035 執着と偽り
いつになく、気分が高揚していた。
見失いかけていた正しさが、何よりも強く胸のど真ん中にあって。
“僕”という存在はその熱した杭で固定され、ぶれることがない。
きっと腕に張り巡らされた赤い筋は、流れ落ちた血なのだろう。
正しさを貫くために必要なための犠牲だ。
「グオォォオオオオオオオッ!」
怪物は左拳をこちらに向ける。
風を纏うナイフで迎撃。
右腕同様――ミーシャの腕は肩まで真っ二つに裂ける。
だがその直後、畳み掛けるように巨人は右腕を振り上げた。
裂けたはずの腕はすでに元に戻っている。
まるで粘土のように。
振り下ろされた拳――地面を叩き、同時に炎が炸裂。
僕は軽く飛んでそれを避け、腕を走って肩まで一気に駆け上がる。
ミーシャはそれを嫌い、右腕全体を燃え盛る炎で包んだ。
再び跳躍、回りながらナイフを振るう。
風の刃が腕を斬りつけ、燃える腕がずしんと地面に落ちた。
そのまま肩の上に着地。
ミーシャは首を回して口を開き、こちらに食らいつこうとしている。
ちょうどよかった。
開けてくれてありがとう――
跳躍。
[アサルトブリッツ]発動。
同時に[ウインドエッジ]使用。
魔力の流れはいつになくよく見える。
高速で移動しつつ、脚部にて魔力を破綻させ――上顎に、蹴撃。
炸裂した風が、裂けた口をさらに大きく開かせる。
頭の上半分だけが、がくんと後ろにのけぞれば、後頭部と背中がぶつかり合う。
皮一枚でつながった頭の上と下を、ナイフを素早く振るい、飛ばす風刃で切断。
「カヒュウゥゥゥゥ――」
口腔を失った喉からは、哀れにも呼吸音だけが響く。
切り離された頭の上半分は、どすんと地面に落ち、僕もその隣に着地した。
振り向き、見上げる。
頭部を失い、両手はだらんと垂れ下がったまま、ミーシャはその場で動かなくなる。
だが、両足はしっかりと地面を踏みしめており、倒れる様子はない。
「オいクリス、その腕ハ一体――」
駆け寄ってくるキルリス。
僕はとっさに、彼女に飛びかかった。
「へ?」
「危ないっ!」
その瞬間、ミーシャはぐるりと体をひねり、右腕の切断面をこちらに向ける。
腕がないのだから拳は放てない。
だから――腕を作ればいい。
傷口が盛り上がり、そこからずるぅっ! と新品の腕が生えてきた。
その勢いを利用して、炎の拳が僕とキルリスに襲いかかる。
「ぐうぅぅっ!」
普通に腕を振るうよりもさらに早く、さらに威力を増した殴撃が、激しく地面を叩く。
そして爆発。
直撃は免れたものの、僕らは爆風に飛ばされる。
背中が熱い、焼かれている。
こりゃ執事服の修理には苦労しそうだ。
けれど苦痛は耐えればいいだけ、大したダメージじゃあない。
叩きつけられ、抱き合ったまま転がる。
回転が止まったならば、すぐに立ち上がり、キルリスに手を貸し彼女を引き上げた。
「さ、サンキュ……」
「不用意に近づくなんて、キルリスらしくもない」
「いヤ、だってお前、ソノ腕……」
「ああ、うん。光ってるけど……え、もしかしてこれって、魔薬の? うわぁっ、何で僕に!?」
「あたしガ聞きてエよ!」
さっきまでは戦うのに必死で、深く考えなかったけど――本当に、ディヴィーナみたいに赤く光ってる。
急に体の調子がよくなったと思ったら、こんなことになってたなんて。
ひとまず頭部再生のために動かないミーシャから距離を取りつつ、僕は改めて自分の腕を眺める。
「平気カ? 正気カ? あたしに襲いかカッテこないカ?」
「今のところは――意識のほうは、何とも、ないよ」
――嘘だ。
さっきとは明らかに違うはずだ。
頭にちらつく記憶が、感情があるはずだ。
戦闘中に他のことを考えれば、集中力は散るはずなのに、不思議とそうはならない。
