037 サルベージ
赤い筋を発現させた今の僕は、身体能力が格段に向上していた、
特に両腕――しかし全身に力がみなぎる。
ゆえにミーシャの巨体から逃げるのは、さほど難しいことではなかった。
あちらの知能があまり高くないのも、それを容易にした一つの理由だろう。
「グウォオオオオオオオオッ!」
振るわれる腕に、僕が飛び上がり回避する。
「グゥアアァァッ!」
もう一方の腕を素早く繰り出し、掴みかかる。
握りつぶせば戦いは終わり――そう気づいているからだ。
僕はその腕を引きつけると、[アサルトブリッツ]で腕の上に高速移動。
肩を伝い、攻撃せずに背後に降りる。
ミーシャは振り向くと同時に裏拳を繰り出すも、僕の頭上を通り過ぎていく。
時間稼ぎに専念すれば、こういった動きも危なげなくこなせる。
あとはキルリスの準備が終わり、ヴァイオラが到着するまで、何事も起きなければいいのだけれど――少し心の余裕が生まれると、僕は胸に渦巻く重苦しい感情と向き合わなければならない。
――なあクリス、一体この力は何だ?
思えば、少し前にキルリスから指摘された時点で、その兆候はあったはずだ。
そう、“目が赤く光っている”というあの言葉――つまり僕の瞳には、すでに魔薬の影響が出ていた。
ひょっとすると、僕が魔力の流れなんてものが見えるのは、そのおかげなのかもしれない。
自分で編み出し、この世界で自分だけが知る技――そう自負して、自信もあったのだけれど、薬のおかげだとなると、それも台無しだ。
もっとも、訓練して身につけた力であることは間違いない。
ただ、そこに気づかぬうちに魔薬のアシストがあっただけ……って、こんなのただの言いわけでしかない。
そりゃあ、他の魔法使いたちに見えないわけだ。
そして僕がいつ薬を摂取したか、だけど――
『考えるな』
『果たせ』
『お前の役目を、果たせ』
うるさいノイズだ。
僕が思い出しかけると、頭痛と一緒にそんな声が聞こえてくる。
きっとそれが、僕の体内にある“薬そのもの”なんだろう。
意思を持っているというより、封をしている。
何に、って――そんなの、“僕がリーゼロットと仲が悪かった頃の記憶”に、決まってるだろう。
「ウアアァァァ……ヴァァァァイオアアァァァァアアアッ!」
ミーシャは怒りまじりに叫ぶと、自らを中心に爆発的な炎を拡散させた。
この攻撃のときは、とにかく逃げるしかない。
いくら魔物化していようが、僕に魔力障壁は存在しないままなんだから。
「アアァァァアアアッ! グアアァァァアアアアアッ!」
燃え盛る炎に包まれながら、ミーシャは苦しんでいるように見えた。
もちろん熱で苦しんでいるわけではないのだが――たぶん彼女は、薬に人格を塗りつぶされている。
程度の差はあれど、僕もそうだ。
けれどその奥底に間違いなく自分もいる。
薬の効力が強ければ強いほど、残った“自分”は、その人物にとって最も大切な部分だけになる。
ミーシャはずっとヴァイオラを呼んでいた。
ミーシャにとって、わずかに残すべき一部分は、自らの意思でも望みでもなく、他者であるヴァイオラだったのだ。
「ウアァァァァァア――ウアァァァアアアアアアッ!」
全身の炎が両腕に宿る。
ミーシャはがむしゃらに、空を殴るように、その場で連続して腕を前に突き出した。
