010 心を侵す毒
僕はキャミィに連れられ、街外れの診療所までやってきた。
「せんせー! キャミィちゃんが来ましたよぉー!」
建物の前で彼女がそう大きな声で言うと、中から眼鏡をかけた、白衣姿の人の良さそうな男性が現れる。
最初は眠そうにしていたが、キャミィの姿を見るなり柔和に微笑む。
「おや、キャミィさんじゃないですか。こんばんは」
「こんばんはですっ!」
「そちらの執事さんは……」
「クリスさんといいます。今、私と契約している冒険者さんなんですよ?」
「おお! それは良かったですねキャミィさん。いつもぼっちで冒険者も相手にしてくれないと嘆いていましたもんね」
「う……ぼっち……」
ここでもそんな認識なんだ。
キャミィは明るい子だけど、明るすぎるんだよね。
初対面であのテンションだと、他の冒険者たちも近寄りたがらないだろうし。
「クリスさん、何を納得してやがるですか!」
「あはははは」
「笑ってごまかした!?」
「はじめまして先生、クリス・ティヴォーティと申します」
「ご丁寧にどうも。私はニール、ここで心の病のケアをしている、一応医者みたいなものです」
「心のケア……?」
「怪我の治療や病気の治療は【光使い】の領分ですからね。私の職業はただの【農民】、なので患者さんの心と向き合うことぐらいしかできないのですよ」
理屈は納得した。
けれどどうして、そんなお医者さんとキャミィは知り合いなんだろう。
そう思って彼女を見ると、とても暗い表情をしていた。
ここに僕を連れてきたくなかった理由、もしかして……。
「ところで、そちらの荷台に乗っている女性は大丈夫ですか?」
「そうですっ、ディヴィーナさんの様子を見てほしくて来たんですよ!」
「実は彼女、黒の王蛇が作っている怪しげな薬を飲んでしまったんです。正気を失い、僕らを襲って……今は気絶していますが、起きたらどうなるかわかりません」
「それは私の専門かは怪しいところですが……」
確かに、“薬”の効能となると、やっぱり【光使い】に頼むべきか。
けれど、キャミィは彼しか知らないし、何より他の診療所に黒の王蛇の息がかかっていないとは限らない。
僕が悩んでいると、キャミィはうつむいたまま、彼女らしくもない暗い声で言った。
「……せんせー」
「ん? どうしましたか、キャミィさん」
「もしかしたら、あれと同じかもしれねーです。せんせーの知識が一番役に立つと思うっす」
……あれ?
どうもキャミィは、僕に何かを隠しているらしい。
まあ、まだお互いに全てをさらけ出すほど、付き合いが長いわけでもないから、仕方ないか。
「あれ、ですか……ですがキャミィさん、まだご両親のことは、あれだと決まったわけではありません。時期的にも矛盾しますから」
「だとしてもですっ、似たものだとしたら、この街で頼れるお医者さんはせんせーだけなんです!」
「……仕方ありませんね。わかりました、では彼女を中まで運びましょう」
「なら僕が連れていきます、案内してください」
僕は荷台で横たわるディヴィーナを両手で抱えると、ニール先生のあとをついていく。
するとキャミィは、抱えられたディヴィーナの姿を、なぜかじーっと見ていた。
彼女と目が合う。
なぜかわずかに赤らむ。
「べ、別に羨ましいとか思ったわけじゃねーですよ!?」
「何が?」
「何でもないですぅー!」
よくわからないけど、ひとまずいつものキャミィに戻ったみたいでよかった。
◇◇◇
診療所の建物は、個人でやっている割にはそこそこ広い。
けれど一方で、診察室はそこまで広くなく、他の何かに大きなスペースを割いているようだった。
ひとまず言われた通りにディヴィーナをベッドに寝かす。
彼女は苦しげに顔を歪めると、「ううぅ……」とうめいた。
「スクルタ、例のものを持ってきてくれ」
スクルタと呼ばれた青髪の女性は、どうやらここで働くナースのようだ。
無表情で、瞳も生気に乏しく、ニールに指示を出されても返事をせずに、わずかに頭を下げるだけだった。
彼女が何かを取りに行く間に、ニールはメスでディヴィーナの指先を浅く切り、ガーゼに少量の血液を染み込ませる。
そしてスクルタの持ってきた試験管の蓋を開くと、そこにガーゼごと投入した。
血液が中に入っていた液体と反応し、赤い光を放つ。
「それは何ですか?」
「黒の王蛇が広めている薬物――すごくシンプルに魔薬なんて呼ばれているのですが、それを検出するための道具ですよ」
「魔薬って、本当にひねりも無いんですね」
「魔力を生み出す石――都のタワーにも使われている魔石というものをご存知ですか?」
「もちろん。まさか、それを粉末にしたものが……」
「はい、その結果、魔法使いにだけ反応する薬物が完成したんです。もちろん他の原材料も使われてはいますが。ちなみに赤い光を発するものは、摂取した人間は瞬間的に極度の興奮状態になります」
