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姉妹冒険者物語  作者: 並野
リッチーと宝石島の冒険
84/181

10

 時刻は夕方。

 二日目の夜も、紫溶岩の大地で過ごすこととなるようだ。

 手頃な窪みを見つけた三人は、その中で背嚢を降ろし思い思いにくつろいでいる。


「はああ……足ががくがくする……昨日よりもっと疲れた……」

「足なら後でマッサージしてあげますから、魔力は使わないでください。勿体ない」

「はあい、アーサーちゃんの揉み揉み待ってますよお」


自分の疲労した足へ治癒の呪文を使おうとしていたリッチーがアーサーに制され、気怠げに呪文を中断し脱力した。

 ぱたり、と横になった拍子に窪みの壁面にちょっぴりだけ、小指の先ほど白く光るダイヤが露出しているのに気づき、寝転んだまま爪と小石でかりかりとほじくり始める。

 暫くすると掘り出せたものの量は最初から見えていた分しかなく、内部も不純物だらけで透明感はまるで無い。

 リッチーはすぐに興味を失い、欠片ごと両手をその場に投げ出した。

 萎びた菜っ葉のように脱力している。

 隣ではピエールが二人分の武器の手入れ、アーサーは夕餉の前の食糧確認中だ。


「あの三人は無事に帰れたかなあ」

「一通り情報は提供しましたし、慎重に進んでいれば帰れる筈ですよ。また魔法石に目が眩んで紫溶岩地帯で襲撃を受けていたら知りませんが」

「流石にあんな状況になってまた石に飛びついたりはしないだろうから、それなら大丈夫かな」


会話しながら、アーサーが使っている剣の切っ先を布で丹念に拭うピエール。

 一応はアーサーの手によって戦闘直後に拭われているが、念のためだ。

 何度も拭って血の汚れが残っていないことを確認してから、背嚢から取り出した親指ほどの白い石で刃を軽く磨いていく。

 合間合間に会話を挟んだのんびりした作業だが、その手つきはもう何年も行っているであろう手慣れたものだ。

 欠伸すら吐いているというのに、刃をなぞる動きには一片のぶれもない。


 一方アーサーは姉に武器の手入れを任せて、自身は全員分の荷物から食料の袋を引っ張り出して中身を改めていた。

 背嚢の横から、上から、中から、底から、更には腰のベルトポーチや懐からも中身の詰まった小袋を無数に取り出していくアーサー。全て取り出し積み上げると、ちょっとした山だ。


 その中の一番上にある袋を何の気なしに手に取り、口を開く。

 中身はトェルカというシテテ島独特の保存食だ。

 ペテという名前の果物の果汁を乾燥させ、米粉と混ぜ焼いたもの。乾燥させたペテの果汁を混ぜることで保存性が高まり、また風味が出るという。

 しかし半端に甘酸っぱいので、他の食べ物との相性はあまり良くない。どちらかというと酒の肴で、主食にはいまいちだ。


 アーサーは指先で袋の中身を少し探り、中で黴や虫が湧いていないか軽く確かめてから袋の口を再びきつく縛った。

 同じ調子で、他の袋も全て見分していく。

 今回持ち込んだ食料はトェルカ、魚の乾物、干し果物の三種類と少しの生米。少量揚げ菓子も持ち込んでいたが、保存が効かない為昨日で全て食べ終えている。

 何とも乾き切った食料たちで、見ているだけで口内の水分が失われていくように感じられる。

 しかも今晩は昨晩と違い大蜥蜴肉のような収穫物も無い。紫溶岩の大地では草の一本も見かけておらず、食用になる野草の採取も到底望めない。

 危険な戦闘は回避出来るに越したことはないのだが、戦闘皆無でろくな収穫物が得られないのもそれはそれで心寂しいものがある。

 痛し痒し。

 ぼんやりと考えながら、アーサーは全ての小袋の中身を点検し終えた。

 今日の夕食にする分だけ残し、他を元通り背嚢や鞄の中に分散して納め直す。

 一つの袋に纏めないのはリスク分散の為。背嚢を破られ袋に穴が空いた時など、食料を一つに納めていたらそれだけで全て失う可能性がある。それ以外にも不測の事態が起きた際、一度に全て失う可能性が上がるだろう。

 しかし袋を分散するのは、それはそれで管理や収納にいらぬ手間がかかる。

 痛し痒し。

 先ほどと同じ結論に至りながらもアーサーは今晩の夕食を取り分け、コップも三つ取り出した。

 何はともあれ、夕餉の時間である。



   :   :



