033 ここが舞台というのなら、君の目は一体どこにある?
炎に包まれたティンマリスの中で、フィスは額に汗を浮かべながら、必死で人々を誘導した。
時に建物に押しつぶされた人を救い出し、時に重い火傷を負った重傷者に肩を貸し。
今までギルドの受付嬢になってから、自分の魔法使いとしての力が役立ったことはないが、今ばかりはそれに感謝する。
「……何なのよ、あの怪物は」
突如現れた、正体不明の巨人。
今はなぜか、何かを探すように焼け野原になった建物の上を歩き回っている。
クリスの話し方から察するに、おそらく彼女は事情を知っているのだろう。
「魔薬……黒の王蛇のやつら、なんてものを……」
憤りは抑えられない。
すでに手遅れで、救出さえ諦めた犠牲者は数しれず。
時間が深夜だったことも相まって、燃え盛る家から逃げ遅れた人間はあまりに多い。
幸い、冒険者たちは魔力障壁のおかげでその大半が無事だった。
もっとも、先日の騒動でその数もかなり減っていたが――そのことに関してクリスを責めるつもりはまったくない。
あの事件と、今回の一件は、魔薬という接点でつながっているのだ。
予兆だった……とでも言うべきだろうか。
「フィスさん!」
避難所に戻ろうとしていたフィスに、ニールが駆け寄る。
彼は助手のスクルタと共に、負傷者の治療にあたっていた。
回復魔法も使えない彼だったが、それでも医者としてできることをしようと、あがいていたのである。
「ニール先生……どうですか、そちらの状況は」
「死の危険性が高い重傷者から先に治療を進めています。【光使い】はそう多くありませんが、救出された人たちは十分に治療できる魔力があるようです」
「それはよかった……」
ほっと胸をなでおろすフィス。
しかしそれは、逆に言えば、それだけ助かった人間が少ないということもである。
避難所からは、家族を探す大人の声や、子供の泣き声が聞こえてくる。
「冒険者の方々と話したのですが、そろそろ救出は打ち切って、あの魔物をどうするか話し合うべきではないかと」
「私もそう思って戻ってきたところです」
焼け落ちた建物はあまりに多い。
これ以上待っても、生存者はほとんど増えないだろう。
じきにクリスたちも合流する。
そのときに備えて、戦いの準備をしなければならない。
◇◇◇
避難所として利用されているのは、街のはずれに存在する広いホールだった。
普段は演劇などイベントが開かれるときに利用されている。
だが元々は、戦時中にシェルターとして建設された建物であり、今も魔物の襲撃から身を守るために、継続的に整備されている場所だった。
中には食料の備蓄もある――といっても、逃げ込んだ百人以上の人間が生きていける量ではないが。
フィスは建物に入ると、ニールと別れ、冒険者たちが集まる控室に向かった。
その途中、怪我人の処置室代わりに使われている部屋があったので、軽く顔を出す。
中では【光使い】の女の子が、患者に優しい声をかけながら、必死に治療を行っていた。
邪魔にならないよう、要件だけ軽く伝えると、今度こそ奥にある控室に入る。
一足先に避難誘導を打ち切った彼らは、一様に暗い表情をしている。
中には、燃える街や死体を見て気分が悪くなったのか、横たわっている者もいるほどだった。
フィスが近くの椅子に腰掛けると、直後、数人の冒険者を引き連れて大柄な男性が部屋に入る。
ティンマリスのギルドマスターだ。
元冒険者である彼は、五十歳を過ぎて一線から退いたものの、今でも鍛錬を続けている。
そこらの若造には負けん――という口癖通り、疲れ果てた冒険者たちと異なり、まだまだ余裕という表情だった。
もっとも、それは周囲を少しでも明るくしようという彼なりの努力なのだろうが。
マスターが一番前の席に座ると、フィスも含めて、数十人の冒険者たちは一斉に彼のほうを向いた。
「さて諸君。我々はこれから、あの怪物と戦わなければならない。どこから、いかなる方法を使って現れたのか――心当たりのある人間も多いだろう」
彼の言葉に、目を伏せる冒険者がちらほらといる。
彼らは全員、なぜか手や足に包帯を巻いていた。
「俺も黒の王蛇に逆らえなかった……同罪だ。薬の存在も知っていながら、見て見ぬ振りをするしかなかったのだからな」
グラードは悪としてのプライドもない男だった。
平然と暴力を振るったし、当たり前のように関係者の家族を人質に取った。
クリスのように、外から来る人間でなければ、排除は難しかっただろう。
「それでもさすがに、人間が魔物になるとは、誰も想像できませんよ」
