023 宴
グラードは、絵に描いたような粗暴な男だった。
外見も、体は大きく、筋肉隆々で、扱う武器は“鈍器”と呼ぶにふさわしい使い込まれた大剣。
目つきは悪く、生やした無精髭が悪人面に拍車をかける。
顔には無数の傷跡があり、彼はそれらを負った経緯を、酔うたび武勇伝として語るのだ。
その最中、もし部下が少しでも嫌な顔をしたのなら、その場で殴り飛ばすだろう。
自分が世界の中心にあり、そうでなければ我慢できない。
そして不運なことに、彼にはそれを可能とするだけの力――“魔法”があった。
「どうせ見つかるんなら、堂々としてた方が俺らしい。そうは思わねえか、お前ら」
「はい、ボス!」
町長の椅子でふんぞり返るグラード。
屋敷を占拠された町長は、青あざだらけで、部屋の隅で白目をむいていた。
一緒に住んでいた家族も同様に、屋敷のどこかで倒れていることだろう。
「キルリスのやつ……俺より後にこの街に来といて、よくも好き放題やってくれやがったな」
「ですがボス、上があいつを送り込んできたってことは……」
「バカなこと言うんじゃねえ! むしろ逆だ、キルリスのやつが上に全然従わねえから、僻地に左遷されたんだよ。本来は俺が、あいつの上に立つはずだった。それが何だ? 薬は嫌いだの、お前は嫌いだのと、感情ばかりで動きやがって!」
彼が拳を叩きつけると、デスクは真っ二つに割れた。
魔法など関係なく、単純に腕力のみによって。
「潰す……次に会ったら、必ず潰す……ようやく例の薬も届いたんだ、負ける道理がねえ!」
「いつ攻め込んできますかねえ……」
「早くても朝だろ。さすがにあいつらも、あっちのアジトを襲って消耗したまま、ここに突っ込んでくるほどバカじゃねえ」
「じゃあそれまでは――」
「ああ、たっぷり楽しませてもらうさ」
グラードは下品な笑みで、部屋の入り口あたりで震えていた女性を眺める。
彼女は丈の長いぼろぼろのシャツだけを着せられ、首輪を巻かれた状態で、ぶるぶると震えていた。
クリスが救出した少女同様、体にはアザややけどの痕が残っており、相当痛めつけられたものと思われる。
「しっかし貧相な女だ。こんなやつしか残ってないとはな」
「すいません、他の女には逃げられちまって」
「ま、初物なのがせめてもの救いだな。いい悲鳴を聞かせてくれるだろ」
グラードが近づくと、少女は耐えきれず嗚咽を漏らした。
それが彼の機嫌を損ねるものと知っても、これから自分の身に降りかかる苦しみを思うと、我慢できなかったのだ。
すると、無骨な手が少女の顎にあてられる。
「女ァ、お前は感謝するべきなんだよ。本来てめえみたいな位の低い女は、俺の前に出てくることすらない。部下どもの餌になって終わりなんだからよぉ」
「う……っ、く……は……か、帰して……」
「あぁ?」
「家に……帰してぇ……っ」
「俺に命令してんじゃねえぇぇぇぇッ!」
「きゃああぁぁっ!」
肌に触れていた手を薙ぎ払うと、少女は吹き飛び、地面を転がった。
意識がぐらりとゆらぎ、視界も目つきも虚ろになる。
鼻血を流しながら朦朧とする彼女を、しかしグラードは許さなかった。
その胸ぐらを掴んで持ち上げると、今度は壁に叩きつける。
苦しげに、濁ったうめき声をあげる少女。
グラードは彼女に、怒りをにじませた顔を限界まで近づけ、吐き捨てる。
「俺は今、最高に苛ついてんだ。それぐらいわかるだろ? だってのによォ、媚びたメスのセリフ一つ言えねえのかよ。そんな女、殺されちまったほうが世のためってもんだよなアァ!」
男が手を離しても、不思議と少女の体は、壁に押し付けられたままだった。
グラードの職業は【風使い】、空気の流れをあやつり、彼女をそこにとどめているのだ。
そして軽く距離を取ると、部屋の壁に立て掛けてあった大剣を手に取り、少女の前で振り上げた。
