022 悪に対する悪は時に正義のようにも見える
夜のティンマリスに、悲痛な叫び声が響き渡る。
「や、やめてくれぇっ!」
「ここにあの人はいないって言ってるだろぉ!?」
「場所だって話したはずだ、なのになんで!」
逃げ惑う男たちは、一様に、圧倒的な力を持つ襲撃者たちを前に怯えていた。
「なんで? あたしらに隠れてコソコソと薬を広めたテメーらがサァ、よく言えたもんだよナァ! そーらよっと!」
キルリスが斧をブォン! と振り回すと、風圧で近くに立っていた男の頭が吹き飛んだ。
続けて、重さを感じさせない動きで、別の男を叩き潰す。
ズドンッ! と刃が地面を叩くと、真っ二つになった彼の体は、肉片となって飛び散った。
キルリスの部下――否、“仲間”と呼ばれる四人は、そんな彼女の姿を後ろから眺めている。
「お頭、楽しそうですね」
眼鏡をかけたクールな美男子、テイリー。
「こりゃおいらたちの出番はねーな」
背の小さな、どことなく猿っぽい少年、エテルード。
「私たちも殺したいのに……出る幕がないの……悲しいの……うっ、ひっく……」
目の下のくまが特徴的な、暗い雰囲気を纏う少女、ニャンデリィ。
「あーあ、腹減ったなぁ……今日の飯なにかなぁ……」
パンを頬張りながらそうつぶやく、太った男性、クラッツ。
彼ら四人は、キルリスが黒の王蛇に所属するより前から一緒に行動してきた、いわば一つの“チーム”であった。
「お薬キメてんならヨォオ! もうちょっと頑張ってくれませんカァねえエェェェ! そらそらァッ! 抵抗しないんジャア、テメーの頭のぶっ潰しちまうゼェェェェェッ!」
言いながら斧を振り回し、死体を増やしていくキルリス。
もう相手に抵抗の意思はないが、そんなことはお構いなしだった。
「お頭、潰しちまうって言いながら潰したら脅しの意味がありませんよ」
「何いってんだいテイリー、最初から脅すつもりなんてないんだって」
「……ずるい、お頭ばっかり。私も殺す……殺す……殺したい……」
「腹減ったあぁぁぁあ! お頭ァ、こいつ食ってもいいかぁ!?」
「シシシシッ! クラッツ、さすがに人肉はヤメトケっテ。脳ミソスカスカになってバカになっちまうらしいカラナー!」
「だったら飯ィ! どっかに飯ねぇのかよぉ!」
「飯と酒なら手前の部屋でおいら見つけたけどね。お頭、クラッツと一緒に行ってもいい?」
「好きにしてイイゾ、あたしは残ったコイツに聞きテエことあるからナ! タダシ、あたしらの分も残しとケヨ?」
「あいよー!」
「飯……飯ぃ……」
エテルードは、クラッツを連れて部屋を出ていく。
「僕には理解できませんね。この光景を見てよく食欲が湧くものです」
「ソウカ? あたしはこの後の宴を楽しみにシテるけどナ!」
「お頭の場合は食欲ではなく飲みたいだけでしょう」
「シシシッ、、それもそうダナー!」
「……ねえお頭。あいつ、一人だけ残ってるけど殺していい? 私がやっていい?」
「ンー、ドーセ聞き取りはニャンデリィに任せるつもりダッタかラ、必要な情報を引き出せタラ、殺してイイゾ!」
「うふ、うふふふふ……」
キルリスから許可をもらい、ニャンデリィは余った袖を口元にあてて笑った。
瞳はサディスティックに濡れ、舌でべろりと唇をなめると、赤く艶やかにぬめりと光る。
「うふ、ふふふふ……許しが出ちゃった。でーちゃった。どうする、おにーさん。どこから焼いちゃうぅ?」
「ひ……ひ……ひっ、話すから、話すから許してぇっ!」
「わかった。なら、話した後に殺してあげるからぁ、早く死にたかったら急いでしゃべってね? うふふふふふっ!」
これより、凄惨な拷問が始まる。
この場はニャンデリィに任せ、キルリスとテイリーは部屋を出た。
「しかし困りましたね、お頭。まさかグラードがすでにこのアジトを捨てているとは」
「マー、ティンマリスはそんなに広い街じゃネーんダ。スグに見つかるダロ。逃げテルってことハ、あたしに勝てないってことだシナ」
「そうですね、掌握は時間の問題でしょう。それだけに気になるんですよ」
「何ガダ?」
「そこまで敗北が見えているのに、なぜティンマリスに残るのか。死にたくなければ、早くここを出ていくべきだと思いませんか?」
「ソリャあれダ。コシツってヤツだ。これまでハ、グラードがティンマリスの王ダッタわけだシナ。最後の瞬間マデ、キセキってヤツを信じてるのサ」
「そこまで愚かなものでしょうか」