「薬によって色が変わる――いや、原材料として使われている魔石によって変わるということですか」
「ふふ、そういうことです。ですが安心してください、この手の薬はしばらくすれば効果が抜けます。汗の量も多いですし、数時間後に目を覚ます頃には正気に戻っているのではないでしょうか」
ほっと一安心する僕とキャミィ。
あの薬で前後不覚になったところを、冒険者たちに捕らえさせるつもりだったのかな。
……んー、何か違う気がするな。
もっと賢い方法があるんじゃないだろうか。
連れ帰るにしても、あれだけ大人数の冒険者を用意する必要はないし。
実はやっぱり、狙いは僕かキャミィだった……っていうのは考えすぎなのかな。
「……ニール先生、今日は僕たちもここに泊まっていいですか?」
「構いませんよ。ですが、診察室のベッドはあとひとつしかなくて……」
「なら僕が床に――」
「問題ありませんっ!」
キャミィは鼻息荒く、僕の言葉に割り込んだ。
「どんなに狭いベッドでも我慢しますので、私はクリスさんと一緒に寝ますっ!」
「いや、別に床で……」
「いえいえ遠慮なさらずに。何なら私を抱き枕代わりに使っていただいても構いませんのでっ!」
僕が構うんだけど。
さっきの酒場の店主への脅しで、好感度が上がるのはさすがに想定外だったな。
ああほら、先生も苦笑いしているし。
「仲がいいんですね」
「……まあ」
「キャミィさんはとても優しい子ですよ。今までは友達がいませんでしたが、いざ親しくなってみれば、きっとあなたの人生を明るく彩ってくれるはずです」
「明るすぎて眩しいぐらいかもしれませんね」
「あははは、あまり明るい場所にいると、目が疲れてしまいますからねぇ」
「せんせー、私は褒められてるんですか? それともけなされてるんですか!?」
「どちらもです」
「せんせぇぇぇぇえーっ!?」
相変わらず騒がしい子だ。
しかし、こんな状況でも空気が暗くならないのはありがたい。
こうして僕とキャミィは、今晩は診療所に泊まることになった。
◇◇◇
ニール先生とスクルタさんは自宅に戻った。
とはいえ、すぐ近所にあるらしく、何かがあるとほんの数十秒で駆けつけられるらしい。
また、深夜には見回りのために、ここにやってくるとも言っていた。
明日以降は、黒の王蛇といよいよ正面からぶつかることになるかもしれない。
僕は早めに眠ることにした。
ベッドは一人用なので非常に狭く、『抱き枕にしても構いませんよ!』とか言っていたキャミィが、一番僕を抱き枕にしていた。
腕を背中に回し、胸をむにゅりと押し付けがっしりと足でもホールドされている。
これは逃げられそうにない。
僕は諦めて意識を手放すことにした。
――それから数時間後。
僕は妙な肌寒さを感じて目を覚ました。
気づけばキャミィは布団から抜け出し、診療所の奥へ向かおうとしている。
「シャドウステップ」
僕はスキルで影の中に潜り込み、その後ろをつける。
ニール先生は、深夜に見回りのために診療所にやってくると言っていた。
まだその時間よりは早いようだけど――見回る必要があるということは、この重そうな金属の扉の先に入院者がいるということじゃないだろうか。
そしてキャミィが僕に黙って、こそこそと、そこに向かっているのは――
「おかーさん、起きてますか?」
彼女はとある部屋の前で足を止め、そう呼びかけた。
廊下は暗く、月明かりで辛うじて見えるぐらいだ。
壁はむき出しの灰色、部屋の扉は金属製の妙に頑丈なもので、目の高さには鉄格子も設置されている。
膝のあたりには、食事をやり取りするためだろうか――小さな小窓のようなものもあった。
キャミィの呼びかけに反応してか、室内からガサッ、ガサガサッ、と音が聞こえてくる。
そして、何者かが痩せこけた指を鉄格子に絡め、そこに顔を押し付けた。
「キャアミィィイ……?」
「おかーさん、元気そうでよかったです」
「えぇ元気よ。私はとても元気なの。ところでキャミィ、ねえキャミィ、お金は? お金は稼げた?」
「はい、実は冒険者さんと契約できまして」
「冒険者と契約!? よかったわぁ、ああよかったぁ、じゃあちゃんと、私が言いつけたように体を使ったのね? そうよ、私があなたをその体に産んだのはお金を稼いでもらうためなんだから、ちゃあんと使わないといけないわよねぇ?」
「は、はい……使いました」
「それでいくら稼いだの?」
「大金貨、十枚ぐらいは……」
「大、金、貨、じゅうっ!? じゅうまいぃっ!? すごいじゃないキャミィ! ちゃんとお金を稼げてて偉いわ。残しておいてね? 私が退院するまでちゃんと残しておいてね?」
「もちろんです。あの、ところでお母さん、私ですね――」
「それでまだ稼げそうなの?」
「いえ、その……」
「稼げるなら私と話している暇なんてないでしょう? ちゃんとお金を稼いできなさい。お金よ、お金。たくさんためて、私たちが退院するまでに、沢山、沢山、たくさぁぁぁあああんっ!」
