048 だから救いの手だって差し伸べられる
間があいてしまい申し訳ないです。
一足先に異変に気づいたのはイエラだった。
キャミィと一緒に、アルトやシージャと家の中で遊んでいた彼女だが、ふいに立ち上がり窓から外の様子を伺う。
「イエラさん?」
首を傾げて訝しむキャミィ。
幼い兄妹も一緒にイエラのほうを見た。
「……まずいかもねー」
彼女は変わらぬ口調で、しかし険しい表情をしながらそう言った。
外の茂みに見える人影。
身なりからして冒険者――つまり紅の飛竜のメンバーだろう。
イエラには、クリスたちのように気配を察知する能力はない。
だから目に見える範囲でしか状況を把握できず、すでに囲まれていることも、そしてとっくに逃げ道が塞がれていることも、まだ理解していなかった。
「紅の飛竜が仕掛けてきた。とりあえず見えた範囲だと、私と同じぐらいの腕の魔法使いだと思うけどー……」
「一人ですか?」
「見える範囲はねー」
「アルト兄ぃ、怖いよ……」
「シージャ……お兄ちゃん、まだ帰ってきてないんだよな」
すがりつくシージャの背中をさすり、なだめながらアルトが言った。
しかし彼の表情も不安に曇っている。
「クリスさんたちも、さすがに戻ってきませんよねぇ」
「さすがにまだ早すぎるねー。ここは私たちだけで逃げたほうがいいかもしれない」
イエラは裏口に向かう。
もっとも、裏口といっても、壊れた壁に板を立て掛けて応急処置をしているだけの場所なのだが。
板をずらせば、人が通れるほどの大きな穴があいている。
試しにイエラが外に出ようと一歩踏み出すと――バチッ、と何かに弾かれた。
「イエラさん?」
後ろから付いてきていたキャミィが首を傾げた。
さらにその後ろにくっつくアルトとシージャも似たような反応だ。
イエラはゆっくりと三人のほうを振り向くと、気まずそうに口を開く。
「……閉じ込められたかもー」
「えぇええっ!?」
「俺にはなんにも見えねえぞ?」
「魔法で壁が作ってあるー。たぶん私と同じ光属性だと思うなー」
「じゃ、じゃあ……私たち、ここから出られないの……?」
イエラは悩むような仕草を見せると、見えない壁に向かって手のひらをかざす。
そして魔法を発動――放たれた光珠は、あっさりと壁に弾かれた。
「んー、私の魔法じゃダメみたい」
「使えねえ姉ちゃんだなあ!」
「攻撃魔法は得意じゃないからー……」
容赦ないアルトの言葉に、肩を落とすイエラ。
するとキャミィが何かに気づいたのか、スンスンと鼻を鳴らす。
「何か、焦げ臭くありません?」
そう言われて、他の三人も匂いを嗅ぐ。
確かに――どこからともなく、焦げた臭いが漂ってくる。
さらに、先ほど彼女たちがいた部屋からは煙もあがりはじめた。
「紅の飛竜のやつら……俺たちを閉じ込めて焼き殺すつもりなのか!?」
「こ、怖いよ……アルト兄ぃ……っ」
「丸焼きだねー」
「呑気に言ってる場合じゃありませんって! まずは脱出方法を探しましょう、どこかに穴ぐらいあいてるかもしれません!」
「煙は吸わないようにねー」
「気をつけます!」
キャミィを中心に動き出す一同。
しかしどれだけ探そうとも、出口など見つかるはずもなかった。
◇◇◇
「んふふふふ……あはははははっ!」
リモーダルの高笑いが響く。
彼は部下に椅子を持ってこさせ、道のど真ん中に置かれたそれに座ってふんぞり返っていた。
手にはワイングラス、もう一方の手の近くにはチーズを乗せた皿を持った少年を侍らせる。
そして囚われたウェイクは、鎖付きの首輪をつけられ、手足を拘束された状態でリモーダルの足元に横たわっていた。
