017 血脈
その日、ティンマリスの街外れに、一台のリザード車が到着した。
乗客は二名。
一人目――執事服を纏ったおさげの少女が先に降り、手を差し伸べる。
「お嬢様、気をつけて降りてよね」
二人目――上品なドレスを着た“お嬢様”と呼ばれた、十歳ほどの女の子がその手を取り、「よいしょっ」と声を出しながら勢いよく降車した。
二人を降ろしたリザード車は、街道へと去っていく。
「ありがと、ヴァイオラ。あいたたた……」
地上に立つなり、臀部のあたりを押さえ情けない声を出すお嬢様。
ヴァイオラは彼女に寄り添うと、呆れた顔で苦言を呈した。
「だから言ったじゃないの、リザード車じゃなくて馬車にするべきだって」
「で、でもぉ、リザード車のほうが楽しそうだったからぁ……」
「まったく。お嬢様は仕方ないわね。ほら、手をつないであげるから行くわよ」
「ふふ、ヴァイオラは優しいね」
ここで褒められても嬉しくない――と言わんばかりにため息をつくヴァイオラ。
だが、ミーシャの執事である彼女自身、甘すぎるのは承知していた。
今回だってそうだ。
『お願いヴァイオラ。私、どうしても外の世界が見てみたいのっ!』
あまりにミーシャが必死に頼み込むものだから、つい協力してしまった。
昔は人形のように大人しく、自らの意思を表に出さなかった彼女が、自分の願望を表に出すのが嬉しくなってしまった、というのもある。
だが――お嬢様を勝手に連れ出したとなれば、彼女の父であり、領主であるジョシュア・マリストールは間違いなく怒るだろう。
最悪、ヴァイオラがクビになる可能性だってある。
(それでも、私がお嬢様を外に連れ出したいと思ったのは……あのまま屋敷に置いておくのは危険だと思ったから)
リスクを負ってまで行動するのには、それなりの理由がある。
ヴァイオラの家系は、代々マリストール家に仕えてきた執事の家系だ。
だから彼女はミーシャのことを生まれたときから知っているし、そんな彼女をジョシュアや、母であるミレイユが溺愛している姿も見てきた。
しかしここ最近、ミーシャの両親は、評判の悪い傭兵団である黒の王蛇と手を組み、何やら悪巧みを始めてしまった。
領主が自らの意思で、領地に薬物汚染を蔓延させるなどと、そんな馬鹿げたことがあっていいはずがない。
そして――ミーシャもまた、両親の手によって、魔薬を投与されようとしていたのだ。
ヴァイオラがミーシャの手を取ったのは、そんな薬の魔の手から彼女を救うためだったと言ってもいい。
「すうぅぅ……はあぁぁ……とっても空気が美味しいわ。ティンマリスって、素敵な場所ね」
「辺境のど田舎で何もないところよ。すぐに飽きるわ」
「えー、そんなことないわ。セントラルマリスは、工場だらけで息をするだけで臭いんだもの!」
ミーシャの言うとおり、マリストール領の城下町であるセントラルマリスには、魔石を利用した工場が立ち並び、大気汚染が進んでいる。
民は原因不明の病に苦しみ、相関関係は不明だが魔物の数も増え、次第に不満は高まっている。
それも一因となって屋敷から出ることすらできなかったミーシャもまた、それに不満を抱いて飛び出してきたクチであった。
「きっとこんなに空気が美味しい街なら、水だって綺麗だし、ご飯だって美味しいはずだわ。そうだ、ヴァイオラも一緒に川遊びしましょうよ!」
「はいはい、その前にまずは宿の確保ね」
「ぶーぶー、そんなの後でいいじゃない」
「そうもいかないわよ、お嬢様みたいな箱入り娘が野宿なんて出来っこないんだから」
「もうっ、ヴァイオラはそうやってすぐ私を子供扱いするんだから。私はもう十二歳なの、立派な大人よ? 縁談の話だって来てたんだから」
「……縁談ねぇ。ふふ、変わった人もいたものね。ミーシャみたいなちんちくりんをお嫁さんにしようだなんて」
「ちんちくりんじゃないもの。小さいけど、私だって女の子だもん……」
「……」
「ヴァイオラのバカ。自分が美人だからって、いっつも私を……」
「……はぁ。お嬢様、冗談よ。私はいつだって、ミーシャが世界で一番かわいいと思ってるわ」
「本当に?」
「本当」
「本当の本当?」
「本当だってば」
「じゃあ誓って?」
ミーシャは「んーっ」と唇を突き出し、ヴァイオラに顔を近づけた。
ヴァイオラは「またか……」と肩を落とすと、しかしすぐに穏やかに微笑み、ミーシャの前髪を持ち上げて額にキスをした。
「あっ……またおでこ」
「唇は好きな人のためにとっておきなさい」
「ヴァイオラのためにとってるのに……」
「はいはい、早く行くわよ」
そっけなくあしらうヴァイオラ。
しかしそんな彼女の頬は赤い。
(さすがに二十歳の私が十二歳のお嬢様に手を出すのは犯罪でしょうよ……)
そんなことを考えているからなのだが、そもそも年齢が近ければお嬢様に手を出してもいいのか――ということを疑問に思わないあたり、ヴァイオラもかなりのものである。