「ボス、いいんですかい? 女はそいつしかいねえ。殺しちまったら!」
「殺しやしねえよ。腕を落とす。その苦痛で、少しでもその先の苦しみを和らげてやろうっつう――俺なりの、優しさだッ!」
腕に力を込め、全力で放たれる斬撃。
グラードが体に纏う筋肉の鎧は、ただ肥大化しただけのものではない。
力としなやかさと素早さ、その全てを兼ね備えたもの。
ゆえに放たれる斬撃も鋭く、いくら打撃寄りのなまくら刃とはいえ、腕ぐらいは容易く落ちる――はずだった。
「いやあぁぁぁぁああああっ!」
少女の叫び声が響き渡る。
だが、少女の腕はいつまでたっても落ちない。
かわりに、グラードの真後ろで、ごとりと音がした。
「ボ、ボス……」
部下が戦慄する。
グラードは振り向く。
落ちている。
握っていたはずの剣と――自分の、手首から先が。
「な、何で……何が起きやがったあぁぁぁぁぁあッ!?」
そこで彼は自らの手首の断面を見て、はじめて気づいた。
自分の腕が、すでに切断されていることに。
◆◆◆
躊躇いや葛藤はなかった。
部屋の外に聞こえてくる声だけで、それが“殺していい人間”だと一瞬でわかったから。
「風刃速斬」
壁ごと、室内の男の腕を切断する。
ごとりと床に落ちた音がすると同時に、扉を蹴飛ばして部屋に突入。
室内の状況を確認。
大柄な男がグラード、その部下が一人、壁際で尻もちをついているのは攫われた女の子か――
僕の姿を視認すると、グラードの表情が怒りに染まる。
『てめえがやりやがったのか、絶対に許さねえ! ぶっ潰してやる!』
そんな殺意が、ビリビリと肌で感じられた。
声には出ない。
この瞬間、そのような余裕は一寸たりともないからだ。
しかしグラードからは、腕を切断されながらも、僕に対する“恐れ”は感じられなかった。
ただただ純粋に、怒り、僕を憎んでいる。
かけらも動揺せず――こいつ、意外とやり手みたいだ。
「トルネードォッ!」
無駄口を挟まず、まっさきに僕に向けて魔法を放ってきた。
風魔法[トルネード]は、【風使い】の上位スキル。
手のひらより渦巻く風を放ち、触れた物体を細切れにする。
僕は横っ飛びでそれを回避。
その直後に、床と扉が粉々になって吹き飛んだ。
威力も強烈、伊達に黒の王蛇の幹部はやってないらしい。
『今のを避けるか、大した反応速度だ!』
グラードの視線がそう語る。
自信過剰な野蛮人特有の油断も見られない。
チッ、本当に厄介だな。まずは取り巻きから始末するべきか。
飛びながら、風刃飛魚――眉間に直撃、即死を確認。
しかし投擲にて生じるわずかな減速を狙い、グラードがこちらを狙う。
準備動作はほぼゼロ、手のひらから放たれるは下位魔法[ウインドエッジ]。
その威力は本職の魔法使いだけあって、僕のものよりも強力だった。
もっとも、相手がまともな魔法使いだったら、魔力障壁に阻まれる可能性が高いのだけれど――
グラードから見た僕は、【暗殺者】のスキルを使ったくせに、魔力障壁を突破する奇妙な存在。
それを試すための牽制といったところか。
この体勢から完全な回避は不可能だったため、体をひねって避ける。
風の刃がわずかに肩を掠める。
その“ひねり”を利用し、グラードに向けて風刃飛魚を複数発同時発射。
彼は横に飛び込むようにそれを避け、左手で落ちた大剣を確保した。
「うおおぉぉぉおおおおッ!」
咆哮――そして大剣の刃が風を纏う。
刃長がキャミィの身長ほどあるその武器は、振るえば当然、大きい分だけ隙ができる。
承知の上で振り上げるグラード。
僕は複数本のナイフを指の間に挟み、投擲の準備をしたが――彼の暴力の矛先が向いたのは、こちらではなかった。
悪は下劣に嗤う。
――あの男、人質を狙っているのか!?