「……う、うぅ……わかり、ました」
キャミィは悲しげな顔をしながら、部屋の前を立ち去る。
そして今度は、少し離れた部屋の鉄格子を覗き込んだ。
「キャミイィィイ! お金っ、お金をぉおおおおおおっ!」
彼女の母親は、なおもそう叫び続けた。
これじゃあ、どっちにしたって気づいて僕は起きたと思うんだけど。
いや――そういえば、病棟と診療所を隔てる扉も妙に厳重だったな。
あれで音が通らないようにしているのかもしれない。
「おとーさん、元気ですかー」
「……」
「おとーさーん」
今度は父親がいるのか。
けれど、反応がない。
耳を済ますと、かすかに男性の声が聞こえてきた。
「信用できない信用できないあの子は俺の子供じゃないみんな裏切るんだ全員俺のことを裏切っている誰もいない誰もいない俺は誰も信じないあれは娘じゃない違う男と寝ているところを見た俺のせいなのかあいつはずっと俺を責めるどうしてどうしてどうして……」
それはまるで呪詛のようなものだった。
キャミィの呼びかけは彼には届いておらず、心は完全に閉ざされている。
「……おとーさん、今日もダメですか」
キャミィはがっくりと肩を落とすと、とぼとぼと引き返し、診療所へと戻っていく。
僕は盗み見てしまった罪悪感に、少し心を痛めながら、その後ろに続いた。
そして彼女がベッドの前まで戻ったとき、
「あれ? クリスさんがいない……」
驚くその背後から、ぽんっと肩に手を置いた。
「ひっ、ひえぇぇええええっ!」
「僕だよ、キャミィ」
「クリスさん!? どこに、行ってたんですか?」
「……ごめん」
「へ? あ……もしかして……見ちゃいました、か」
キャミィも察したのか、悲しげな表情を見せた。
「私こそごめんなさい。黙って、こそこそと動いてしまって」
「ううん、誰にだって見られたくないものはあるよ」
「……嫌われたくなかったんです。あんなものを見せたら、せっかく仲良くなったクリスさんが、離れていきそうで」
「そんなわけないよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、救われます」
取り繕うように、いつもの笑みを作るキャミィ。
けれどその笑顔はどこか痛々しくて、僕は彼女を慰めるように、自然と頭を撫でていた。
キャミィは赤くなることもなく、気持ちよさそうに目を細め、「えへへ」とはにかんだ。
「もう見られちゃいましたし、私の昔話……聞いてもらえますか?」
「もちろん、聞かせてほしい」
「あ、でもその前に、クリスさんのことも聞きたいかもしれないです。何で執事なのかとか、誰の執事なのかとか、あと……自由になって、冒険者になって、何がしたいのか、とか」
「じゃあ、お互いに話そうか」
「はいっ」
キャミィとはたぶん、長い付き合いになる。
そう確信したのなら、さらけ出すべきだ。
きっと彼女も、僕のことを知ったって嫌いにはならないだろうから。
「まず僕の主だけど、リーゼロットって言うんだ。賢者リーゼロットって言ったほうがわかりやすいかな」
「賢者リーゼロット……あの、山ごと魔物を殲滅したとか、湖を蒸発させたって言われるあの!?」
「そんな逸話があるんだ……」
滅茶苦茶な話だけど、それが【賢者】というもの。
たぶん、本当にやったことなんだと思う。
「すごい人の執事だったんですね。道理でとんでもなく強いわけです」
「彼女を守るためには、まだまだ力不足だよ」
「恐ろしい世界ですねえ。そういえば、好きな人がいるって言ってましたよね……それって、やっぱり……」
「もちろん、リーゼロットのことだよ」
ぷくっと膨れるキャミィ。
どうしてそこで、そんな顔になるんだろう。
「……今、一番近くにいるのは私なんですから」
「何が?」
「何でもありません!」
怒られてしまった。
キャミィはたまにわけがわからない。
「でも、その人にひどい扱いを受けたから、クリスさんは屋敷を出たんですよね」
「耐えかねた、っていうのも一つの理由かな。あはは、情けない話だけどね」
「情けなくなんてありませんよ! 誰だって、そんな人は見捨てたくなっちゃいます」
「別に見捨てたわけじゃないよ」
「どういうことです?」
「リーゼロットは突然変わってしまった。まるで、悪魔にでも取り憑かれたように」
「……それって、もしかして」
「僕が屋敷を出て自由を求めた理由は、救うためだよ。おそらくは、魔薬に精神を冒されてしまった彼女をね」
その確信を得たのはついさっきのことだけれど、間違いない。
リーゼロットの変貌、そして行方不明になった彼女の両親と、屋敷にあった立入禁止の部屋――全ての疑問を明かすための手がかりを、僕はようやく見つけたんだ。
面白かったよ、先が気になる! と思っていただけたら、下のボタンから星を入れてもらえると嬉しいです!