どうして――今はそれを、深く考えたくはなかった。
「……まア、クリスがそう言うんナラ信じるケド」
キルリス相手にごまかすのは難しい、か。
けど彼女に敵対する感情が無いのは事実だ。
だからキルリスも僕の言い訳を飲んでくれた。
「デ、こっカラどうスル? 今のクリスなら倒せるカ?」
「体の破壊は行けると思う。でも、さっきからずっと再生してる」
「まるデ粘土細工ダナ。再生があまりニ軽い。あの怪物の力を見る限リ、ミーシャはたブン【炎使い】なんダロ? それトモ、あれハ魔物としてノ特性カ?」
「温度操作による自己再生能力の向上……にしては、早すぎるよね。かといって、無限に再生する魔物なんて聞いたこともない」
「そんナノが居ても、フツーは頭を落とセバ動きは止まル。つまリ――」
「たぶんあの肉体は、本体じゃない」
しかしあの怪物がミーシャから生まれたのもまた事実だ。
だから別の場所に存在するのではなく――あの巨体のどこかに、本体が埋まっている。
確かめたい。
仮にそれが事実なら、まだ――可能性は残っているかもしれないから。
「チッ。クリス、またあの骨ガ来るゾ!」
ミーシャは後方よりスカートボーンを射出。
こちらに迫るそれに対して、キルリスが対処しようとするが、僕はそれを手で制した。
今ならたぶん、僕だけで行ける。
この、半分魔物と化した腕で――
「風刃飛魚ッ!」
投げナイフによる撃墜を試みる。
刃は無事に魔力障壁を突破、突き刺さった衝撃により全ての骨が空中で爆ぜる。
茜色に染まる夜空。
よし、行ける――この技で、キルリスの[ストーンランス]を射出したときと同じ威力を出せるのなら、彼女とのコンビネーションはより高い威力を発揮できるはず。
「キルリス、あれをっ!」
「了解ィッ! 巨岩血鷲だァッ!」
「いっけえぇぇぇぇえええっ!」
ズドォォォォンッ! ――より強烈になった発射音が、鼓膜のみならず、肌までビリビリと震わす。
ミーシャは腕をクロスさせ、防御を選択した。
命中。巨人の腕はへし折れ、体はのけぞる。
さらに勢いに耐えきれず、作り物の腕は二本とも吹き飛んだ。
逆に言えば、そこを犠牲にすることで、防ぎきったとも言えるかもしれない。
だが攻撃を放った直後、僕はすでに走りはじめていた。
腕が再生するまで、あと何秒だろうか。
ミーシャは口を大きく開くと、そこから炎を放とうとする。
火球が前方より迫る。
命中直前、[アサシンダイヴ]のスキル発動。
火球は炸裂、僕はミーシャの背後へ。
両手で一本のナイフを強く握り、威力に特化させ――
「風刃血鷲ッ!」
その背中を、縦に引き裂いた。
骨を断った手応えはない。
体外で骨を放っている割に、体内にそんなものはないのかもしれない。
皮が裂け、肉が開き、中身が露わになる。
「……いた」
あったではなく、いた。
脈打つ肉の中に、ミーシャが埋まっている。
目は閉じられ、血管がその肉と繋がっているが、しかし完全に同化しているわけではない。
再生により傷口は閉じる。
その間際、ミーシャの口が小さく動いた。
「ゔぁい……お……ら……たす、け……て……」
僕にはそうつぶやいているように聞こえた。
呼応するように、巨人が叫ぶ。
「ウゥアアァァァァイオアアアアァァァアッ!」
やはり、呼んでいる。
彼女は今も、愛しい人を――
ミーシャは振り向きざまの拳を放つ。
右腕の再生を利用した高威力の打撃――単発ならば飛び退けばいい。
問題は、次。
空中に浮かぶ僕に繰り出される、左腕の再生攻撃。
投げナイフも今なら刺さるだろうが、止めるには威力不足。
やはり先程同様、斬撃により対処か。
風刃を振るえば、二つに割れる腕――だが敵も学んでいる。
開いた傷口より、炎を噴き出させるのだ。
