雑草が生え放題で、動物の姿すら見えない。


 まだ村そのものが見えるわけではないが、すでにマリシェールと同じような――いや、それ以上に終わって(・・・・)いる。




「これはまた……自然豊かな場所です、ねぇ」


「クエェ……」


「長い間、人の手が入っておらんようだな」


「イエラ、これはちょっとばかし話が違うんじゃない?」




 ヴァイオラは鋭い目つきでイエラを見つめた。


 しかし彼女は変わらず、立ったまま、じっと景色を眺めている。




「私もー……冒険者になってから、しばらく離れてたからー。正直、すごく、戸惑ってる」


「……そう。ま、のんびりできそうにないってのはわかったわ」




 敵の本拠地突入前に、体を休める――なんて都合のいい展開にはなりそうにない。


 だが道理といえば道理だ。


 単純に、マリシェールよりもウィスマリスのほうが魔薬の生産地に近い。


 だから影響が大きい。


 それだけのこと。


 しかしマリシェールとは違い、あそこにいるのは紅の飛竜のような、別の傭兵団ではない。


 黒の王蛇の幹部がいるはず。気は抜けない。




 ◇◇◇




 僕たちは、村の近くでリザード車から降りた。


 リー君は外に待機させて、自分の足で村に向かう。


 このリザードは頭がいい。


 繋いだりせずとも逃げないし、いざというときは一人で逃げて、そのうち合流してくれるそうだ。


 ひょっとするとキャミィより賢いのかもしれない。


 先頭は僕とイエラ、後尾にヴァイオラと師匠を配置し、前に進む。


 いくら村が魔薬に汚染されていようとも、ここで生まれ育ったイエラを襲うことは無い――と信じたい。


 イエラ自身もそう考えているからこそ、先頭を名乗り出たのだろう。


 村を覆う柵に到達。


 そこから様子を見るが、人の気配はない。


 周辺にも人影はなし。


 僕がイエラを、師匠がキャミィを抱え上げ、柵を飛び越える。


 キャミィが不満げだったのは見なかったことにする。


 音を殺して着地。


 イエラから道を聞きながら、ひとまず彼女の家を目指す。


 道中、本来なら店が並んでいたという道を横切る。




「何よこれ……」




 ヴァイオラが絶句した。


 他の面々も似たような反応だ――イエラを除いて。




「荒れ放題ですね。しかもすごく汚いです……」


「血やゴミどころか――とても人の営みが存在するとは思えんが」


「でも、人がいなければこうはなりませんね」




 そう、問題はそこだ。


 誰もが死に絶えて、誰もいないのなら、こうも荒れない。


 無法地帯――とでも呼ぶべきだろうか。


 “貧しさによる荒廃”とは違う、違和感のある光景だった。


 ちらりとイエラのほうを向く。


 彼女は苦しそうな表情を浮かべて、なるべく景色を見ないように目を伏せていた。




「それにしても、誰とも遭遇しないわね」


「一帯に気配もないな」


「今日は集会でも行われてる日なんでしょうか」


「イエラ、何があったかわかる?」


「……いいえ、知らないです。本当に、私は、何も」




 イエラの顔色はみるみる青ざめていく。


 何だ? 何が彼女をそこまで怯えさせている?


 疑問を胸に、細い道を抜けて、次の大きな通りに出ようとしたとき、僕は足を止めた。


 そしてそれに気づかず、前に飛び出そうになるイエラを抱き寄せ、




「きゃあっ!?」


「シッ」




 人差し指を彼女の唇に当てた。


 イエラはこくりとうなずき、声を殺す。


 後ろの三人も同様に。


 キャミィは一瞬だけ不満げに唇を尖らせたが、僕の表情の深刻さを見てか、すぐにシリアスな顔に戻った。




「……大勢の気配があるな」


「クリス、見える?」




 小さな声で問いかけるヴァイオラに対し、僕はうなずく。


 角から覗き込むと――教会らしき建物の前に、大勢の村人が集まっていた。


 彼らは髪がボサボサで、汚れた服を纏い、落ち着きなくそわそわしている。


 時折聞こえてくる奇声は、まるで獣の鳴き声のようだった。




「何が起きてるんだ……」




 変わらずイエラは黙りこくっている。


 しかし集会の様子をちらりと見てからは、なぜか目が泳いでいた。


 まるで、『思っていたのと違う』とでも言わんばかりの反応だ。


 解せない。


 彼女は何を意図している? そしてこの村では何が起きている?




