045 白、黒、灰、赤。
夜の森を、三人の執事が駆け抜ける。
師匠は言わなかったけれど、たぶんこれは勝負だ。
誰が一番、自分の役目を早く終わらせられるか。
ヴァイオラは、師匠から僕のことを聞かされて微妙にライバル視しているみたいだし、師匠も僕らの成長を見るために全力で狩りを行うだろう。
僕ものんびり野草採集――というわけにはいかなそうだ。
瞳に力を込める。
“夜”が鮮明になる。
自分では見えないけれど、キルリスが言っていたように、おそらく今の僕の瞳は赤く光っているのだろう。
この際だ、ついでに脚部にも力を込める。
暗闇に赤い線が浮かび上がる。
慣れてきたおかげか、はたまた今は落ち着いているだけなのか、妙な意識への侵食は見られない。
だが“気持ち悪さ”はあった。
自分の体が、自分とはかけ離れていく感覚に対して。
そして知らないうちに、そういう自分になっていたという事実に対しても。
「ふッ!」
息を吐きだし、あらかじめ算出しておいたルートで一気に木と木の間を抜けていく。
両手にはナイフを握り、通り過ぎた瞬間に野草やキノコを採取。
跳ねる方向も調整し、足を止めずに手で掴むと、腰に下げた袋に入れていった。
◇◇◇
森に入ってから十分ほどが経過した。
戦闘時と同じぐらい気合を入れた結果、袋が人の頭ほどの大きさになるだけ集まった。
これだけあれば十分だろう。
そろそろ戻るか――そう思い踵を返したところで、無数の足音がこちらに近づいてきた。
「ふはははははっ! クリス、調子はどうだ!?」
師匠だ。
彼女は五メートルはあろうかという巨大なボアを担いで、こちらに駆け寄ってくる。
森の主か何かだろうか。
「ええ、いい塩梅に集まったのでそろそろ戻ろうかと――」
話しているうち、師匠は僕の前で止まらずに通り過ぎていってしまった。
風が僕の顔を薙いで、髪を乱す。
止まらないのは師匠らしいといえばらしいけど――理由は別にある気がする。
足音は一つじゃない。
つまり師匠は、何かに追われていたんだ。
漆黒の向こうから、ドドドドドド――と騒がしく地面を鳴らしながら近づいてくるのは、ボアの群れ。
小さいもので二メートル、大きいものは師匠が担いでいたのと同じ五メートルはある。
「クリス、お前も走れ! 相手をするには場所が悪い!」
ボアたちの目は赤く光っていた。
中には体に筋が浮かんでいるものもいる。
そうか、魔物だから師匠は倒せなかったんだ。
それにここは奴らの庭、地形利用して戦うにも分が悪い。
でも、魔物――にしてはおかしいな。
普通の魔物は、あんな風に魔薬を使ったような模様は浮かび上がらない。
まあ、どちらにしたってやることは同じだ。
数は六体。
図体は大きいけれど、ランクCかB、そこまで高くない。
魔力障壁の強度もそこまで――なら、投擲で十分に対処できる。
「おいクリス、魔法を使えないお前がどうするつもりだ!?」
袖の内側からナイフを取り出し、指の間に挟む。
力を込めると、腕にも赤い筋が浮かぶ。
本数は敵と同じ六。
軽く息を吐き、[ウィンドエッジ]発動。
赤い瞳で魔力の流れを見て――流れを切り裂き、刃に絡ませ、射出。
「風刃飛魚!」
投げ放ったナイフは、魔物化したボアの脳天を貫く予定だった。
だが想定外に威力は高く、魔力障壁を突破した風の刃は、その体を二枚に断裂させた。
「お……おぉ……クリス、その力は一体……」
師匠の驚いた顔というのは、実は意外とレアだ。
彼女に師事していた頃はまだ身につけていなかった力。
“自分と同じ”魔法使い以外の執事だと思っていたからこその驚きだろう。
◇◇◇
僕は師匠と一緒にウェイクの家に戻りながら、僕の使う力について説明した。
もちろん、僕の体が魔薬に冒されているからこそできる芸当であることも。
「魔力の流れを切り裂く、か……」
「ええ。最初は修行で身についたと思ったんですが、実際は薬の力を借りているに過ぎません」
「それでも、守りたいものを守るために、使えるものを使って何が悪いというのか。それは紛れもなくクリスの力だ、胸を張っていい」
「はい、ありがとうございます」
「しかしクリスもそのような力を身につけていたとは……」
……“も”?
