034 忘却の奥底
血肉が舞う。
叫びが響く。
嘆きか、怒りか――冒険者たちは渦巻く感情に翻弄されながら、魔法を放つ。
少なくとも、ここに集まった半数ほどは、ティンマリスが故郷に違いない。
燃える街。
化物に変わる顔見知り。
友人を手にかける苦しみ。
それを客観視できる僕は、たぶんこの場にいる人間の中で、一番幸せだったんだろう。
だから殺した。
誰よりも多く、誰よりも早く、少しでも“痛み”の総量を減らせるように。
チョコに混ぜられた魔薬は、グラードが使ったものよりも質が悪かった。
いや、というよりは――魔力を持たない人間に合わせた、キャミィの両親に使われたものの発展型なのだろう。
だから、戦いは思ったよりも早く終わった。
もっともそれは、半魔物化した避難者たちが、冒険者たちに自ら突っ込んできてくれたおかげでもある。
彼らが集まっていたホールには、大量の死体が積み上がっていた。
魔法も使えない一般人の中から突如として敵が現れたとなれば、どれだけ外を固めようとも対処できない。
その惨劇を前に、多くの冒険者は絶望し、膝を付き、顔を覆う。
中には目の前の光景を信じきれず、必死に生存者を探す者もいた。
だがそのおかげで、まだ息のある人間が多くいることがわかった。
幸い――というべきかはわからないけれど、混乱が大きすぎるせいで、根こそぎ殺し尽くすことはできなかったのだ。
「この子も生きてる!」
「こっちにもいるぞ! 早く治療を頼む!」
「は、はい、わかりました! こちらが終わったら向かいます!」
「そっちは俺が行く、氷魔法の止血で応急処置にはなるはずだ」
「私のほうにも連れてきてください! 簡単な処置ぐらいはできます!」
「どちらにしろ、レナちゃんだけじゃ間に合わないわ。薬箱を見つけてきたから各自で治療して!」
死体だらけのホールから救出した人を、入り口前の廊下に並べ、処置を施す。
生存者は十名程度。
他の住民は全滅した。
冒険者も三分の一ほどが死亡――その大半は、魔物化したギルドマスターに殺害されていた。
一般人より魔法使いのほうが多いなんて、冗談みたいな光景である。
しかしそんな中、生き残った【光使い】はレナだけだった。
他は魔物化するか、魔物化した冒険者に殺され――それに、レナ自身も真っ先に襲われていた。
「……光使いを狙ったのか」
「魔物ニ変わった人間ヲ操レルってことカ?」
「じゃないと、兵器としては成り立たないからね」
「デモ、ミーシャは言うコトを聞いてないナ」
「大きすぎるから。あれだけ巨大な魔物が現れて、街を破壊したら、すぐさま国中で大ニュースになる。今までそれを聞いたことがないってことは……初めてなんだ、あの規模の魔物を生み出すのは」
「実験、とデモ?」
隣に立つキルリスの表情が険しくなる。
すでに怪我人の対処には多くの冒険者が当たっており、これ以上近づけば邪魔になってしまう状況だった。
僕とキルリスの魔法では怪我の治療はできない。
今はおとなしく、少し離れた場所からその光景を見守っていた。
「さっき起きたことだってそうだ。以前は食事に混入した魔薬を摂取したって、一度で魔物化することはなかったはずなんだ」
「ミーシャの顔ヲした誰カが、この街を使ッテそれヲ試しテルのカ。だッタラ、次はどう出ル?」
「……」
「クリス?」
「僕がそいつの立場なら……これ以上、もうティンマリスで実験をする意義はない、と思うかな。キルリスなら、そういうときどうする?」
「逃ゲる……イヤ、それじゃつまらないナ。あたしナラ――」
たぶんそのとき、僕とキルリスはまったく同じことを考えた。
「あ、ちょっとクリス? どこにいくのよ!」
ほぼ同時に駆け出し、フィスさんの静止に耳も貸さずに、建物から外に出る。
ミーシャはなおも、先ほど戦った場所の周辺にしゃがみこみ、手で地面を掘ってヴァイオラを探し続けていた。
だが、僕らが見た瞬間にその様子が変わる。
目を凝らしてみれば、炎に照らされて、うっすらと肩の上に乗る何者かの姿が見えた。
ミーシャだ。
だが、おそらくあれは、ミーシャであってミーシャではない。
彼女はスカートの端をつまむと、深々とお辞儀して、闇の中に溶けるように消えた。
「ちくショウ、逃げらレタか!」
前のめりになってキルリスは言った。
仲間の敵だ、追いたい気持ちはあるだろう。
だがそれをぐっと我慢して、彼女は斧を構える。
このまま終わってしまったら、黒幕としてはつまらない、面白くない。
ここまで徹底して、一つの街を滅茶苦茶にしてくれたのだ。
だったら最後は、この道化芝居は行き着くところまで行き着くべきだ――僕らが当事者ならば、そう考えただろう。
そして事実、あいつはそれを実行した。
ミーシャの全身に這う筋が、さらに赤く光る。
しゃがみこんでいた彼女は立ち上がり、天を見上げたままガクガクと震えた。
そして口を開く。
開ききっても、なお開く。
口の端がぶちりと裂けるまで開いて、
「ウオォォォオガアァァァァアアアアアッ!」
喉を剥き出しにしながら、意味不明な声で叫び――