巨大な火球が、連続してこちらに放たれる。
隕石が落ちてくるような迫力。
後方に人影はなし、ここなら心配せずに避けられる。
スキルは使用しない。
走り、飛び、時に投擲により誘爆させ、全てを受け流す。
しかしその攻撃を放ちながら、同時にスカートボーンが動き出す。
ズドドドドドッ――腰回りの骨辺が空高く打ち上げられると、一斉に、僕に向かって落ちてくる。
なおも両腕から放たれる炎が止まることはない。
僕は同時対処を――いや、まだミーシャが動く。
口を大きく開き、まるで臓物でも吐き出すように、そこから放たれるのは、あの“ブーケ”だ。
使える力をフルに発揮した、まさに全力の攻撃。
逃げ続ける僕に業を煮やしたのだろう――ここで勝負を決めるつもりか。
前からは炎、頭上からは骨、背後に逃げようともブーケによる熱波で焼かれておしまいだ。
けれど――一つ一つの攻撃は“大きい”。
体躯がデカいせいか、ミーシャは隙間なく攻撃を放ったつもりかもしれないが、スケールの小さな僕から見れば抜け道だらけ。
今の僕なら、どうとでも切り抜けられる。
まずは前方の火球から。
目の前に迫るそれに、ナイフを投げつけ、魔力を破綻。
だが衝撃を与えれば、もちろん火球は爆ぜる。
その爆発寸前の奔流を前に、[ウインドエッジ]の発動、同時に[アサルトブリッツ]も使用。
風刃を足に纏いながら、突進の勢いを使って火球に向かって蹴りを放つ。
名付けて、風迅脚――炎を、天空より飛来する骨の群れに向かって打ち上げる。
そして、爆発。
爆風に巻き込まれた骨片は誘爆を起こし、僕に命中することもなく空を赤く染める。
あとはブーケから離れてる熱波――広い範囲に撒き散らされる魔力を、[クイックスラッシュ]で引き裂けば――
「はあぁぁぁああッ!」
全ての防御を完了、無傷で乗り切る。
ここから続けざまに仕掛けられたとしても、対処できるだけの余裕はある。
さあ次はどう出る? 出方によっては、足を切断して動きを止めてもいい。
そう思い、待ち構えていると、未だに熱波が僕以外を焼く中、ミーシャは明後日の方向に火球を放った。
疲れてしまったのか、はたまた、ただのミスか。
それは僕の右側を通り過ぎ、後方へと飛んでいく。
同時に――ザッ、と足音が聞こえた。
ヴァイオラか? いや、それにしてはあまりに雑な足音だ、師匠の弟子なら絶対にありえない。
素早く振り向く。
そこには魔法使いが二人、立っていた。
勇ましい表情で、いかにも、
『街を守るために私たちも戦わないと』
『よそ者だけに任せるわけにはいかない。俺らも頑張ろう!』
と勇んで例の避難所から出てきたような表情をして。
火球に気づくと、二人は手を前にかざして、迎撃準備に入る。
でも遅いし、魔力も足りない。
あの距離じゃあ、もう撃ち落とせない。
「逃げてぇっ!」
反射的に叫ぶ。
しかし彼らは僕と違って、移動系のスキルなど持っていないだろう。
だから、逃げようが迎え撃とうが同じことだったのだ。
気持ちは嬉しい。
けれど、せっかく生き残れたのに、こんな場所でまた犠牲者が増えるなんて――
「下がってなさい」
すると、二人の体にくるりと糸が巻き付いた。
彼らはその糸に引っ張られ、後ろに投げ飛ばされる。
ミーシャの魔法が着弾し、爆発。
その明かりに照らされて、ヴァイオラの魔石糸が赤くきらめいた。