「僕以外にも、誰かいるんですか?」
「ん? ああ……旅の中で、一度出会ったことがある。魔力と相反する力を使い、魔法使いではないのに魔力障壁を突破する術を身につけた者とな」
「その方法を、師匠は身に付けられなかったんですか?」
「そう簡単に身につけられるものではない。だが、可能性は感じるな。いつかまた、魔法使いとそれ以外の人間が対等になるときが来るのかもしれない、と」
“いつか”、か。
僕は今すぐにでもその力を手に入れたい。
けれど、目指すべき高みはまだ遥か彼方にある。
「師匠は、もしその力を手に入れられたらどうしたいですか?」
「そうだな……まずは自慢したいやつがいる。故人だがな。墓前で『お前、あのときはよくもさんざん煽ってくれたな』と仕返ししてやるんだ」
「意外、ですね。師匠にそんな相手がいたなんて」
「それはもう生意気な主だったからな」
「主……スクルドさん、でしたっけ」
「ヴァイオラから聞いていたのか。そうだ。スクルドは気が強い女でな、我も手を焼いていた。だがな、いい女だったぞ」
スクルドさんのことを思い出す師匠は、少し寂しげに微笑む。
「あの事故からもう十年も経つというのに、今も夢に見る。美しい青い髪が、我から離れ、あの部屋の中に消えていく姿を」
「スクルドさんは、師匠にとっては今もまだ主なんですね」
「そうだな……だから今も、この執事服を脱げないでいる。女々しいと思うだろう?」
「いいえ、そんなことはありません。執事の鑑だと思います」
「ははは、そんなかっこいいものではないさ。我はまだ、信じられないでいるのだ。あの爆発の中で、本当はスクルドが、今もまだ生きているのではないか、とな――」
でも、それから十年の月日が過ぎた。
きっと師匠も、心のどこかで、『十年も経って会えないのなら、生きているはずがない』と思っているのかもしれない。
その結果が、この自嘲だ。
けれど、それでもなお、探し続けてしまうほど、強く心を囚われている――その一途さは、ある意味で師匠らしい。
「師匠もクリスも、やけに湿っぽい雰囲気じゃないの」
闇の中から、ぬるりとヴァイオラが顔を出した。
「おお、なかなかうまく釣れたようだな」
「だから釣り糸じゃないって言ってるのに……生臭さが染み付く前に早く帰るわよ」
彼女の両手から伸びる糸には、計十匹の魚が突き刺さり、ビチビチと動いていた。
新鮮さをキープするためか、まだしめていないらしい。
ボアの下処理もある。
これ以上待たせると、おそすぎる夕飯になってキャミィとイエラが暴れかねない。
僕たちは急いでウェイクたちの待つ家に戻った。
◇◇◇
山積みになった食材に、子供たちが目を輝かせる。
ウェイクも、さすがにこの量を前にすると、不満よりも驚きのほうが上回るらしく、十四歳らしい表情を見せていた。
もちろんキャミィとイエラもはしゃいでいる。
そして早速調理を開始する。
ボアは師匠が素手で捌いた。
首を落とし、拳で刺激を与えながら素早く血抜き。
手刀で皮を剥ぐのと体を開くのを同時に行い、臓器を取り除き――
ド派手に解体作業を行う師匠の傍ら、僕とヴァイオラは、それぞれ取ってきた食材で調理をはじめる。
糸を使って魚をおろすヴァイオラ、そしてナイフで野草やキノコの下処理を行う僕らの手付きもなかなかだと思うのだけれど、やはり師匠のインパクトには敵わない。
その上、師匠はボア肉の処理を行いながら、僕らに向かって適した調味料を袖の内側から取り出し、投げ渡すのだ。
「何で執事服の中から調味料が出てくるんですか……?」
「師匠は【武道家】だからね」
「なるほど、武道家だから調味料が……って全然理由になってませんがー!?」
騒ぐキャミィ。
そう言われても、武道家だからとしか言いようがない。
「武道家ってー、お料理が得意な人って意味だったんだねー」
「違うわよ。師匠は拳が武器。私やクリスと違って武器を使わないから、執事服の内側に調味料を仕込む余裕があるの」
「なるほど、そういうことですか……いや、聞いてもまったく納得できませんよ?」
「理屈はあんまり考えないほうがいいよ。師匠はそういう人だからこそ師匠なんだよ」
「クリスさんの言葉に何よりの説得力を感じます……」
僕も数年間、師匠の弟子として修行を積んだけど、彼女の実力の一割だって吸収できたとは思わない。
同じ領域に達するには、それこそ十年以上の鍛錬が必要になるだろう。