「人間ってのはそんなモンだゼ? シシシッ」
話が一段落したところで、エテルードたちが先に向かった、食料のある部屋に入ろうとするキルリス。
だがそこで、彼女はこちらに近づく何者かの気配に気づき、背負った斧の柄に触れた。
「お頭?」
「マダ、誰カ生きて……いや、この気配ハ――」
◆◆◆
窓を開いて、夜の街に耳をすませば、響く音は聞こえてくる。
だいたいの位置を把握できた以上は、このまま無視して明日の朝まで待つ――というわけにもいかないだろう。
僕は部屋を飛び出し、キルリスがいるであろう場所に向かった。
そこは酒蔵であった。
いや、正確には酒蔵として利用されていた建物を、誰かが奪い、改造してアジトとして使っていたというべきか。
流れる空気に乗って漂う死の匂い。
キルリスが『人殺しと宴で忙しい』と言っていた場所はここで間違いないだろう。
屋内に忍び込んだ僕は、目当てであるキルリスのところにたどり着く前に――部屋の隅で怯える、一人の少女を見つけた。
ボロボロの服を身にまとい、膝を抱えて、小刻みに震えている。
「君、大丈夫?」
僕が声をかけると、少女は恐る恐る顔をあげた。
年齢はミーシャと同じぐらいに見える。
しかし栄養環境の違いもあるので、ひょっとすると少し年上かもしれない。
彼女は首輪を付けられ、鎖で壁に繋がれていた。
体には青あざがいくつもあり――かなり強引に連れてこられたことが伺える。
見当たるのがアザだけなのが、せめてもの救いか。
瞳に涙を浮かべる彼女に対して、僕はなるべく優しく語りかける。
「戦いに巻き込まれたんだね。もう平気だよ、君を傷つけようとする人は誰もいないから」
「ち、ちが……」
「巻き込まれたんじゃないの?」
「あの人たち……死んだ? ここ、に……グラード、部下たち……が」
「グラード……黒の王蛇のメンバーなの?」
僕がそう尋ねると、彼女は首を縦に振った。
黒の王蛇のキルリスが、同じ組織のグラードという男のアジトを襲った。
派閥の違いとでも言えばいいのかな。
薬を嫌う者と、薬を広めようとするもの。
その利害がぶつかりあった結果だろう。
となると、彼女は――そのグラードに捕らわれていたのか。
服装を見るに、そういう目的でこき使うために。
僕は執事服の上を脱ぐと、彼女の肩にそっとかける。
「その人がこの建物の持ち主だとしたら、たぶんそうだと思うよ」
「ああ、良かった……良かったぁ……」
「僕と一緒に外に出よう。安全な場所まで連れて行ってあげる」
「あり、がと。おにいさん……名前、は?」
「ふふっ……クリスだよ。こう見えても女なんだ」
「へ? あ、ご、ごごっ、ごめんなさい!」
「いいよ、そう見えるようにしてるのは僕なんだから」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。ごめんなさい……その……私は、ミリエルって、言います」
「ミリエルか、綺麗な名前だ」
「え、えへ……ありがとう、ございます」
「よし、鎖を壊すから、もう少しだけ壁から離れてもらってもいい?」
最終的には、首輪自体を外したいけど、それはもう少し明るい場所でやるべきだ。
僕はナイフで鎖を切断し、彼女を解放。
そしてその体をささえながら、入ってきた窓から外に出ようとした。
すると、部屋の扉が蹴飛ばされ、巨大な斧を持った女が乗り込んでくる。
「……んオ?」
キルリスは僕を見て首を傾げると、すぐに元の角度に戻り、白い歯を見せてニッと笑った。
「なァんだ、お前カヨ、クリス。明日の昼って言ったノニ、我慢できなくなったノカ? シシシッ」
昨日と同じように、彼女は独特のイントネーションで話す。
肌の色も少し濃い。
おそらく他の国から流れてきた人間なんだろう。
「盛大に暴れてくれたおかげで、位置の特定が簡単だったからね」
「ソーカソーカ。ところで、そっちの女ハ?」
「……っ」
「大丈夫、敵じゃないから。手出しもさせない」
耳元でそう囁くと、少女は安心したように僕に体を預けた。
「心配スンナヨ、別に取って食おうってワケじゃネーんダ」
「彼女はここに囚われていたんだ。さっき助けたばっかり」
「ソーカ、要するにグラードのやつがオモチャにしようトしてタンだロ? だっタラ、なおさらあたしらが手を出す理由はネーナ」
「グラードっていうのは誰?」
少女にも一度聞いたけれど、キルリスにも改めて尋ねる。
