014 シスター・コンプレックス
「クリスさぁぁぁぁぁんっ!」
キャミィは叫ぶ。
しかし無情にも、ディヴィーナとリジーナの強大な魔法は僕を飲み込み、発生した水蒸気によって広場は完全に“白”で覆われてしまった。
これでは無事を確かめようがないし――どう見ても、無事でありようもない。
冷たい風が吹き、水蒸気は流されていく。
わずかに見えるシルエットは、二人分だけ。
ディヴィーナとリジーナが、槍を前に突き出した姿勢のまま、そこに立っていった。
「そんな……そんな……こんなことになるなら、とっとと自分の気持ちを伝えておくべできした……クリスさん……クリスさぁん……」
「自分の気持ちってどんなこと?」
「どっひえぇぇぇぇえええっ!?」
僕がキャミィの背後からぽん、と手を置くと、彼女は奇声をあげながらのけぞった。
愉快な子だ、見てるだけで元気になる。
「クリスさんっ!? こんなに早く亡霊になって出てくるなんてスピード感がありすぎませんかっ!?」
「生きてるよ」
「あんなものに巻き込まれたのに? 信じられません! 私の胸を揉んで証明してください!」
「何か嫌だ」
「何でですかぁーっ!」
「ははっ。戦闘中だから、僕は戻るね」
「あ、待ってください、どうやってここに移動してきたんですか!?」
「キャミィを相手に[アサシンダイヴ]を発動しただけだよー!」
僕はディヴィーナとリジーナの魔法に巻き込まれる寸前、屋根の上にいたキャミィにスキルを使ったのだ。
瞬時に彼女の背後に移動して、どうにか難は逃れたけれど――無傷じゃ済まなかった。
僕の体は魔法の衝撃を受けて、肋骨が何本か持っていかれてる。
あと足の動きも悪いな、温度が下がったせいだろう。
でも執事服は無事だし、体も動く。
痛みを我慢するのは得意だから、戦闘続行に問題はない。
姉妹の前に僕が着地すると、ディヴィーナはなぜか嬉しそうに僕を迎えた。
「クリス! 無事だったか!」
「……?」
「私も本気を出しすぎたな。手合わせするうちに熱くなってしまったのだ。はは、氷使いだというのにな」
まるで味方同士であるかのように、彼女は馴れ馴れしく僕に話しかける。
「だが、まだ決着はついていない。まだ体は動くんだろう? だったら続けよう」
「……ディヴィーナ」
「どうしたクリス、構えないのか?」
「君は、僕を殺したいんだよね」
「何? 私はただ、クリスと力比べのために――」
ディヴィーナの言葉は途切れ、彼女はふと隣に立つ妹を見つめた。
目を見開き、その姿を凝視する。
「あれ? リジーナ? どうしてここに? 私は……そうだ、ボーイフレンドができたリジーナを助けに……いや、違う、黒の王蛇に……さらわれたんだ。さらわれた?」
自問自答を繰り返し、その意識は混沌としていく。
「いや、違う、違う。リジーナを黒の王蛇に引き込んだのは私だった。私のものにしたくて」
善と悪、過去と今、愛と憎しみ。
本来は分離されるべき感情が、複雑怪奇に絡み合って、本人にすら制御できない。
「だから、ああ、そうだ。クリスとかいうやつが、賢者リーゼロットのもとから抜け出して、私たちを引き裂こうというから……はは、あははははははっ、そうだ、そうだった! 殺さなければ! 殺そう! 殺そう! 異物を殺そう! クリスゥ、死ねえぇぇぇぇええええっ!」
だから、最終的に表に現れるのは――矛盾した、支離滅裂な狂気だ。
それは彼女の脳が薬に侵され、完全に破壊されていることを証明している。
槍を構える。
こちらに突進してくる。
単調な攻撃、頭部への投擲で対応。
防御すらもしないディヴィーナだが、さすがに“目”にぶつかると恐怖でわずかに瞬きをする。
集中の乱れ、そのわずかな隙をついて[アサシンダイヴ]発動、背後へ移動。
「だからそれは通用しないとォッ!」
ディヴィーナは[フリーズウォール]にて首への攻撃を警戒。
けれど僕は彼女に攻撃することもなく、すぐにリジーナを見据えた。
スキル発動、[ブリッツアサルト]。
懐――短剣の射程範囲内まで潜り込む。
「何っ、狙いはリジーナか!? 異物、貴様あぁぁぁぁぁあッ!」
リジーナの動きは、なぜかワンテンポ遅れていた。
まるで狂いゆく姉の姿を見て嘆いているかのように。
それを僕は見逃さない。
「風刃速斬ッ!」
下位スキル[クイックスラッシュ]――【暗殺者】の基本攻撃スキルにして、もっとも汎用性の高いスキルだ。
このスキルを発動させることで、通常の斬撃を二倍の速度で放つことができる。
体力消耗、体への負担はあるものの、無条件で身体能力の限界を無視した攻撃が放てる――それが物理職の利点でもある。
何も使っていない僕への対処で精一杯な彼女らは、このスピードに対応できないッ!
