032 奈落の底にて
暗い。
何も見えない。
僕は死んでしまったのだろうか。
まあ、あんな爆風に巻き込まれて生き残れるわけがない、か。
あーあ、結局は、どれだけ頑張ったって暗殺者はしょせん暗殺者ってことなんだろう。
ずっと、ずっと、物心ついたときからずっと、リーゼロットを守りたいと思っていたのに。
『お前のせいだ。お前のせいで僕はっ!』
でも、考えてみればこれは当たり前のことなんだろう。
本来、僕がリーゼロットを救いたいと思うのなら、やるべきことは彼女を止めることだ。
縛り付けて、どこかに閉じ込めて、それから魔薬の行方を追う。
けれどそんなの絶対に無理だ。
だってリーゼロットは【賢者】だから。
きっと彼女なら、化物になったミーシャを一撃で吹き飛ばせてしまう。
そんな力の差があるからこそ、僕は逃げるように屋敷を出るしかなかったのである。
『謝るな。気持ち悪い。僕はお前のことが大嫌いだ!』
その程度の力量しかない僕が、リーゼロットを救おうなどと――夢のまた夢。
脅威の前に崩れ落ちるのは、もはや定めとも言えよう。
けど……嫌だな。
僕が死んだら、リーゼロットはミーシャと同じように、いつか化物になってしまう。
「……おイ、クリス」
そして黒の王蛇に利用されて、兵器として一生を終えるのだろう。
そんな結末を見るために、生きてきたわけじゃないのに。
ただ、彼女と一緒にいられれば、僕はそれで――
「オいクリス、起キロ! 生きてンだロ!?」
ぺちぺちと、誰かが僕の頬を叩く。
何だ、あの世でも感触ってあるのか。
「ナーニ笑ってンダ、そんナ状況じゃナイだロ!」
それにこの声は、キルリス?
そうか、彼女はミーシャを襲っていたとキャミィが言っていた。
つまりあの怪物の誕生に巻き込まれて、僕と同じ天国――いや、地獄にやってきたのだろう。
目を開けると、ほら、血に汚れたキルリスの姿が見えてくる。
「そっか、キルリスも……死んじゃったんだね」
「勝手ニ人ヲ殺すナ! ハァ……んナことが言えルなら、頭は無事みたいダナ」
「……あれ? 僕、生きてる? ここは?」
「地中ダ。驚いたゾ、お前タチが急に落ちてキタんだカラな!」
地中? 落ちてきた?
周囲には土の匂いが満ちており、明かりはキルリスが腰にぶら下げたランプのみ。
壁も床も茶色で、僕の体は土でかなり汚れていた。
僕の隣にはヴァイオラとキャミィも横たわっていて、キルリスの背後には見覚えのある女性――よく見ると、宿屋の店主だ――が、身を縮こませて震えている。
“落ちてきた”という情報をもとに天井を見上げてみたけれど、そこに穴はあいていない。
「穴ナラもう閉ジタ。アレに見つかっタラ危ないカラな」
「ごめんキルリス。僕には状況が把握できないんだけど」
「ソレはあたしも同じダ」
「キルリスは……ミーシャを襲ったんだよね」
「あア、あいつのセイであたしは仲間を殺さなくチャならナかった。絶対に許さナイ」
ぶわっ――とキルリスが強い殺気を放つ。
間近でそれを受けた僕は、ぞわりと鳥肌が立つのを感じた。
「そレデ追い詰メたら、あのガキ、変な薬を飲みヤガったンダ」
「魔薬……」
「たブンな。あたしはとっさに離レて、巻き込マレそうにナッタんデ、地面ニ穴を掘って逃ゲタんダ」
「そんなことできるの?」
「あたしは【土使い】ダゾ? 地面を掘ルぐライはお手の物ダ。こんナ具合にナ!」
キルリスは横の岩が混ざった土壁に向かって斧を振るった。
すると壁は瞬く間に乾いた砂へと変わり、風圧でごっそりと吹き飛ばされる。
確かに、これで走りながら斧を振り回していれば、トンネルぐらいは簡単に掘れそうだ。
「宿の店主さんは、近くにいたから連れてきたんだね」
「命からガラ逃げ込んでキタって感じダケドな。そンデ、街の外ニ向カッテ掘り進んでタラ」
「いきなり僕たちが落ちてきた、と」
「あア、ビックリしたナ」
なんて偶然だ。奇跡と呼んでもいい。
この場合、生かされたと思うべきか、死ねなかったと思うべきか――
「……ありがとう、キルリス。本当に助かったよ」
「そのワリには嬉しソウじゃナイな」
