049 遊泳魚
「邪魔ぁっ!」
リモーダルは傍らに立っていた少年を、感情に任せ蹴飛ばした。
ヴァイオラは心底軽蔑し、冷たい眼差しを彼に向ける。
「ふん、所詮は田舎のチンピラね」
「馬鹿にするなよ小娘ッ! ちょっと魔物を倒したからってグレイトに調子に乗ってくれて!」
「ちょっと……へえ、ちょっとねえ。だったらまだ、紅の飛竜には余力が残ってるの?」
「それはびっくりだ。てっきりあそこに全戦力を投入してたと思ったんだけど」
事実を指摘すると、リモーダルはさらに苛立つ。
強く拳を握りしめ、顔を真っ赤にして何度も地面を踏みつけた。
「生意気なんだよォ……小娘どもが、私からこの街を奪おうだなんて百年は足りないし、何より男装しているのが気に入らないッ! その格好は、グレイトな少年たちのためにあるものだろうがあぁぁああッ!」
「……こんな理不尽な理由で怒られたの初めてだわ」
やれやれ、と首を振るヴァイオラに、さらにヴォルテージを上げるリモーダル。
彼は勢いよく手を前に突き出すと、高らかに叫んだ。
「お前たち、あの小娘どもを殺せぇッ!」
指示を受けて、建物の影や人々の間から、紅の飛竜の構成員たちが姿をあらわす。
十二、三はいるか――まだこんなに残ってたなんて。
しかも民衆に紛れ込ませてたってことは、僕たちがここに来るっていう“万が一”を意識してたわけだ。
こっちの戦力を読み違えてさえなければ、優秀な指揮官だったろうに。
執事服より取り出すは十三のナイフ。
それをぐるりと回りながら、一斉に投擲する。
「風刃飛魚!」
狙いは外さない。
こちらに向けて相手が魔法を放つより早く、風を纏ったナイフは男たちの手足を穿った。
そして沈黙。
どうやら、ランクCかB程度の戦力しか残っていなかったらしい。
「こ……このっ……グレェェェェイトな役立たずどもがあぁッ!」
「あとはあんた一人だけね」
不敵に微笑むヴァイオラ。
こめかみに青筋を立てて憤るリモーダル。
血管が切れそうなほど顔は真っ赤に染まり、強く歯を食いしばる。
彼が賢い男だというのなら、すでに敗北が決まっていることは見えているはずだ。
だが――プライドゆえに、それを認めるわけにはいかない。
「こっちだってランクSを張ってるんだよォ……たとえ一人だろうと、小娘相手に負けるわけにはッ!」
「だったらかかってきなさいよ」
ヴァイオラはくいっと人差し指を上げて、挑発した。
「おぉぉおおおおおおッ! [シャイニングハンズ]ぅっ!」
リモーダルは両手を輝かせると、見た目のイメージよりも早い動きでヴァイオラに突っ込んだ。
そして高熱を帯びたその手を前に伸ばす。
上位魔法[シャイニングハンズ]。
射程は極端に短いが、その分だけ威力は高い。
「攻撃寄りの【光使い】――レアね、あなた」
「そうだッ、私はグレイトにレアで、グレイトに強いんだよぉおおおッ!」
確かに、その動きは鋭く素早い。
繰り返し繰り出される手を、ヴァイオラは体を傾け、後方にステップしながら避ける。
まずは動きの見極めから。
リモーダルの攻撃は独特だった。
普通、拳を相手に叩き込むのなら、そこは威力が必要だ。
しかし彼の場合は違う。
高熱を纏う拳なら、触れるだけで凶器たりうる。
同じランクSであるヴァイオラがそれを受け止めもしないということは、魔力障壁を楽に突破する程度の威力はあるということだろう。
だから、素早く、動きはコンパクトに、かつ蛇のように曲がりくねった軌道で、相手の回避を困難にしていく。
「ふっ! はっ! せぇイッ!」
「ふぅん、意外と落ち着いてるのね」
「いくら感情がッ! 高ぶろうともッ! 無策に突っ込むような真似はしないッ!」
「つまり――冷静なくせに、私を捕まえられないんだ」
「何ッ!?」
ヴァイオラの挑発。
感情の僅かな緩みは、動きにフィードバックされる。
生じた隙間を、彼女は見逃さなかった。
リモーダルの脇を抜けて背後に回る。
その瞬間、グローブから伸びる糸はまるで網のように彼の頭部に絡みついた。
「[ブラックウォール]」
そして生じた網目を埋めるように、黒い魔力が膜を張る。