「嫌な声が聞こえてきます……少し、両親のことを思い出してしまいました」




 キャミィの言葉を聞いて、僕は理解する。


 そうか、あの村人たちの異様な姿――あれは魔薬中毒者(ジャンキー)なんだ。


 村の規模からして、教会前に集まっているのは村人ほぼ全員。


 つまり、数人が狂っているのではない。


 村全体が狂っているのだ。


 なおも観察を続ける。


 教会から何者かが現れた。


 ウェディンドレスを思わせる華美なドレスを身に纏った、二十代半ばの美しい女だった。


 ――場違いだ。


 真っ先に僕はそう思った。


 その女はこの村において、明らかな異物だったのだ。


 女が現れると、村人たちは平伏し、地面に額をこすりつける。


 感嘆、感涙、崇拝――そんな情念が感じられた。


 中には、姿を見ただけで性的興奮を覚えている者すらいるほどだ。


 再度、イエラに尋ねる。




「あの女は?」


「……知らない。全然、知らないの」


「それ本当なの? どうもこの村の神様じゃないかってぐらい崇められてるみたいだけど」


「少なくとも、私がこの村を出たときは、あんな女はいなかった……」




 僕とヴァイオラは視線を交わした。


 嘘をついているようには見えない――共にそんな結論を出す。


 つまりイエラはあの女のことを知らない。


 だがこの村のことに関して、どこまで知っていて、どこから知らないのか、その境界線は未だ曖昧だった。




「今日もみなさまがたが“正しく”生きたおかげで、無事に日暮れを迎えることができました。神は、あなたがたの素晴らしい行いに感動しておられます」




 女は、高らかに、福音めいて語る。




「おおぉぉ……ありがたや、ありがたやぁ……」




 村人たちは、それを聞いて各々の感情をさらに高めていく。




「今日もあなた方が正しく生きた分だけ、免罪が行われ、過ちは許される。さあ選びましょう、聖餐(せいさん)を! 神の意思によって!」


「聖女様! 早く、早くお選びください!」


「俺らもう我慢できねぇよお! 脳がパチパチ言ってんだ、お星さまが怒ってる! だから頼む!」


「ずるいぞお前! 僕だ! 神の意識に一番近いのはトランスしてる僕なんだよ!」


「静粛にッ! 選択は平等に行われます。何人たりとも、神の意思に介入することは許されないのです」




 女の強い言葉に、騒がしかった村人たちは一斉に黙り込んだ。


 そして美しい碧の視線が、一人の男を射抜く。




「神は選ばれました。貴方が、今日の聖餐です」


『おおぉぉぉおおお……!』




 村人たちは腹の底から声をあげ、空気を震わす。


 そして選ばれた男は、両手を重ね、涙を浮かべながら歓喜した。




「ありがとうございます、聖女様……! 私は、ずっとこの日を待っていたのかもしれません」




 痩せこけた男の目はぎょろりとしている。


 狂信――そんな言葉を思い浮かべた。


 だが浮かべた笑顔に嘘はない。


 心からの喜びを聖女に捧げ、そして彼女は右手を真横に伸ばす。


 その手には、灰色の、模様が描かれたキューブが握られていた。


 そのキューブは手を離れても地面に落ちることはなく、手のひらの前でぐるぐると回転を始める。


 模様が赤い輝きを放つ。


 模様に沿ってキューブは開き(・・)、変形していく。


 それはやがて、刃渡り三メートルに迫ろうかというほど巨大な、剣へと変わっていった。


 その手のひら大の立方体のどこに、そのような容量が収められているというのか。


 聖女は柄を握る。


 腕に込められた力、その程度からして、しっかりとサイズに見合った“質量”はあるらしい。


 その技術にも驚きだし、それを片手で扱える彼女の筋力に驚愕を禁じ得ない。


 そして彼女はその剣を、するどく横一文字に振るい――




「なっ――」


「っ……!?」




 男の、首が飛んだ。


 吹き出す血。


 それを浴びて、笑みすら浮かべる狂った村人たち。


 彼らは今にも、男の死体に飛びかかりそうなほど、興奮した様子だった。




「それでは切り分けましょうか」




 次に死体は台に逆さにして吊るされる。