「ヴァイオラ、来てくれたんだね!」
「来てしまったわ。ロマンチストどもにそそのかされてね」
彼女は不満げだったけれど、しかし明らかに先ほどより表情が明るい。
キルリスから、ミーシャを救える可能性があると聞いたおかげだろう。
当たり前のことだ。
誰だって、好きな人の命を諦めたくなどないはずだから。
「それで、ここからどうするのよ」
「逃げながら説明する。炎に気をつけて!」
気づけば、ミーシャの攻撃は止まっていた。
その瞳は、ヴァイオラをじっと見つめている。
彼女は視線を受け、軽く唇を噛んで苦しげな表情を見せると、ミーシャに背中を向けた。
すると、途端に巨人は大きな声をあげる。
「ヴァアアァァァァァァアイオラアァァァァアアアアアッ!」
明確に、愛しい人の名を呼んで、炎はさらに激しさを増す――
「私が来たらさらに強烈になったように見えるわね」
「ミーシャはヴァイオラをずっと探してたんだよ」
「自分を殺そうとした相手を殺すために?」
「わかってるくせに。好きな人と一緒にいたいからだよ」
ミーシャを殺そうとしたヴァイオラの好意は、二人の関係にわずかなわだかまりを作るだろう。
しかし、雨降って地固まるというように、きっとそれしきの問題は、その関係を破綻させるほどの力を持たないはずだ。
ミーシャはヴァイオラの苦しみに理解を示す。
そしてそのおおらかな優しさをもって、彼女の心を抱きしめる。
ヴァイオラは罪悪感に苦しめられるかもしれない。
けれど、それも時間の流れとともに、ミーシャと共に過ごすうちに癒やされていくはずなのだ。
「よっと! それで、こっからの作戦だけどっ」
「ストップ。その前に、あなたの腕と目、どうなってるのよそれ」
「さあね。気づいたらこうなってた」
「薬の影響?」
「だと思う」
「いつから?」
「……」
「まあいいわ、後で詳しく聞かせてもらうから。で、ミーシャはあの怪物のどこにいるの?」
「あいつの体の中、胸のあたりに埋まってる。切り開くのは僕だけで行けるけど、すぐに再生するから引きずり出すには人手が足りない」
「そこで私の出番ってわけね。ミーシャの体に巻きつけて、引っ張ればいい?」
「そういうこと。でも足は止めておきたいから――キルリスの準備ができるまでは逃げ回らなくちゃならないんだけど」
タイミングよく、冒険者証兼通信端末が、プルルと音を鳴らした。
「来た、キルリスからの合図だ!」
「早いのね」
「彼女も必死なんだよ。じゃあ移動するよ、宿屋の前まで付いてきて!」
「了解」
僕らは速度をあげる。
僕は単純に瓦礫の上を駆け抜けて、ヴァイオラはところどころにある柱やパイプに糸を巻きつけ、遠心力を利用して前に進む。
「ウアアァァァアアアッ! ヴァイオラアァァァアアアアアッ!」
ミーシャの必死さはさらに増していく。
今は常に炎を体に纏った状態で、火の塊を撒き散らしながら走っていた。
移動しながら、この規則性のない攻撃を避けなければならないのは、なかなかに厄介だ。
これだけの火力、魔力の消費量は相当なはず。
しかしグラード同様、それが枯渇する様子はない。
魔薬によって無限とも呼べる魔力を得たとでもいうのか。
そんなものを作って、黒の王蛇は何を望む?
一傭兵団が、国を支配する夢を見るとでも?
