021 アウトサイダー
ヴァイオラは、またもや僕に触れられない距離で、拳を振るった。
いや――その動きからすると、拳を振るうというよりは、グローブに付いた何かを操っているのか。
僕は後退――すると頬にピッと弾かれるような感覚。
そして直後にわずかな痛みがあった。
また切られたのか。
傷は浅いけれど、一体何に?
「逃げてばっかじゃ勝負にならないんだけどッ!」
自らの有利を確信してか、ヴァイオラの表情は自信に満ちている。
こちらの手の内もまだ明かしてないとはいえ、相手の武器が何か見えないと攻めるに攻められない。
切断された――刃物? いや、それにしてはリーチが長い。
あるいは、それそのものが魔法の可能性もあるけれど、だったら拳を振るう必要はないはず。
それにさっきの斬られる直前の感覚からして、間違いなく何らかの“物体”が僕に近づき、触れている。
気配……か。
本当にわずかなものだったけれど、意識すれば、直前で避けられないことはない、か?
「ヴァイオラ、お願いだからもうやめてくださいっ!」
「そうですよぉー! 私のクリスさんを傷物にしないでくださいーっ!」
「そらそらぁっ! どんどん行くわよ、クリス!」
ミーシャとキャミィの言葉も聞かずに、積極的に仕掛けてくるヴァイオラ。
僕は直前までその正体不明の攻撃をひきつけ、肌に触れる直前、空気の流動を感じとった瞬間――のけぞる。
鼻先を“何か”が掠めていく。
回避成功――と思いきや、少し遅れて足元に感覚。
片足で跳躍。
空中でも気配を感じ、体をひねる。
「っ、急に踊りだしたかと思えば全部避けてみせるなんてっ!」
踊り――ああ確かに、そんな風に見えたかもしれない。
地面に片手を付いて、腕の力で再度跳ぶ。
全身の感覚をフル動員して、ヴァイオラの攻撃に対処していく。
なるほど――形状の変わる鋭利な何かが、片手につき五つ――いや五本か。
指を動かすだけで反応していることから、非常に軽い武器だ。
思い当たる節は一つしかないけれど、どれだけ細かろうともそれは“目に見える”。
けれどヴァイオラのそれは、完全に視界から消えている。
実体があるものから、光の反射を奪う――それは完全に魔法の領分だ。
つまりヴァイオラはおそらく――
「【闇使い】か」
僕の小さな声に、彼女は確かに反応した。
考えるに、ヴァイオラの操るこの武器は繊細な操作が要求される、扱いが難しいもの。
わずかな心のゆらぎが、その動きを鈍らせる。
対する僕は、余裕が出てきたので、避けながら言葉で彼女の動揺を誘う。
「そして操るこの不可視の得物は糸――おそらくは魔石を素材に使った頑丈なものだ」
「それがわかったところで何だって言うのよっ!」
正解らしい。
ヴァイオラの表情に苛立ちが見える。
さらに、“糸”の動きは雑になる。
この路線で攻めてみるか。
「『感情的になるな、ヴァイオラ』」
「っ!?」
「師匠に嫌ってほど言われたんじゃないかな」
「うるさい、うるさい、うるさぁいっ!」
がむしゃらに糸を振るうヴァイオラ。
だがそれが“糸”であるとわかったのなら、感情が高ぶるあまり大きくなった手の動きから、軌道を読むことは容易い。
この段階までくれば、回避以外に集中力を割くことができる。
「たとえあんたがどれだけ私を揺さぶろうとも、魔法を使えないのなら結果は同じことよ!」
「それはどうかな」
「強がりをッ!」
「じゃあ試してみるといい――風刃空魚!」
空中で逆さになりながら、ヴァイオラにナイフを投擲する。
彼女は避けもしなかった。
物理職に魔力障壁を突破できるはずがない。
それは唯一習得できる下位魔法を使っても同じこと――そう思っているんだろう。
だから僕はあえて、急所は狙わなかった。
うっかり眉間にでも直撃して、ここで死なれちゃ困るからね。
そしてナイフの刃は、当然のように彼女の頬を切り裂いた。
肌を撫でる冷たさ。
生じる熱と痛み。
「嘘でしょ!?」
その瞬間、ヴァイオラに最も大きな隙が生じる。
すかさず僕は[アサシンダイヴ]を発動。
彼女が『しまった』と振り向こうとするより早く、ナイフの刃をその首筋に突きつけた。
ヴァイオラの表情がこわばり、肌に冷や汗が浮かぶ。
「あんた、何なのよ……【暗殺者】のくせに、魔法まで使えるっていうの……?」
「だとしたら、どうする?」
「くっ……殺しなさい。主を誘拐された挙げ句、取り戻すことすらできない私に生きる価値なんてないわ……」
「……だ、そうですけど。どうしますかミーシャさん」
僕がそう問うと、ミーシャはふくれっ面でヴァイオラに近づいた。
歩幅も広く、全身で不機嫌さを表現している。
ヴァイオラは彼女を前にすると、がっくりと項垂れた。