「ではやはり……あれがそうなのだな」
「信頼できる情報筋によれば、それで間違いないと」
「クリスくん、だったか。冒険者登録から数日で、大物を複数体狩り、ランクCまで上がっているんだったな」
「彼女もあと少しで合流するそうです。ランクSを一名引き連れているそうです」
冒険者たちが「おぉ……」とざわめく。
現在、ティンマリスのギルドには冒険者ランクSは一名もいない。
強いていえば、マスターが元ランクSだが、今ではかなり衰えている――というのが本人の談だ。
しかしそのマスターは、フィスの話を聞いて浮かない顔をしていた。
「フィスくん。そのランクSは……信用できるのか」
「……」
黙り込むフィス。
ティンマリス出身ではないが、現在この街に滞在しているランクS――そんな都合のいい人間は、一人しかいなかった。
ちょうど昨日、クリスとともに大型魔物を討伐したデータがあがったばかりである。
冒険者たちも察したのか、再び表情は逆戻り、暗い空気が部屋に漂う。
「キルリス・アングラッジ……“皆殺しのキルリス”とも呼ばれているそうだな。ここ数日、執事らしき人間と一緒に行動しているところが目撃されている。クリスくんも、確か執事だったな」
「魔物になったグラードと同じ、黒の王蛇の幹部ですね。ですが、組織も一枚岩ではないのかもしれません」
「薬を使ったのは彼女ではないと」
「グラードとは敵対していました。それに、少なくともクリスは信用できる人間です。彼女が味方としてキルリスを信用しているのなら、今は戦力としてカウントすべきかと」
「……そう、だな。グラード、ディヴィーナも、リジーナもいない今、より好みなどできんか」
キルリスに関する話題が落ち着いたところで、今度は具体的な作戦の話し合いがはじまる。
◆◆◆
僕とキルリスは、街を駆け抜け、思ったよりも早く避難所に到着した。
ミーシャはまだ、先ほど交戦した場所あたりをさまよっている。
「あイツ何やってンダ?」
「ヴァイオラを探してるのかもしれない」
「まだ死んでナイってわかってるノカ」
「おそらくは」
それを察知しているのが、魔力なのか、嗅覚なのかはわからない。
何にせよ、やはりあの怪物の根っこにあるのはミーシャなのだ。
だとすれば、この戦いの鍵を握るのはヴァイオラ――
「あの女ニ、あンマ期待すんなヨ。心ガぶっ壊れちマッタ人間は、あたしラにはどうにもできナイ」
「わかってるよ。仮に立ち上がれなかったとしても、それは仕方のないことだと思う。大丈夫、ティンマリスにはまだ沢山の魔法使いがいるんだから、力を合わせればヴァイオラ抜きでも勝てるよ。きっとね」
人間には様々なタイプがある。
大切な人を失ったとき、キルリスのように怒りで前に進もうとする者もいれば、悲しみに沈み、二度と這い上がれない者もいるだろう。
どちらが良くて、どちらが悪いという話ではない。
とにかく今は、ヴァイオラをあてにせず、戦う方法を探す。
避難所の建物内に入ると、街中とは異なり、人の気配がたくさんあるので、少しだけ安心できる。
「あのぉ、クリスさんですか?」
女の子――と言っても僕よりは年上だけど――が、入るなり僕に話しかけてきた。
冒険者……いや、医者か。
「そうですけど、もしかしてあなたが【光使い】の?」
「はいっ、フィスさんから治療をお願いされたので。腕を見せてもらってもいいですか」
僕が執事服をまくると、内出血だらけで紫に変色した腕が現れる。
女の子は「うわっ」と思わず声をあげ、慌ただしく治癒魔法の使用に入る。
「クリス、よくその腕デ平然な顔シテ動けるヨナ」
「もちろん痛いよ」
「そリャ見たらワカる。普通ナ、痛かったラ人間ってのは動きが鈍ルもんダ。ケド、クリスにはソレがナイ」
「昔から痛みには強いんだ。師匠にも褒められてたよ」
治癒完了――女の子は額に浮かぶ汗を袖で拭くと、「ふぅ」と大きく息を吐いた。
内出血はすっかり消え、骨もつながっている。
動かしてみても痛みも違和感もない。
「ありがとう。本来は住民の治療に使うべき魔力なのに、ごめんね」
「いえ。あなたを生かすことで、より多くの人たちが助かると思います。私は攻撃魔法が使えないので、できることはあまりありませんが……頑張ってくださいねっ。あ、よかったらこれも食べます?」
彼女はそう言って、ポケットから紙に包まれた何かを差し出した。
僕は受け取り、キャンディのように巻かれたそれを開くと、中からチョコレートが出てくる。
キルリスは僕の横からにゅっと顔を出して、それを覗き込んだ。