紅の飛竜のメンバーに囲まれ、ウェイクの暮らしていた家は燃えている。
その炎を閉じ込めるように、家全体が魔力の壁に覆われ、内側から脱出することはかなわない。
「やめろおぉぉおおおおおっ――うぐっ!?」
もちろんウェイクは怒りに叫ぶが、リモーダルは彼の口につま先を突っ込んで黙らせた。
そして足をぐりぐりと、喉奥を突くように動かす。
「お……おごっ、う、ぶっ……ふぐううぅぅっ……!」
「少年の苦しむ姿、声……これはいい、やはりグレイト! モアグレェイト! まだ少しばかり青い果実だが、これはこれで悪くない。今度からは十四歳もピックアップしておいておくれ」
「はっ、承知いたしました」
少し離れた場所に立っていた部下が、丁寧な仕草で頭を下げた。
だがそこに、レイヴンと呼ばれた男はいない。
「こんなグレイトなショーに、どうしてレイヴンは参加しないんだか。ねえ、あいつあっちに行ってたんだっけぇ?」
「いえ、そのような報告は受けていませんが」
「そう……ま、レイヴンの神出鬼没は今に始まったことじゃないし、あとはグレイトにウィニングランを楽しむだけだから構わないんだけどさァ」
「んぐうぅぅっ! んうぅぅっ!」
「私を睨んでばかりいないで、少しはあっちのグレイトな光景を楽しみなよ、っとぉ!」
リモーダルが足に力を入れると、ウェイクの首が強引に向きを変えられる。
視線の先には、燃え盛る家がある。
窓際に、アルトとシージャの姿が見えた。
二人は助けを求めるように窓を叩く。
だが背後からは炎と煙が迫り、多少吸い込んでしまったのか、咳き込む姿も見えた。
「ひ、がああぁぁあああっ! はぐふおぉおおおおおおおおッ!」
「あっはははははははは! 全然グレイトに何言ってるかわかんなーい! え、もしかして名前を呼んでる系のあれなのかな? でもさぁ、叫んだところで私の靴を涎まみれにするだけなんだよね」
「ふぐごぉぉおおおおおおッ!」
「ま、それはそれで興奮するからいいよ。もっとやって。元気なのも今のうちだけ。ガキの心なんてすぐに折れて、最終的には頭を垂れて『どうか殺さないでください』って懇願するようになるんだから。ネ?」
それでもなお、ウェイクは抗う。
それがリモーダルを喜ばせるだけだと知っても、今にも炎に飲み込まれそうな最愛の家族を前に、黙っていられる人間などいないのだから。
さすがにこの光景には、住民たちも無反応ではいられない。
本来、シュクルータには同情することすら許されず、運が悪ければただそれだけでリモーダルに殺されることだってある。
それでも、わざわざ家の外に出てまで様子を伺い、中にはバケツに水を汲もうとする者もいた。
だが、少しリモーダルが睨みを聞かせると、顔を真っ青にして動きを止める。
支配とはそういうことだ。
リモーダルのそれは、すでに揺るぎない状態になっている。
誰も逆らえない。
だというのに――ウェイクはこの至近距離でリモーダルに睨まれながら、なおも暴れている。
彼はそんなウェイクの姿を見て、ふと昔のことを思い出した。
「そういえば、ガインズも似たようなこと言ってたっけなぁ」
「……?」
「ああ、君の父親ね。あれはグレイトに生意気な冒険者だった。紅の飛竜が、魔物の増加に悩むこの街をグレェイトに救ってあげようっていうのに、最後の最後まで噛み付いてきてさぁ!」
ウェイクの父であるガインズは、あまり褒められた父親ではなかった。
母はシージャを生んだ時に死んだ。
それからは冒険者であるガインズが男手一つでウェイクたちを育ててきたわけだが――彼は飲んだくれだった。
仕事が終わったあとも、遅くに帰ってきたかと思えば、酒の臭いを撒き散らす。