「やらせるわけにはいかないッ!」
最初の一撃で、僕が人質を守ろうとしていることに気づいた。
つまり僕がそれを止めようとすることを理解した上での、罠。
しかし、乗らないわけにはいかない――[ブリッツアサルト]で加速、少女とグラードの間に割って入る。
「俺に逆らうやつは全員死ねェ! [ストームバースト]ッ!」
大剣が床に叩きつけられる。
爆ぜた風が嵐となって、僕と少女に襲いかかる。
「風刃痛打ッ!」
僕はその“嵐”に向かって、ナイフを振るい、爆裂する風をぶつけた。
これは単純な威力比べだ。
グラードの放った上位スキルと、僕の下位スキル二つの組み合わせ、どちらが勝つか。
足し算ならばグラードが勝つ。
けれど僕が放つこの技は、乗算をさらに超えていく。
衝突点においては、激しい力同志のぶつかりあいにより、雷光が生じた。
夜の闇が散発的に発生するそれに、バチバチと引き裂かれる。
生じた衝撃により、隣接する天井や床、壁は粉々に砕け散った。
だが――僕は無事だ。もちろん少女も。
一方でグラードの体には、いくつもの傷が生じていた。
「ぐっ……馬鹿な。この俺が、魔法同士の力比べで膝をつくだとォ?」
「た……助かったの? わた、し……」
へたりこむ少女は、涙を流しながら僕を見上げている。
振り向いて彼女に微笑むと、その表情は安堵ゆえにくしゃりと歪み、ついには肩を震わせながら泣き始めた。
「しかも負ける相手がキルリスですらねえとは。ちくしょう、こんな名前も知らねえ執事相手にッ!」
彼の手首の傷口からは、大量の鮮血が流れている。
あの出血量では、治療をしなければ長くはもたないだろう。
「僕の名前はクリスだよ」
「名乗れって言ってんじゃねえんだよ! てめえ、そのスキル【暗殺者】だろうが。物理職のくせに、何で俺の魔力障壁を突破できるッ!」
「できるからできる、としか言えない」
「舐めやがってッ! おい、誰かいねえのか? 敵だ、敵がここにいるぞぉおおおッ!」
助けを呼ぶグラード。
しかし返事はない。
「誰か……一人ぐらいいるだろうがッ! 来いよ、俺を助けにこおぉぉぉいッ!」
すると壊れた入り口から、誰かがひょっこりと顔を出す。
グラードの表情が一瞬だけ明るくなるが、それがキルリスだとわかると、すぐに青ざめた。
「ヤア。残念だったネ、グラードクン。仲間ナラ、全員あたしらが殺しタヨ」
彼女は嬉しそうに笑いながら、敵に告げる。
斧には血がべっとりと付着していた。
もちろんキルリスの部下たちも大暴れして、グラードの部下はひとり残らず駆逐された。
彼女の実力を知っているグラードなら、今さらその言葉を疑ったりもしないだろう。
絶望で表情を満たす彼を見て、キルリスはさらにニコォッ、と口角を吊り上げた。
「年貢の納め時ってヤツだネ」
「キルリス……てめえさえっ、てめえさえ来なければッ、俺はこの街を支配できていたというのにぃッ!」
「シシシシシッ! いい顔ダ、ソレが見たカッタ! 嫌いなヤツの屈辱に塗レタ顔ってのは、いつ見ても気持ちがイイ! マア初対面だけどナ!」
「てめえわかってんのか? 本部に逆らってんだぞ!?」
「あたしハあたしの味方ガ沢山イルことを知ってル。組織も一枚岩じゃないんダ。それニナ、お前の仇をうツ――何て人間が現れるホド、お前ニ価値なんて無いヨ」
「ッ……クソッ……!」
反論の言葉が思い浮かばないのか、グラードは歯を食いしばったまま、キルリスを睨みつけることしかできなかった。