 切断面からはだらだらと大量の血液が流れていた。


 聖女は剣でまず腹をかっさばき、内臓を取り出す。


 赤く汚れた色とりどりの中身を手で引きずり出すと、村人が持ってきたバケツに放り込んだ。


 それが終わったら、次は皮を剥いでいく。


 まるで、家畜の屠殺を思わせる光景だった。


 いや――ひょっとすると、思わせるどころか、そのもの(・・・・)なのかもしれない。


 背後ではキャミィがうずくまって、耳を塞いでいる。


 ヴァイオラは唇を噛み、師匠は眉間に皺を寄せている。


 イエラは――まばたきすら忘れ、目を見開いてその光景を見ていた。


 彼女の唇は、小刻みに震えている。




「ね、ねえ聖女様……今日、僕の番だよね?」




 解体が終わった頃、一人の少年がそう言った。


 下品な笑みを浮かべる彼に対して、聖女は優しく微笑みこう答える。




「はい。内臓はあなたのものですよ」




 許可が出ると、少年は飛びつくように、内臓の入ったバケツを手に取る。




「やったぁぁぁあああ! やっ、やったあぁぁああああ! 生だっ、やっぱり生に限るっ! あははははははぶぅっ!」




 そして笑ったまま、直接バケツに顔を突っ込んだ。


 顔を血まみれにしながら、必死に頭を動かす男。


 喜びのあまり失禁し、ズボンが濡れている。


 他の村人たちも似たようなものだ。


 与えられた人肉を、大切に布で包むものもいれば、その場で口にするものもいる。




「……どうかしてる」




 僕は思わずそう呟いた。


 狂っている。


 ここは、今まで僕が見てきた何よりも――終わっている。


 他人である僕でさえそう思うのだ。


 イエラは一体、何を感じているのだろう。


 そう思った瞬間――彼女の中で何かが弾けたのか、突如として通りから飛び出した。


 そして叫ぶ。




「ミオラ、やめてぇっ!」




 聞き慣れぬ名前。


 おそらくは、バケツに顔を突っ込んでいる男性の名なのだろう。


 あまりに醜い姿を前に、我慢できずに――それは理解できるけど、状況がまずい。


 村人たちの視線が一斉にイエラのほうを向く。




「おお、イエラじゃないか」


「イエラちゃーん!」


「ちょうどいいところに帰ってきたねえ」


「……お姉ちゃん!?」




 ミオラと呼ばれた少年は、赤く汚れた笑顔をイエラに向けた。


 彼女に対しては好意的だ。


 だが僕らにはどうだ? 同じように接してくれるのか?


 少なくともすでに――剣を持った聖女は、明確な敵意をもって、こちらを見つめている。


 あの瞳で見られただけで背筋が凍る。


 動きが鈍る。


 まずい、彼女は――“常識の範囲外”にいる人間だ。




「みなさん、あの執事たちを捕らえてください」


「みんな、撤退だ!」




 僕と彼女はほぼ同時に言葉を発した。


 僕は戸惑うイエラの手を引いて、キャミィはまたしても師匠に抱えられて、全力で来た道を戻る。


 指示を受けて村人たちは動き出す、その瞬間までは見えた。


 でもあの女はまだ動いていなかった。


 大丈夫、彼女以外に脅威となる存在はいない。


 僕らのスピードなら、捕まる前に脱出できる!




「ヴァイオラ、気をつけろ。追いつかれる!」


「追いつかれるって、誰に――」




 先頭をゆくヴァイオラの前に、中年の男性が現れた。


 あれ、この人、さっきまで教会の前にいたような――




「退きなさいッ!」




 ヴァイオラは渾身の蹴りを放つ。


 武術は専門ではないとはいえ、心得ぐらいはある。


 ランクSの彼女が繰り出した蹴りなら、一般人を吹き飛ばすぐらいはできるはずだが――相手は、あたってもびくともしない。




「はぁ? 嘘でしょ!?」


「引け、ヴァイオラ! 我が仕留める!」




 下がるヴァイオラ。


 間髪をいれず、師匠が掌底を男の腹部に叩き込む。


 ズドォンッ! と、とても人の手から出たとは思えない大きな音が響き――




「冗談きついわ……」


「師匠の攻撃を食らって無傷だなんて!」




 男はなおも、健在だった。


 魔力障壁も持たない人間が、あの攻撃に耐えられるなんて、悪い夢でも見ているのか?


