044 ゴミと呼ばれた人間たち
僕らはひとまず、少年についていき家の中に入る。
外観は廃墟のようだったが、中は掃除が行き届いた廃墟といった装いで、やはりボロボロである。
住民は三人。
一番幼い少女が一人に、少し年の離れた少年が二人――三人兄妹だろうか。
全員子供のようだが、ここで三人だけで暮らしているのだとしたら、こちらもまた訳ありということなのだろう。
まあ、師匠がここにいる時点で普通ではないのだけれど。
僕たちは薄暗いリビングらしき部屋で椅子に腰掛けると,少年少女たちの謎を明かす前に、師匠に話を聞くことにした。
「元気にしていたか、二人とも。まさかこんなところで会えるとはなあ!」
師匠は僕たちを両側に座らせて、ぐりぐりと強めに頭を撫でた。
こうやって子供扱いをするのも以前と変わっていない。
師匠って、見た目は二十代にしか見えないんだけど、言動は妙に時代がかっていて――実際は何歳なのかあまりわからない人だ。
「“まさか”はこっちのセリフよ。師匠こそ急にいなくなって、どこで何してたのよ」
「我は旅をしていただけだ。いつものようにな」
「僕のときと同じですね。急に消えて、また別の執事を育てる」
「そういうことだな。まあ、今回はまだ弟子を取れていないのだが」
師匠がヴァイオラの前から消えてから、確か半年が経っていたはず。
それだけ時間をかけても弟子候補を見つけられないなんて、師匠らしくもない。
彼女の場合、執事がいなければ、行く先々で見つけた若者を強引に執事にする――ぐらいのことはしそうなのに。
「しかし、ここで会えたことも驚きだが、クリスとヴァイオラが一緒に行動しているとはなあ。どこで出会ったんだ? というより二人とも、執事としての仕事はどうしている?」
師匠の問いに――僕とヴァイオラは黙り込む。
さて、どう話したことか。
黒の王蛇との戦いに師匠が加わってくれれば、これほど頼もしいことはない。
確かに魔法は使えないが、それでも十分すぎるほど戦力になるはずだ。
「その顔、どうやらやんごとなき事態が起きているようだな」
「まあ、ね」
言いよどむヴァイオラ。
彼女も僕と同じことを考えているのだろう。
巻き込むべきか否か――
二人して悩んでいると、師匠に向き合う形で座っているキャミィが口を開いた。
「……ベアトリスさん。私、二人と一緒に旅をしている【商人】のキャミィといいます。実は私たち、黒の王蛇が流通させている“魔薬”という危険な薬物にまつわる事件に巻き込まれているんです」
「キャミィ!」
「ここは話すべきだと思います。それに、マリストール領を旅していたというのなら、一度ぐらい薬物の話は聞いたことがあるはずです」
キャミィの強引さに押し切られる形になった。
だが、どのみちいずれはそうなっていた――か。
その話を初めて聞いたイエラは、キャミィに横で「はえー、そうだったんだー」と気の抜けた相槌をうつ。
一方で師匠は、腕を組んで「うむ」と深々とうなずいた。
「魔薬という呼び方は初耳だが、話には聞いている。依存性の高い、危険な薬物だとな」
「その薬には、人を魔物に変えるという、隠された効能があります」
「何だと?」
「クリスさんの主であるリーゼロットさんや、ヴァイオラさんの主であるミーシャは、その薬を与えられ魔物になってしまいました」
「……そのようなことが。そうか、では二人は主を救うために旅をしているのだな?」
「はい。私も両親が魔物化こそしていないものの、薬に冒されまともに会話すらできない状況です」
「クリスとヴァイオラがそのことを話さんのは、我を巻き込まぬためか」
「師匠は無関係です。命のやり取りが避けられないこの戦いに、自ら引き込むとはできません」
「それに、魔薬って魔石を使った薬なのよ。どうしても魔法が絡んでくる。魔法使いじゃない師匠じゃ、厳しいんじゃないかと思って」
「相変わらず歯に衣着せぬ物言いだな、ヴァイオラ。だが魔法は使えずとも、我にもやれることがある」
「そ、そうだよっ、お姉さんすごいんだからっ!」
蚊帳の外になっていた幼い少女が急に立ち上がり、声をあげた。