「ミーシャ、無事だったのね。ごめんなさい、不甲斐ない私で」
「ねえ、ヴァイオラ」
「私ね、最後にあなたに言いたいことがあって――」
「ヴァイオラっ、私の話を聞きなさーいっ!」
これは怒る。僕でも怒る。きっとリーゼロットもそうしただろう。
しかしなぜ怒られたのかわかっていないヴァイオラは、ぽかんとしていた。
「……きゅ、急に何よ」
「さっきから戦ってる途中もずーっと叫んでたのに全然聞いてくれないんだもん! 今日だってそうだったじゃない! 私の話をぜーんぜん聞かないで自分の都合ばっかり!」
「そ、そんなこと言ってた……?」
「言ってた! クリスさんは敵じゃないから戦わないでって何回も何回も言ってたー!」
「敵じゃない? だったらどうしてミーシャはこいつらと一緒にいたのよ!」
僕はすっとナイフを懐に収めると、痴話喧嘩を繰り広げる二人から離れて、キャミィに近づく。
近づくと巻き込まれそうだし、距離をとっておこう。
「怪我、大丈夫ですか?」
「うん、大したことないよ」
「ひとまずハンカチでも巻いておきましょうか」
「……いや、そのハンカチは、いいかな」
「消毒作用が」
「無いと思う」
しょんぼり肩を落とすキャミィ。
しゃぶってさえいなければ、ありがたいんだけどね。
「私が頼んだの。この街を見て回りたかったから!」
「それが危ないからやめろって言ったんじゃない。つい最近、いっぱい人が死んでるのよ?」
「だから護衛はちゃんと付けてたじゃない」
「その護衛が一番の危険人物だったから問題なの! わかる!?」
「危険なんかじゃないもん! クリスさんもキャミィも優しかったもん!」
「優しいからこそ危ないのよ! 今の戦いを見たでしょう? あいつ、私の糸を簡単に避けてみせたのよ!? 只者じゃないわ!」
「まあまあ、ミーシャもヴァイオラさんもそのあたりにしておきましょうよ。この私に免じて!」
「誰よあんた」
「クリスさんの現地の女こと、キャミィです!」
どうしてキャミィはそう状況をややこしくするのかな。
「違うから。この子は僕と組んでる商人。そして僕は冒険者」
「冒険者ぁ? そのナリで?」
「主は別の場所にいるからね。そういう君こそ、その服を着ている割には、主に対して随分と対等な関係を築いてるようだけど」
「私は……ミーシャのこと、産まれたときから知ってるのよ」
「ヴァイオラは、私の姉みたいなものなんです。同じ屋敷で、一緒に過ごしてきましたから」
ミーシャはよそ行き用の敬語でそう話す。
僕とリーゼロットも似たようなものだけれど……普通に今の年齢になってたら、同じような関係になれてたのかな。
「それにしても……さっきは殺さなかったし、普通に話も通じそうだし……どうやら、ミーシャがあなたたちに護衛を頼んだって話は本当なのね」
「だから最初からそう言ってるの。ヴァイオラのバカ」
「バカって何よバカって! まあ、とりあえず、クリスには謝るわ。ごめんなさい。あとで治療するし、他に望むことがあるなら何だってするから」
「ぐへへへへ、何だってするらしいですよぉ、クリスさぁん。あの豊満なボディを好きにできるってことですよぉ!」
手をワキワキさせながら下品に笑うキャミィ。
もうちょっとこう、女の子としてのプライドとかないんだろうか。
もちろんそんなことを頼むわけもなく、僕は顎に手を当て、試すようにヴァイオラに言った。
「望み、ね……じゃあさ、黒の王蛇について聞きたいんだけど、答えてもらえるかな?」
彼女は険しい表情になり、再び警戒感をあらわにする。
ミーシャも驚いた様子で、不安げに僕のほうを見た。
「あなた……どうしてそれを?」
「さっき、キルリスに仲間にならないかって勧誘された」
「あの女に!? そういえば、急に用事が出来たとか言っていなくなったわね……」
「マリストール家のご令嬢に、黒の王蛇の幹部まで揃ってる。話を聞きたくもなるよ」
「まあ……わかったわ。話せる限りの話してあげる。ただしその前に――それを聞いてどうするつもりなのか教えてもらえる?」
この敵意まじりの眼差し――どうやらヴァイオラ自身、今のジョッシュ・マリストールと黒の王蛇が、聞かれるとまずいことをしている、という認識はあるらしい。
だったら、魔薬のことも知っているといいのだけれど。
僕はひとまず、通りでは目立つから、と言って宿の中に場所を移すことにした。
◇◇◇
部屋に入ると、キャミィは例のダブルベッドに腰掛ける。
そして自分の隣をぽんぽんと叩き、ミーシャを呼んだ。
二人は思ったよりもよく跳ねるベッドで、ぴょんぴょん飛びながらじゃれあっている。
一方でヴァイオラは、窓際にある椅子に腰掛け、僕が正面の席に座るよう促した。
