ユーリと氷の女王 6
私を前に乗せたシェラさんの操る馬は、
軽快に山道を駆けている。
出発したばかりの頃は少し早めの並足で
私が馬に慣れるのを待ってくれて、
それから駆け足へ。
ペースを徐々に上げて今はわりと
速いスピードで走っていると思う。
「お腹はすきませんか、ユーリ様。」
背後からシェラさんが聞いてくれる。
そう言えば早朝に奥の院を出てから
何も食べていない。
「リンゴを下さい!少しだけゆっくり
走ってもらえれば、このまま休憩を
取らずにリンゴを食べながら行けますので!」
「大丈夫ですか?休んでもよいのですよ?」
走る馬の上で後ろを振り返る余裕は
まだないのでシェラさんの表情は
見えないけど、声は充分心配そうだ。
「大丈夫ですよ、そのかわりお昼はちゃんと
休みましょうね!」
走る馬上で女の人が何か食べながら移動するのは、
もしかするとこの世界の人たちにしてみれば
マナー違反かもしれない。
しかも皮付きリンゴの丸かじりである。
でも私にしてみれば仕事の移動中に
車の中でご飯を食べるのと変わらない。
または自転車に乗りながら
リンゴをかじるような感覚だろうか。
せっかく速く走る馬に乗っているのだ、
少しの休憩も惜しい。
多少スピードは落ちても移動しながら
食べる方が立ち止まって休憩を取るよりも、
向こうには早く着くだろう。
ただ、私にマナー違反や無理をさせたと
シェラさん達が申し訳なく思うのは嫌なので、
一応気を使ってお昼はきちんと休憩したいと言った。
私的には昼も走りながらパンを齧るだけでもいいんだけど。
社畜に昼休憩などノータイムなのだ。
元の世界での休憩時間とブラックな残業時間を
考えればまだまだ余裕である。
分かりました、と後ろで微笑んだ気配がした。
そのまま馬に付けた荷を探ってくれたらしく、
目の前にあの金のリンゴが一つ差し出された。
先行して少し前を走っていたデレクさんにも
シェラさんは声を掛けて、ぽんと放られたリンゴを
デレクさんもしっかりと受け取る。
「殿下にはきちんと休憩を取るように
申し付けられておりますからね。
こんな風に食事を取ったことは内緒ですよ。」
そうだね。こんなのがバレたら怒られるし心配される。
「はい、私達だけの秘密ですね‼︎」
心得た、とばかりにこくりと頷いてリンゴを
受け取ってかじり付く。
甘い!何ですかこのリンゴ⁉︎なんて
驚く声がデレクさんからも聞こえた。
そうだよね、やっぱりこのリンゴ甘くておいしい。
そう思いながらリンゴを堪能していた私は、
背後のシェラさんが
「殿下にも内緒の私達だけの秘密?
・・・なんと甘美で魅惑的な響きでしょう。
もっとそんなものを増やせると良いのですが。」
嬉しげにそう呟いているのに全然気付いていなかった。
リンゴは割と大きかったので、一つ食べるだけで
かなりお腹がいっぱいだ。
そのまま走り続け、途中ではなんと崖も
駆け降りた。しかも2回も。
源義経か。
2人乗りの馬でまさかそんな事が出来るなんて
思わなかったのでびっくりした。
馬の丈夫さもそうだけど、
シェラさんの手綱捌きもすごい。
かなりの急勾配だったのに、
思ったほど衝撃も感じなかった。
ついでに道中、渓流も飛び越えたけど
シェラさん達2人は慣れたものだ。
崖をくだったり川を飛び越えたりと、
どう考えても普通の山道じゃない。
このルートは本当に普段騎士さん達が時間短縮で
利用する、本気の山越えルートなんだと思う。
これならかなり早くダーヴィゼルド領に
着けるんじゃないかな?
そう思っていたら、突然前を走るデレクさんが
背負っていた弓を取り出して矢をつがえた。
しかも一度に3本。
走りながら、馬上でつがえた矢を引き絞り手を放す。
そうすると青い光をまとった矢は3本とも、
前方の茂みの中に消えていった。
あれ?ただの弓矢じゃなくて魔法?
不思議に思っていたら、
「昼食にちょうどよい獲物を見付けました、
隊長は先に行ってて下さい!
