一日一夜物語 7
「ユーリ⁉︎」
突然泣き始めた私に、レジナスさんは
ぎょっとして慌てている。
そりゃそうだ、この世界に来てから
泣いたのは初めてだ。
レジナスさんもそんな私は
見たことはないから驚くに違いない。
でもどうしよう、全然止まらない。
頭の中では冷静なはずなのに、
私の心は10歳児の感情に引き摺られて
ポロポロ涙が溢れ続ける。
しまいにはしゃくり上げ始めて
しまった。
感情が全く制御できなくて、
こんな事は初めてだ。
「ご、ごめんなさい、安心したら
涙がとっ、止まらなくて・・・!」
そう言うのが精一杯だ。
「レ、レジナスさんも来てくれて
良かったです。もう、会えないかと」
ひっくひっくとしゃくり上げる私に
レジナスさんはおろおろして、
片膝をつくと目線を合わせてくれた。
「大丈夫だ、泣くなユーリ。
もう怖いことは何もない、
ちゃんと会えただろう?」
そう言って頭を撫でてくれたけど、
全然ダメだ。それでも涙は止まらない。
さすがにさっきまでの首ゴロンとか、
顔の皮がズル剥けとかは10歳児の
心には刺激が強過ぎたんだろう。
ようやく私の中に現実感が
戻ってきたんじゃないだろうか。
「だっ、だめ、止まらない・・・」
ぐいぐい目元をこすってみるけど
涙は溢れてくるばかりだ。
「頼む、泣かないでくれ。
ユーリに泣かれるとどうしていいのか
分からなくなる。」
うう、本当にごめんなさい。
自分でも自分の中の10歳児の部分を
全く制御できないんです。
どうしよう。
そう思っていたら、私の頬に
柔らかいものがそっと触れた。
何かと思ったらレジナスさんが
私の左右の頬に顔を寄せると
なんとぽろぽろこぼれる涙に
口付けて、それを吸い取ってくれて
いるではないか。
大泣きして熱を持っている私の頬に
レジナスさんの柔らかい唇は
ひんやりと冷たくて、
そのせいで妙にその存在感を
意識してしまう。
まさかの行動にびっくりして
目を瞬いてしまったけど、
それでもまだ涙は止まらない。
パチパチと目を瞬くたびに涙は
溢れ続けて、レジナスさんは
困ったように私のおでこと
自分のおでこをくっつけると、
その大きな手で私の両頬を
包み込んでため息をついた。
「参った。どうすればいい?」
どうすればいい?って、え?
レジナスさん、今何してましたか・・・。
おでこを付けたまま俯くと、
困ったように眉根を寄せて
目を閉じているレジナスさんは
泣きながらも物言いたげな私に
全然気付いていない。
そのまま独り言を呟くように
レジナスさんはぽつりと言った。
「間に合わなくて、ユーリに
もう二度と会えなくなるかと
思ったら俺の方こそ怖かった。」
その声は少しだけ震えているような
気がした。
こんなにも大きくて頼りになって、
恐ろしい竜もたったの一太刀で
倒してしまうようなレジナスさんでも
怖くなる事があるなんて意外だ。
しかもそれが私に関してだなんて。
そう思ったら何となくおかしくなった。
それを聞いて少しだけ笑みがこぼれる。
泣き笑いみたいになって、
「ふふっ、レジナスさんにも
怖いものがあるなんて変なの!」
そう言ったら、俯いたままの
レジナスさんが
「笑いごとなものか。俺にとって
ユーリはこの世で一番大切な存在だ。
それが消えてしまったら俺は一体、
どうすればいい?好きな相手・・・
愛する者がある日突然消えてしまって
二度と会えないなど、それはその先、
生きている意味があるのか?」
そんな苦しい目に遭うくらいなら、
死んだほうがましでは。
自問自答するようにそう言った。
それを聞いて一瞬、頭が真っ白になる。
・・・へっ?い、今なんか
すごいこと言わなかった?
え?聞き間違いじゃないよね?
好き?・・・って言うか、あ、愛⁉︎
「レ、レジナスさんそれって
一体どういう意味・・・」
思わず聞いてしまったら、
レジナスさんがうん?と顔を上げた。
「何か言ったか?・・・ああ良かった、
どうやらやっと泣き止んだようだな。」
ほっとしたようにはにかむと、
おでこを離して私の頭をくしゃりと
また撫でてくれた。
その夕陽色の瞳はいつもと同じように
どこまでも優しく私を見つめている。
その様子では、どうやら自分が
今何を言っていたのか
全然気付いていないらしい。
いや待って。絶対今なんか
すごいこと言ってたから‼︎
驚き過ぎて涙が引っ込んだ。
この世で一番大切って言った。
好きな相手どころか、
あ、あい、愛する者って言った。
・・・私がいなくなったら死ぬみたいな
ことまで言ってたよ⁉︎
いやいや、それは妹分とか庇護対象に
対しての言い分かも、とも思ったけど
さっきのニュアンスは
どう考えてもそうじゃない。
さすがに私もそこまで鈍くない。
一体いつから。全然気付かなかった。
だってこっちの見た目は10歳女児だ。
まさかレジナスさんに
そんな風に思われていたなんて
思いもよらなかったから
不意打ちもいいところだ。
ついこの間、シグウェルさんの
お屋敷でユリウスさんの言っていた
言葉が頭に浮かぶ。
『ーそうやって油断してると、
いつかガブッと噛まれるっすよ』
・・・ユリウスさん。噛まれました。
あなたは正しかった。
私の心の柔らかいところに
思い切り噛みつかれた気分だ。
びっくりし過ぎて心臓が痛い。
どうしよう。
どうすればいいか分からない。
私の頬も、さっきまでとは違う意味で
熱を持っている気がする。
両手を頬に当てたまま、ちらりと
レジナスさんを見上げたけど
どうした?と不思議そうに
こちらを見ている。
うわ、ホントに何言ったか
気付いてないんだ。
しかも、さっきのあれは何?