それを防ごうと、キルリスが足元の地面を削った。
バランスを崩す――その作戦は成功したが、ミーシャの照準はズレない。
膝をつこうとも、確実に僕を狙う。
「だっタラこれデどうだアァァァァッ!」
キルリスは[タイタンフィスト]を発動。
だが彼女は巨腕を作れても、それを飛ばすことができない。
だから斧をフルスイングして、その端を叩いて飛ばした。
弾速は、下手に魔力で飛ばすよりも速かったかもしれない。
上位魔法なだけあって、障壁突破は容易い。
二の腕付近に命中し、的がズレる。
炎より逃れた僕は、再度キルリスと合流。
言葉を交わすため、ミーシャに背中を向けて走る。
「このバカ、強引すぎダ」
「ごめん、助かった」
「デ、どうダッタんだ?」
「あったよ」
「心臓カ」
「いや……ミーシャの体そのものだった」
「埋まっテタってコトか?」
僕はうなずく。
だったらやることは一つ――おそらく彼女はそう思っただろう。
「ヨシ、ならソレを潰せバ――」
「キルリス、お願いがあるんだけど」
「……はぁ」
大きくため息をつくキルリス。
背後では、ミーシャがあのブーケを投げて、炸裂させていた。
僕は振り返り、魔力を切り裂く。
キルリスは魔力障壁で平然と防ぐ。
「そう言ワレル気ガしてタヨ。助けるつもりカ?」
「だって、このまま失ってばかりで終わったら、誰も救われないから」
「余計ニ絶望するダケかもナ」
「だとしても、このまま何もしないまま終わったら、絶対に後悔する」
「ソレはヴァイオラの都合ダロ?」
キルリスは冷たく突き放す。
「知り合った以上、そうも言ってられないよ」
僕にとって、ヴァイオラとミーシャのことは他人事じゃない。
どうしようもないことがたくさん起きた。
どうにもならないことで満ちている。
その中に、どうにかなりそうなことがあるのなら、たとえ失敗したとしても試すべきだ。
生き残れたのなら、それは将来的に、僕にとっての希望にもなるのだから。
「キルリスだって見捨てられないんじゃない? こうなった責任、多少は感じてるだろうから」
「ハッ、あたしがんなタマに見えるカ?」
「見える。意外と優しい」
「ふん、顔も知らナイやつが、何人死のウトどうでもイイ」
彼女の言葉を聞いて、僕は思わず笑った。
キルリスが眉間に皺を寄せて僕を睨む。
「なんデ笑うんダヨ」
「要するに、ミーシャの顔は知ってるからどうでもよくない、ってことだと思って」
「チッ……面白くネエな。わーったヨ。ただシ、先にドウするのかプランぐらいは聞かセテクレ。体を開いテモすぐに閉ジル。引き抜ク必要もアル。殺すより面倒ダゾ」
「キルリスがあいつの足を止める。僕が体を開く。ヴァイオラが糸で引き抜く」
「……完璧なプランだナ」
「でしょ?」
無茶ぶりのようでいて、けれどキルリスにはその方法があった。
たぶん僕と彼女が考えていたことは同じだと思う。
「ナラ、それマデの時間稼ぎは頼んダぞ。場所は宿の前の通りダ」
「わかった、準備ができたら連絡して」
「おウ、それまで死ぬナヨ」
僕とキルリスは、その場で散開した。
ミーシャの視線が動く。
どちらを追うか――迷う巨人に向けて、僕は自らの存在を誇示するようにナイフを投げた。
「いつからとか、誰がとか、何のためにとか――今は考えない」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「ミーシャを救い出す。少しでもマシな結末にする。それだけを考えるんだ」
腕を這う赤く光る線。
その症状に対する不安を踏み潰して、僕は単身、怪物と対峙する。
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