 さらに男は、武術の心得もへったくれもない、雑なパンチを繰り出す。


 師匠はとっさに両手をクロスさせて、それを受け止めた。


 だが――防ぎきれない。


 彼女の体は風に吹かれた埃のように軽々と舞い、こちらに向かって飛んできた。


 僕は師匠を受け止める。


 ――が、勢いを完全に殺しきれず、かかとが地面をザザザと削る。




「ぬううぅっ! すまない、クリスッ!」


「いえ。でも、一体何がどうなっているのか……」


「私は知らない、本当に知らないの……」


「わかってる、イエラを責めるつもりはないから。キャミィ、こっちに来て!」


「は、はいぃ……!」




 キャミィはぴたりと僕にくっついた。


 その体を抱き寄せるようにして、じりじりと下がる。


 ヴァイオラも、額に汗を浮かべながら男との間合いを計っていた。




「わけわかんない。動きも力も全然弱いのに、どうして!」




 誰もが平等に戸惑っている。


 普通じゃあない。


 これが薬の効果だっていうのか?


 村人はさらに増える。


 男の後ろにもぞろぞろと。


 僕らの背後にもわらわらと。


 彼らの力はわからない、あの男だけが特別なのかもしれない。


 けど、僕の直感は、“全員がそう”だと告げている。




「仕方ない……こっちだって必死なの。死んでも恨まないでよね! [ブラックホールシューティング]ッ!」




 ヴァイオラは両手を重ね、糸で作ったバレルを使い、とっておきの魔法を放つ。


 魔力障壁を持たない一般人を、ぐちゃぐちゃに潰せるだけの威力がある魔法。


 それを、男の頭めがけて放つ。


 普通なら、見ただけで腰を抜かして逃げるはずなのだ。


 もちろん後ろにいる村人たちだって巻き添えになるだろう。


 だが、相手は避けもしない上に――軽くボールでも弾くように、迫る黒球を手の甲で叩いて飛ばした。




「バカじゃないの」




 ヴァイオラの頬がひきつる。


 僕も、背後の村人に向かって、風刃飛魚ウインドエッジ・スカイフィッシュを放つ。


 殺すことに躊躇はない、容赦なく胸部を狙う。


 しかし――あっけなく防がれた。


 いや、防ぐまでもなく、何もせずに弾かれた。


 続けて、風刃針鼠ウインドエッジ・ヘッジホッグ


 飛魚よりも威力の高いそれを、無造作にばらまく。


 迫るナイフの散弾は、だがしかし、相手に歯が立つことはない。


 不安になって、思わず師匠を見た。


 彼女の両手は、ぷらんと垂れ下がっていた。


 さっきの攻撃を防いだときに折れたらしい。




「……クリスさん」




 キャミィが不安げに僕の服をきゅっと握る。


 僕は彼女を抱きしめてやることぐらいしかできない。


 ヴァイオラは後退し、僕たちも後退し、やがて背中と背中がぶつかった。




「ほんと、どうなってんのよ、これ」


「万事休すだね」


「ノリが軽くない?」


「諦めるしかない状況だから」




 手も足も出ないとはまさにこのことだ。


 唯一の救いは、彼らが受けた指示が“殺害”ではなく“拘束”であること。


 後で逃げ道が見つかることを祈るしかない。


 村人たちは僕らの腕を掴み、どこかへ連行する。




「いやっ、離してくださいっ! クリスさんっ! クリスさぁーんっ!」


「どうして……私にはわからないよ……」




 引き離され、助けを求めるキャミィ。


 どんどん暗闇に沈んでいくイエラ。


 連れて行かれる彼女たちを、僕は助けることができない。


 というより、僕も同じく助けを求めるべき立場だ。


 か細い女性に掴まれた手首は、ぴくりとも動かなかった。


 そのまま、僕らは路地から引きずり出される。




「地下牢にでも入れておきなさい」




 途中、すれ違った聖女はそう冷たく告げると、最後にちらりと師匠のほうを見て、教会へと戻っていった。




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