015 甘くて苦い
リジーナが、ディヴィーナの頭部から槍を引き抜くと、今度こそ彼女は動かなくなった。
ディヴィーナの亡骸は、どこか嬉しそうに妹を見つめたまま事切れている。
「ありがとう」
リジーナはこちらを向くと、儚く微笑んでそう言った。
先ほどまでの獣のごとき凶暴性はすっかり鳴りを潜めている。
「あ、いきなり言われても困るよね。さっきまでグギャーとか、ガギャーとか言ってたのに」
「……正気に戻ったの?」
「正気って何なのか、私にもわかんないな。きっとどれも正気だよ。化物になった私も、お姉ちゃんを愛す私も、お姉ちゃんを殺したかった私も……ふぅ」
そう言って、リジーナは腹部の傷に手を当てた。
ぱっくりと開いた傷からは、今もなお鮮血が流れ出ており、彼女の体から熱を奪っていく。
薬の効力は弱まっているのか、腕に浮かび上がっていた筋は薄く、弱々しい。
「……最後に、私たち姉妹のことを誰かに覚えておいてもらいたいんだけど、聞いてもらえる?」
「時間稼ぎじゃないのなら」
「そう思うなら、ここで殺してくれていいよ」
「……」
僕は無言で、返事もしなかった。
リジーナはふっと微笑む。
「ありがと。私とお姉ちゃんは、小さい頃に両親が死んで、二人で暮らしてきたの。貧しく、悲惨な暮らしの中でお互いに支え合って。たぶん、他の姉妹よりも距離は近かったと思う。けれど啓示の日に二人とも魔法使いになってから、生活は一変した」
そのあたりの話はディヴィーナに聞いている。
少なくとも、ここまでの認識は二人で一致しているようだった。
「今まで二人だけで生きてきた世界に、他人が増えた。今まで“好意”なんて存在しなかったのに、冒険者として成果を出した途端にみんな優しくなって、友達ができて……そんな中で、私にボーイフレンドができたの。お姉ちゃんは、応援してくれた。たぶん嫉妬してたけど、それでも私の幸せを願って」
「それが、黒の王蛇の人間だったんだね」
「……違うよ。違うの。黒の王蛇の人間に薬を与えられたのは、お姉ちゃんだった」
「ディヴィーナが先に?」
「胸の奥底で燻っていた嫉妬が表に出てきて、お姉ちゃんは私を自分だけのものにしようとしたの。そして、ボーイフレンドは目の前でお姉ちゃんに殺されて、私は死体の真横で押し倒されて、強引に薬を飲まされて、そして――」
「っ……」
「私は、お姉ちゃんを殺したいほど憎んだ。今日まで、ずっと、いつか殺してやろうと思ってた」
「それを、叶えたんだ」
「うん。だけど……」
彼女は自嘲気味に力なく笑うと、ディヴィーナの死に顔を見つめる。
その瞳から、一粒の涙が溢れ、姉の頬にぽつりと落ちた。
「お姉ちゃんが私を求めてくれて、嬉しいと思う自分もいた。それも間違いなく、私の一部だった」
「……ディヴィーナのことを愛していたの?」
「愛してたよ、誰よりも。姉妹としても、それ以外の対象としても。きっと、姉妹じゃなかったら、すぐに素直になれただろうにね。そして薬は、私たちの“乖離する感情”を先鋭化させて、分裂させていった」
「だから、ディヴィーナはあんな風に……」
「たまに優しいお姉ちゃんに戻るの。かと思えば、暴力的に私を求めてくる。そして私は喜んだり、憎んだり、泣いたり、笑ったり。けれどその一方で、薬に作り出された“化物”としての人格も生まれつつあった。そう、私たちは魔物で、姉妹で、恋人だったの」
こうして今、表に出てきているのは“姉妹”としてのリジーナなのだろうか。
いや、ディヴィーナの様子を見るに、そうはっきりと別れているものではないのかもしれない。
ただ少なくとも、今のリジーナは、“魔物”としての一面が弱まっている。
僕が傷を与えた影響だろうか。
「でもね、今は――妹としての私も、恋人としての私も、ほっとしてる。お姉ちゃんが死んではっきりしたよ。これは、悪夢だったんだって。きっと、死んだら覚めるんだよ。そうに決まってる」
「リジーナ……」
「ねえ、クリス。あなたの話を黒の王蛇から聞かされたとき、とても不思議だったの」
「僕のことを?」
「賢者リーゼロットの執事。幼い頃から彼女と姉妹のように育ってきたあなた。けれど賢者は、薬の影響で、すっかり変わり果ててしまった」
「そこまで聞いてるんだ」
「ごめんなさい、好きで聞いたんじゃないの。だけどね、彼女が変わりゆく中で、あなたはまともだったんでしょう? だったらどうして――」
リジーナはディヴィーナの頬にそっと指を這わせ、そのまま首を持ち上げると、胸元に抱く。