「考えることが多すぎてさ。そうだキルリス、一つだけ先に言っておくけど――ミーシャに君の仲間は殺せない。なぜなら彼女は、ずっと僕たちと一緒にいたからだ」
僕がそう言うと、キルリスの表情が露骨に不機嫌に歪む。
「あア? お前マデんなコト言うのカヨ! あたしの仲間が嘘をつイタとデモ?」
「そうは思わない。けどこれは、紛れもない事実だ」
視線だけで殺せるほど強く、キルリスは僕を睨みつけた。
僕も彼女から目はそらさない。
じっと見つめて、これは嘘などではないと、心でそう言い聞かせる。
「……チッ。ナラ、あのガキが化物にナッタのはどう説明スル! 黒の王蛇ニとって、薬に反感を持つあたしハ邪魔ダッタんダ。だカラ刺客を送り込ンダ。違うカ?」
「ジョシュア・マリストールは、おそらくミーシャのことを知っていた。でも、あの二人がどのタイミングでティンマリスに来るのかまでは制御できてなかったと思うよ」
「偶然ダト?」
「少なくとも、このタイミングでこんなことになったのはね。だからたぶん、キルリスの仲間を殺したのは別の人間だ。それこそ、黒の王蛇が送り込んできた刺客とかさ」
「顔を変えラレる魔法使イってコトか」
「かの【賢者】、無限貌は自由に顔を変えてたっていうからね。それを可能とする魔法使いがいてもおかしくはない」
「クソガッ! ドコのどイツが、あたしの仲間にあンナことヲしやガッタァッ!」
キルリスは感情に任せ、壁に斧を叩きつけた。
ずしんと、トンネル全体が揺れる。
もっともその揺れは、斧によってもたらされたものではなく、地上のミーシャが起こしたものだったが。
壁に向き合ったまま、キルリスは大きく深呼吸をして、苦しげに語る。
「わかッテタさ。あたしラが、まトモな死に方デキないコトぐらイ。デモなぁ! 少なくトモ、あんな、化物にナッテ死ぬノハ違う! あイツら、あたしニ『殺してくれ』って。化物ニなって、化物ニ取り込まレテ、そレデ、『どうせならお頭に殺してほしい』って言うんダヨ! そんナノ! あんまりジャねえカヨォッ!」
その表情は僕からは見えなかった。
けれどその顎を伝い、ぽとり、ぽとりと涙の雫が落ちている。
キルリスがミーシャを殺そうとした――その話を聞いたときは『どうして』と思ったけれど、その強い無念を目の当たりにすると、そうなってしまったのも納得せざるを得ない。
僕は重たいからだを持ち上げ、立ち上がると、キルリスの背中に近づく。
そして、しびれる腕でゆっくりと、彼女の頭を撫でた。
「っ……う、ぐ……あいツラは、ずット、スラムの頃カラ、一緒にイテ……最高ノ……本当ニ、最高ノ仲間だったンダヨぉ!」
「一緒に過ごした時間は少しだったけど、素敵な人たちだっていうのはよくわかったよ」
「ダロ? そうダヨなァ! あんな死に方、してイイ奴ラじゃ……う……く……うわあぁぁぁあああああッ!」
こらえきれず大声で泣き出したキルリスは、くるりと向きを変えて、僕の胸に飛び込んだ。
どうにかそれを受け止めると、今度は泣きじゃくる彼女を抱きしめて、その背中を撫でる。
「テイリー……エテルードっ……く、ニャンデリィ……クラッツぅ……ううぅ、みンナ……みンナ、あたしヲ、置いて……クソッ、クソオォッ!」
キルリスもヴァイオラも、みんなボロボロだった。
どのみち悲劇は避けられなかったのだと、諦めるしかない。
仮にミーシャが普通の少女だったらば、きっとヴァイオラは“ミーシャを殺した罪”を自分から奪ったキルリスと殺し合っただろう。
キルリスも、仲間の恨みを晴らすために、ヴァイオラを殺そうとしただろう。
きっとそこに、僕が入り込む余地などはなかったはずだ。
必ず誰かが死ぬ。
僕らの出会いは、最初からそういう運命だったに違いない。
そのまましばらく体を震わせていたキルリス。
けれど少し落ち着くと、顔をあげ、泣きはらした目で僕を真っ直ぐに見つめ、しっかりとした声でこう言った。
「あたしハ、生キル。生きテ、必ズ、復讐すル! あいつラも、ソレを望んデるヨナァ!?」
「うん、きっとみんな無念だったと思う」
「だカラ、生きテここカラ逃げるタメに、あの化物を倒さなくチャならナイ」
「それは僕も一緒だ」
「一緒ニ戦ってクレるカ?」
「もちろん。最初からそのつもりだよ」