人のほっぺに口付けるみたいにして
涙を吸い取るとか、どさくさに紛れて
何をしてるの⁉︎
こんなにこっちを動揺させておいて、
挙げ句の果てに言いっ放しなんて
卑怯もいいところだ。
「~~っ、・・レジナスさんのばかっ‼︎
レジナスさんはずるいですっ‼︎」
悔しくて思わずそう叫んでしまった。
何が⁉︎とレジナスさんは驚いている。
・・・くぅっ、天然か‼︎
何だそれ。私ばっかり変に意識して
しまっている。おかしくない?
私のことを好きらしいのは
レジナスさんの方なのに。
今の今まで泣いていたのに
急に怒り出した私にレジナスさんは
意味が分からず機嫌を取ろうと
してきた。いつものようにひょいと
私を抱き上げる。
「腹が減っているんだな。
早く帰って温かいスープや
甘いお茶を飲んで落ち着いた方がいい。
何か食べたいものはあるか?
すぐに食べられるよう準備させよう。」
「お腹はすいてますけど!
でもそういうことじゃないんですっ」
なんて言えばいいのか分からない。
何しろ突然のことで私は自分の気持ちも
整理できていないのだ。
その時。はたと大事なことに気付いた。
「・・・レジナスさん、さっきの騒ぎで
屋台のある辺りは火事になってました。
もしかしてケガや火傷をした人達が
たくさん出たんじゃないですか?」
そうだ。こんなところでいつまでも
色ボケている場合じゃない。
あの時たくさんの人達が一斉に
走り出していた。
このサイズの私ですら
押しつぶされそうになったんだし、
私よりもっと小さい子たちは
一体どうなったんだろう。
「怪我人は1ヶ所にまとめられて
治療を受ける手はずになっている。
おそらく魔導士院からも治癒魔法の
使い手が手伝いに来ているだろう。
・・・気になるか?」
そう聞かれて頷く。
こんなひどい騒ぎになって、
せっかくのお休みを王都で過ごそうと
楽しみにして来た人達が可哀想だ。
私に出来ることがあれば
いくらでも手伝いたい。
イリューディアさんの加護の力は
そのためにあるのだから。
私が何をしようとしているのか
分かったらしいレジナスさんは
しっかり掴まっていろ、と言うと
私を抱え直して跳躍した。
とん、と一瞬で王都の市民街の
建物の上に立つ。
屋根の上に立つなんて初めての経験だ。
そのまますべるように静かに
レジナスさんは走り出した。
大きな体で私も抱えているのに
不思議なことに全然足音がしない。
そして私とマリーさんが
何かあった時の待ち合わせ場所に
していたあの大きな塔のある
商工会議所まであっという間に
たどり着くと、その屋根から
塔の中へと静かに体を滑り込ませた。
今日の騒ぎのせいなのか、
塔の中には誰もいない。
そこからそっと下を覗いてみれば
たくさんの人達が集まって
座り込んでいるのが見えた。
ケガや火傷の治療を受けている人や
お互いの無事を抱き合って
喜んでいる人。
炊き出しも出ているようで、
座ってスープらしきものを
飲んでいる人達の姿もある。
商工会議所の内と外を行ったり来たり、
忙しそうに立ち回っている人も見えた。
どうやら市民街の中心にあって
広いスペースも確保してある
この商工会議所は一時的な避難所に
なっているようだ。
よし。人の集まっている範囲は
だいたい把握できた。
人攫いなんかに出逢って
逃げようと暴れたおかげで、
すっかりほつれてしまった
三つ編みおさげをほどくと
ポニーテールに結い直す。
よーしやるぞ。気合いを入れた。
こんなにたくさんの人達を
一度に癒すのは初めてだ。
確実に全員を癒すためには、
リオン様を治した時以来の
久しぶりの呪文付きで力を
使ってみようか。
あの時みたいに万が一魔力切れを
起こしてもレジナスさんがいるから、
きっと大丈夫。
・・・うん、レジナスさんのことは
恋愛的な意味で好きかどうかは
まだよく分からないけれど
絶対的な信頼感だけはある。
だからもし倒れるような事になっても
心配はしていない。
「レジナスさん、もし私がリオン様を
治した時みたいに動けなくなったら
奥の院まで連れて行って下さいね。」
そうお願いすれば、レジナスさんは
その瞳に心配そうな色は浮かべても
やめろとは言わずに分かったと
静かに頷いてくれる。
「なるべく気を付けてくれ。
ユーリに何かあったらリオン様も
心配するからな。」
その後に言葉が足りなかったと
思ったのか慌てて付け足してきた。
「もちろん俺も心配している!