そして愛おしそうに頬ずりしながら、冷たい瞳を僕に向けた。
「まともなあなたは、リーゼロットを殺そうとしなかったの?」
普通ならそう思うはずなのに――と、リジーナは僕に問う。
「殺さなかったとしても、見捨ててしまってもよかったはずなのに。憎んでもよかったはずなのに。いや――むしろそれが正しいんじゃない? 普通なんじゃないの?」
「なら、僕は普通じゃないんだろうね」
普通が何かなんて知らない。
けれど僕にとってそれは当たり前のことだった。
たとえどれだけ蔑まれようとも、たとえどれだけ虐げられようとも、たとえ両親を殺されようとも。
僕の人生において一度だって、リーゼロットへの想いが変わったことなんてない。
「羨ましい」
「そうかな」
「だって――あなたぐらい素直に誰かを愛せていたら、たぶん、今とは違う夢も見られたと思うから……」
結局のところ、リジーナは――誰よりもディヴィーナのことを愛していたんだろう。
姉妹としても、それ以上の対象としても、おそらくはずっと前から。
けれどお互いに、お互いの幸せを願っていたから、違う道をたどってしまった。
素直になっていれば、薬に冒されることもなかったのか。
それとも、違う形で狂えていたのか。
もしもの話なんて、考えるだけ虚しいだけかもしれないけれど――嗚呼、そう思わずにいられない気持ちは、僕にもよくわかる。
「クリス……私を殺して。お姉ちゃんと一緒に眠らせて」
「わかった」
リジーナの言葉が正しいのなら、彼女の正気は一時的なものだ。
やがてまた魔物としての凶暴さや、“姉を愛する”彼女の狂気が、僕を殺そうとするだろう。
だから――振り上げたナイフに、慈悲深き風を纏わせて。
最期に唇を重ね、愛の言葉を囁く姉妹に、救いの刃を振り下ろす。
「おねえ……ちゃん。あは……おはよ……ぅ……」
リジーナは、真っ二つに分断され、事切れた。
溢れ出す血液が、姉のものと混ざり、紅い溜まりの中で絡み合う。
僕はそれを見届け、胸にちりりと僅かな痛みを覚えると、目をそむけてキャミィの元へと戻っていった。
◇◇◇
翌朝、街で配られている新聞には、その事件のことは書かれていなかった。
黒の王蛇が圧力でもかけたのだろうか。
けれど、あれだけの数の冒険者が一気にいなくなれば、否が応でも噂は広まるだろう。
そのとき、黒の王蛇は、さらに僕のことを付け狙うだろうか。
それとも、警戒して手を引くのだろうか。
前者であることを願いつつ、僕とキャミィはひとまず、状況確認のためにギルドへと向かった。
頬杖をついて退屈そうにしていたフィスは、僕らの姿を見るなり、カウンターの下でごそごそと何かを探す。
そして立ち上がったかと思うと、手にしたクラッカーをパン! と鳴らし、笑顔で告げた。
「ランクアップおめでとー!」
「ランクアップ……?」
きょとんとする僕は、キャミィと顔を突き合わせる。
しかし彼女も何のことだかわかっていないようだ。
ひとまずカウンターに近づくと、フィスは唇を尖らせ不満顔を見せた。
「どうしてあなたがピンと来ない顔をしてるのよ。昨日の夜、強力な魔物倒したのはクリス自身じゃない」
「魔物って……」
「クリスさん、もしかして昨日の夜って……あのことですかね?」
さすがのキャミィも、不安げに僕を見つめている。
間違いなく、ディヴィーナとリジーナのことだ。
確かに人とはかけ離れた存在になりつつはあったけど――
「ランクは一気にFからDにアップよ。魔物ランクA上位、ひょっとするとSにも届く相手を倒したんだから当然ね。けれどデータにない魔力パターンだったから、できればどんな魔物と戦ったのかを教えてもらいたいわ。見た目や大きさ、使ってきた魔法なんかを、この書類に書き込んでもらっても――」
「あの、フィスさん」
「どうしたの?」
「僕、必死で戦ってて、よく覚えてないんです。なので、これは書けません」
「あら、そうなの? 残念ね……ギルドに貢献したってことで、別に報酬も払われるんだけど」
「ごめんなさい」
「……いいえ、無理にとは言わないわ。いいのよ。そうよね、強力な魔物との戦いって大変だもの」
思い出したくないわけじゃない。
ただ、あの二人を殺したことで冒険者ランクが上がり、お金を得るという結果が、どうしようもなく気持ち悪いだけで。
僕はカウンターの下、フィスに見えない場所で拳を強く握りしめ、黒の王蛇への敵意をさらに強めていた――
ひとまず序章一区切りです。
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