「グガァァァァアアアッ!」
ディヴィーナ同様、リジーナは炎の壁――中位スキル[フレイムウォール]で僕の攻撃を防ごうとする。
けれど僕の右腕は、とうに凍傷でズタズタだ。
今さら炎が何だっていうんだ、むしろ氷と炎で相殺してちょうどいいぐらいだね。
無理やり腕を突っ込んで、直接切りつけてやるッ!
「はあぁぁぁぁああッ!」
「グギャアァァアアッ!」
リジーナの魔物じみた叫び声。
手応えはあった――振り抜いた短剣の刃は赤い血で濡れており、彼女の腹部には間違いなく、そこそこ深めの切り傷が刻まれただろう。
「リジーナァッ! 異物、貴様ァ! キサマアァァァァァアアアアッ!」
狂乱するディヴィーナ。
彼女の腕に生じた筋はひときわ明るく輝き、まるでオーラのように全身がぼんやりと赤く照らされる。
感情に反応して、薬の効果が増大しているとでもいうのだろうか。
心なしか、体も大きくなっているような――そしてその速度も、さらに加速している。
「ウグルルアァァァァアアアアッ!」
妹のように、化物のごとく絶叫し、雑に槍を振り下ろすディヴィーナ。
穂先が地面を叩き、石畳が砕け散る。
なんて威力だ、でもあの力には槍自体も耐えられない。
「ウアァッ! アアァッ! アガアァァァァアアアッ!」
僕は振り回される槍を避けながら、わざとそれが壁や床に叩きつけられるように動いた。
リジーナは傷口を押さえてうずくまっている。
動けない間にディヴィーナを仕留めておきたいところだけど――
「リジーナをォ! よくもっ、よぉくもぉぉぉおおおおおッ!」
穂に渦巻く氷――来るか、[ブリザード]。
ディヴィーナも計算しているのだろうか、僕とキャミィを挟んだ位置取りをしている。
先ほどのように[アサシンダイヴ]による回避は不可能。
しかし一方で、先ほどと異なり[フレイムストーム]による攻撃はない。
加えて、すでに彼女の槍は自壊寸前だ。
「逃さんッ! ブリザァァァァァアドッ!」
僕は――逃げなかった。
真正面からディヴィーナを見据え、迫りくる氷の嵐を待ち受ける。
そして、振りかぶった槍は、ついに彼女の暴力的な魔力に耐えきれずに、振り下ろす前に崩壊した。
「何ィッ!?」
驚愕するディヴィーナ。
だが、もはや魔法の発動は止めることはできない。
指向性を失った氷の魔力は、一方向に迸るのではなく、拡散し、分散し、まばらな――期待していたものの数分の一の威力となって、広場に流れる。
隙間だらけだ、【暗殺者】ならば抜けるのは容易い。
そして[ブリッツアサルト]の連続使用でディヴィーナとの距離を詰めた僕は、彼女の背後へと回り込む。
大技を使用した直後、彼女はまだ次の魔法を使えない。
ゆえに砕けた槍で、破れかぶれの反撃を繰り出す。
「ウオォォォオオオッ! 負けない、私は負けないッ! リジーナへの愛が、私を高みへと導いてくれるぅッ!」
わかってたさ、君がそう来ることは。
けれど悲しいかな、障壁のない僕は、今の薬物により身体能力が向上した君の攻撃ですら、致命傷になりうる。
だから、念には念を重ねさせてもらう。
「アサシンダイヴッ!」
「私の背後に――まずいっ!」
この[アサシンダイヴ]は連続使用ができない。
だから僕はスキルを使わずに、自分の足で彼女の背後に回り込んだ。
いかに化物であろうとも、この動きに――ついてこられるはずがないッ!