彼女は同じ組織の人間なのだから、より多くの情報を持っているだろう。
「あたしもシラネ。ただ、あたしがティンマリスに来た時点デ、どーやらソイツがこの街で一番ノ権力を握ってタらしイ。薬を流通させてんのもソイツだろーナ」
「つまりキルリスは、そのグラードを殺すためにここにやってきた、と」
「マ、肝心のグラードは逃げたアトだったけどナー。でも部下は皆殺シに出来タ。ソーダ、クリスも一緒に宴に参加するカ?」
「宴?」
「壊滅記念ってヤツ。イイ酒と食いモンが揃ってんダ。仲間にナルお祝いと行こうじゃネエか!」
まだ仲間になるとは言ってないんだけど――いや、ここに来た時点で言ってるようなものか。
断るつもりなら、最初から近づかなければいいのだから。
ただ一つだけ、問題があるとすれば、この女の子か。
「待ってキルリス」
「んア?」
「この子を安全な場所に送り届けたいんだ。少し時間をくれないかな」
「一緒に連れてきたらイーだロ。敵対しなけりゃ、あたしラの近くホド安全な場所もネーんだからナ!」
……何となく、そう言われる気はしてたよ。
彼女が問題なければ、それでもいいんだけど。
「従ったほうが、いい気がするので……私は、構い、ません」
構わない――というわりには怯えているけど。
しかし彼女の言葉が正しいのも事実だ。
「何かあったら、僕が守るから」
気休めにしかならないけれど、彼女にそう告げて、僕はキルリスの誘いに乗った。
◇◇◇
僕らが部屋に入ると、宴はすでに始まっていた。
太った男が肉を食い散らかし、小さな少年が片っ端から酒を開け、眼鏡をかけた知的そうな男がそれを呆れた様子で見ている。
少し離れた部屋からは、少女の笑い声と男の叫び声、そして肉を包丁で叩くような音が聞こえてくる。
一瞬見ただけでもわかるほど、まともではない空間だった。
「ヨーシ、クリス。そこに座レ! 今日は朝まで飲み明カすゾー!」
「僕はまだお酒を飲める年齢ではないので」
「硬いコト言うなッテ。ナラ一杯だけデモいいから。ナ?」
……思ったより強引ではないんだな。
海外の非合法組織は、こんな風にして兄弟の盃を交わすと聞いたことがあるけれど、似たようなものなんだろうか。
僕はコップに控えめに継がれた赤い果実酒を受け取ると、
「かんパーイ!」
「乾杯」
キルリスのそれとカチンと合わせて、中身を一気に飲み干した。
かぁっと喉とお腹が熱くなる。
思わず「ふぅ」と――ため息ではないけれど、重めの吐息が出てしまった。
やっぱり慣れないことはするもんじゃない。
「シシシ、意外とウブなんだナ」
「放っといてよ」
「わーったわーった。で、ダ。手を組んで早々に悪いんダガ」
あぐらをかいたキルリスは、前のめりになって私に顔を近づけながらしゃべる。
「明日、グラードを叩ク。協力してもらえないカ? 利害は一致してるんダ、そっちニとってモ悪い話じゃないダロ?」
「場所はわかってるの?」
「今、ニャンデリィが吐かせてるトコダ」
「もしかして、拷問……?」
「マ、最初から話すって言ってタンだけどナ! シシシシッ!」
「……な、なら……ご、拷問する必要、な、なかったんじゃ」
「オジョーチャン、そりゃアレだヨ。勝者の権限ってヤツダ」
「……っ」
「ほどほどにしときなよ、その子は関係ないんだから」
「と言ってもヨオ、その子だっテ、グラードのコト、ゴーモンしたいぐらい恨んでるんじゃネーノ?」
「……そ、それは……そう、かもしれない」
言いにくそうにうつむく少女。
キルリスはニィッと笑うと、彼女に自分の前にあったハムを差し出した。
ほれ、食え――と言わんばかりに。
少女は不安げにキルリスを見て、僕を見て、反応をうかがう。
僕はこくりとうなずいた。
少なくともこの行為に関して、キルリスからは善意しか感じられないから。
そして少女は、おずおずと薄く切られたハムを指でつまむと、口に放り込んだ。
緊張した様子だけれど、明らかに表情がほころぶ。
手足は細く、顔もやつれている。
まともな食事を与えられたのは久しぶりなのかもしれない。
「おいしい……」
「そう高いモンじゃネエ。普通に生活してリャア食えル」
「う、うぅ……うぐううぅ……っ、わ、わだしっ……わたしぃ……帰りたい、よお……」
「……ここにいたってことは、誘拐されたの?」
僕が尋ねると、少女はぼろぼろと泣きながら、何度も首を縦に振った。
