043 魔の無い器
ベアトリスは魔法使いではない。
彼女は【武道家】、自らの肉体だけで戦う魔力を持たぬ近接職。
であれば――本来、魔力障壁を持つ魔法使いには手も足も出ないはずだった。
無論、ベアトリスとてそれは理解している。
路地で四人の男を前に、少女を庇いながら、いかにこの場を切り抜けるかを考えた。
「見たところ、魔力障壁も無いみてぇだな。身の程を知れ、この雑魚がッ!」
男の手のひらの前で水が渦巻く。
威力は控えているようだが、まともに喰らえば、普通の人間ではひとたまりもない。
ベアトリスはまず様子見のため、軽く息を吐き、体内の血液の流れを意識しながら、胆に力を込めた。
俗に言う“気迫”だ。あるいは“殺気”とも呼ぶ。
本来、それは“感覚”としてぼんやりと感じられるものだが――達人の域に達すると意味が変わる。
「っ――!?」
男たちは同時に、体に強烈な“重さ”を感じた。
ぞわッ、と鳥肌がたち、冷や汗が吹き出す。
(な、何だ……急に体が動かなく……!?)
最も近い言葉で表すのなら、“金縛り”。
達人相手ならばこうはいかないだろう。
だが彼らは凡百の魔法使い――ベアトリスの言葉を借りるのならば、組織の名を使わなければ優位に立つことすらできない未熟者。
本来ならば、これだけで十分であるはずだったが……。
「な、舐めんじゃ……ねぇ、ぞ……ッ!」
「ほう、中には気骨のあるやつもいるらしい。力の使いみちさえ間違えなければ、まだ成長できるものを」
「ふざけんなァッ! 上から目線で見下すのもいい加減にしろオォオッ!」
「ならば次は、足払いでいくか」
フォンッ――ベアトリスは軽く右足を振り払った。
男は笑う。
魔力障壁のある自分に、物理攻撃は通用しない、と。
だが――次の瞬間、ベアトリスの放った“足払い”によって、男たちの立つ一帯の地面は、風圧によってごっそりと削り取られた。
「……お?」
彼はわけもわからず地面に倒れる。
「ふむ、これぐらいでいいか」
「きゃっ!?」
ベアトリスは少女の体を抱えあげ、飛び上がり、建物の上に着地。
路地を脱出すると、男たちの目の前から消えた。
「……何だったんだ、今の化物は」
呆然とする彼らだったが、「はっ!?」とすぐに正気を取り戻し、慌てて立ち上がる。
「いつまでも寝てる場合じゃねえ!」
「そ、そうだ、この街で紅の飛竜に逆らうやつが出たんだぞ? 早く首領に報告しねえと!」
敗北の実感すら湧かなかったのか、反省もせずに、男たちは路地を飛び出した――
◆◆◆
マリシェールに到着した僕たちは、リザード車に乗ったまま宿を探す。
今走っているのは、街の中央通りのはずなんだけど……通り過ぎる人々の表情はどことなく暗い。
「紅の飛竜ってやつら、かなり好き放題やってるみたいだね」
「街をここまで疲弊させるなんて、まともじゃありませんよ。もはやただの山賊です」
「だねー。こんな奴らに好きにさせるなんて、ジョシュア様は何をやってるんだろー」
イエラの言葉に、一瞬ヴァイオラの表情が曇る。
キャミィが心配そうに「ヴァイオラさん……」と声をかけたが、しかし彼女はすぐに笑顔を浮かべ口を開いた。
「今の領主に期待するだけ無駄なのよ。黒の王蛇なんて連中を野放しにしてるんだから」
「ああー、そうだったね。領主と悪の傭兵団が手を組むなんて世も末だよー」
「まったくね。どうかしてるわ」
自虐する様子もなく、平然とヴァイオラは言い切る。
割り切れているのだろうか。
薬に冒された今のマリストール家は、自分が無条件に従うべき相手ではない、と。
僕は少しだけヴァイオラが羨ましく思えた。
「観光客も少なそうですし、宿はすぐに見つかりそうです」
「問題はー、そこに泊まれるかどうかなんだけどー」
「ひとまず冒険者ってことは伏せて、今日は泊まろっか」
「見る人が見たらすぐに気づくと思うわよ」
ヴァイオラの言葉を証明するように、リザード車の前に四人の男が立ちはだかった。
リザードが急停止し、荷台が大きく揺れる。
なぜか服が土で汚れている彼らは、いきなり敵意剥き出しでこちらを睨みつけた。
「ほらね?」
ヴァイオラはなぜかしたり顔でそう言った。
予想があたったことを喜んでる場合じゃないと思う。
「てめえらさっきの女と同じ格好してやがる!」
「仲間だな? そうなんだろ!?」
「ち、ちちち違いますよぉっ! 私たちはついさっきこの街に来たばっかりなんですから!」
「嘘を吐くんじゃねえ! 執事服を着た女が偶然何人もいてたまるかよ!」
「一理あるわね」
「納得しないでくださいよヴァイオラさぁん! どうするんですか、クリスさん?」
「僕は右をやる」
「すでに殺る気ですかー!?」
「はいはい、私は左ね」
話したって通じるタイプの相手じゃあない。
だから僕は荷台から飛び出して、ちゃちゃっと二人を片付けることにした。
もちろん相手もプロの冒険者、反撃の動きを見せるけれど――ランクはDかCあたり。
動きは緩慢。
放たれた魔法は普通に避けてから接近。
懐に入り込んだところで、斬撃――はマズいだろうから、痛打。
「か、はっ!?」
くの字になって吹き飛ぶ男。
それを見てもう一人が驚いている間に、一気に距離を詰めて同じのをもう一発――
一仕事終えてヴァイオラのほうを見ると、彼女は得意げにこちらを見て笑っていた。
