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25 エドマはつん、と横を向いた。

 



 アドルフはソファに座ると足を組み、しばし逡巡すように顎に手を当てて目を伏せていた。

 それは長い時間ではなかったけれど、いつも余裕がありスマートに物事に当たっているように見える彼の姿とはかけ離れていて、エドマは少しだけこくりと喉を鳴らした。


 やがてアドルフはソファの背もたれから身を起こし、組んだ足の上に手を置きながらエドマのオークブラウンの瞳をじっとみて、おもむろに話し出した。


「詳しい事は機密にあたるので言えないが、数年もしない内に我が国が戦時下に置かれる可能性が高い、と私は推測している」

「……戦、時下」


 エドマは目を見開き、口元に手をやると、アドルフはそうだ、と頷いた。


「このロリアンの地まで戦場になる事はないとは思うが、開戦すれば物資が滞るのは必須だ。その時に動揺しないように、あなたにも今から少しだけ節制した生活を送ってほしいと願う。これが私が先程牽制した理由だ」

「分かりました。もちろん、仰せに従いますわ」

「理解が早くて助かる。本当はもっとゆっくり説明しながら語りたいのだけど、時間がなくてね。明後日の朝には軍部に戻らなければならない。君との時間も今日と明日しかないんだ、マティス、紙とペンを」


 アドルフはドア付近に控えていた家令に指示をすると、エドマにローテーブルに身体を寄せて、と言った。


「訪問時以外のドレスの着替えを最低限に。でも、そうだな。ディナーは着替えたい?」

「必要とあらば、で大丈夫です。でも……外出から戻った時は流石に着替えたいわ」

「そうだね、ごもっとも。ただ、有事の時は訪問着に着替えずに外に出るんだよ。それは分かるかい?」

「大丈夫です。そこまで人の目を気にはしませんから」

「助かる」


 服装とアドルフは紙に書くと、今言った事をざっと記述していく。その書くスピードも速い。


「新聞を読んだ事は?」

「いいえ……ありませんわ」

「週に一回ここに配達されるから、私が居ない時は目を通しておいてくれないか。三紙配達される」

「分かりました。でも……」

「何だい?」

「何を見れば……」


 新聞は紳士のたしなみ、という慣習の元、今まで自分では読んだことがなかった。エドマは目を通して、その後どうしたらいいのか分からない。


「気になる記事があれば切り取って私の机の上に置いておいてくれればいい。迷ったらマティスに相談するといいよ」

「分かりました」

「それから……記事は必ずしも真実ではない場合もあるから、鵜呑みにしないように」

「え? そうなのですか?」


 紙面の情報は正しいものが載っていると思っていたエドマは信じられない想いでアドルフを見た。

 アドルフはにやりと笑って頷くと、真実かそうでないか迷った記事も切り取っておくといい、私が後から教えてあげるよ、と言った。


「食事は朝食と昼食はワンプレートだが、ディナーはコースだから安心してくれていい。これは厨房からの強い要望でね、腕が鈍るそうだ」

「お客様が来た時の為にも当然のことだと思います」

「シェフとも気が合いそうで助かる。私はどうしても効率を求めてしまうからね、今みたいに貴女なりに気がついた事を言ってほしい」

「分かりました。一つ、いいですか?」

「なんだい?」


「明後日出勤されたら、お戻りはいつでしょう?」


 エドマの問いは、アドルフにとっては思いもよらない質問だったようだ。書いていた手を止めて二度ほど瞬きをしこちらを見た。

 そして、赤みがかった黄色にも見える複雑な光彩が柔らかく緩んだ。

 口元にも笑みがこぼれていて、その自然な微笑みにエドマの心臓がとくりと動いた。


「……何もなければ一週間後に戻るよ。まだ陸にいるからね。しかし待っていてくれる人がいるというのは……嬉しいものだな」

「あの、普通だと、思いますけれど」

「ふふ、そうだね。でも、嬉しいものだ」


 再び嬉しいと言ったアドルフは、素早くエドマの頬に顔を寄せてキスをした。


 突然のスキンシップにやめて下さい、と仰け反っていると、マティスがこほんと咳払いをして、旦那様、そろそろ屋敷内の案内を、と助け舟を出してくれた。


「ああ、そうだった。エドマ、今日はざっと案内するが、気になる所はマティスに言って私が居ない間にでもゆっくり回るといいよ」


 では、行こうか、と腕をさっと取られていつのまにか立たされていた。ただ、歩き出しはこちらのスピードに合わせてくれるところがエスコート慣れしている。

 その、慣れている、という事にざわりと波立った心の襞に軽く衝撃を受けながら、エドマは平静をよそおい比較的ゆっくりとした歩調で廊下に出た。




 ****




 まず案内されたのが厨房だった。朝食の片付けがおわり、昼食を作る前の休憩タイムだったようで、キッチンのスタッフが慌てて椅子から立ち上がりこちらに向かって頭を下げた。


