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029 「ケーキおいシカッタよ、ありがトウ」

 



「う……うぅ……っく……」




 室内でうずくまっていたミーシャが、うめき声をあげる。




「ミーシャっ! 大丈夫ですか?」




 キャミィは彼女に駆け寄ると、支えようと彼女の体に触れる。


 しかしすぐに、それが嗚咽なのだと気づいた。


 ミーシャは泣いている。


 ヴァイオラが告げた、知りたくなかった事実を知って。




「わ、私は……違うの、ヴァイオラ……私はっ、ずっと前からヴァイオラのことが好きなの……作り物なんかじゃないのおっ……!」


「ミーシャ……」




 キャミィもまた、かける言葉を見つけられなかった。


 その関係に立ち入るには、まだ一緒に過ごした時間が短すぎる。


 だから少しでも落ち着かせようと、背中をさするのが精一杯だった。




 ◆◆◆




 ヴァイオラの胸中でどんな感情が渦巻いているのか、僕にはその全てを理解することはできないだろう。


 ただ、どうあってもミーシャは殺す――そんな覚悟だけは、ひしひしと感じられた。


 殺意は途切れてもなお、それだけは変わらない。


 いわばそれは、諦めの境地とでもいうべきものなのだろう。


 ヴァイオラは疲れてしまったのだ。


 大好きな人たちが変わり果て、戻ることもなく、そしてそんな彼らに従うしかない自分の人生に。




「はぁ……不思議ね。あなたと私、主が変わってしまったという立場は一緒なのに、どうしてこうも真逆の答えを出すのかしら。私がもう少しまともな執事なら、旦那様や奥様、そしてミーシャを助けようとしたのかしら」


「僕はね、『もう十分に尽くしたはずだ』って、同じ屋敷で働く使用人たちによく言われてたんだ」




 僕は否定し続けた。


 足りない、尽くさなければ、だってリーゼロットがそこにいるのだから、と。


 けれど――こうして少し距離を取り、他の人の生き方を見ていて思う。


 確かに、周囲から見て僕が異様だと思われるのは当然なのかもしれない。


 もっとも、それを知ったところで、僕の気持ちが変わることはないのだけれど。




「ヴァイオラを見ていると思う。きっと君はおかしくなんかない」


「自分のほうがおかしい、って? 優しいのね、私を否定しないなんて」




 ふっと表情をから力を抜き、笑みを浮かべるヴァイオラ。


 しかし、ポジティブな笑顔じゃあない。


 僕の言葉は彼女に届かず、ゆえに生じた無気力な笑顔だ。


 なおも僕は語りかける。




「否定すべきは、憎むべきは薬のほうだ。僕らがやるべきことは、こうして殺し合うことじゃない」


「だから一緒に手を取り合って、工場を潰しにいこう、って?」


「そうすれば元に戻る方法だって見つかるかもしれない!」


かもしれない(・・・・・・)、でしょう? ごめんなさい、私そこまで楽観視できないのよ。工場を叩いても、黒の王蛇を潰しても、薬に冒された人たちが戻る保障はないもの」


「だとしてもっ! ミーシャを殺せば、ヴァイオラは絶対に後悔する!」




 理詰めには僕の手持ちのカードは少なく、感情に訴えるには僕らの関係は薄っぺらすぎた。


 それでも、だとしても――そう言葉を重ねたところで、やはりヴァイオラの壁は厚い。




「後悔ならとっくにしてるわ。どこかで気づければ、止めることができれば――って、死ぬほどね」




 ああ、そうだろう。


 かれこれ二年、ヴァイオラは耐えてきたのだから。


 その末に出した答えだというのなら、力ずく以外で、僕が止められる道理などないのだ。




「だからこそ、もう耐えられないって言ってるの。たとえミーシャを殺すことで強い後悔に苛まれたとしても、それは私が死ぬまでの一瞬のことじゃない」


「死んでも後悔し続けることになったとしても?」


「そこまでロマンチックな死生観は持ち合わせてないの。ごめんね、つまらない女で」




 僕だってわかってる。


 本当に彼女がロマンチストなら、また別の理屈が発生しただろう。


 二人で死ねば、あの世で幸せになれる――だから結局、説得なんてできっこなかった。


 ただの時間稼ぎ。


 互いに――ヴァイオラは呼吸を整え、僕は痛みに慣れ。


 そして衝突は再開する。


 ヴァイオラは近接戦を仕掛けてきた。


 それは彼女の得意ジャンルというわけではなく、魔力枯渇のための対策なのだろう。


 魔法というものは、威力と距離が伸びるほどに消耗が大きくなるものだから。


 しかし彼女とて知っているはずだ、魔法使いが【暗殺者】に近接戦で勝てるはずもないことを。


 つまり――何か(・・)、罠を張っている。




「しぃッ!」




 歯を食いしばり、息を吐き出し、糸を振るう。


 前に突き出される右腕。


 グローブに接続された糸は五本。


 一つの動きで、その全てがそれぞれ異なる軌道を描き僕に襲いかかる。


 少しずつ読めてきた。


 重要なのは腕全体ではなく、指先の動きだ。


 その微調整さえ見抜ければ、引き付けずとも糸の現在地点を知ることは可能だ。


 それさえわかれば、バラバラに動く糸を一刀にて切り落とすこともできる――




「ふッ!」




 風刃速斬ウインドエッジ・クイックスラッシュ――素早い動きで風を放つと、五本の動きが乱れる。


 続けて左手、こちらも同様にスキルで対処。


 ヴァイオラの右からの攻撃まではまだ猶予有り。


 続けて風刃速斬ウインドエッジ・クイックスラッシュで胸部を斬りつけ。


 執事服が破れ、生じた傷にヴァイオラの顔が歪む。


 服の向こうにちらりと見える胸と赤い傷口。


 そこから――まるで伸びるように、何かが僕の顔に迫る。


 ああ、そういえば闇魔法に血を操るものがあったっけ。


 確か中位魔法[スケアリーブラッド]。


 狙いは僕の目、体の動きだけじゃ回避は間に合わない――


 ヴァイオラは目を見開き、『もらったわ!』と右手の指を動かし、糸で僕の首を狙う。


 スキルで対処する――[アサシンダイヴ]。


 僕はヴァイオラの背後に移動し、背中よりナイフの刃を突き立てようとした。


 しかし足がぐにゃりと何かに沈み、体のバランスを崩した。


 前も使ってた[アシッドスワンプ]か!