つまり、リモーダルの顔にへばりついた糸は顔全体を覆う魔力の布へと姿を変えて、その頭部全体を包み隠したのである。
「むっ、むぐっ、むごおぉぉおおおおおっ!」
ジュッ――と肉が焼ける音が聞こえた。
それはただの目隠しじゃない。
口と鼻を塞ぎ相手を窒息させ、かつ触れるものをすべて溶かす、残酷な暴力。
もがき苦しむリモーダル。
動けば動くほどに網は肉に食い込み、顔に治療不能な痕を残していく。
単純な痛みのみならず、自らの美貌が破壊されるこの時間は、自己愛の強いリモーダルにとってはまさに地獄だった。
「むぐっ、んおっ、ふ、ぐおぉぉおおおおおおッ!」
だがその特性上、そう強度の高いものではない。
リモーダルは全身から光を放つ。
上位魔法[トゥインクルスター]――使用者本人が星のように輝き、放たれる熱で周囲を焼き尽くす光魔法。
「意外とガッツもあるのね」
そう言ってヴァイオラはリモーダルから距離を取る。
同時に糸も解け、彼の頭部は解放された。
あらわになったその姿は悲惨なものだった。
頭皮は溶け果て、わずかに毛髪を残す程度。
皮も剥がれ、顔は真っ赤にただれている。
さらに、網目状に刻まれた深い痕が痛々しさを演出していた。
リモーダルは顔を押さえる。
「あ……あ、あ……」
生じる痛みなど二の次だった。
「ああああ……ああ、あああああっ……!」
ただただショックだった。
真横にある硝子に映った、自分の顔が――
「ああぁぁぁあああああッ! 私のグレイトな美貌がああぁぁぁあああああああッ!」
「あんたの心の醜さからしたら、それぐらいでちょうどいいと思うわよ」
「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れだまぁぁぁぁぁぁあああああレッ! ぶち殺ォす! この最上位魔法、[オメガレイ]でねえぇぇえええ!」
手負いのリモーダルの背後に光が現れる。
まるで後光を背負うかのような姿だ。
そこから、無数の光の線が、翼のごとく伸びた。
もはや周囲の住民たちを狙おうという悪知恵さえ働かない。
真っ直ぐに、すべての光の帯を束ねて、ヴァイオラを狙う。
一方でターゲットにされたヴァイオラは、両手を重ねて、迫る光に向けた。
「冒険者としてはそこそこ優秀なのがさらに救えないわね」
糸が前に伸び、円形に並ぶ。
これはバレルだ。
制御困難な魔力の塊を、狙った場所へと飛ばすための。
拳の前で黒い渦が巻く。
光すら飲み込むその漆黒は、ヴァイオラが魔力を込めるたびに膨らんでいく。
「止められるものなら止めてみろぉッ!」
「言われなくても止めるわよ! [ブラックホールシューティング]、いきなさぁいッ!」
ドウゥンッ! 反動とともに放たれる、全てを飲み込む黒球。
それはリモーダルの射出した[オメガレイ]と空中で衝突した。
光の帯は、一瞬で黒球に飲み込まれる。
ヴァイオラが笑う。
だがその内側で、オメガレイは暴れた。
壁にぶつかり反射しながら、ブラックホールの中身をぐちゃぐちゃに乱していく。
綺麗な正球が、ぐにゃりと歪む。
リモーダルはほくそ笑む。
しかし――そこまでだった。
光が壁を突き破ることはない。
それ以上、黒球が歪むこともない。
光の帯は完全に黒球に吸収され、そしてその消滅と一緒に跡形もなく消える。
「そん、な……最上位魔法、なのに……」
互いにまだ動ける。
だが勝負は決した。
揺れる瞳に、震える体。
もはやリモーダルは完全に敗北を認めてしまったのである。
ヴァイオラは彼に歩み寄った。
「こいつの首、落としていい?」
「いいよ。生かしておく価値はない」
「ドライに言うのね」
「嫌なら僕がやるよ」
「いえ、それぐらいやるわ。こっから先、もっと殺さないといけないんだから」
ヴァイオラは僕ほど人殺しに慣れちゃいない。
だから、あえて引き受けたのだろう。
僕も止めない。
ヴァイオラは腕を振ると、リモーダルの首にその糸を巻き付かせようとして――
「ッ、[フラッシュ]!」
彼は体より、まばゆい光を放った。
あまりの明るさに、僕もウェイクもヴァイオラも、思わず目を伏せる。
その瞬間、光の中で、あまりに素早く動く何者かの気配を感じた。
今の動き――仮に魔法使いだとしたら、リモーダルなんて比べ物にならない相手だ。