本来なら彼女たちの話を真っ先に聞くべきなのに、待たせてしまい忍びない。
「さっきね、わたし、お姉さんに助けてもらったの。悪い冒険者に囲まれてたのに、ひゅんって足をふったら、みんな転んじゃったの!」
「シージャ、だから一人で街に出るなと言っただろう」
「……ごめんなさい、おにいちゃん」
最年長の――僕らをここに連れてきたのとは別の、年上の少年に注意され、落ち込む少女。
やはり二人は兄妹か。
「そっかー、だからさっき、私たちは冒険者に襲われたんだねー」
「どういうことです、イエラさん」
「師匠がその冒険者たちに恥をかかせたから、その八つ当たりで僕らに襲いかかってきたってことだよ」
「ああー……さっきの。そんな理由で辻斬りみたいなことしますぅ?」
「迷惑なやつらよね」
「ははははっ、すまんな、そのようなことになっていたのか。だが聞いてのとおりだ、魔力障壁で魔法使い本人は叩けずとも、地形を利用すれば戦える」
「ですが、師匠……」
「何より、弟子二人が主のために命をかけておるのだ。執事として、その心意気に共感するのは当然のこと。我も黒の王蛇との戦いに協力させてもらうぞ」
力強い言葉――断ったって付いてくる勢いだな、これは。
ヴァイオラと視線を交わすと、彼女も諦めた様子だった。
「……では師匠、よろしくお願いします」
「うむ、任せるがよい! 二人の技も更に磨いてやろう。ただし――この少年少女たちの問題を解決してから、だがな」
ようやく僕らは、家主である三人に向き合う。
「待たせてすまんな。まずは名前から聞いても良いか?」
「わたしはシージャ! 六歳だよ!」
少女は元気いっぱいに手を上げて言った。
だがその手足は細く、服もボロボロで、到底まともに食べているとは思えない。
続く少年も似たようなものだ。
「俺はアルト。八歳だ」
「僕はウェイク、十四歳です。“シュクルータ”として、この家で三人で暮らしています」
「シュクルータって何ですか?」
キャミィが顎に人差し指をあて、首をかしげる。
僕も聞いたことのない言葉だった。
「先ほどの冒険者もお前たちにその言葉を向けていたな」
「ええ……シュクルータとは、このあたりの古い言葉で“ゴミ”や“いらないもの”を意味する言葉です」
「それをー、君たちに向けて使ってるのー? おかしくないかなー」
「他所の人から見たらおかしいかもしれませんが、僕たちはそういう身分なんです。この街で一番偉いのが冒険者、次が平民、そして一番下がシュクルータ……そういう決まりですから」
いわゆる賤民というやつか。
けれどマリストール領に、表面上そういった制度は存在しないはずだ。
「あなたたち、そのせいでこんな家に三人で住まわされてるわけ?」
「ええ、僕たちはこの家以外に住む権利を持ちません。仕事も制限され、与えられるのは最低限の食料と衣服だけです」
「そのシュクルータに選ばれたのは、お前たち三人だけか?」
「そうです。僕たち兄妹は、父の罪に対する罰としてこの身分に堕ちました。ですが仕方ないんですよ。僕たちの存在は、いわば街の人たちにとっての心の支えなんです。自分たちより低い立場の人間がいるというだけで、心はいくらか楽になる」
「話を聞く限り、その制度を決めたのは紅の飛竜の連中に思えるんだけど……そこまでして従う必要があるの?」
「そうですそうです、ギルドに連絡して追い払ってもらいましょうよ!」
「やめてください!」
ウェイクは声を荒らげた。
両隣に座るシージャとアルトがびくっと肩を震わせ、目を伏せる。
「あなた方はご存知ないかもしれませんが、マリシェール周辺は、ここ二年ほどで急速に魔物が増えた地域なんです。傭兵団が組織的に守らなければ、街を維持することすらままなりません」
「紅の飛竜が街を守る代わりにー、あいつら以外の冒険者を排除してるわけだー。だから私は追い出されたんだねー」
「本来ならそんな蛮行許されないわ。でも、今はそれを止める人間もいない……」
領主であるジョシュアのことを思い出しながら、ヴァイオラが言った。
薬だけじゃない。
