004 偽証者たちの非対称鏡面
キャミィは、僕が台車にくくりつけたグリフォンを、ニマニマと笑いながら眺めている。
「うへへへへぇ、まさかここで新鮮なグリフォンが手に入るなんて。羽毛の状態もいいですし、くちばしや爪も無事。急げば新鮮な肉も売れそうですし、赤字なんて帳消しですよっ!」
「喜んでもらえたみたいでよかったよ」
「喜ぶなんてもんじゃありません! ありがとうございますっ!」
頭を振り回すようにして下げるキャミィ。
打算もあったけど、ここまで感謝されると、悪い気はしないな。
「それにしても、いやはや、とんでもないものを見せてもらいましたよ」
再びリザード車に乗り込んだ僕たちは、先ほどよりもゆっくりとしたペースで進む。
肌を撫でながら通り過ぎていく風が心地よい。
見晴らしもよく、流れる森や草原の景色を見ているだけでも気持ちが良かった。
「【暗殺者】のスキルである[エクスキューション]と[ウインドエッジ]をあんな形で組み合わせて使うなんて」
彼女の言う[エクスキューション]というのは、【暗殺者】の習得できる下位スキルだ。
“背後”から、“相手の首”に攻撃した際の威力にボーナスがつく、という効果を持っている。
まさに敵を殺すために存在するスキルと言えるだろう。
「世の中には、魔物と戦える物理職の人もいるんですねえ」
「僕も魔物には初めて試したけど、うまくいってよかったよ」
「え゛……? は、初めて? ぶっつけ本番だったんですかあ!?」
「それなりに自信はあったけどね」
「そういう問題じゃねーですよ! はぁ。足は速いし執事さんだし、本当に変な人ですね、クリスさんって」
「そう、かな。あの技は、頑張って編み出したものだけど、他は【暗殺者】で執事ならそんなものなんじゃない?」
「まず暗殺執事なんてものがレアなんです! もしかして、顔は賢そうなのに天然さんですか?」
「賢そうかな……いつもバカみたいな顔って言われてたけど」
「それはねーですよ。今も私の心臓が、顔が近くてドキドキする程度にはいい顔をしてます。確かに、いくら宿代欲しさとはいえ、グリフォンに襲われてた私を助けるお人好しさはバカっぽいかもしれませんけど、それは“いい意味”でのバカだと思います」
「いいバカ、か……もしかしてお嬢様も、たまに僕を褒めてたこともあったのかなぁ……」
「そのお嬢様とやらには、どんな感じでバカって言われてたんですか?」
「『まだ仕事が終わってないなんて本当に使えない執事ね、死ねバカ』みたいな感じで」
「それは悩むまでもなく悪い意味ですよ!」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「本当に抜けてますねぇ」
希望的観測も大いに含んでいたけれど。
でも、世の中を知らないっていうのは、確かにあるかもしれない。
ずっとあの屋敷で過ごしてきて、外の常識なんて知る余裕がなかったから。
「ですが私にはどーでもいいことです。むしろ商人としては、ここで変なクリスさんと出会えたことを嬉しく思いますよ」
「僕もキャミィと出会えてよかったよ」
「く、口説いてますです?」
「そういうわけじゃなくて……僕、お金を持ってなくてさ。今日は野宿だなと思ってたところで、キャミィに会えたから」
「ちぇーっ、もっとロマンチックな理由だと思ってました。お金を持ってないってことは、冒険者ですらないってことですか?」
「冒険者……ああ、魔物を狩って生活してる、傭兵のことだっけ。うん、違うよ。まず僕は魔法使いじゃないからね」
「でも魔物を――って、そういえば今が初めてって言ってましたね。なるほど、家を出るために、今日まであの技を磨いてたってことですか」
「そういうことになるかな。それで、ついさっき家を飛び出してきて、これからどうするか考えてたところ」
「つまり野良執事ってですね。なるほど、その様子じゃ本当にフリーみたいですねぇ……ふむふむ、これはまたとないチャンス……むふふ、ぐふふふふ……」
ぶつぶつと独りごとをつぶやくキャミィ。
いかにも商人らしい、計算高い顔をしている。
けどそれを隠せないあたり、やっぱりまだまだ商人としては若いんだろうなあ、という印象を受けた。
「ひとまず街についたら、懇意にしてる宿に案内するんで、今日はそこに泊まるってことでいいですか?」
「もちろん」
「そんで、明日は冒険者ギルドへの登録方法も含めて、私が街を案内するですよ」
「そこまでしてもらっていいの?」
「……えぇ、そこまでしますよ。なんたってクリスさんは、貴重な貴重なフリーの冒険者さんになるんですからね……ふっふっふっふっふ、くっくっくっくっく……」
街の案内までしてもらえるのなら心強い。
でも……本当に、この子を頼って大丈夫なのかなぁ。
◇◇◇
それからほどなくして、リザード車は関所を通り過ぎた。
僕を見て、見張りの兵士は少し驚いた様子だったけど、特に声をかけられたりはしなかった。