回収してすぐに追いつきますので‼︎」
そう言ったデレクさんは進行方向から
少しそれた方へと馬を向ける。
「では次の渓流沿いで合流を。そこで休憩にしますよ」
シェラさんの言葉にぺこりと頭を下げると
デレクさんは私達から離れた。
「今のは魔法の弓矢ですか?」
気になって聞けばシェラさんも丁寧に教えてくれる。
「はい。彼はレジナスに憧れていましてね。
レジナスの双剣を見たことはありますか?
魔物の首の後ろに2本の剣を突き立てる
彼独自の剣技を、デレクも彼なりのやり方で
真似ようとしているようです。
双剣は使えないから複数の矢を同時に
魔物の首に射し込むやり方を
試行錯誤しているところですね。」
「騎士団の演習で見ました!そういえば
大きな竜の首の後ろにレジナスさんが剣を
2本刺したら竜の動きが止まってましたけど、
あれをデレクさんもやろうとしてるんですね」
あれって結構深く刺さないと
魔物の動きは止まらないんじゃないかな。
元の世界で言えば、獲れたての魚の神経を突いて
動けなくする活け締めみたいなイメージだと
思うんだけど、だとしたら難しそう。
普通の弓矢では歯が立たないだろう。
だから魔法で補助して威力を上げているのか。
「デレクの魔力で魔法付与をした弓矢は百発百中です。
すぐに獲物を手に追いついてきますよ、
私達は先に行って昼食の準備をしておきましょう」
そう言うとシェラさんは馬のスピードを上げて
走り出した。やがて穏やかに流れる渓流が
目の前に現れると、そこで馬を降りる。
早朝に王宮の奥の院を出てから
数時間ぶりに地面に足を付けた。
結局馬上でリンゴを食べたあの後も、水分補給は
立ち止まってそのまま馬上で少し休むというのを
数度繰り返しただけで、休憩らしい休憩は取っていない。
私の希望だ。
それでも途中であのリンゴを食べたおかげか、
足腰が痛いとか疲れは感じない。
強いて言えば長時間船に乗った後のように
若干足元がふわふわして心許ないくらいかな?
そんな私に気付いたシェラさんは失礼します、と
断ってから私を片手でひょいと抱き上げると
器用にもそのままもう片方の手で馬から敷物を
降ろし、私をその上に座らせてくれた。
「す、すみません。面倒をかけちゃって」
「とんでもない。むしろユーリ様の辛抱強さには
驚くばかりですよ。よくここまで休憩も挟まずに
駆けて来られましたね。おかげで随分と早く
着けそうです。あと二つほど山を越えれば
ダーヴィゼルド領に入り、そうすれば公爵城までは
すぐです。夕方には到着するでしょう。」
話しながらシェラさんはてきぱきと
石を組み、小さなかまど風のものを作ると
あっという間に火を起こす。
石組みの上に、荷物入れから出した
折り畳み式の小鍋を出してお湯を
沸かすとお茶を淹れてくれた。
野営仕事の一つなんだろうけど、シェラさんの
鮮やかな手付きはまるで王宮のお茶の時間のような
優雅さが漂う。
お茶のカップを受け取って、外套のフード部分を
脱ぐとふうふう冷ましながらそれを飲む。
フードを脱いだ顔が外気に晒されて初めて気付いたけど、
周りの空気が随分とひんやりしている。
早朝の王都よりも冷えているようだ。
だいぶ北上したんだなあ、なんて思っていたら
シェラさんから声を掛けられた。
「ユーリ様、髪の毛が少し乱れてきていますよ。
もし良ければオレが整えましょうか?身支度用の品も
一式あなたの侍女から預かってきておりますから。」
「えっ?そんな、悪いですよ!自分でやります‼︎」
まさか国一番の精鋭騎士隊の隊長さんに身支度を
整えてもらう訳にはいかない。
慌てて断ったけど、シェラさんはさっさと
荷物入れから櫛とオイル瓶を
取り出して微笑みながら待っていた。
「デレクが追い付くまでの間の、オレの暇つぶしに
付き合っているとでも思って下さい。
存外いい仕事をする男だと思いますよ?」
あの謎の威圧感のあるスマイルである。
リオン様が私に手ずから食事を与える時と同じく、
なぜか断れない雰囲気だ。
「はあ、それじゃお願いします・・」
癒し子原理主義者には逆らわないでおこう。
まさかシェラさんなら私を猫耳に
することもないだろうけど、念のため
三つ編みでいいですからね!と希望を伝えた。
どうやら私の髪に触れるのが相当嬉しかったらしい
シェラさんは、黙っていても色気のある顔を更に
キラキラさせるといそいそと私の後ろへと回った。
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