足元には気絶した二人の男が倒れている。
糸で窒息させたんだろうか。
「私の勝ちね」
「いつから勝負だったの?」
「最初からよ。あとで奢りね」
「まったく……わかったよ、一杯だけね」
「えぇー、一回分丸ごと奢りなさいよぉ。どうせお金なんて使わないんだから」
「ナイフの仕入れで意外と使うんだよ」
軽口を叩きながらリザード車に戻り、再度出発。
イエラは倒れた男たちを見て、「ほへー」と口を半開きにしていた。
「今の、紅の飛竜のメンバーですよね」
「だろうね」
「やっちゃってよかったんですか?」
「……良いか悪いかで言えば、、悪いと思う」
「ですよねー!」
「仕方ないわよ、喧嘩を仕掛けられたのはこっちなんだから」
「ううぅ、ちゃんと泊まれればいいんですけど……」
「大丈夫ですよー、街中に執事服警戒令が出てるなら、どちらにしたって泊まれないんですからー」
「全然嬉しくないお墨付きを貰っちゃったんですけどー!」
嘆くキャミィ。
最悪、野宿でも僕は平気だ。
師匠の訓練を受けたヴァイオラも大丈夫なはずだし、イエラも冒険者なら野宿経験ぐらいはあるはず。
むしろ最近は、宿に泊まってばかりで自分で料理をする機会があまりなかったから、楽しみなぐらいかもしれない。
◇◇◇
「……全滅です」
その後、僕らは宿屋を回ったけれど、案の定、全ての店で宿泊を断られ、町外れで途方に暮れていた。
中には、最初は大歓迎してくれたけど、すぐに誰かからの連絡を受けて青ざめた宿もあったぐらいだ。
紅の飛竜の影響力の大きさを肌で感じられて、これはこれでいい経験だったかもしれない。
「全滅なんですよぉ、みなさん! なのにどうしてそんな平然としてるんですぅ!? クリスさんに至ってはむしろ嬉しいぐらいの顔してませぇん!?」
「まあまあ、夕飯は僕が作るから、機嫌直してよキャミィ」
「クリスって執事みたいな格好してるし、お料理も上手そうに見えるねー」
「執事みたいな、じゃなくて執事なんだけどね」
「えー……そうなのー? じゃあヴァイオラも、主のところから脱走した野良執事なんだー?」
「ふふっ、野良ってわけじゃないわよ。私もクリスも、主のために外で働いてるの」
「へー……それで冒険者みたいなことまで。噂通り、執事って屋敷のお仕事だけじゃなくてー、危ないお仕事もやるんだねー」
「噂通りなんですか……」
「え、キャミィ知らない? 執事って暗殺とかもやるんだよー。クリスなんか魔法使いなのに暗殺者っぽい動きするしー、主に命じられて暗殺とかやってたりしてー」
ふいに話を振られて、僕は一瞬だけ眉をひそめてしまった。
……しまった、その話に飛ぶと思わなかったから油断したな。
ヴァイオラの視線は気づかれた感じだけど、ひとまず今は話を逸してみよう。
「イエラ、僕は魔法使いじゃないよ。【暗殺者】なんだ」
「でもでもー、魔法使って戦ってたよね?」
「クリスさんは、特殊な能力を持っていまして。【暗殺者】のスキルと下位魔法を組み合わせて、近接職なのに魔法使いみたいに戦えるんですよ」
「そんなことできるのー? クリスってすごいんだねー! すごいすごーい!」
イエラはパチパチと拍手しながら、目を輝かせた。
しかし喋り口調がゆるいので、どれぐらい驚いているのかはあまり読み取れない。
けれど話題はこれで方向転換できた――と思いきや、
「……で、暗殺のほうはどうなの? ご主人様に命令されて殺したことあるの?」
ヴァイオラがほじくり返してきた。
僕が話したがらないのわかった上で聞いてる顔だな、これ。
でもイエラはともかく、キャミィも興味のありそうな表情をしていた。
「はぁ……あるよ。命令されたことも、自分の手で殺したことも」
「やっぱりそうなんですね……」
「やっぱり?」
「ディヴィーナさんとの戦いのときに思ったんですよ。人を殺すのにためらいがないな、って」
「対人戦は絶対に嫌がる冒険者って少なくないのよね」
「私もあまり得意じゃないなー」
「でも、だからどうするってことじゃないんですけどね。クリスさんのご主人様って訳ありですし、それぐらいありそうですもん」
「そうそう。それに冒険者だって人殺しの一度か二度ぐらいはどこかで経験するものよ。だったら変に溜め込むより、吐いちゃったほうが楽なのよ」
わざわざ聞いたのは、ヴァイオラなりの心遣いだったんだろうか。
……いや、やっぱり多分に好奇心が含まれてる気がするけれど。
「しかしどうしましょうか。野宿するにしても、やっぱり場所が大事ですよね」
「そうだね……完全に暗くなる前に、夕飯の材料も狩っておきたいところかな」
せっかく外で食べるんだ。
屋内ではできない、派手な料理でも――と考えを巡らせる僕の視線に、こちらに駆け寄ってくる子供の姿が写った。
どこかで会っただろうか、と思ったが、見覚えはない。
頭はボサボサ、上下の服には汚れが目立ち、靴はボロボロ。
そんな姿の少年は、リザード車の前に立つと、元気いっぱいに喋りだす。
「俺の名前はアルト! ねーちゃんたち、さっき紅の飛竜のやつらをぶっ飛ばした冒険者だよな!?」
「そうだけど、僕たちに何か用事?」
「用事っつーか、さっきたまたま見かけたら、宿屋に断られて困ってる感じだったからさ。よかったらウチに泊まっていかねーかなと思って!」
要するに、紅の飛竜と敵対していそうな僕たちと話したい、と?