どうやらキャミィは、彼らの意外そうな表情を巨大なグリフォンを乗せた荷台を見て驚いた、と思ったようで、胸を張ってドヤ顔をしていたが、誰も気づいてはいなかった。
それから二時間が経ち、空が茜色に染まった頃、ようやく街に到着した。
街の規模は、リーゼロットの住む屋敷があった街とさほど変わらず、それなりに賑わっている。
地面は石畳で整備されており、中央通りは馬車が複数台通り過ぎられるだけの広さがあった。
じきに暗くなる時間帯なので、表に出ていた店はすでに片付けを始めていたが、その数や品揃えからして、街自体はそこそこ裕福であると感じられた。
「ここがティンマリス、私の故郷でもある街です」
「いい街だね。すれ違う人たちの表情も活気に溢れてる」
「んふふ、そう言ってもらえると嬉しいです」
故郷を褒められたキャミィは、上機嫌に笑った。
その表情だけで、ここが愛される街であることがわかる。
別の領主が治める土地となると、そうそうリーゼロットも探せないだろうから、しばらくこのあたりを拠点にしてもいいかもしれない。
そして、キャミィは僕を宿の前で下ろすと、「前金です」と言って小金貨五枚を手渡していった。
「そんなっ、これはもらいすぎだよ! 小金貨一枚でも、一晩過ごすには贅沢すぎる」
「何を言ってんですか。クリスさんはグリフォンを倒したんですよ? バラして売りさばけばもっと大きな稼ぎになります。あとで分け前を持ってきますから、待っててくださいね」
僕の抗議も虚しく、キャミィはグリフォンの死体とともに去っていってしまった。
取り残された僕は、仕方なく宿に入る。
そして主に名前を告げると、「すでにお代はもらっている」と言われ部屋に案内された。
「困ったなあ……宿賃も払わせてもらえないだなんて」
僕は一人で眠るには大きすぎるダブルベッドに腰掛け、そうつぶやいた。
部屋だってシングルベッド一つあればよかったのに、ベッドだけでなく部屋そのものも広い。
でも、仮にこれが大げさなんかじゃなくて、ランクCの魔物を倒すたびに得られる報酬だとしたら――
「魔物に使うのは初めてだったからな、自分の力量が世の中でどの程度なのか、まだ把握できてない」
稼げるに越したことはない。
けれど、あまり目立つのも好ましくはない。
……どうだろう、方針を変えていっそ目立ってみるのもいいのだろうか。
なんて考えて、僕は首を横に振り自ら否定した。
まず方針云々以前に、僕はそういう性分じゃあない。
なんたって、影に潜んでこそこそしてる【暗殺者】なんだからね。
ぼふっ、とベッドに倒れ込み、天井を見つめる。
あの屋敷の外で泊まるのはいつ以来だろうか。
違うベッドの感触だけで、ついに自由に得たのだという時間に包まれる。
目を閉じれば浮かんでくる、屋敷での日々。
そして、リーゼロットの泣き顔――
「あれで、ちょっとぐらいは変わってくれるといいんだけど」
無理だとわかりながら、僕はそう独り言をこぼした。
何を甘いことを。
変わらないさ。
変わらないと思ったから、僕はこうして屋敷を飛び出したんじゃないか。
その日のために備えて、寝る間も惜しんで技を磨いた。
師匠の教えを思い出しながら、自分の技術を組み合わせ、魔力障壁を突破するだけの力を手に入れた。
変わらないのなら、変えるための力が必要だったから。
「ただいま戻りましたー! 全部さばけた上に、かなりいい値段で売れましたよぉー!」
ぼーっとしている間に、かなりの時間が過ぎていたらしい。
外はすっかり暗くなった頃、部屋にキャミィが戻ってくる。
彼女は握りしめた麻袋を、がしゃんとテーブルの上に置いた。
「大金貨二十枚です」
「だっ――そんな高価で売れたのっ!?」
「へへーん!」
得意げなキャミィ。
けれどそれも当然のことだ。
大金貨二十枚といえば、小金貨二百枚分。
一年は働かずに暮らせてしまう額である。
「グリフォンって、本来は険しい山に生息していて、あんな街道に現れること自体が稀なんですよ。不幸中の幸いとでもいいますか、おかげ様でお肉も新鮮な状態だったんです」
「グリフォン肉ってそんなにおいしいの?」
「脂身が多いわけではないんですが、新鮮なほどコリコリしていて、塩焼きにすると絶品なんですよ。この宿にいくらか渡したので、今日の夕飯で出てくるはずです」
じゅるり――と、そんな音がしてしまいそうなほど、口が涎を分泌している。
夕飯かあ、今から楽しみでしかたない。
「あとはくちばしや爪の状態も良かったですし、処理はまだなんですが、早くも羽毛の買い手も見つかりまして。やっぱりあれだけ大きな魔物を狩ってくると目立ちますね」
「キャミィの腕もあったんじゃないかな」
「えへ、えへへぇ、そうですかねぇ。そうかもしれませんねぇ……」
キャミィは割とおだてられるのに弱いらしい。
でも実際、あれだけの魔物を数時間で売りさばいてしまうのは素晴らしい手腕だ。