「もらった! 風刃――」
「やらせるかァ、今なら使える! フリーズウォォオオオオオルッ!」
吹き出す氷が僕の腕を凍らせる。
けれど遅い、遅い、何もかもが。
僕の刃は、すでに君の首を捉えているッ!
「斬首ッ!」
後頭部に突き立てられた風の刃は、今度こそ魔力障壁を貫いた。
ザンッ――凍りついた手のひらで感じる、人殺しの感覚。
肉を裂き、骨を断ち、ディヴィーナの首は体から切り離されて宙を舞った。
「お姉ちゃん……ああ、お姉ちゃん……」
うずくまるリジーナが、寂しげにディヴィーナを呼ぶ。
彼女の頭部は地面に落ちると、何度か跳ねて、転がって。
最後に妹の足元にやってきた。
まるでその意思が、愛する者を求めるように。
首を失った体は、切断面から血を噴き出しながらぐらりと倒れる。
「……ディヴィーナさんが、死んだ。ああ……クリスさんが勝ったんですね」
手負いのリジーナ一人ならば、消耗した僕でも勝てる。
何より、リジーナ自身からすでに殺意を感じない。
勝負あり――気合だけで握っていた右手から、ぽとりと血まみれのナイフが落ちた。
「はぁ……はぁ……はは、やっぱりもうちょっと鍛えて出てくるべきだったかな」
実質的な初陣でこの有様とは。
リーゼロットの変貌に耐えきれずに飛び出してきた自分の情けなさが、より際立ってしまう。
僕は体から力を抜いた。
「リジーナ……」
けれど、死んだはずのディヴィーナの声が聞こえてきて、再び臨戦態勢に戻らざるをえなかった。
リジーナの足元に転がる生首を凝視する。
ディヴィーナは血走った瞳で妹の顔を見上げ、言葉を発した。
「リジーナ……ごめんねぇ、お姉ちゃん、こんな体になってしまった。でも、はは、首さえあればキスはできるよ。他のことだって。たくさん、たくさんできる。リジーナは、お姉ちゃんがどんな姿になっても愛してくれるだろう?」
「……」
「リジーナ……リジーナぁ……私は、リジーナと、二人で生きていたい……異物を、排除して、二人、きりで……きりでっ、きりでぇぇええええッ!」
ボコッ、ボコッ、と頭部が変形を始める。
こめかみが膨れ、その皮膚を突き破り、まるで昆虫のような足がせり出した。
逆側も同じように。
「まだだあぁ、まだ終われないぃ……私の夢は、叶っていないいぃ……リジーナと、添い遂げるっ、そのためにぃぃぃぃいいッ!」
「ひっ、き、気持ち悪いです……」
執念がそうさせているのか。
はたまた、それも薬の効果なのか。
頬から足がせり出す。
口からも、側頭部からも同じように。
生じた足の数は合計で八本――おそらく、蜘蛛を模しているのだろう。
「リジィィィナアァァァァ! 二人でぇ、二人で行こうっ、どこまでおぉぉお! 愛しているっ! 愛しているんだリジナァァァァアッ!」
ディヴィーナはまだ、僕と戦うつもりだ。
リジーナはどう動く? やはりまだ、薬の効果で姉に操られているのか。
彼女は槍を握り、再び立ち上がった。
そして完全な化物になった姉を見下ろすと、その手を振り上げ――
「私も愛してるよ、お姉ちゃん」
ドチュッ! と、顔のど真ん中にその先端を突き刺した。
「な……っ!?」
「えぇぇっ、何でぇ!?」
驚愕する僕らなど眼中にないように、リジーナは姉と見つめ合い、優しく微笑んだ。
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