実質、ウェイクがアルトやシージャを育てたようなものだ。
それでも稼ぎはよかったし、周囲の人の助けがあったので、どうにか生活できていたが――ウェイクはガインズを父として尊敬したことは一度もない。
そう、なかったはずなのだ。
「お前たちにはこの街は渡さない、だって! この街を、子供たちを守るのは俺の役目だ、だってぇ! ぶっははははははは! グレイトォ~! すっごくグレイトだと思わないかぁい!? そういう正義のヒーロー見てるとさぁ……見てるとさぁ……!」
リモーダルは拳を握り、わなわなと震わせる。
頬は紅潮し、興奮しているのが一目瞭然だった。
「踏みにじりたくなるッ! 無様な姿が見たくなるッ! 私の中のサディスティックな欲望がいきりたぁぁぁぁぁあつッ!」
「ふぐっ、むぐうぅぅ!」
「だから殺してやった!」
「……!?」
「わかるぅ? てかわかってたよねェ? 誰もが知ってる! でも誰も言えない! それすなわち、私たち紅の飛竜がこの街を支配できた証明!」
そうだ、リモーダルの言うとおり、誰もが知っていた。
(やめろ……言うな、やめろ……そんな現実、聞きたくないっ! 聞きたくないぃっ! だって、聞いたら僕は、今よりもっと惨めになる! 絶望する!)
そしてウェイクもまた、心のどこかで理解していたはずなのに。
その事実から目を背けたのは、自分たちがシュクルータになったという現実に耐えるためだった。
父は紅の飛竜に逆らった末に死んだ。
賤民になったのはそのせいだ。
自分たちのみじめな生活は、見えない未来は、全て愚かな父親のせいなのだ――と。
(そう信じなきゃ……死んだのは、どうしようもないクズな父親だって思わなきゃ……こんな現実で、僕はいきていけなくなるッ!)
どれだけ抗おうとも、思い出そうとしたら、簡単に記憶は蘇るものだ。
本当に飲んだくれのどうしようもない父親だったのか?
確かに酒癖は悪かったかもしれない。
確かに粗暴だったかもしれない。
けど、休みの日はいつだって一緒に遊んでくれてたじゃないか。
自分も冒険者になりたいと言ったら、大喜びで剣の扱いを教えてくれたじゃないか。
仲間たちにも慕われていて、確かな使命感を胸に抱き、この美しい街を守ろうとしていたじゃないか――
「仲間が行方不明になってもガインズは折れなかった。だから今度は死体をあいつらに見せつけた。それでも折れなかった。今度は死体の一部を家のポストにねじ込んでやった。それでも折れない! 最後には仲間を皆殺しにしてやったんだけど――まぁだ折れない。ほんと、グレイトにしぶとい男だったねぇ」
「ふぐ……ぐ、ううぅぅう……」
「泣いてるのかい? そうだねぇ、確かにその愚かなしぶとさが、今の君たちの不幸を生み出したんだ。けど安心してよウェイク。私に従えば、私の人形になれば、二年間は幸せになれる。そして十六になったら痛みもなく殺して、その血肉を私が胃袋に収めてあげようじゃないか」
「むぐううぅっ! ふぐっ、があぁぁああっ!」
「はははははは! そうか、父親の最期が聞きたいんだねぇ。そう、だから仲間殺しの罪を全部押し付けてやったんだ。それでも折れなかったよ、あの男は。最後の最後まで、この街を――そして残った子供たちを守ると言って、逆らい続け、そして――」
リモーダルは自分の首を親指で掻っ切るような仕草を見せる。
「見たよね、君も。あの瞬間を」
ガインズは、ちょうど今いる場所に設置された処刑台で、首を落とされ死んだ。
あまりに騒ぐもので猿ぐつわを咥えさせられ、あまりに暴れるので手足を折られ、それでも抵抗しようとあがきつづけ――そして最後は成すすべもなく、血を撒き散らしながら逝ったのだ。