秩序の崩壊は、確実にマリストール領を蝕んでいる。
「ベアトリスさん」
「何だ、ウェイク」
「問題を解決しようと思ってくれる気持ちは嬉しいです。シージャを助けてくださったことにも、お礼を言います。ありがとうございます」
「……うむ」
「ですが、ここはそういう街なんですよ。余所者がいきなりやってきて、紅の飛竜を排除して終わる話じゃない」
「かもしれぬな」
「今日はここに泊まっていってもらって構いません。広い家ではありませんが、野宿よりはマシなはずです。ですが、明日になったら出ていってください。他の執事さんたちも一緒です。これ以上いられると、街にとって迷惑ですから」
ウェイクは冷たくそう言い放つ。
下手に沈黙が満ちた。
さすがここまで強く言われると、師匠も何も言い返せない、か。
「……お前たち、どう思う?」
僕たちに向けて、彼女はそう問いかけた。
「私たちにはー、どうしようもないんじゃないかなー」
「悔しいですが……イエラさんの言うとおりかもしれません。紅の飛竜だけならともかく、魔物が多い原因を探るには、私たちには時間がありません」
「ふむ。ヴァイオラ、お前はどうだ?」
「んー……望まれてる答えはわかる気がするけど、こういうのはクリスが言ったほうがよさそうだから、私はパスするわ」
何、その答え。
たぶん、僕と同じ言葉が頭に浮かんでるって意味なんだろうけど。
「ではクリスは、どうする?」
師匠もニヤニヤ笑ってるし。
わかったよ、僕が言い出しっぺになればいいんでしょ。
「空腹は人の心を蝕む。執事たるもの、主の気持ちが沈んできるときは、うまいものを振る舞い、共に食せ! でしたよね」
「ふははははっ、その通りだクリスよ!」
師匠は楽しそうに笑った。
あの笑顔を見せられると、もう『どうでもいいや』って思わされるんだよね。強引に。
「ウェイクよ。その様子では、まともに食事も摂っておらぬのだろう?」
「え? あ、ま、まあそうですけど……」
「執事とは料理のエキスパートでもある。ここに執事が三人いる。つまり三倍美味い料理が作れるということッ!」
「執事特有のとんでも理論です……!」
「クリス、ヴァイオラ。さっそく夕飯の材料を狩りにいくぞ! ヴァイオラ、お前の役目はその釣り糸で魚を捕らえることだッ!」
「これ釣り糸じゃないんだけど……」
「クリスは山菜とキノコ担当! その類まれなる目利きで毒の有無を見極めるのだな! ちなみに我は少し毒があったほうが好みだッ!」
「以前、師匠が振る舞った料理を食べて笑いが止まらなかったの、もしかしてそのせいですか?」
「そして我は獣を狩る! 最上の肉を持ち帰ると約束しよう!」
魔物にさえ遭遇しなければ、師匠ならどんな獣でも素手で狩れるだろう。
しかしウェイクは勢いにおされながらも、抗議する。
「あ、あのっ、もう夜になるので、森に入るのはやめたほうがいいと思うんですが」
「執事に昼も夜も関係ないッ! 執事ならば闇を裂け! 執事ならば光を放て! 尽くすべき主のために無茶を通す! 執事とは、そういう存在なのだ!」
言い切る師匠。
この人なら、本当に光ぐらい放てると思う。
「はわー、私が知ってる執事とは別世界の概念ですねー」
「師匠が例外なだけだから、私たちと一緒にしないで」
「なーにをダラダラしておる。行くぞ、ヴァイオラ、クリス! ふははははははははーッ!」
異様に高いテンションで、家を飛び出していく師匠。
……ひょっとすると、弟子と再会できて浮かれているのかもしれない。
「ったく、ほんと人を振り回す名人だわ」
「師匠が変わってなくて安心したよ。じゃあ行こっか、ヴァイオラ」
「ええ、ちゃちゃっと終わらせて、最高の料理を振る舞うわよ」
キャミィとイエラの「いってらっしゃい」に見送られ、師匠を追って、僕とヴァイオラも家を出る。
すでに師匠の姿は見えない。
だが森の中には、「ふははははははっ!」と無駄に大きな笑い声が響き渡っていた。
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