038 焦土に芽吹け
「ヴァイオラ、走ってっ!」
反射的に僕は叫んだ。
ヴァイオラもそのつもりだったのか、声に反応するまでもなく、怪物に背中を向け、ミーシャを抱えて駆け出す。
穴からの脱出に成功した巨人は、まるで糸に引っ張られるかのように、体をズザザザッと地面にこすりつけながらこちらに迫った。
「どうなってんのよあれ! ミーシャを引っ張り出したら動かなくなるんじゃないの!?」
「ミーシャの魔力で動いてるかと思ったけど、あの体自体に魔力があるのか!」
「どうすんのよ」
「潰すしかない! 風刃針鼠」
短刀の散弾を一気にばらまく。
刃は魔力障壁を貫き、怪物の体をえぐったけれど、相手が怯む様子はない。
「はあぁぁぁああッ!」
後方に飛び、距離を取りながら続けざまにナイフを投げる。
腕がきしむ。肺が痛む。
いくら傷が癒えたとはいえ、体力までは元に戻らない。
けれど魔力に比べれば、体力のほうは気合でどうにかできる。
投擲、投擲、ひたすらに投擲――全ての刃は相手に突き刺さる。
確実にダメージは入っているはずだ。
体内にミーシャがいないということは、魔力は間違いなく有限。
再生や大魔法の連発は不可能なはず。
だが相手の速度は落ちない。
僕もヴァイオラも全力で走っているはずなのに、じりじりとその差は詰まってきている。
「あいつ止まんないわよ!? ミーシャとの繋がりを断つことはできないの?」
「魔力の流れは薄っすらと見えるようになってきた」
「だったら!」
「でも斬ったところですぐに戻る! 僕のナイフでどうこうできるものじゃない!」
怪物からミーシャに向かって、何本もの“糸”のような魔力が伸びる。
それはあちらからぬるりと伸びて、ミーシャと繋がったかと思えば、ぷつりと切れる。
常にそれを、何度も何度も繰り返す、奇妙な繋がりだった。
手を延ばして、けれど届かなくて、それでも延ばし続ける――そんな風にも見える。
あるいは、魔力とはまったく別の部分で、あの怪物とミーシャは繋がっているのか。
それがこういう現象を引き起こしているのだろうか――
何にせよ、僕がそれを斬ったところで、また新たな糸が伸びてくるだけだ。
「そうは言うけど、見たところあの図体相手じゃ、クリスのナイフは効果が薄いわ!」
「わかってる――ヴァイオラの残りの魔力は?」
「ブラックホール一発分ってところね」
「一発か……」
「それだけじゃ、止めるのは無理でしょうね」
決定力不足だ。
かといって、このまま逃げ続けても、相手が止まってくれるはずがない。
互いにどこまで走れるかの根比べ――なんて真似をしたって、消耗してる僕らの方が先に止まるだろう。
情けない話だけれど、ここは援軍の合流を待つしかない。
それまで、あの怪物が大人しく鬼ごっこを続けてくれればいいんだけど――早速、相手はそんな甘い考えを潰してくる。
怪物は変形する。
前のめりの、猫背のような姿勢になると、背中から大きな骨が二本、羽根のように突き出す。
「何か来るわよ!」
何をするつもりなのか、まったく予想がつかない。
すると怪物は、その骨を外に出す際に生じた傷口より、大量の炎を噴き出した。
そう、それはまさに“羽根”だったのだ。
炎の勢いでブーストをかけ、さらに加速するつもりだ。
離れた場所にある瓦礫が吹き飛ぶほどの勢い――瞬く間に巨体は最高速まで到達する。
「飛んできた!? はや――っ!」
ヴァイオラが驚くほどの速度。
しかしあれじゃあ、飛んだというよりは、射出されたような形だ。
もちろんカーブなどできようはずもない。
「ヴァイオラ、僕の腕に糸を!」
「えっ? わ、わかったわ!」