子供たちの目の前で。
「ふ……う……ううぅ……」
涙を流しながら、ウェイクは反抗する力を失っていく。
アルトとシージャの姿は、煙に飲み込まれ見えなくなっていた。
炎はどんどん大きくなり、今から水の魔法をぶち撒けたところで、鎮火は不可能だろう。
「終わり、だねぇ」
リモーダルはグラスを傾け、辛口のワインを小さく口に含むと、「んー……」と満足げに微笑した。
全ては終わった。
あとはウェイクを躾けて、他の少年たち同様、ペットとして飼いならすだけだ。
心が折れた今の彼なら、簡単に忠誠心を仕込むことができるだろう。
未来の少年の姿を想像しながら、アルコールの快楽に浸るリモーダル。
そんな彼の元に、ボロボロの男が駆け寄ってきた。
「リ……リ、リモーダル様……っ!」
「ん? その姿……お前は確か、あの執事たちを相手していたはずじゃ……」
「ほ、報告しますッ!」
傷だらけの体、上がった息、そして震える声――リモーダルの表情は一変、険しいものとなる。
そして男は大きな声で言い放った。
「部隊は壊滅! 戦闘に参加した魔物も全滅し、施設もすべて破壊されましたぁっ!」
リモーダルの頬がひくりとひきつる。
「……は? 魔物が全滅? 施設が破壊? 何、それ。あいつらがそんなとんでもない魔法使いだったとでも!?」
「いえっ、施設を破壊したのは魔法ではありません!」
「だったらどうやって――」
「素手です。執事が素手で、建物をすべて、潰してしまいましたぁっ!」
再びリモーダルの頬がひきつる。
もはや、笑っているようにしか見えない。
「はぁ? 素手? あの大規模施設を? 何を言ってるのか理解できないなぁ。君たち、薬の使いすぎで幻覚でも見たんじゃないのかい?」
「いえ、間違いありません!」
「本当の本当のグレイトの本当に?」
「間違いなく、私はこの目で見ましたぁっ!」
「ふざけたことを言うなあぁぁぁあッ!」
リモーダルは怒りに身を任せ、光を纏った手で男の頭部を掴んだ。
男の皮膚は高温で灼かれ、ジュウウゥゥ――という音とともに断末魔が響き渡る。
「そんなグレイトにわけがわからない話、あってたまるかァッ! いくら執事とはいえ人間だぞ!? ただの人間が、拳一つであの施設を破壊するなんてあるわけ――」
その時、街の外から、燃える家の真上に何者かが飛び出した。
燕尾服を纏う女――執事、ベアトリスである。
「破アァァァァァアッ!」
彼女は上空で体から見えない“気”を発した。
気は衝撃波となって炎上する家を飲み込み――ひと吹きで瞬く間に鎮火する。
「――いたわ」
目の前のその光景を見て、リモーダルも認めざるを得ない。
いるのだ。
素手で施設を破壊し、鎮火不可能な炎すらかき消してしまう存在が。
そして彼が呆けている間に、クリスは影からナイフを投げる。
狙うはウェイクをつなぐ首輪の鎖。
狙いは的確。
この距離で、彼女が外すはずもなく――パキンと、鎖は砕けた。
「しまった!?」
その音でリモーダルはクリスの存在に気づくが、すでにヴァイオラの糸はウェイクに絡みついていた。
「うわあぁぁああっ!?」
少年の体はやや乱暴に引き寄せられ、ヴァイオラの足元までやってくる。
「ミッションコンプリート、だね」
「やっぱり派手な役目は師匠に任せるに限るわ」
「その点に関しては完璧だと思う」
「まったくね」
軽口を叩く二人に、リモーダルは立ち上がり、グラスを地面に叩きつけ憤った。
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