 触れれば溶ける闇の沼、長時間の接触は危険だ。


 僕はワンアクションを、退避に割かねばならなかった。


 ヴァイラオは振り向き、両手の糸で僕を狙う。


 左右より迫るそれを、僕は指の動きを見て三度切り落とそうとした。


 だが――手応えがない。当たっていない。


 瞬間、闇に隠されていた糸がかすかに赤い光を放つ。


 魔力を込めて動きを変えたのか――




「もらったわッ!」




 早く、風刃痛打ウインドエッジ・バットスマッシュをッ!


 だがそれよりも早く、ヴァイオラの糸が触手のように自在に動き、僕の両腕に突き刺さった。


 ツプリ、と――それ自体は大したダメージではないが、直後に発動した風刃痛打ウインドエッジ・バットスマッシュにより、お互いの僕の体は吹き飛ぶ。




「ぐ、う……ッ!」




 その際に、体内に沈んでいた糸が服と両腕の肉を引き裂き、爪で引っかかれたような傷が生じた。


 骨は無事だけど――さすがにこれは、痛いな。


 当然、腕の動きも鈍る。


 これを好機と判断し、吹き飛んだヴァイオラはすぐに姿勢を立て直し、こちらに迫った。


 今度は糸で三角形を型取り、そこに薄く闇の魔力の膜を張ることで、擬似的な手甲剣を両腕に身につけて。


 まだ距離がある間に、ナイフの投擲で彼女を牽制。


 しかしうまく投げられず、威力も弱いそれは、ヴァイオラの剣でいとも容易く弾き落とされる。


 まだ腕にはしびれがあり。


 戻す(・・)のに少し時間が必要だ。


 僕はひとまずヴァイオラに背中を向け、戦いの場を変えることで、時間稼ぎを始めた。




 ◆◆◆




 戦いの音が遠ざかっていく――


 キャミィはミーシャの介抱をしながらも、クリスたちが手の届かない場所に行くのを感じていた。


 戦いにしても、精神のケアにしても、今の自分にできることがないのがもどかしい。


 しかし、下手に前に出ても足手まといになるだけだろう。


 そう自分に言い聞かせ、クリスたちを追いたくなる気持ちをぐっとこらえた。




「ミーシャ……大丈夫、きっとクリスさんがヴァイオラさんを連れ戻してきてくれますから」


「連れ戻して……っ、どう、したら……いいんですかっ。ヴァイオラは、私を、殺そうと……」


「私もそんな経験はないので、偉そうなことは言えませんが――前向きに考えましょう。これはお互いに本音を出せるチャンスなんです。腹を割って話すことで、前よりもわかりあえるはずです。その……無茶なこと、言ってるかもしれませんけど」


「……私は、今の今まで、自分が“変わった”なんて、考えたこともありませんでした」


「そう……なんですか?」


「言われてみれば、そうだった……って。言われるまで、違和感すらなくて……それって、おかしいじゃないですか。私が、薬でおかしくなったって、証拠じゃないですかっ」


「まだそうと決まったわけでは……」




 薄っぺらな慰めだと知りながらも、ミーシャにそう言い聞かせるキャミィ。


 しかし彼女の悲しみは膨張を続ける。




「心当たりがあるんですっ!」




 うずくまったまま、頭を抱えて声を荒らげるミーシャ。




「そりゃそうだロウな」




 そのとき――誰もいないはずの部屋の入り口から、キャミィでもミーシャでもない声が聞こえた。


 二人は顔をあげ、同時にそちらを見る。


 キルリスが立っていた。


 傷だらけで、血だらけで、担いだ斧にもべったりと血を付けて。




「キルリスさん、どうしてここに……それに、その血は……」




 戸惑うキャミィがそう尋ねると、彼女は軽くその場で斧を振った。


 素人では視認不可能な速度の斬撃――入り口が切り刻まれ、巨大な武器を担いだままでも入れる広さになる。


 その動きと表情に、キャミィとミーシャは猛烈な寒気を感じた。


 キルリスが歩み寄ると、さらにその寒気は強くなった。


 見下ろす目つきを間近で目撃して、始めてそれが“殺意”と呼ばれるものであることを、二人は知った。




「なあミーシャ」




 キルリスは白い歯を見せつけるようにニィっと笑う。




「ケーキおいシカッタよ、ありがトウ」




 しかし目は笑っていない。


 そこにある感情は、ひたすらに怒りだ。


 怒りと怒りと怒りと怒りが、瞳も表情も体も腕もその斧すらも埋め尽くし、権化となってそこに立っている。


 そしてキルリスは、一切の躊躇なく――ミーシャめがけて、斧を振り下ろした。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 29/29 ・あーそりゃキルリスさんブチ切れますわ [気になる点] 感情表現が気合入ってますね。(という気がしました) [一言] 面白かったよ、先が気になる!
2020/03/20 22:47 退会済み
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