だとしたら、ここでミーシャを暴れさせ、虐殺を引き起こす意味がどこにある。
理解できない。
理屈が通らない。
何より、仮に僕が誰かから魔薬を飲まされ、心を操られたのだとしたら、それは――十年前まで遡ることになる。
時系列がめちゃくちゃだ。
「クリス、そっち狙われてるわよ!」
「っ、風刃飛魚!」
投擲、飛来する骨を撃墜。
危なかった、余計なことを考えすぎだ。
事はすでに次のフェーズへと進んでいる、失敗は許されない。
さっきまでと違って、余裕をかましている場合じゃないんだ。
集中しろ、集中しろ、崩れた宿屋は、もう近くまで来ている。
「目的地が近づいてきたけど、ここからは?」
「このまま走って通り抜ける」
「それだけでいいの?」
「いい。目的はここまでミーシャを連れてくることだから」
ミーシャは盲目に、僕を――というよりヴァイオラを追い続けている。
たまに思い出したように僕も攻撃してくるけれど、基本的に狙われるのは彼女ばかりだ。
理性も先ほど以上に消え失せており、誘導は容易かった。
僕らは所定位置を通り過ぎる。
速度を緩めるな、視線も揺らすな、感づかれる可能性は一つでもなくせ。
「ヴァアァァアアアアアアアッ!」
そして、巨人の足が、狙った場所を踏みしめる――
地面はその体重に耐えきれず、崩れ落ちていく。
ヴァイオラは振り向き、舞い上がる砂埃の中、地中に沈むミーシャの姿を見た。
「落とし穴っ!? そうか、キルリスが地下に残ったのは、このためだったのね!」
落とし穴は、その巨体にとってはそこまで深くない。
せいぜい、下半身が埋まる程度。
だが這い上がるには時間がかかるし、それまで両腕の動きは封じられる。
「驚いてる暇はないよ。こっからだ!」
事実、すでにミーシャはそこから脱出するために、地面に両手を付いてしまっていた。
夜、砂埃、視界も不明瞭。
僕とヴァイオラは同時に駆け出す。
そして地面を蹴って飛び上がると、露出する脳天から胸部にかけてを、全力で切り裂く。
「風刃血鷲ォォォッ!」
両断の手応え有り――
頭部は真っ二つに裂け、胸に開いた傷からは、その奥に取り込まれたミーシャの姿が見えた。
「ミーシャあぁぁぁぁぁあああっ!」
ヴァイオラは呼びかけ、糸をその体に巻きつける。
すでに再生は開始していた。
腕の再生を攻撃に利用していたところを見るに、おそらくそれは怪物の意思により、任意のタイミングで進めることができるのだろう。
肉がミーシャの体に絡みつき、ヴァイオラから取り戻そうとあがく。
だが間に合わない――ずるぅっ! と少女の体が引き抜かれ、糸を引きながら巨人から解放される。
ヴァイオラはそれを必死で引き寄せ、体液でべとべとになった小さな体を両腕で受け止めた。
「ミーシャ、ねえミーシャ!」
呼びかけるが、返事はない。
瞳は開かれているものの、光がなく虚ろだ。
心臓は動いているし、胸も上下しているものの、まるで意思のない人形のような状態だった。
「ヴァイオラ、ミーシャさんは!?」
「わからないわ。気絶しているのか、それとも……」
「生きてるなら大丈夫だよ」
「根拠のない自信ね」
「ただ死を待つだけじゃない。助かるかどうかは自分次第になっただけ、遥かにマシだよ。それでも空想主義者だと思う?」
「ええ、思うわ。ただ私も大差ないんでしょうね。こうして抱きとめていると、無性に離したくなくなるのよ……」
汚れるのもいとわずに、ヴァイオラはミーシャを強く抱きしめた。
人は愛おしさに抗えない。
それは諸刃の剣ではあるけれど、人の強さの根源を支える大切なものだと、僕は思う。
だからこそ、利用しようとする人間が後をたたないのだろうけど――
「……クリス」
「どうしたの?」
「あの怪物、動いてる気がするわ」
言われて振り向くと、確かに巨人の地面に付いた腕は、じりじりと、こちらに向かって動いていた。
「そんな、核であるミーシャが無くなっても動けるなんて!」
それを核だと判断したのは、僕の仮説でしかない。
まさか、核なんて存在しない?
ミーシャの肉体がたまたま残っていただけで、とっくにそれ以外は全てあの怪物の中に――いや、違う。
確定できるだけの材料がないのなら、そんなネガティブなことを考えちゃダメだ。
ミーシャは生きている。
核は彼女だ。
だとすれば、巨人はなぜ動く――
その腕のみならず、体全体もミーシャのほうに傾きはじめる。
それは這い出すというよりは、まるで何かに引き上げられているような動きだった。
「まさか、ミーシャに引き寄せられているっていうの……?」
ずるずると、ずるずると、穴の縁を削りながら、こちらに近づく怪物。
意思なき肉体は、それでもなお“核”となるミーシャを求め、
「ウ……ヴウゥ……ウヴァアアァァァァアアアアアッ!」
雄叫を再燃させる――
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