 カラッカラのトェルカとパッサパサの魚の乾物とモッソモソの干し果物をもも……ももっ……と言葉少なに食べ終えた三人。

 口内の水分は根こそぎ略奪され、リッチーが呪文で注いだ飲み水は一人あたりコップ三、四杯にも及んだ。

 加えて明日の行動時の為の水筒の水も入れ替え、今日のリッチーはありったけの魔力で呪文の水を垂れ流し。

 肉体的な疲労に加えて精神的にも疲弊した様子で、窪みの中でうつ伏せに寝転んでいた。


「ういーっ、身体だけじゃなくて頭までへとへと……アーサーちゃんはリッチー使いが荒いのよ……あたし可哀想」

「色々ごめんね、ありがとリッちゃん」

「いいのよいいのよ……確かに荷物とか戦う時とか二人に任せっぱなしなのは……ううーい……そこ結構いい……」


言葉半ばでリッチーが気持ちよさそうに呻いた。

 彼女の足下では、アーサーが丹精込めてリッチーの足をマッサージしている。

 こんがり日焼けした小麦色の足の肉を無言で解すアーサー。

 リッチーはされるがままになりながら、時折、


「う゛ー」

だの


「お゛お゛ー」

といった呻きを上げている。

 少女ながら少し汚い呻き声だ。


「……あなたは気が抜けると、本当に汚い声を出しますね」

「えー? 別に普通じゃない、気持ちよくてあ゛ー、って言ってるだけよ」

「いや、普通ではない、かな……。小っちゃい女の子が、べろんべろんに酔っぱらったお父さんの声を真似してるみたいな、そんな感じ」

「え゛ー」


ピエールに指摘されたリッチーはやはり若干汚い声で不満げに呻いた。

 だが呻きとは裏腹に大して気にしていない様子で、脱力を続けている。

 そこで一旦会話が途切れ、ピエールは何の気なしに窪みから頭一つ出して外を眺めた。


 既に外は夜だ。

 雲一つ無い夜空に宝石の粒を散らかしたように星が光り、その中で月が白い光を放っている。

 夜空から視線を降ろすと、紫溶岩の大地が視界に広がった。

 月の光は中々強く、窪みの外では周囲の景色がはっきり見える。

 夜に見る紫溶岩は黒一色のシルエットに見え、昼の景色とは全く違う、今にも迫ってきそうな圧迫感と閉塞感があった。

 明るい夜空と、波打ち(そび)え立つ漆黒の大地。

 こんな見慣れない景色を見ていると、ピエールは不意にこう思うのだ。


「何だか異世界に来たみたい……」

と。


 そして、こういう気まぐれな感傷を覚えると決まって、


「異世界も何も、町から歩いて二日じゃないですか」

と、アーサーが情緒もへったくれも無い返事を放ってくるのだ。


「……アーサーには浪漫がない」

ピエールはわずかに唇を尖らせながら、頭を引っ込め窪みの中へと戻った。



   :   :



 くてん、くてん。

「……」


くてん、くてん。

 寝ぼけ眼のリッチーが、頭と身体を左右にくてんくてん揺らしながら保存食による朝食をもそもそ口にしている。

 目は不機嫌そうに閉じられ、座りながら寝ているのではという状態だ。

 既に陽は昇り始め、呪文による水出しや身体を清めるなどの作業の後なのだが眠いものは眠いらしい。

 姉妹はいつリッチーが倒れるかと気にしながら、同じく保存食をもそもそ食べていた。


「リッちゃん?」

「んー……?」

「まだ眠いの?」

「んー……」

「もう朝だよ?」

「んー……」

「ほらしゃきっとしないと」

「……」

「ねえリッちゃんっ」

「んー……!」


ピエールが呼びかけるが、リッチーは未だ意識をはっきりさせない。

 それどころか何度も呼びかけていると、逆に不快そうな、咎めるような生返事で主張してくる始末。

 アーサーが多少強引に目を覚まさせてやろうかと腰を浮かしかけたが、それより先にピエールが、


「あ、こんな所に大きい宝石埋まってた。気づかなかったなあ」

とわざとらしく呟いた途端リッチーは両目を見開き「どこっ!」と鋭く叫びながら立ち上がろうとして、


 天井に頭を勢い良くぶつけた。


 目を見開き、口を"お"の形にしながらうつ伏せに崩れ落ちるリッチー。

 震える両手で頭部を押さえながら、


「どこ……ピエールちゃん……宝石どこ……どれ……」


と絞り出すような震える声音で呟いた。

 予想外の展開に素直に嘘だと言い出し辛くなったピエールがおろおろしながら倒れたリッチーを見つめる中。

 アーサーが二人から顔を逸らし、一人だけ口元を手で押さえながら身体を震わせていた。



   :   :