「チョコ? 備蓄サレてたノカ?」
「いえ、女の子が家から持ち出してきたって、みんなに配ってくれて――」
「クリスーっ!」
その話の途中、通路の奥から誰かが僕を呼ぶ。
フィスさんだ。
彼女の声に驚いて、レナの手のひらの上からチョコがぽとりと床に落ちた。
「クリス! 無事でよかったわ」
「フィスさん。他の冒険者の人たちは?」
「もう奥の部屋に集まってるわよ。で、そっちの子がキルリス・アングラッジ、と」
「何ダ、あたしのコトも知っテタのカ」
「黒の王蛇の幹部だけど、今は仲間……でいいのよね」
「問題ナイ。あの怪物ハ、あたしも無関係じゃナイからナ」
「ならあなたも一緒に来て。あとレナちゃん、クリスの回復ありがとね!」
慌ただしく、僕とキルリスを連れて行くフィスさん。
レナさんは僕らを見送りながらも、少し落ち込んだ様子で、床に落ちたチョコをチラチラと見ている。
建物の入り口、しかも緊急時だ。
あの辺りは泥で汚れていたので、拾って食べるのは難しいだろう。
「フィス……だったッケ。あんタらもチョコもらったノカ?」
「チョコ? ああ、あの女の子が持ってきてくれたやつね。何人か貰ってたわ。住民に回せって言ったのに、『冒険者さんたちに頑張ってほしいから』って押し付けられて」
「どんナ子だっタ?」
「それ、このタイミングで聞く必要のあることなの? 急ぎましょうよ、みんな待ってるんだから」
「いいカラ言エッ!」
キルリスは、フィスさんの胸ぐらを掴むと、壁に押し付け詰め寄った。
フィスさんは助けを求めるように、引きつった表情でこちらを見る。
「ちょ、ちょっと……クリス。この子、ヤバいんじゃないの……?」
「フィスさん、僕も聞きたいです」
「えぇ……? どんな子って言われても、ドレスを着た、十歳よりは大きいぐらいの女の子で……あ、そういえばあの子のドレス、妙に汚れてなかったわね」
キルリスの腕から力が抜け、フィスさんは解放され尻もちをつく。
そしてキルリスはゆっくりとこちらを向き、険しい表情で口を開いた。
「……なア、クリス。お前ハどう思ウ?」
「勘違いだったらいいなと思う」
「な、何よ二人とも。その子に何か問題でも――」
ガシャァンッ!
奥の部屋のドアが吹き飛び、壁に衝突する音が廊下に響いた。
一緒に若い男も叩きつけられ、後頭部がぐしゃりと潰れて即死する。
また、それとは逆の方向から、息を切らしながら男が走ってきた。
「よ、よかった……クリスさん、来られてたんですね!」
「ニール先生、その怪我は?」
「避難してた人が急に興奮しだしたと思ったら、襲われたんです! パニックになる前に助けを呼ぼうと逃げてきたんですがっ……あ、あれは……っ!」
先生の瞳に写ったのは、奥の控室から出てくる四本脚の、馬と人間をマーブルに混ぜ合わせたような怪物。
一方で僕とキルリスの瞳には、先生を追うようにこちらに駆けてくる、正気を失った、半ば魔物と化した人々の群れ。
通路は一本道。
お手本の様な挟み撃ちだった。
「もう嫌……どうしてこんなことになるのよおぉおおおおっ!」
感情の許容量を超えたフィスさんが、頭を抱えながら叫ぶ。
キルリスは静かに言った。
「あたしヲ殺すタメに、ここマデやるノカ?」
僕もちょうど、同じことを考えていた。
キルリスの仲間を殺すこと、ヴァイオラやミーシャを絶望させること。
それはまだ、辛うじて筋書きにつながっている。
しかし、こうも無差別に人の命を弄ぶのなら、それはもはや刺客などではなく――“人の死”というエンターテインメントを楽しみたいだけの、外道中の外道だ。
誰だ。
一体誰が、何のために、こんなことを望む!?
こんな胸糞悪い光景を楽しもうだなんて思える!
「魔物のほうはキルリスに任せた、僕は向かってくる人たちを仕留める!」
「ちくショウ、気分は悪ィがそうするシカねえナァァァァ!」
斧が肉を叩き切り、ナイフが命を断ち切っていく。
ランクの低い冒険者が魔物になったところで、キルリスの敵ではない。
ただの一般人が魔薬で強引に、半端に魔物化したところで、僕には指一本触れられない。
冒険者の生き残りだっている。
相手の陣営を潰すために解き放たれた戦力としては、十分とは言えない量だ。
しかし、“相手の戦力を削ぐ”手段としては、これ以上ない合理的な策だと――そう自分に言い聞かせ、敵の思惑を常識の枠にはめこみながら、僕は一心不乱に短剣を振るった。
面白かったよ、先が気になる! と思っていただけたら、下のボタンから星を入れてもらえると嬉しいです!