ヴァイオラは片手でミーシャを抱え、もう片方の手の糸を僕の腕に伸ばし、巻きつける。
そして僕は前方の、地面から突き出しむき出しになったパイプに、ワイヤー付きのナイフを投げ、絡ませた。
「まさか――ぶん投げるなんて無茶よあんた! 腕がちぎれるわよ!?」
「そんなにヤワじゃあないッ!」
むしろパイプの強度の方が心配だけど――僕は地面を強く蹴って飛ぶと、遠心力を利用してカーブしつつ速度を増す。
「ぐうぅ……ッ!」
もちろんヴァイオラとミーシャはさらにスピードが出るわけで。
僕もヴァイオラも、互いの腕が千切れないようにしっかりと力を入れながら、怪物の突進を回避した。
炎を噴き出す巨体が背後を通り過ぎたところで、パイプが力尽き、折れる。
僕らの体は投げ出され、それぞれ若干離れた位置で着地した。
これで一安心――と行かないのが困ったところで。
怪物もまた、炎の噴射を止め、地面を転がり止まったわけだけど、すぐさま別の部位から骨が突き出し、炎を吐き出す。
「あいつ、もう体なんてどうでもいいってことか!」
ミーシャを取り戻せれば、いくらでも再生できる。
ゆえに手段を選ばず、またもや超高速でヴァイオラとミーシャに近づく。
一人で飛ばされた僕と違い、あちらは二人。
止まった動きを再開するまでに、どうしても時間を要する。
そこを狙っての特攻であった。
止めなければ。
しかし僕のナイフだけではどうしようもない。
ヴァイオラは最後の切り札である[ブラックホール]を発動すべく、手を前にかざしているけど、このタイミングでは間に合うかどうか――
「間に合ったな! クリス、合わセロッ!」
そのとき、後方から待ちに待った声が聞こえた。
「キルリスッ!」
彼女はこちらに駆け寄ると、すぐに状況を察し、魔法を放つ。
わざわざ返事をするまでもない。
「巨岩!」
「血鷲ぉぉぉぉっ!」
生成された岩の拳を、斬撃により射出。
空気を震わせ、大地を抉り、一直線に怪物の側面に直撃する。
いっそそのまま消し飛んでくれれば――そう願っても、この威力をもってしても、体を半分ほど潰すので精一杯。
だが軌道が変わった。目的は果たせたはずだ。
「づううぅっ!」
ヴァイオラは、真横を通り過ぎた怪物の衝撃で、ミーシャを抱きしめたまま飛ばされ、転がる。
その後方で体を引きずりながら減速した巨人は、またもや体を変形させようとしていた。
馬鹿の一つ覚え――けれど悲しいことに、それは呆れるほど有効だ。
「キルリス、もう一発ッ!」
「すマないクリス、魔力切れダ」
「な――ッ!?」
すでに何度も、上位魔法である[タイタンフィスト]を放っている。
その上、彼女は地中にトンネルや落とし穴まで作っているのだ。
いくら冒険者ランクSの魔法使いといえど、魔力の限界が来るのは仕方ないか――!
「ヴァイオラ、できる限り避けてッ! 僕が時間を稼ぐ!」
巨人――否、もはやただの肉塊と化した怪物は、またもや炎を噴射。
砲弾のようにヴァイオラに迫る。
僕は[アサルトブリッツ]を発動、風の刃を足に纏い、放つは風迅脚!
「づおぉりゃあぁぁぁぁああッッ!」
無論、巨岩血鷲より威力は低い。
側方より蹴りつけても、パワーは突進に全てをつぎ込んだ怪物のほうが上。
いくら叫んでみても、気合でひっくり返せない力の差があった。
だが多少は、その進みを遅らせることができる。
「こんのおおぉおおおおッ!」
「グガアァァァァアアアッ!」
叫ぶちっぽけな僕。
猛る怪物。
互いの魔力がぶつかり合い、激しく弾ける。
生じた隙で、ヴァイオラが逃げることさえできれば――だからあと0.1秒だけでも、頼む、持ってくれ――!