「皆、すまない休憩中に。改めて紹介するが妻のエドマだ。私が居ない間、ここの女主人となる。よろしく頼む」

「エドマです。よろしくお願いします」


 わらわらと厨房から出てきた中で、軍人かと思うぐらいの上背、強面の者がずいっとエドマの前に立った。


料理長(シェフ)を務めている、ジェルマンだ。よろしく」

「シェフ、そんなぶっきらぼうに。怖がられますよ。副料理長(スー・シェフ)のロイクです。よろしくお願いします、エドマさま」


 ジェルマンの脇に控えていた細身の若いシェフがすみません、うちのシェフ、顔、怖いけど腕は一流なんで、とシェフにとってはなんのなぐさめにもならない事を言った。


 エドマはにこやかに頷いて二人に目線を送る。


「今日のエッグやポークのウインナーもとても美味しかったわ。昨日晩餐は緊張して味わえなかったの。今日のお昼やディナーを楽しみにしています」

「……お嫌いなものは?」

「ないわ。ただ……酸味が強いソースは苦手なの」

「オレンジ? ビネガー?」

「若いビネガーが好きだけど、年代物のビネガーは苦手ね」

「了解した」


 ジェルマンはそれだけ言うとアドルフとエドマに会釈してロイク以外の料理人達を厨房に戻らせてディナーの算段をし出した。


「よかった、仲良くやっていけそうですね。エドマさまのおかげです」

「私は何も。ただ好みを言っただけよ?」

「シェフにとってはそれが嬉しいんですよ、なんせ旦那様はあるものでいい、ですからね」

「職業柄だ」

「そんな事言ったって育ちは貴族様でしょう?」

「十三の時からあの寄宿舎の飯を食っていればそうなるよ」

「なりませんよ。エドマさま、この方ほっとくと食事取らないで仕事していますから。ぜひお声をかけて一緒に取って下さいね」

「まぁ……ふふっ、わかったわ」


 ジェルマンの仕事熱心さやロイクとアドルフの軽快なやり取りをみてエドマは思わず笑みがこぼれた。


 主人と気安く喋れる関係って、素敵。


 アドルフがその気安さを許し、そして合わせているのだろう。それはとても好ましく思えたし、エドマ自身もほっとできた。


「妬けるな。エドマの笑顔を一日で引き出して」

「え? エドマさま、よく笑う方だって、カーラさんやレリアさんから聞いてますよ? 」

「何? 私には昨日、初めて笑ったのに」

「優しくお声かけ下さる方には普通に笑いますわ」


 アドルフの責めるような言いように、エドマはつん、と横を向いた。

 そもそも出会いから何からアドルフの人となりが分からないのがいけない。人を食ったような笑いをする人に笑顔になんてなれないわ、とそのままあさっての方向を見ていると、ロイクがくすくすと笑い出した。


「これは……お可愛らしい。うん、旦那様のお気持ちも分かりますね」

「エドマは私の妻だ。断じてやらんぞ」

「分かってますって。いやぁ、これは面白いものが見れた。あの旦那様がねぇ」

「黙れロイク、仕事しろ」


 アドルフに虫を追い払うように厨房に押し込められたロイクは、笑いを堪えながらエドマの方に会釈しジェルマンの隣に歩いていった。


「仲良しですのね」


 憮然としているアドルフに話しかけると、同じ釜の飯を食った仲だから遠慮がない、と表情を崩さずにぼそりと言った。その顔にエドマはまた吹いてしまう。


「……本当によく笑うね、それが貴女の本来の姿か……」

「……失礼しました」


 こほんと咳払いをして表情を整えると、いや、笑っていてほしいのだけど、とまたぼそりと言う。エドマも内心、そんな事も言うのね、と思いながらエスコートに出された腕に手をかけ、少し思案してこう応えた。


「アドルフさま次第ですわ」

「言ったね、奥さん」

「言いました」


 廊下を歩きながら、つん、とまた横を向くのだが、今度は自分が堪えきれなくて、ふふふっと笑った。アドルフもそれ以上追求せずにゆっくりと足並みをそろえてくれる。

 エドマは口元を柔らかくほころばせながら、真っ直ぐに顔を上げて歩いていった。



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