それは武術に限った話ではなく、執事としての振る舞いも、料理の腕も、である。
「すっごくいい匂いがする!」
「なあなあ兄ちゃん。俺ら、こんな豪華な料理食べていいのか!?」
「はぁ……作られたものはしょうがないよ」
「やったーっ!」
「やったぁー! お腹いっぱい食べるぞーっ!」
ウェイクたちは、徐々に完成する料理を前に、気持ちがはやるのを抑えられない様子。
ついでにイエラも、ぼたぼたと涎を垂らして獣の瞳をしている。
その様子を見て、師匠は満足気に微笑むのだった。
◆◆◆
マリシェールのど真ん中に建てられた、ひときわ大きな屋敷。
ここは紅の飛竜の拠点兼、首領リモーダルの自宅であった。
その三階に位置する広い部屋に、彼の姿はあった。
長めの金色の髪は、ランプに照らされ、キューティクル多めにキラキラと輝く。
身にまとうは、金色のボタンがあしらわれた赤いド派手なスーツ。
腰掛けるは、宝石が散りばめられたさらに派手な椅子。
だが何より派手なのは、リモーダルの顔に施された化粧だろう。
片手でワインの入ったグラスを揺らし、鼻を近づけその香りを楽しむと、彼は目を細めて「んん~」と無駄に色っぽくあえいだ。
「最高の景色、最高のワイン、最高の踊り子――」
リモーダルの前では、数人の少年たちが、際どい衣装を着せられ踊っていた。
彼らはみな、マリシェールに暮らす“十五歳”の少年である。
紅の飛竜がこの街を守る条件の一つ――それがリモーダルに、十五歳になった少年を献上することであった。
「そして……最高の私ぃッ!」
彼は急に立ち上がり、両手を広げ、軽く首を傾けると、部屋の横に設置された鏡に写る自分の顔を見て悦に浸る。
「グレェイト……グレエェェェイト……実にッ、実にグレエェェェェェエェイトッ! 今日も最高の夜だ!」
特別酔っているとか、薬を使っているとか、そういうことは一切ない。
リモーダルはこれがいつもの姿だった。
嗜虐趣味の持ち主で自己崇拝者で少年性愛者――それこそが、この街の支配者の正体なのだ。
「な、の、に。やだやだ、こんな最高のグレェイトナイトに泥を塗るやつがいるぅ~。ねえレイヴン、どうなっているんだい?」
窓に手を当て、遠くから立ち上る煙を見て目を細めるリモーダル。
そんな彼の背後に、突如として黒ずくめの男が現れ、ひざまずく。
「……報告によると、外から来た冒険者がシュクルータどもと接触したと」
「まったく、私が支配するこの夜の景色を、煙で汚していいと許可した覚えはないのだけれど。誰かそいつらを消そうとはしなかったのかい?」
「構成員四人が敗北し、治療を受けております」
「グレイトにムカつくねぇ。あのメスガキと小さいボーイは興味ないから消してもいいんだけどぉ……ウェイクちゃんって、今何歳だった?」
「十四歳かと」
「そうだよねぇ。十四歳なんだよねえぇぇえ! まだ早いわ。あと少し早い。せっかく収穫が近づいていたっていうのに、どうして邪魔をするんだ! 本当に、本当に、グレェイトに不愉快ッ!」
「消しますか」
「できるぅ?」
「構成員四人がほぼ一瞬でやられたと聞いています。おそらくランクはS相当、それが三人。“魔物”をぶつけるしかないでしょう」
「いいねぇ、じゃあ数の暴力でやっちゃってよ。ウェイクちゃんの処遇は私が考えておくからさぁ」
「御意」
短くそう告げると、男はそこから姿を消した。
再び部屋には、リモーダルと踊る少年たちだけが残る。
彼は少年たちのほうを向くと、再び両手を広げた。
勢い余ってグラスがすっ飛び、割れて中身が絨毯を汚す。
だが彼が気にすることはなかった。
「みんなあぁぁぁぁああっ! 私、明日、頑張らないといけなくなったんだ。だから踊ってくれないかな。グレイトに、セクシーに、インモラルに、よりパッションを込めてぇっ!」
リモーダルの言葉を受け、少年たちのダンスが激しさを増す。
「いいよぉ、いいよいいよいいよぉおお! その動きだ! その動きでもっと体を引き締めろォ! 十五歳の果実を実らせてェ! 十六になったら私が食べてやるからさあぁ! やがて血肉となる私のために、最高に美しき今、全力で踊ってくれよぉおお! あはははははははははははッ!」
屋敷に甲高い笑い声が響き渡る。
料理を囲み、笑顔に満ちた時間を過ごすクリスたちとは対照的に、その場にはリモーダルの狂気と、少年たちの絶望が満ちていた。
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