「と、友達、二人、と……がっこ、に……行ってたら、いきなり……さらわれ、て」
「アイツら、そんな悪趣味なことマデしてたんダナ」
「薬なんて関係なしにクズだね」
「そ、それから、気づいたら、ぜ、ぜんぜん、しらない、場所に……いて。一人はぁ、男、だからって……め、目の前で、殴られて……蹴られてっ」
「使いミチがなかったってカ」
「だから、色々、ひどい目に、あって……殺されたの。死ぬ、直前まで……私たちに、助けてって……でも、私、何もできなくて……あと、あとね、私たちも……私たちもぉっ……!」
目を大きく見開き、肩を上下させながら荒く呼吸を繰り返す彼女。
どうやら、聞かないほうがいいことを聞いてしまったらしい。
僕はさらに強くその体を抱きしめ、あやすように頭を撫でる。
「話させるようなこと言ってごめん、もう大丈夫だから。あと少しで帰れるよ」
「う……うぅ、うわぁぁぁぁああああああっ!」
抱き寄せると、胸の中で少女は泣きじゃくった。
少しでも落ち着かせようと、背中を撫でる。
「人殺しは楽シイ。悪事は最高ダ。デモナ、あたしは思うんダ。戦う力の無い相手から奪っテモ、そこに“楽しみ”なんてネエってサ。ヨースルニ、弱者専門の悪ハ、悪事を楽しんでネエ。悪事に付随して手にハイル“何か”のために悪を成ス、半端なクズ。あたしはソー思ウ」
キルリスはそう言って、再びグラスになみなみと注いだ酒を飲み干した。
そして手の甲で口元をぬぐい、不敵に笑う。
さっきは拷問とか言ってなかったっけ――っていうのは無粋な疑問なんだろう。
グラードに付いた時点で、それはもう“戦う力を持つ者”だ。
「ダカラ、あたしはグラードが嫌いダ。お前はドー思う? クリス」
「同じ人間だとは思いたくない」
「シシシッ、いい返事だネエ。んじゃ話はまとまったってコトデ。明日ニなったラ――」
「あ、あのっ!」
「ン?」
「と、友達が……た、たぶん、まだ、生きてて……グラードが、と、特に、気に入ってたから……つれ、つれていって……る、かも……」
「そっカー……そっカそっカァ……」
こんな状況でも連れ回すとは、よほどグラードのお気に入りらしい。
グラードがいなくなっても、この少女はこんなに怯えてるんだ。
一緒にいる子は、さぞ恐ろしい思いをしているだろう。
「キルリス」
「どーシタ、クリス」
「僕は今からグラードってやつを潰しにいこうと思うんだけど、どうする?」
僕の言葉に、キルリスは『待ってました』と言わんばかりに笑った。
「シシシ、いいネエ。あたし、やっぱお前ト気があうと思うヨ」
どうやら、意見は一致したらしい。
彼女は立ち上がると、暴飲暴食拷問と、好きに大騒ぎしていた仲間たちに呼びかける。
「ヨッシャお前ラ、予定の前倒しダ! 今からグラードを潰しに行ク!」
「お頭……飯、食い足りない」
「グラードの隠れ家にはモットいいモンがあルゾ、クラッツ!」
「お頭ァ! そこ酒もあるぅ?」
「あるに決まっテル! 好きなダケ飲んデイイぞ、エテルード!」
「お頭、あいつ死んだからもう拷問できない……次のおもちゃ、ほしいな……」
「ニャンデリィ、場所を聞き出セタんナラ案内をたのム。そこにおもちゃハ腐ルほどイルからナ!」
「お頭、確かに夜なら奇襲もしやすいですが、すでにグラードにここを襲撃した情報は入っているはず。今のタイミングでは、逆に夜だからこそ警戒が強いのでは?」
「テイリーがそう言ってルガ、クリスはドー思ウ?」
どうもこうもない。
放っておけば、少女の友人はさらに傷つく。
ひょっとすると、薬を使われてしまう可能性だってあるんだ。
昼まで待つ理由がない。
それに、僕は【暗殺者】なんだから――
「夜は僕の庭だ。むしろ今行かない理由が見当たらない」
「らしいゾ」
「ふふっ……でしたら、先頭は任せましたよ。お手並み拝見といきましょう」
眼鏡を指で押し上げ、微笑むテイリー。
他の面々も文句を言いながらも、どこか楽しそうだ。
おそらく彼らは、根っこが似た者同士なのだ。
だから集い、一緒に行動している。
僕とは気が合いそうにないから、引き込まれるつもりはないけれど――今は共に行こう。
僕らは夜の街へと飛び出す。
「わ、私……見たいです。グラードが、死ぬところを……!」
そう望んだ少女を連れて。
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