・・・ちゃんと見ているからな。」
そう言う瞳の奥には、優しさの中にも
どこか愛しいものを見るような、
甘さを含んだ光が宿っていて
じっと私を見つめている。
この世で一番大切な、愛する者。
その瞳にさっきの言葉が言外に含まれて
いるような気がして私はふぐっ、と
言葉に詰まってしまい
思わず顔を背けてしまった。
こ、この人もしかして今までも
こんな感じで私のことを
見てたのかな⁉︎
そういえば、あのとても高そうな
リンゴの花の髪飾りをくれた時。
それを髪につけた私を照れたように
微笑みながら見ていたあの時も
こんな感じだった気がする。
気付いてしまえばどうしようもなく
恥ずかしくていたたまれない。
うああぁ。心の中で声にならない
悲鳴を上げる。
これから癒しの力を使うのに
集中できなくなってしまいそうだ。
こんな時は落ち着いて深呼吸しないと。
まだ少しだけそわそわした気分のまま、
リオン様の時と同じように
すうはあと大きく深呼吸すると
立ったまま、両手を祈るように組んで
目を閉じた。
たぶん怪我をした人達は外だけじゃなく
商工会議所の中にも収容されている。
それなら、建物の中にいる人達も
癒せるように祈らなければ。
・・・この騒ぎで傷付いた
すべての人が治りますように。
どうかみんな、笑顔でこの王都での
休暇を楽しめますように。
強く強く、そう願うと
胸の内からいつもの暖かい光が
湧き上がって来るのを感じたので、
それが一番大きくなった瞬間の感覚を
捕まえて言葉を発する。
「ヒール」
瞼の裏に光が溢れた。
それはいつもよりも遥かに力強く、
眩しく感じた。
少しだけ光の強さが和らいだ時に
そっと目を開ければ、
目の前いっぱいに広がって見えたのは
明るく輝きながら降り注いでいる
金色の光の粒だった。
リオン様の時と同じだ。
それは夜の王都を明るく照らしながら
塔の下の人達に降り注いでいて、
みんなの驚く声と歓声がここまで届く。
幸いにも、塔の中からその力を
使ったのはバレていないらしく
何だこれ、一体どこから?
という声も聞こえてくる。
そしてその光は外だけじゃなく、
塔の中にいる私とレジナスさんの
上にも建物を貫通して降り注いでいた。
その時、何か白いものがふわりと
私の視界をかすめる。
何だろう、と手を伸ばしてみたら
それは手の平に落ちて雪が
溶けるみたいに消えてなくなった。
「・・・花?」
周囲を見回すと、光の粒と一緒に
白い小さな花が舞い落ちては
消えている。
そういえばリオン様の時も
こんな感じだった。
あの時は奥の院の庭園に立つ木に
咲いていた薄紅色の花だったけど。
「リンゴの花か?」
レジナスさんの声にはっとする。
そういえばさっき、力を使う前に
あの髪飾りの事を考えていた。
まさかそれが反映されたのだろうか。
うわあ。いつもながら単純過ぎる。
レジナスさんはそんな私の隣で、
なぜリンゴの花が?と不思議そうに
している。知らぬが仏だ。
そう思いながら周りを見て気付いた。
あれ?この光、塔の周りだけじゃなくて
なんか王都全体に降ってない?
また力加減を間違えたのだろうか。
そう思っていたら足から力が抜けて
かくんと膝をついた。
「あっ」
「ユーリ⁉︎」
慌ててレジナスさんが支えてくれた。
「ま、魔力切れかも知れません。
なんだか眠くなってきました」
支えられながらそう話している間にも、
すごく体を重く感じて急に睡魔が
襲って来た。
たった1日のことなのに、
今日は街に降りてから本当に
たくさんの出来事があった。
人攫いに遭ったり、
シェラザードさんの繰り広げた
子どもには刺激の強すぎる惨殺現場を
目の当たりにしたり、
感情の制御を失って泣き出したり。
極め付けにレジナスさんの
とんでもない告白・・・って言うか
独白を聞いてしまったりと、
ジェットコースター並の感情の起伏に
振り回されて、完全に私のこの
小さな体には持て余すようなことが
続いたせいだろう。
体が休めと言っているのかもしれない。
「心配しないでくださいレジナスさん。
なんか、すごく眠いだけなので・・・」
だから少しだけ眠らせて。
そう呟きながら、私はうとうとすると
レジナスさんに掴まったまま
眠り込んでしまった。
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