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33 エドマの様子にアドルフは呻いた。

 



 エドマがリリーの屋敷を訪ねた翌日、アドルフは馬に乗って息を切らせて帰ってきた。


「エドマ! エドマは⁈」


 先触れもなかったので、驚いて居間から玄関ホールに行くと、お帰りなさいを言う間もなく抱きしめられた。

 硬い軍服に囲まれて息が出来ず、エドマはちょっと強めにアドルフの腕を叩く。


「っすまない」

「はぁ……びっくりしました。お帰りなさいませ」

「お帰りなさいませって、それどころじゃない。大丈夫か?」

「え? なにか、ご心配なことでも?」

「…………」


 アドルフはエドマのきょとんとした顔を腕の中で眺めると、アシルめ……っ! と呻くように言った。そしてエドマの肩口に額をつけると、長い長いため息をついている。


 エドマは迷いながらアドルフの背中をとんとんと手を乗せるようにして叩くと、アドルフはしばらくそのままでいたが、ゆっくりと身体を起こした。


「アシルがリリー殿から急ぎの手紙が来たと言ってきたんだ。エドマを泣かせてしまったから私にすぐに屋敷に帰るように言ってくれと」

「あ、はい。泣きました」

「泣いたのかっ?! ほんとに? 泣かない君が?!」

「失礼です、アドルフさま。私だって自分にとって大切な物事の時は泣きます。アドルフさまが一番ご存知でしょう?」

「いや、それはそうだが……」


 アドルフはエドマの心を抉った件を本人に告げられて、心配そうにエドマを見た。


 エドマはそのアドルフの表情に、また、じんわりと温かくなる。


 きっと、いつも慎重にお話していたのね。触れないように、傷つけないように。


 ああ、なんて言って感謝したらいいのだろう。でもまって、ここはまだ玄関先。


 エドマはこみ上がる想いをゆっくりと納めてふわりと笑みを浮かべると、慌ただしく帰ってきた夫を気づかう。


「アドルフさま、玄関先だと落ち着かないです。居間はいかがですか? お昼は? 食べていらっしゃった?」

「食べては来たが時間が早かったから……そうだな、少し小腹がすいた」

「ではサンドウィッチぐらいですわね。マティス、シェフにお願いできる?」

「かしこまりました」


 マティスは略礼をすると厨房へと下がっていく。


「……いつの間にかすっかりこの屋敷の女主人だ」

「あなたよりこの屋敷にいますから」


 あなた、という言葉に柔らかさが出ていたのだろう。アドルフがまじまじとエドマを見てくる。その視線を感じて、エドマは頬を染めてしまった。


「……見すぎです。恥ずかしいのでやめてください」

「なにか……変わった? 変わっていない?」

「なんのことです?」

「私も分からない」


 混乱したように額に手を当てたアドルフが、ああ、汗が、と呟いたので、エドマは側にいたカーラが差し出したハンカチをありがとう、と受け取ると、アドルフの額に当てて汗を拭いた。

 その手を、アドルフはそっと握る。


「本当に、どうかしたのか? なんだか私の知っている妻ではないみたいだ」

「そうですか? 何かちがいます?」

「何もかもだ。例えば今も、以前の貴女ならハンカチを私に渡してくれるはずだ。自ら拭いてくれる、なんて事はしない」

「失礼です、アドルフさま。ちゃんと拭きます、そんな時がなかっただけで」

「いいや、きっとしない。というか、甘いっ」

「はい?」

「一々、所作が甘いんだ」

「……意味がわかりません」

「そこで顔を赤らめてくれるな……分からない。分からない。私の自我が崩壊しそうだ」

「……ひとまずお話をしたいので、待ってください」


 エドマの言葉にアドルフはまた目を見開く。言っていることの意味が分かっているのか、分かっていないのか判断つきかねる、といった顔をしたので、エドマは混乱しながらも無意識にエスコートをしてくれる袖をそっと引いた。


「お話しましょう、旦那さま。私、アドルフさまが帰ってきてくださって、とても嬉しいのです」


 はしばみの瞳に向けて、ふわりと微笑む。抱きしめたいのは、私も一緒です、という思いを込めて。


「目で殺されそうだ……」

「殺しませんっ」

「鈍いのは変わっていない……本当によく分からない。そうだね、とにかく話そう。それが一番だ」

「はい」


 鈍いのは余計です、と少し睨みながら、エドマは夫の及第点な回答に頷いて居間の二人がけのソファに座った。




 ****




 エドマはマティスとカーラにそれぞれサンドウィッチとシェフ特製のクッキーをサーブしてもらうと、人払いをしてアドルフと二人だけになった。


「アドルフさま、ひとまず食べませんか?」

「そうだな、戦の前の腹ごしらえは重要だ」

「……別に私と戦うわけではないと思いますけれど……」

「私の読めない貴女がいる、というのは私にとって思考力の消耗が激しいのだよ。補給は大事だ」

「……どうぞ」


 エドマとしては、普段と変わらないとおもうのだが、アドルフにとってはそうではないらしい。アドルフの食べっぷりを見ながら、相変わらず早いわ、とエドマはクッキーに手を伸ばして微笑ましくみている。