僕はヴァイオラに視線を向けた。
彼女はあまり興味なさそうに小さく首をかしげて、『どっちもでいいんじゃない?』と伝える。
「クリスさんっ!」
一方でキャミィは、両手でガシッと僕の手を包んで、強めの圧を込めて言った。
「ぜひ、泊まりましょう!」
「そんなに野宿が嫌なの?」
「嫌です!」
キャミィだって商人なんだし、野宿ぐらいする機会はありそうだけど。
それとも絶対にしないでいいように、余裕を持って計算してるんだろうか。
だとしたら、それはそれで商人として優秀かもしれないけど。
「イエラはどうする?」
「クリスさんに委ねますー」
「わかった。じゃあ、アルト君の言葉に甘えさせてもらおうかな。案内してもらってもいいかい?」
「おう、もちろんだ! 俺の家はこっちにあるんだっ!」
嬉しそうに駆け出すアルト。
僕たちはリザード車に乗って、彼の背中を追いかけた。
◇◇◇
アルトの家は、街の外れも外れ、街の中と言っていいのかも微妙なところにあった。
前方に現れたのは、二階建てでそこそこの大きさだが、驚くほどぼろぼろな一軒家。
「……幽霊でも出そうな家ですね」
キャミィは小さく呟いた。
僕は全面的に同意する。
かなりオブラートに包んでも“ボロボロ”。
率直に言えば、それはほぼ廃墟だったからだ。
「家はしょぼいかもしれねーけど、外で寝るより屋根のあるところのがまだマシだろ?」
僕らのリアクションを見越したように、アルトが言う。
しかし、紅の飛竜に従う街とは対象的に、従わない人間が、こんな外れの家に暮らしている――この事実は何を示唆しているのだろうか。
少しばかり、波乱の予感がする。
家に到着し、リザード車から降りる僕たち。
すると、横のほうに別に建てられた小屋のあたりから、突如として巨大な丸太が空に浮き上がった。
「ふははははははははははァッ!」
そして笑い声と同時に、僕の目で辛うじて追える速度の拳が連続して繰り出され――空中で、丸太一本が全て“薪”へと姿を変える。
「な、何ですか急にこれ!?」
「俺にもわかんねえよ!」
「うわー、すごいパンチだー」
素直に驚くキャミィとイエラ、そしてアルト。
一方で僕とヴァイオラは、別の意味で驚いていた。
「クリス、今の笑い声と拳の動きは……」
「うん、間違いない」
天より降り注ぐ薪の雨を、下に立っていた女性は素早い動きで全て受け止め、肩に担いだ。
一つたりとも、地面に落ちることはない。
「おねえさんすごぉいっ! 薪割りが一瞬で終わっちゃったぁー!」
「ハハハハ、執事としてこれぐらいは出来なければな」
「私も頑張ったら執事になれる?」
「強い決意を持ち、守りたい者がいるのなら、誰でも努力次第でなれる。ふんッ!」
彼女はそう言って、両腕で抱えていた薪の位置を変え、全てを片腕で支えると、空いた方の手で少女の頭を撫でた。
あれが魔法はおろか、【武道家】のスキルだって使わずにやってるっていうんだから、相変わらずとんでもない人だ。
「ん? お前たちは――」
そしてようやく、彼女は僕らに気づく。
僕とヴァイオラは、深々と頭を下げた。
『お久しぶりです、師匠ッ!』
声を揃えてそう言うと、師匠よりも先に、キャミィのほうが驚き反応を見せた。
「えええぇぇえっ! じゃああれが、伝説の執事っていうベアトリスさんなんですか!?」
「ふはははは! いかにも。我が二人の師であるベアトリスだ。久しぶりだな、クリス、ヴァイオラ!」
彼女は以前と変わらぬ快活な声で、気持ちよく笑った。
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