「さて、それでは分配ですが、5対5でいいですか?」
早速、キャミィは分け前の話に入った。
別に僕は何対何でもいいんだけど、もし彼女と長い付き合いになるのなら、お金周りはきちっとしておきたいな。
「それが相場なの?」
「一般的には5対5ですね」
「相場ってこと?」
「一般的には……」
一般的って言い方が気になるな。
それに、どうにも目が泳いでいるような気がする。
「つまり、それが相場なんだね?」
「そう、かも、しれませんです……」
「嘘をついてる目をしてる」
「そ、そんなはずはありませんよぉ。クリスさんは命の恩人ですから……って顔を近づけないでくださいぃ! ひいぃっ、顔がっ、顔がよすぎるっ! ドキドキするぅ! わかりましたよぉ、いくらをお望みなんですか!」
「7対3」
「え、えぇっ! 相場は64なのに!?」
「へぇ、相場は6対4」
「はっ、しまった!」
「嘘、ついてんたね」
「ううぅ、勘弁してくださいぃ。私、まとまったお金が必要でしてっ、欲をかいてしまったんですぅ! ごめんなさいぃ!」
「まったく、仕方のない子だな」
涙目になるキャミィの頭を軽く撫でる。
彼女は「ふえぇ」となすがままに、顔を真っ赤にしていた。
よしよし、これだけ反省したなら許してあげよう。
どうやら、『まとまったお金が必要』って言葉は本当みたいだから。
◆◆◆
その後、クリスとキャミィは夕食で出てきたグリフォン肉に舌鼓を打った。
キャミィの言っていたように、グリフォン肉はコリコリとした独特の歯ごたえがあり、また肉自体の味も強く、非常に美味であった。
久しくまともな食事を摂っていなかったクリスは、“美味しいごはん”のありがたみに感動すら覚えていた。
夕食後、部屋に戻ると、クリスは部屋に備え付けられたシャワーを浴びると言い出した。
一人になったキャミィはほくそ笑む。
ついに、あの作戦を決行するときだ――と。
「お母さんはいってました、『色仕掛けすれば男なんてイチコロよ』と。今こそ、私のこの最強の武器を使って、クリスさんを手篭めにするときです!」
冒険者が収入を得る基本的な手段は二つある。
まず、ギルドから“魔物を討伐した”という実績に応じて支給される給料。
そしてもう一つは、魔物を討伐した際に手に入れた、肉や皮などの素材を商人に売ること。
だが、ほとんどの冒険者は、すでに特定の商人と契約を結んでおり、まだ若いキャミィが入り込む余地がないのである。
つまり、まだ冒険者ギルドで登録すら済ませておらず、しかもグリフォンを一撃で倒せるほどの実力者であるクリスは、非常に貴重な存在なのだ。
「既成事実ぅーッ!」
ガバッ! と上着をはだけさせ、肩を露出するキャミィ。
彼女にとって、色仕掛けなど初めてのことであった。
というか、男性とそういう関係になったことすらない。
そんなキャミィなので、自分に“既成事実”と言い聞かせながらでないと、色っぽい格好になることすらできないのだ。
「きっせいじじつ♪ きっせいじじつ♪」
そして歌いながら、シャワールームと併設された脱衣所に向かう。
緊張で心臓はバクバクドキドキである。
だが、色仕掛けを仕掛ける相手がクリスでよかった、と思う気持ちもあった。
顔はいいし、お人好しだし、性格も悪くなさそうだし、ちょっと天然っぽいけどそこもチャームポイントだし。
何ならいっそ、関係をもった流れで恋人になっちゃったりして、きゃー! なんてことも考えたりしていた。
しかしそれもすべて、うまくいったあとに考えることだ。
キャミィの「おじゃましまーす」という小さな掛け声とともに、ついに開かれる脱衣所のドア。
すりガラスを隔てた向こうには、シャワーを浴びるクリスのシルエットだけが見える。
ここならばクリスにも逃げ場はあるまい。
キャミィは胸に手を当て、大きく深呼吸をした。
すぅ、はぁ――思い切り息を吐き出したところで、ふいにクリスの脱いだ服の入ったカゴが視界に入る。
上下の執事服に、インナーシャツ。
そして謎の包帯のような紐、そして――
「女ものの、パンツ?」
困惑する。
そんなバカな、そこにあるはずは男性もののパンツではないのか。
よく見てみれば、あの謎の包帯のような紐は、いわゆる“さらし”というやつだ。
「へ、へぇ、クリスさんってば変わった趣味をお持ちなんですねえ。男性なのに女性用のパンツを履いて……履いて……」
現実逃避の無力さを知るキャミィ。
そして“下着”という情報を踏まえた上で、すりガラス越しに見えるクリスのシルエットを凝視する。
まじまじと見てから――再度、下着を確認、またシルエット、また下着。
それを数往復繰り返した後に、一つの結論に至り、彼女は叫んだ。
「クリスさん、女じゃねーですかああああぁぁぁあっ!」
悲痛な叫び声は、シャワールームの壁を越え、夜の街に響き渡った。
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