 それに気づいたアドルフはしばらく咀嚼して、次はさらにスピードを上げて皿を空にした。


「そんなに慌てなくても」

「早く貴女と話がしたい」

「お時間がないのです?」

「いや、無理矢理休みを取ってきたから、今日を含めて明日、明後日と一緒にいれる」

「よかった……!」

「ぐふっ」

「まぁ、大変だわ! カーラを呼びましょうか」

「いやいい、ハンカチで十分だ。それよりも、よかった?! 今までの貴女なら、そうですか、で終わる会話だよ?」

「そうですか?」

「そうだよ。何があった?」

「そうですね……」


 エドマはゆっくりと手を膝におくと、デュカス家でのリリーとの会話を、かいつまみながら話していった。


「という訳で、アドルフさまには多大なるご心配とご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」


 深々と頭を下げるエドマに、アドルフはがっしりと両肩に手を置き上体を上げさせると、真剣な表情でエドマのオークブラウンの瞳を捉えた。


「エドマは、私の事を好きになったのか?」

「そのようです」

「貴女の心に傷をつけたのは私だよ?」

「そうですね」

「許して、くれるのか?」

「それはちょっと……まだ分かりません」

「分からないのか……」

「でも、それがあっても、あなたが好きです」


 エドマの率直な言葉に、アドルフは息を呑んだ。


「リリーさまに、軍人の妻というのはどんな心持ちでいるのか、というのを教えて頂きました。私は、あなたがもし、この屋敷に帰ってこられない事になったとしたらと思ったら、胸が張り裂けそうになりました。嫌だったのです。あなたを失うのが嫌だと思いました」

「エドマ……」

「あなたが私の心を思って……私に知らせずにいろいろな事から守って下さっていたのに、気がつきました。申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ちと……愛しい気持ちで溢れて、涙が止まらなかったのです。だからリリーさまが心配されて手紙でお伝えして下さったのだと思います」


 エドマは一気に想いを吐くと、ふーっとひと息ついて、アドルフを見つめて朗らかに笑った。


「アドルフさま、私をあなたの妻にして下さい。きちんとリリーさまから夜の営みも教えて頂きました。がんばりますので、よろしくお願い致します」


 そして、やはりどうしようもなく顔に熱が上がってきてしまったので、エドマはまた深々とお辞儀をした。


 アドルフは、エドマの夫は、顔を上げて、と静かに言った。

 エドマは身体を起こしたが、目線はとても上げられなかった。口から心臓が出そうとはこの事だわ、と涙目になりながら言い切った自分を褒めた。


 今までずっと、褒めたことのなかった自分を褒める事ができた。アドルフさまのおかげだわ。


 それも告げたい、ありがとうと言いたい、そっと顔を上げると唇を奪われた。


 確かめるような触れるだけのキスに、エドマは初めてその広い背中に手を伸ばしそっと置くと、アドルフは苦しくなりそうな息もできない口づけをした。


 やがてゆっくりと離れたアドルフは長いため息を吐いて、しばらく動けないエドマを腕の中に閉じ込めた。


「夜が待てないって言ったら怒られるかな」

「わ、かりません……」

「みんなには内緒で部屋にいこう」


 うんともいやとも言えなくてエドマがアドルフの肩に身を寄せると、アドルフはさっと妻の手を取り早足で居間の扉付近を伺った。

 いつもはカーラやマティスの緩やかな気配、レリアが足早に歩く足音が聞こえるのだが、廊下は物音一つない。


「誰もいないようだ」

「……」


 普段ならありえない。でも、もしかしたら自分たちの様子をみて察してくれたのかもしれない。


 誰にも気づかれずに玄関ホールまでいき、なんとなく静かに階段を上がると、エドマの寝室にきた。


「こちらでいい? たぶん、見知った部屋の方が落ち着くと思うんだ」


 エドマはなんとも言えずとにかく頷いた。どちらの部屋なんて分からない。もう、アドルフに任せるしかない。

 そういう意味では、旦那さまにお任せする、というのは本当の事だった。


 そっとアドルフが部屋のノブを押して開けると、いつもは明るく陽光が入るようにしてある室内がカーテンで閉められ、ベッドには天蓋のレースが降りていた。


「……我が家の侍女達は優秀だね」

「……すごく、恥ずかしいです」

「それが新婚ってものらしいよ。皆の好意、ありがたく頂こう」

「……はい」


 やっと返事をする事ができた新妻に、夫はご褒美だと言わんばかりに額に口付けるとふわりと抱き上げてレースのカーテンをくぐった。


 初めての夜は覚悟はしていたけれどやはり辛くて、いつのまにか寝てしまっていたらしい。朝になっても動けずに横になっていたら旦那さまが朝食を運んでくれた。


「慣例で初夜の翌朝は夫が妻にサーブするようだね。カーラが嬉しそうに教えてくれたよ。さ、朝食にしようか」


 新妻は身体を抱き起こしてくれてベッドの背もたれにクッションを置いてくれる夫に遠慮がちに甘えて身をまかせてしまう。リリーさまはそれでいいと言ってくれていたから、きっと大丈夫だろう。


 果物と冷たい水を飲んでまた横になってしまったエドマの髪を、アドルフは何度も梳く。その大きな優しい手にまどろみ、エドマはゆっくりとありがとうございます、というと微笑みながら眠っていった。










一時間後にエピローグ を投稿します。

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