そんな様子を見せたって、彼女をさらに喜ばせるだけなのに。
まあ、ディヴィーナとリジーナたちをあんな目に合わせた張本人なんだから、ざまあみろとしか思わないけど。
「キルリス……キルリスうぅぅ……! お前だけは絶対にぃぃ!」
「それニ、あたしが来なくテモ、クリスが来た時点でテメーは終わりだったと思ウけどナ!」
「いいや、まだ俺は終わらねぇェッ!」
グラードはポケットから、藥袋を取り出す。
中には赤い粉末が入っており、彼はそれを袋ごと口に入れ、噛みちぎって摂取した。
「魔薬! 自分を魔物化するつもりか!?」
「そうだ……この新型の薬なら、てめえらを全員皆殺しにできるッ!」
「だっタラ、魔物にナル前ニ殺してヤルよォッ!」
キルリスはその場で、斧を地面に叩きつける。
するとグラードの目の前がせり上がり、先端の尖った岩の槍がその喉元を狙った。
「うおぉぉぉおおおおおッ!」
だが、すでにその変異は始まっている。
両腕に血管が浮き上がり、赤い光を放つ。
切断された右手が、ボコッ! と泡立つように再生した。
そしてその手で、迫る岩の槍を素手で掴み――握りつぶした。
「シシッ、ヤルじゃん!」
なぜか嬉しそうなキルリス。
なおもグラードの変異は続く。
全身の筋肉はさらに隆起し、服が破れ、その内側から茶黒い毛皮に覆われた皮膚が現れる。
やがて体の全てが余すこと無くその毛皮に包まれ、顔や手足は狼のそれに近い形に変形していく。
「ウッ、ウオッ、ウグルルゥアアァァァァアアアアアッ!」
吼えるその声も、人ではなく、完全に獣のものだ。
グラードは、おとぎ話によく出てくる狼男によく近い存在になっていた。
もっとも、想像されるものよりもずっと大きく、荒々しい外見をしていたけれど。
「うッヒャあ、本当に魔物ニなるンだナ」
「ひ……ひいぃ……っ」
見ていて胸が痛くなるほど怯える少女に、僕は言い聞かせる。
「君は外に逃げて。グラードの部下はもういないから、誰かと会ったら、どんなに怪しい人でもそれは僕たちの味方だ。自分が人質であることを告げて、一緒に外に出るんだ。いいね?」
彼女は無言でこくこくと頷くと、四つん這いのまま部屋から出ていった。
すると、部屋の外にいた別の少女が彼女の手を握った。
グラードの死ぬところを見たいと言っていた少女だ――そうか、そこまで来ていたのか。
二人が逃げるのを見届けると、僕はナイフを構える。
魔物と化したグラードの周囲には風が渦巻いている。
おそらく魔力がまだ安定していないせいだろう。
要するに垂れ流しの状態だけど、魔力障壁のない僕が近づけばひとたまりもない。
「ディヴィーナやリジーナのときは、ここまで早くもなければ、完全に魔物化することもなかった」
「それデ新型カ……シシシッ、ワクワクしてきたナァ!」
「すごいね。あれを見ても怖くないの?」
「ゾクゾクとワクワクは同じダロ?」
……感覚が麻痺してるのか。
僕は怖いな。
リーゼロットがいつかあんなものになるかと思うと、想像するだけで寒気がする。
だから――一刻も早く、駆除してしまいたい。
「ウオォォォォォオオオオオンッ!」
ひときわ大きな鳴き声。
生誕の合図だ。
「サア! パーティーの始まりダアァァァァッ!」
キルリスがグラードに突っ込んでいく。
僕も彼女とともに、迸る獣の本能へと立ち向かっていった。
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