そして視界が晴れる。
すでにそこに、彼の姿はなかった。
「まだ動くだけの気力が残ってたっていうの!?」
「いや、誰かが助けていったんだ!」
「チッ、私としたことが。とっとと殺しておけば――まだ遠くには行ってないはずよね、早く探さないと!」
駆け出そうとするヴァイオラの真横を、人影が一瞬で通り過ぎていく。
「師匠!?」
「離れた場所にいた師匠なら、どこに逃げたかも見えてたのかもしれない」
「私たちにそれを伝えている暇はない、と。確かにあのスピードじゃついていけないわね」
「でも突っ立ってるわけにもいかない。師匠を追おう! ウェイクはここで待ってて」
「あ、はい……」
一人で置いていくのは少し不安だけど、周りの人から害意は感じない。
むしろウェイクを心配しているようにすら見える。
まあ、リモーダルさえ落ちぶれてしまえば、周囲の人もシュクルータなんて馬鹿げたシステムに従う必要もないか。
僕はすでに出発したヴァイオラを追う形でその場を離れようとした。
「あ、あの、クリスさんっ!」
するとウェイクが引き止める。
首だけそちらを向くと、彼は右手でズボンをぎゅっと掴んで、力いっぱいに声を張る。
「助けてくださり、ありがとうございましたっ!」
「どういたしまして」
その涙声に、軽く手を上げて応えると、今度こそ僕は走り出す。
まだ勝負は終わっちゃいない。
あんな言葉を聞かされたんだ。
早くリモーダルにとどめを刺して、みんなを安心させないとね。
◆◆◆
黒ずくめの男に抱えられたリモーダルは、アジトまで戻ってくると、雑に投げ捨てられた。
「うっ、うぅ……レイヴン、君、助けてくれるのは嬉しいけど……もう少し、丁寧にしてくれよ……」
「……」
「レイヴン?」
男は静かにリモーダルを見下ろす。
その瞳からは、感情らしきものは読み取れない。
「その顔、君は、何なんだ……? いや、さっきの動きだってそうだ。私なんかよりよっぽど、君のほうが――」
彼の疑問にもレイヴンは答えない。
その男は、黒装束の中から一錠の薬を取り出すと、かがんでリモーダルに近づいた。
「その薬は……まさか、私たちが作っていた新型の……」
「違う」
「え?」
「あんな粗悪品、使い物にならん。せいぜいデータ収集ぐらいの役目しか果たせないだろうな」
「な、何を……」
「動物に投与し、魔物を生み出すための魔薬は、ここで得たデータを元に黒の王蛇が完成させる。あの執事どもの襲来で予定より早まったが、すでに十分なデータは得られている」
「レイヴン、君は……まさか裏切り者、だったのか……? 最初から黒の王蛇の一員だったと!?」
「逆に聞くが、なぜ信じた? 黒の王蛇と取引をして魔薬を仕入れる男など、普通は怪しんで近づこうとはしないはずだ」
「それは、君が私の古い知り合いと親しかったからっ!」
「古い知り合い、ね」
レイヴンは薄ら笑いを浮かべる。
リモーダルは寒気がした。
彼の瞳は焼け、視界はかなりぼやけていたが、それでも表情の変化ぐらいは読み取れた。
数年間付き合ってきて、初めて見る表情。
そう――つまりレイヴンは一度も、リモーダルの前で素の表情など見せたことがなかったのだ。
「それは本当に古い知り合いだったのか?」
「間違いない……」
「それは本当に古い知り合いだったのか?」
「だ、だって、今も生きて――」
「それは――“こんな声”の知り合いだったか?」
聞こえてきた声に、リモーダルは呼吸すら忘れて戦慄した。
それは彼の語る古い友人と、完全に一致していたからだ。
「なあリモーダル。その古い知り合いとやらは、本当に今も生きているのか?」
「い、いつ、から……いや、そんな言葉に意味は無い。レイヴン、お前は一体――はぐっ!?」
レイヴンは無言で手刀をリモーダルの腹部に沈めた。
そして肉の中に、薬を埋め込む。
「俺の仕事はここまでだ。これ以上、語る義理はないな」
低い声でそう言い放ち、手を振り払って血を飛ばす。
その場からさるべく、体をビクビクと痙攣させるリモーダルに背を向けたところで――パリィン、と窓が割れた。
レイヴンは興味なさげにそちらを振り向く。