二人はそのまま、ティンマリスの中心に向かって歩く。
すると彼女たちの進路を塞ぐように、巨大な斧を持った、ぼさぼさ頭の女が立ちはだかった。
「ドーモ、始めまシテ」
「……何者?」
ヴァイオラは殺気立ち、腰を落として戦闘態勢に入る。
いつの間にか、彼女の手にはグローブがはめられていた。
おそらくは執事服の内側から取り出したものだろう。
「シシシ、待ってくれよ執事サマ。あたしは黒の王蛇の幹部のキルリスってもんサ。上から、ミーシャお嬢様が来られるかもしれないんデ、おもてなししてやってくれって言われたんだヨ」
「黒の王蛇……チッ、行き先がバレてたのね」
「ヴァイオラ、あの人怖いわ……」
「大丈夫よお嬢様。手を出してきたとしても、私が負けることはありえないわ。執事の名にかけてね」
「シシシシッ! いいなァ、あたし本物の執事とこうやって向き合うの初めてなんだヨ。やりあいてぇなァ、でも命令だしなァ」
「戦闘狂か……目つきがイカれてる。あんた、中毒者でしょ」
「ノンノンノン、あたしは薬にゃ手を出さねェ。人間が一番気持ちよくなれるのってさァ、やっぱ薬じゃなくて、脳内麻薬がドバドバァッて出てきたときだと思うんだヨォ! だからあたし、魔薬反対派。安心してネ! シシシッ!」
これっぽっちも安心できない言葉だった。
だが、すでに通行人の注目を集めてしまっている。
ヴァイオラは、キルリスに従うしかなかった。
「わかった、ついていく。でも正直、あんたの発する気配、それが殺意なのか善意なのかさっぱり区別がつかないわ。だから信用はできない」
「アー、アー、アー、よく言われるんだよネ、あたし。でもサ、よく考えてみてヨォ。あたしは幹部だ、つまりそれなりに上昇志向がある。そんな人間が、ここでミーシャお嬢様なんて黒の王蛇にとっても重要なニンゲンを殺して、得るものなんてないだロ?」
「……それは確かに」
「あたしは出世シテ、適度に悪いことシテ、身内とぎゃーぎゃー騒いでるだけで幸せなのヨ。だから、そういう意味でも安心してくれヨ。あ、でも一回ぐらいは執事チャンと手合わせお願いするかもネ! シシッ!」
「一回ぐらいならいいけど……というかその斧を持ってこなければ、もっと話は丸く収まったんじゃない?」
「それがネ、そーもいかないワケがあってさァ」
キルリスは、心底めんどくさそうに吐き捨てる。
「一昨日の夜――んにゃ、ひょっとすると日付が変わって昨日かもしんないケド、ウチの構成員がいっぱい死んじった」
「いっぱいってどれくらいよ」
「何十人か。全員冒険者ネ」
「はぁ!? あんたそれ、大事件じゃないの!」
「上の連中は知ってるっぽいんだけドー、でもあたしらにはドーモ入ってくる情報が少ないかラー、誰が犯人かとかもわかんなくテー、それで警戒して斧を持ち歩いてルー」
「ヴァイオラ……もしかして私たち、とんでもない街に来てしまいましたか?」
不安げにヴァイオラの顔を見上げるミーシャ。
しかしヴァイオラの視線は、まったく別の場所を向いていた。
「うぇっへっへっへ、見てくださいよクリスさぁん。昨日の稼ぎのおかげで、新しい台車が買えちゃったんですよぉ? リーくんもご機嫌ですよねぇ!」
「クエェェェェエエッ!」
「朝から元気だね、キャミィは。見てると僕も元気が出るよ」
「ガンガン元気だして、じゃんじゃん狩って、バリバリお金を稼いじゃいましょー! お金があって困ることはありませんっ! 金は正義! 金で買えないものはない! 備えあれば憂いなし! でも愛は買えない! どうして買えないんですかあぁっ!」
「……そうだね、キャミィの言うとおりだ」
「愛のことですか!?」
「いや、備えあればってこと」
「ああ、そっちですか……まあそれに、体を動かしてたほうが暗くならずに済みますからねっ。私は別の運動でも構いませんけどぉ? ぐへへへへぇ」
「今のところ、黒の王蛇から仕掛けてくる様子もないからね……できるだけ、僕自身も鍛えておかないと」
キルリスとヴァイオラの横を通り過ぎる、クリスとキャミィ。
クリスの鋭い視線が、二人と交差した。
「……ねえキルリス」
「あーん?」
「死んだ冒険者たちって、どんな死に方してたの?」
「短剣で突き刺されたリ、見事に真っ二つって感ジ。ありゃあ相当な使い手がやったに違いないねェ。あたしもやりあいテーナー」
「そう……相当な使い手、ね」
ヴァイオラは立ち止まり、遠ざかるクリスの後ろ姿を睨みつけた。
ただ歩いているだけ。
だが、一片の隙も感じられないほど洗練されている。
まるで、誰かの師事を受けたように。
(さっきの女、おそらくはベアトリス師匠の……)
拳を握るヴァイオラ。
その周囲には、彼女の闘志に呼び起こされるように、黒い“闇”の魔力が漂っていた。
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