「ウゥアアアイオアアァァァァアアアアッ!」
――全力疾走を、開始する。
ドッドッドッドッドッ――その足裏が地面を叩くたび、大地が揺れる、振動が体にまで響く。
その巨体が限界まで肉体を酷使して走るのならば、街の端から端まではせいぜい数十歩。
大きさからは想像できぬスピードで、またたくまに僕らに迫る。
そしてある程度の距離まで来ると、地面を蹴飛ばし、体のバネを使って空高く飛び上がった。
僕とキルリスは同時に見上げる。
スカートボーン展開、射出――それ一つで避難所を吹き飛ばせる威力を持った爆弾が、数十、一斉にこちらに迫る。
さらにその軍勢を率いるように、ミーシャ自身も足に炎を纏わせながら、こちらに向けて飛び蹴りを放つ。
「[ストーンランス]ぅッ!」
キルリスは石片を無数に空中に浮かべる。
こちらに視線を向ける。
僕は石片に接近すると、スキル[ソニックラッシュ]を発動。
「おぉぉぉおおおおおッ!」
連続して繰り出す斬撃で、キルリスの土の魔法を射出――狙うはもちろん、こちらに迫る巨大な骨の群れ。
キルリスが作り出した石片と、骨の数はまったく同等であった。
全てを的確に命中させなければ、その対処が間に合うはずがなかったからだ。
かくして、骨爆弾は空中にて石と激突――その場で全てが同時に爆ぜた。
爆炎が咲き乱れ、夜空を赤朽葉色に染める。
その炎を引き裂きながら、なおもミーシャはこちらに迫る。
「巨岩――ッ!」
「血鷲!」
キルリスの生み出した岩の巨腕。
それを僕のナイフが引き裂けば、歪んだ魔力が推進力となり、大砲のように射出される。
目にも留まらぬ速度で放たれたそれは、ミーシャの脚部に衝突した。
衝撃波が街全体に広がり、焼け落ちた民家を、炎ごと吹き飛ばす。
爆風もかき消され、ミーシャの体は空中で止まる――だが、押しているのはあちらのほうだ。
「クリス、もう一発だ!」
「わかった!」
「巨岩――」
「血鷲ぉぉぉぉぉっ!」
痺れる腕に鞭打って、二発目の砲撃――
すでに炎に熱され溶けかけていた一発目は、直撃により完全に粉砕。
しかしミーシャの勢いを削ぐという役目は果たした。
あとは二の太刀が、彼女を撃墜するのみ。
それでもなお、少しは耐えてみせるのは恐ろしい限りだが――ミーシャはついにバランスを崩しズシンと落ちる。
「しゃアッ!」
「行くよキルリス!」
「わかッテル!」
飛ぶようにすぐさま起き上がるミーシャ。
彼女の狙いは完全にこちらに向いている。
僕とキルリスは全速力で避難所から離れた。
この戦いは、最初から負け戦だ。
キルリスの仲間は殺され、ミーシャは怪物となり、街は壊滅状態。
もう十分に奪ったはずだ。楽しんだはずだ。
それでも奴は、僕らを皆殺しにすることを選んだ。
だったら生き残って、少しでも見返すんだ。
どこの誰だか知らないが、今もお前が笑っているっていうんなら、ほんのわずかな苛立ちを与えられたなら――それが僕らの勝利なのだ。
「来た来タ来たァ、来テルぞクリスぅ!」
「ヴァァァァアアアイイオアアアアッ!」
怒り狂う怪物は、前傾姿勢で疾走する。
僕がどれだけ速度に自信を持とうとも、あの巨体で走られたら差なんてあっという間に消えてなくなる。
頭上より拳が降ってくる。
拳は後方にて地面を叩き、同時に火の魔法が爆発を起こす。
「うおぉぉおおおおっ!?」
「くうぅぅっ!」
肌を熱にじりりと焼かれながら、爆風に吹き飛ばされる僕ら。
キルリスは魔力障壁で耐え、僕は空中で姿勢を維持し、ナイフを振るい魔法を切り裂く。
「クリス、来るぞっ!」
「ウァアァァアアアアッ!」
空中に浮かぶ僕に、左の拳が迫る。
ギリギリまで引き付けて――[ブリッツアサルト]で回避ついでに腕の上に着地。
一気に駆け上り、付け根で風刃血鷲を発動。
「ウオオォォアアアアアアッ!」
腕を振り払われ、吹き飛ばされたけれど、そこそこの傷を残すことには成功した。
投擲じゃ無理だけど、直接斬りつければダメージは与えられるらしい。
一方でキルリスは地面に着地、[マウンテンブロー]を発動。
地面から突き出す岩が足を貫こうとするも、ミーシャはそれを直前で回避。
まるで魔力の気配でも感じ取っているような動きだ。
そして岩を軽く蹴り、つぶてをキルリスに飛ばす。
彼女が斧でそれを防いでいるうちに、スカートボーンが再充填。
それを即座に一斉射。
全方位を囲むように、空中にいる僕に迫る。
投擲は効かない、キルリスは動けない、つまりどうにかして避けるしかない。
あれが投擲が効かないほど頑丈だっていうんなら、逆にやりようはある。
引き付け……引き付け……僕の間合いまで引き付けたなら――[ブリッツアサルト]、高速移動スキルの連続使用。
足場代わりに、骨から骨へと飛び移り、逆にミーシャへの接近に利用する。
気づけば僕は、巨人のうなじの目の前にいた。
「風刃斬首!」
振るったナイフが、生じた風の刃が、巨人の首筋を切り裂く。
「グウオォオオアアアッ!」
ミーシャはその痛みに、苦しげな咆哮を轟かせる。
そして傷口からは赤い血が――いや、違う、噴き出すのは血ではなく――炎!?