……僕が借りてる部屋なのに、家主みたいな振る舞いだなあ。
「それで、あなたの目的は?」
「薬の撲滅」
「……」
「さすがに領主の家で暮らしてた執事なら、何のことかわかるよね?」
「……そういうものを、旦那様が扱っているという話は聞いたことがあるわ。でもそれだけよ」
「いつ頃から?」
「黒の王蛇と手を組んだのと同じ頃……二年ぐらい前だったかしら」
意外と最近なんだな。
そうなると、キャミィの両親がああなってしまったのは、マリストール家と黒の王蛇が手を組む前なのか。
「最初は断ってたんだけどね」
「昔は評判のいい領主様だったって聞いてるよ。人質でも取られたの?」
「自分から受け入れたのよ。あの頃から……旦那様は変わってしまったわ……」
「……まさか、薬で?」
「さあね。私みたいな執事が聞けるはずないじゃない。変わろうが変わるまいが、ただ従うだけよ」
「でもミーシャさんを外に連れ出した」
「それは……ミーシャもまた、私の主だからってだけの話だもの」
しかしヴァイオラも、今の領主に思うところはあるようで。
だから今もこうして、薬のことを隠しもせずに話してくれているんだろう。
なら、僕のほうも話して構わないか。
「僕の主は、リーゼロットって言うんだ」
「それって【賢者】じゃない! 驚いたわね」
「彼女も変わってしまったんだ。おそらくは、領主と同じ薬のせいで」
「……そう、だったの。じゃああなたは、元に戻す方法を探すために冒険者になったのね」
「だから、今は一つでも手がかりがほしいんだ。そのためには、キルリスと手を組んでもいいと思ってる」
「正気なの!?」
「彼女は、薬はあまり好きじゃないと言っていた。この前、僕を襲ってきた中毒者たちに薬を与えたのも、命じたのも自分ではないと」
「そう……冒険者数十人が虐殺されたっていうから何事かと思えば、そういう経緯だったのね。だとしても、本気で彼女が信頼できると思う?」
ヴァイオラの懸念はもっともだ。
僕も、キルリスは危険な人物だと思う。
仮にヴァイオラが何もかもを教えてくれるのなら、別に手を組む必要もないんだけどさ。
たぶん、そういうわけにはいかないから。
「ヴァイオラは薬についてどこまで知ってる?」
「え? まあ、性格が歪む薬ってことぐらいしか知らないわ。ただ……その素材を、旦那様が黒の王蛇に流しているのは間違いないと思うけど」
「そこは簡単に想像がつくところかな。それで薬の供給量は増え、黒の王蛇は一気に勢力を広めた、と。でもその規模からして、工場がどこかにあるはずだよね」
「……場所に心当たりがある、と言えばあるわ」
「じゃあそこを潰せば、供給は断てる」
「でも……教えられないわね。私は旦那様の執事でもあるの。繰り返しになるけど、どんなに変わろうとも、旦那様を売ることはできない。主を、執事の価値観で正そうとするのは、私たちがやるべきことじゃないわ」
「明らかに間違っているとわかっていても?」
「少なくともベアトリス師匠は、そうは言わなかったはずよ」
師匠を引き合いに出されると困るな。
確かにあの人は、何があっても執事は主に従うべきだと、僕らに教えてくれたから。
「わかった、ヴァイオラにも立場があるだろうから納得する。だったらキルリスの居場所を僕に教えてほしい。彼女、誘うだけ誘って、自分の居場所も言わずに行ってしまったから」
「アジトの場所ぐらいは知ってるけど……そういうこと。私が教えないからキルリスに頼るしかないっていうのね。わかったわよ、先に許可を取るから少し待ってて」
そう言って、ヴァイオラは冒険者証を取り出した。
旅の路銭を稼ぐため、冒険者として魔物でも狩ってたんだろうか。
そして、それがキルリスにも繋がるということは、彼女も冒険者なのか。
「もしもし? ヴァイオラよ。忙しそうね、大丈夫? なら言うけど……今ね、クリスと一緒にいるのよ。あなたと話がしたいそうだから、アジトの場所を教えていいのか聞きたくて」
端末を耳にあてながら話すヴァイオラ。
わずかに漏れてくる音には、キルリスの話し声のみならず、何やら爆発音や打撃音が混ざっている。
「……は? あ、ええ、わかった、わ。じゃあ、そういう風にクリスに伝えておくから。じゃあ」
手短に会話を終えると、ヴァイオラは引きつった表情で端末を見つめた。
「どうだった?」
僕がそう聞くと、彼女は困った様子でこう言った。
「人殺しと宴会で忙しいから、明日の昼以降にしてほしいって」
「へ、へえ……」
「……」
思わず黙り込む僕とヴァイオラ。
ミーシャとキャミィがじゃれあう黄色い声だけが、部屋に響いていた。
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