「うおぉぉおぉおああああああァァァッ!」
自分でも驚くほど、化物じみた声が出た。
脚部に熱が、力が宿るのを感じる。
しかもそれは、自分自身ではなく、まったく別の場所から持ってきたものだ。
ああ、そうかこれが――魔物化の感覚なのか。
だが構うものか。
もう目も腕も人間離れしているんだ、脚部に薬の効果が及んだところで何も変わらない。
進め。前へ、前へ。迷うな。ここで勝利しなければ、リーゼロットを救うことはできないのだから。
それだけつぎ込んで――ようやくわずかに、ほんのわずかに軌道は変わる。
それが限界だった。
競り負け、弾き飛ばされる僕の体。
しかし時間稼ぎは十分。
ヴァイオラは糸を伸ばし、柱に引っ掛け体を動かす。
肉塊はまたも彼女を掠め、通り過ぎていく。
再度吹き飛ばされるヴァイオラ。
だが二度目なだけあって、そうなることを読んでいたのか、綺麗に両足で着地する。
「はぁ……はぁ……ヴァイオラ、[ブラックホールシューティング]を!」
「あいつを狙えばいいのね!?」
「いいや、それじゃ威力が足りない。僕に向かって飛ばして!」
「はぁ?」
「いいから早く!」
怪物の体内より新たな骨が出現、開いた傷口よりまたも炎が噴き出し――四度目の正直。
「グギャルゥゥアアアァアアアアッ!」
あちらの必死さも相当なものだ。
何があってもミーシャを取り戻す――命なき存在だというのに、その必死さからは迫力すら感じられる。
作られた命であるからこそ、何よりもそれにこだわる。
人ではあそこまで、純粋に生のみにこだわることはできない。
「わかったわ。どうなっても知らないから!」
ヴァイオラが両手を重ね、糸に魔力を込める。
前方に伸びた糸は、まるで砲身のように円を形作り、その砲口を僕へと向けた。
「[ブラックホールシューティング]――行きなさいッ!」
ドォンッ――全てを飲み込む黒球が、真っ直ぐに僕に向かって放たれる。
瞳を見開く。
魔力の流れを凝視する。
肉塊はまたもヴァイオラに迫る、猶予はもうない。
さっきは逸らすので精一杯だった、最上位魔法。
けれど今の僕の体は、あのときとは違う。
ぶっつけ本番だけど――やるしかないんだ。
失敗したら、それでおしまいないんだから。
「黒死ぅ――血鷲ォォォッッ!」
鋭く、コンパクトにナイフを振り切る。
黒球は乱れ、その場で動きを止める。
魔力が渦巻き、ノイズが走ったように歪んだかと思うと、力の“向き”が変わった。
斬撃の加速度を得て、標的を僕から、あの怪物へと変える。
ギュオォッ――正球からひしゃげた楕円に形を変えて、空を裂き、光を捻じ曲げ、周囲の景色を歪めながら、真正面から敵に命中。
そして怪物は、ずぶんとブラックホールの中に飲み込まれた。
「やったのカ……?」
一見、勝利したように見える。
だが――
「そんな……あれを受けてもまだ動けるっていうの!?」
ヴァイオラが気づいた。
無事に敵を飲み込んだ黒球が、その場で不気味にうごめいていることに。
内側で、あの怪物はまだ暴れている。
さらには伸ばした手が、球体の表面を突き破り――そして生じた穴から、そいつの上半身が這い出してきた。
「くぅっ……僕たちはもう打ち止めだっていうのに!」
あまりにしぶとい。
ブラックホールも、必死にそいつを吸い込もうと渦を巻く。
だがそれ以上の力で、怪物はミーシャを奪還しようとあがく。
僕はナイフを投げ、キルリスは斧で瓦礫を飛ばし、ヴァイオラは残った僅かな魔力で下位魔法を放つ。
それでも足りない。
あと少しでいい、誰か援護してくれる人はいないのか――
今までは、下手な魔法使いが近づいたって足手まといになるだけだった。
誰でもいいから援軍がほしいのは、今、ここまで相手を追い込めたからだ。
だから都合がいい願望だとは思う。
それでも祈らずにはいられない。
「ごめんなさいクリス、遅くなったわ!」
そして祈りが届いたのか――そこに駆けつけたのはフィスさん。
そして避難所にいた冒険者たちだった。
「行くわよみんな。私たちの街を、人々の命を奪ったあいつに、ありったけの魔力をぶち込むわッ!」
『おおぉぉぉおおっ!』
気合の入った掛け声とともに、冒険者たちは黒球を取り囲み、一斉に魔法を放つ。
彼らとて無傷ではない。
避難所にたどり着くまで、そしてあの場所で起きたあの惨劇の最中、魔力を消耗し、精神をすり減らし、怪我だって負っている。
しかし、これだけの力を束ねれば、
「グガアアァァァアアッ! ギッ、ガアァァァアアアッ!」
あの怪物を押し返すことが可能だ。
叫び声の質が変わる。
前に進もうとする必死さではなく、痛みに呻く苦しさへと。
「まだ手を緩めないで! あいつが完全に消し飛ぶまで、魔力を使い果たす勢いで攻撃するのよ!」
フィス自身も、引退したと言っていた魔法使いとして、死力を尽くす。
「キルリス、ヴァイオラ、僕たちもあとひと踏ん張りだ!」
「おうヨッ!」