「間に合えエェェェェエッ!」
キルリスが吼える。
彼女はミーシャの足元まで近づくと、その下の地面を削るように斧を振るった。
土は砂へと変わり、ごっそりとえぐり取られる。
ぐらりと巨体が傾き、僕を焼こうとした炎は、真横をかすめる。
「キルリス、ありが――」
ホッとしたのも束の間。
バランスを崩して膝を付いたミーシャは、上半身だけをひねり、手の甲で僕を殴りつける。
反射的に体が動く。
少しでもダメージを和らげようと、風刃速斬にて魔法の相殺を試みた。
結果、炎は弱まる。
しかし拳は止められず。
「あ――」
僕の体よりも大きな手の甲が全身を強打し、脳がガクンと揺らされ、意識が飛ぶ。
「クリスうぅぅぅぅぅぅっ!」
気づいたとき、僕は半壊した家屋の瓦礫に埋もれるようにして、倒れていた。
キルリスの声が聞こえる。
目を開く。
僕を潰してとどめを刺さんと、ミーシャの右拳が、隕石のように落ちてくる。
ああ、強いなあ。
最初に見たときから思ってたけど、やっぱりまともに戦うもんじゃないね。
ティンマリスの冒険者と力を合わせれば勝てるかも、とか思ったけど――現状、ミーシャに決定的なダメージは与えられず。
付けた傷も出血はなく、相手の体の動きも鈍っていない。
どう考えても、この拳を受け止める方法なんてないし――ここで終わりか。
記憶がめぐる。
走馬灯というやつだろうか。
そういえば、僕の人生って、最初からこうだったな。
両親は借金まみれ。
その八つ当たりように僕に暴力をふるって、僕はまたその八つ当たりのために――
『諦めるのか?』
……誰?
『諦めるのか? まだお前は誓いを果たしていない』
何のこと?
『主を守れ。リーゼロットを守れ。それがお前の生きる価値だ。それ以外の価値など認めないし、それを果たすまで死ぬことも認められていない』
そうは言われてもな、もう体だってまともに動かないし、ここからあれを防ぐ方法なんて……。
『立て。諦めてはならない。主を守れ。執事だというのなら、その生命を全てを賭して、果たせ』
できない。
『果たせ』
だから……無理なんだって。
できるわけが、な、ない。
『果たせ』
う……あ、やめろ……入ってくるな……。
『果たせ』
そうだ、僕は……違う、いつから、僕は、僕に……。
う、ううぅっ、お願いだ、これ以上、僕に入ってこないで……。
『果たせ――』
「ぐ、う、うわあぁぁぁぁあああああああああッ!」
体の内側から、引き裂くように何かが湧き出る。
僕の体は勝手に動きた。
迫る拳に対して、ナイフを振るう。
がむしゃらに、無我夢中に、赤い光を宿したその腕で――
「グオォォォオオオアアアアッ!」
巨人の腕は――肩まで、真っ二つに裂けていた。
言うまでもなく、僕の一撃によって。
「クリス……お前、そノ腕……魔物ニ……?」
目を見開くキルリス。
何を驚いているかわからないけど。
ああ、すごくいい気分だ。
頭はぼーっとしているけれど、それが気持ちいい。
体は軽い。
どこへだって行ける気がする。
何者にだってなれる気がする。
「リーゼロット……リーゼロット……ああ、リーゼロット……」
立ち上がり、両手でナイフを握った。
くらくらとする頭を揺らし、巨人を見据える。
「そうだ、僕は君を守るために生きなくちゃならない。たとえ、どんな力を使ってでも――」
湧き上がる力に、僕は自分の口角が自然と吊り上がるのを感じていた。
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