キルリスは歯を見せて、「シシシ」と笑った。
僕も強がり、笑ってみせる。
あんな怪物に勝てるとは思えないけれど、心が折れちゃ最初から勝負にはならない。
だから、今ぐらいは笑っておこう。
「腕はこんな有様だけど、囮ぐらいはできる」
「ソレは困ル。あたし一人じゃ絶対ニ勝てナイ」
「とはいっても、回復魔法が使える【光使い】はここにはいないしね……」
「マズは上に出テ、【光使い】を探ス。これダケの騒ぎダ、生キてるティンマリスの冒険者ハ全員、外に出てクルはズダ」
ミーシャが放ったあの熱波は、一般人は殺すし建物も燃やすけれど、魔力障壁は突破できない程度の威力のようだった。
つまり、冒険者は、生き残っている。
僕も一発か二発ぐらいなら、どうに腕を動かして防ぐことはできるだろう。
それまでに【光使い】を探さなければならない。
「あ、そうだ」
「どうシタ?」
「フィスさんなら何か知ってるかもしれない」
「ギルドの受付嬢カ。デモ、もう死んデルんジャないカ?」
「彼女は魔法使いなんだ」
話しながら、僕は冒険者証を取り出した。
ティンマリスの冒険者に向けたメッセージの受信――避難所の案内と、町民誘導の指示か。
避難所に使われているのは地下シェルター。
そんなものが……いや、シェルターといっても、おそらくは戦時中に使っていた簡易的な地下室のような場所だろう。
「受付嬢ガ? 変わっテルな」
「魔力障壁さえあれば生きている可能性が高い……ほら、やっぱり。ギルドからの連絡とは別に、いくつか着信の履歴が残ってる」
「受付嬢が端末なンテ持っテルのカ」
「他の冒険者から借りたのかもね」
僕はフィスさんの端末に通信を試みる。
すると発信音が一瞬で途切れるほど早く、彼女は通話に出た。
『クリスっ!? 無事だったのね!』
「ええ、なんとか。キャミィも生きてます」
『はあぁ……良かったぁ。私たちは今、生き残った町民を避難所まで誘導してるわ』
背後からは、怒号まじりの声が聞こえてくる。
その中には、ニール先生の声も混ざっていた。
よかった、彼も無事だったのか。
「僕たちは洞窟に避難してます。他には戦闘可能なランクSの……【土使い】も、一名います」
『ランクS!? それは頼もしいわね。けどあの怪物は一体何なの? もしかして、先日のグラードと同じ……』
「はい、薬によって魔物化した人間です」
『やっぱり。こっちも避難誘導が終わったら作戦を立てて迎撃する予定よ。可能なら、避難所付近で合流しましょう』
「実は僕、腕を負傷しているんです。魔力の残っている【光使い】はそこにいますか?」
『いるわ。すぐに治療できるように手配しておく』
「ありがとうございます、フィスさん。それでは直ちにそちらに向かいます」
通話終了。
僕は冒険者証を懐に収めると、キルリスと向き合う。
彼女にもフィスさんの声は聞こえてきたはずだ。
「というわけで、今から冒険者と合流することになった」
「それが賢明ダナ。じゃア、早速出るカ」
「うん……宿屋のおばさん、キャミィのことお願いします」
僕が声をかけると、彼女は怯えた様子を見せながらも、ゆっくりと首を縦に振った。
しかし気になるのはヴァイオラのほうだ。
起きたら彼女は何をする?
まさかキャミィたちに襲いかかるとは思えないけど――
「放っトケよ、クリス」
「キルリス、でも……」
「もう目覚めテルくせニ、見てみぬフリをするヤツに用はナイ」
そう、ヴァイオラはとっくに目を覚ましていた。
おそらく僕とほぼ同じタイミングで。
「行クゾ」
一人、先に駆け出すキルリス。
僕はその背中を追おうとして、その場で足を止めて振り返った。
「ヴァイオラ、辛いだろうけど……たぶん、どんな結末になったとしても、何もしなければ絶対に後悔すると思う」
僕の言葉を聞いて、ヴァイオラは片手で目元を隠すと、強く強く唇を噛んだ。
血が流れ、頬を伝う。
苦悩の末にどんな答えを出したとしても、僕は彼女を責めない。
せめて、少しでも悔いの残らぬ結果になりますように――そう願うことしかできなかった。
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