「わかってる。ここでケリを付けるわ!」
僕らはわずかな残り滓のような力を、最後の最後までひねり出す。
そしてついに――
「ヴァイオ……ア……アガッ、ア、ギャアァァァアアアアアアアッ!」
怪物は再びブラックホールに完全に飲み込まれた。
今度はもう、抗う力も残っていない。
球体の中で渦巻く魔力に、切り裂かれ、引きちぎられ、捻じ曲げられて、原型をとどめない肉片へと変わっていく。
やがてブラックホール自体から魔力が失われ、球体が消えると、内側からべちゃりと、怪物だったものが落ちた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
僕だけでなく、その場にいる全員が荒い呼吸に肩を上下させながら、その様子を眺めていた。
まだ動くんじゃないか。
ここから元の形に戻るんじゃないか。
そんな予感が、頭に張り付いていたのだ。
静寂の中、しかしその肉片は、もはや動くことはなかった。
「終わった……」
僕はつぶやいた。
するとキルリスとヴァイオラも続けて反応する。
「あア、終わったナ……」
「勝ったのね、私たち」
一方で、フィスは膝をつく。
そして廃墟と化したティンマリスを眺め、疲れ果てた様子で口を開いた。
「なんにも……無くなっちゃったわね……」
胸に去来するものは、勝利の喜びより、喪失の虚しさ。
冒険者たちもそれは同じだった。
やがて、キャミィも地下より脱出し、地上に姿を表す。
彼女も、フィスたちと同じだった。
その場に呆然と立ち尽くし、壊れ果てた街を見て、唇を噛む。
故郷を失った者。
仲間を失った者。
失意に沈む中、ただ一人、愛する人を救えたヴァイオラは――
「ミーシャ、終わったわよ。そろそろ目を覚ましましょう?」
虚ろな瞳をしたまま、相変わらず動かないミーシャに呼びかけていた。
すると、少女の指先がぴくりと動く。
期待にヴァイオラの表情が輝く。
「ミーシャっ!?」
「あー……」
「ミーシャ、よかった。生きてたのね」
「う、あー……あー……」
「私よ、ヴァイオラよ。わかる?」
ミーシャの手を握り、頬に当てるヴァイオラ。
しかしそれが握り返されることはなかった。
ミーシャはやはりうつろな瞳で、街を燃やす炎に照らされた、薄暗いオレンジの空を見上げるばかり。
「……ミーシャ?」
「うあー、あー……あはっ、ははっ、は、あ……」
半開きの口からは涎が流れ、ヴァイオラの服を汚す。
その表情から理性は感じられない。
「ミーシャ……ねえ、私のこと、わからないの?」
「うー、おー?」
キルリスは目を細め、落ち着いた声で言った。
「後遺症ダ。あんナ怪物になるホド、薬を大量に摂取シタ人間ガ、引っこ抜イタだけデ戻るわけがネェ」
ヴァイオラも、おそらくすでにそれに気づいていたはずだ。
しかし他者に指摘されて、その現実から逃げられなくなる。
瞳に涙が溢れ、声が震える。
「そっか……そうよね……これは、私への罰なのね。あなたを殺そうとした、私が……今さらミーシャを取り戻せるはずなんて……ッ!」
「う、あー」
「でも、その罰に、ミーシャを巻き込むなんてあんまりじゃない! 私が……私がどうにかなるべきだった……」
「うあー、いー、お、あ?」
「……え?」
ヴァイオラが目を見開く。
それは、どこかで聞いたことのある言葉だった。
「うぁー、いー、おー、あ」
やはり視線はどこも捉えていない。
しかし間違いなく、その声には、“意思”があった。
壊れてもなお、その心の奥底に染み込んだ誰かへの愛は、消えることはないのだと、そう主張するように。
「ミーシャ……私のことを、呼んでるの?」
「あー……うあー……」
「ミーシャ……ミーシャあぁぁぁぁあっ!」
ついにこらえきれず、大粒の涙をこぼすヴァイオラ。
そして彼女はミーシャの体を強く抱きしめる。
「私っ、私、もう自分の心に嘘はつかないわっ! あなたが好きなの! 誰よりもミーシャのことを愛しているわ! だから……だから……っ!」
言えなかった言葉の数々。
今さらだと知っていても、言わずにはいられない。
「必ず……元に戻してみせる。そして今度は、絶対に離したりしない。そのために、私――絶対に方法を探し出すから……っ!」
その誓いには、おそらく両親代わりだった、ジョシュアやミレイユと敵対するという覚悟も含まれていて――たぶんヴァイオラが“ブレる”ことは、もう二度とないんだろう。
そう思わせるのに十分すぎるほど、強い決意を感じられた。
「だから、ミーシャ……待ってて……ミーシャぁ……」
「うぅ……ん、おー? あー……あは……」
今のミーシャに、言葉の意味など伝わるはずもない。
意味もない声を発し、涎を垂らし、空を仰ぐばかり。
しかし――僕の目から見て、彼女の表情は幸せそうに見えた。
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