そこに立っていたのは、執事服の女だ。
「ベアトリスか」
「そういうお前は――No.Ⅳ、“空白”だな?」
「それは名前ではない。だが俺を正しく形容する言葉ではある」
「黒の王蛇のNo.Ⅳは欠番、つまり空白だと言われているが、事実は違う。そこには、空白とも呼ぶべき“自分を持たない男”がいる――そう聞いたことがあってな」
「口の軽い幹部もいたものだ。誰から聞いた?」
「No.Ⅲ、“聖女”」
「はは、あの女か。彼女は戦闘力はずば抜けて高いが、困ったことに情にほだされやすい一面がある。困ったものだ。まあ、困ったといえば――」
“空白”は薄ら笑いを浮かべ、ベアトリスに言った。
「身勝手な行動を続けるお前にもだ、No.Ⅴ、“執事”」
彼女は目を伏せ、暗い表情を見せる。
「その呼び名はあまり好きではないな」
「なぜだ?」
「そのまますぎるからだ」
「はははっ、確かに。首領――は滅多にいないか。No.Ⅱにでも相談したらどうだ? もっとも、放浪癖のある不良幹部は、先に説教を受けるかもしれないがなぁ」
そんな適当な言葉を残して、手をひらひらと振りながら空白は部屋を去っていく。
残されたベアトリスは、変異を続けるリモーダルに目を向けた。
魔物へと変わりゆく彼の肉体は、腹部から巨大な眼球が現れ、徐々に手足が退化していっている。
やがて頭部も腐り落ちれば、翼が生えて完全に魔物化が完了する。
「ランクSといってもピンキリだな。この程度ならば、あの二人に任せても問題はないだろう」
ベアトリスは自らが破った窓から、屋敷の外に脱出した。
◆◆◆
師匠の気配、そして音をたどって、僕たちは紅の飛竜のアジト前までやってきた。
「あいつら、立派な屋敷に住んでるのね」
「マリシェールの人たちからそれだけ搾取してきたってことだよ」
悪の象徴とも呼ぶべき屋敷の敷地内に入る。
すると師匠が前からやってきた。
表情はあまり優れない。
「師匠! リモーダルは!?」
「クリス、ヴァイオラ――奴は自ら薬を摂取して魔物化した。魔力障壁があっては我の手には負えん!」
「やっぱりそう来たわね」
「破れかぶれってやつだ。早く引導を渡してやろう」
話しているうちに、屋敷の壁をぶち破って魔物が現れる。
形状は球体。
肌は人体の筋肉が剥き出しになったような繊維質のピンク。
ど真ん中にはぎょろりとした巨大な瞳がついていて、背中から生えた翼で空中に浮かんでいる。
頭頂部には、まるでおまけのように青黒く変色したリモーダルの頭部がくっついていた。
「キエェェェェエエエッ!」
魔物が大きく瞳を開くと、カッとまばゆい光を放ち、熱線が僕らの足元を薙ぎ払う。
ジュッ、と石畳を溶かしたかと思うと、残留した魔力が爆発を起こし地面を吹き飛ばした。
「おおっと! さすがに前よりは強くなってるか」
「まったく、どこから声を出してるんだか。でも――ミーシャほどじゃないわ。あれで片付けるわよ」
再び放たれる熱線。
それを飛んで避けると、ヴァイオラは手のひらを魔物に向けた。
僕は右手のナイフを握り直し、赤い光を浮かばせ、半魔物化を発動。
軽くまばたきをして、瞳に力を込め、視界もクリアにする。
「黒死」!
「血鷲ッ!」
僕とヴァイオラのコンビネーションによる、黒球の高速射出。
「クケェェェエエエエエッ!」
魔物もとっさに光線を放ち、迎撃する。
だが光は、さらに強まった闇に飲み込まれ――今度は黒球を歪ませることすらなく、敵自身は飲み込まれた。
渦巻く闇の魔力の中で、溶かされ、焼かれ、ずたずたに切り裂かれているリモーダル。
込めた魔力が薄れ、黒球が形を失うと、パラパラと肉片が舞い落ちた。
「いっちょあがりね」
「お疲れ」
僕とヴァイオラは、軽くハイタッチを交わす。
そんな僕たちの姿を、師匠は無表情にじっと見つめていた。
「師匠、気になることがあったら言ってよね」
「……いや、素晴らしい力だと思ってな。お前たちは、我の誇りだ」
あまりに真っ直ぐな言葉で褒められて、むず痒くなる僕とヴァイオラ。
そんな反応を見てか、師匠はいつものように、白い歯を見せて爽やかに笑った。
先にが気になると思ったら、下にある星を押して評価してもらえると嬉しいです!