 何はともあれ朝食を終えた三人は、再び紫溶岩の大地を進み始めた。

 隆起した柱の脇を抜け、地面の大穴を迂回し、空から気配がすれば即座に隠れる。

 昨日と同じ調子で、体力の劣るリッチーを気遣いながらゆっくりと、着実に歩を進めていた。


「ひゃー……」


足下にあった紫溶岩の欠片が、すぐ隣で大口を開けている穴へと転がり落ちていった。

 からん、ころん、と音を立てながら転がった石は、いくらか落ちたところで音を止める。

 落下速度と音の鳴る間隔からして、大穴は深さ数十メートルはあるだろう。

 足を踏み外せば、二度と戻れない。

 十分注意しつつ、三人は穴の縁に迫り出た細い足場を通過した。


「今の穴深かったわねー。底はどうなってるのかしら」

「組合で聞くところによるとただの穴でしかないものが殆ど。ですが、中には複数の穴が空洞で繋がった天然の坑道のようになっている箇所もあるらしい」

「天然の坑道……何か浪漫ある響きだね」


と返しながらピエールがそっとリッチーの顔色を窺うと、彼女は案の定鼻息荒くふんふん言いながら興奮していた。

 地表を歩いている時でさえ輝石の類が大量に散見しているのだ。内部から見れば一体どれだけ見つかるのやら。

 それを思えば、リッチーが興奮するのも無理のない話と言える。


「聞こえはいいかもしれませんが、実際は地中棲の厄介な魔物も多く棲んでいますし迂闊に壁など掘ろうものなら崩落の危険性もあります。穴の中に入るなんて言ったら組合でも真っ先に止められますよ」

「……だってさリッちゃん」

「でも、宝石の洞窟みたいになってるんでしょ? 中に入って光で照らすと周囲の壁に綺麗な石が残ってて、宝石の夜空みたいで……そんなの天国じゃない」

「どうせ光で照らした途端暗闇にいた醜悪な魔物の姿が露わになって悲鳴を上げて終わりですよ」

「アーサーちゃんはどうして人が盛り上がってる所に冷や水浴びせるようなことばっかり言うのよ!」

「どうせ入れない入らないのだから無駄に夢ばかり膨らませても仕方がないでしょうが」

「そんなことないわよ実際に目に出来なくたって美しい光景に思いを馳せてうっとりしたっていいじゃない! ……ねえピエールちゃんっ!」

「えっ私?」


二人の話が過熱し始めた辺りで我関せずの傍観者気分を取っていたピエールだが、突然話を振られたことで上擦った返事になってしまった。

 二人の顔を窺うと、どちらも自身に鋭い眼差しを向けている。


「え、えっと」

「ピエールちゃんなら浪漫に胸を膨らませて夢を見るのもいいって思うよね?」

「姉さんならいらぬ夢を見て無謀な真似をした者の末路は知っていますし私の言うことは理解出来ますよね?」

「えー……えーっ……」

「ピエールちゃん!」

「姉さん!」


言葉を濁そうとした瞬間語気を強めて迫られるピエール。

「……何で私が責められてるみたいになってるのこれ」



   :   :



 紫溶岩の大地の冒険、二日目。

 羽ばたきから隠れ地形に苦慮しながらの旅だが二日目は現状さしたる問題も無く、滞りなく進んでいた。


「結構進んだなー……」


一行は物陰に潜み身体を休めている。

 コップに満たされた呪文の水を一息に呷ってから、ピエールが呟いた。

 隣ではリッチーが壁に背を預け足を投げ出して座り、アーサーが彼女の足を揉んでいる。


「リッちゃん大丈夫?」

「大丈夫大丈夫、今は別に辛くはなくて念のためだから」

「やはりここを歩き始めてから来ましたね」

「一日目に川縁と森を歩いた時は大して疲れなかったから楽勝だと思ってたのに……」

「出発する前に言ったじゃないですか、二日目以降の紫溶岩地帯があなたの体力にとって一番の難所だと」

「実際に歩いてみて初めて分かるこの凸凹道の辛さ……ううーい、もういいよ、ありがとアーサーちゃん」


一度呻いてからリッチーが言い、アーサーが離れるのを待ってから立ち上がった。

 服の砂埃を払い、一度屈伸する。

「よっし、じゃあ行きましょ二人とも」

昼の休憩を終え、三人は再び紫溶岩の大地を歩き始めた。



   :   :



 歩を再開してからおよそ三十分、時刻は昼前。

 ずっと代わり映えのしない黒紫の溶岩だけが広がる大地を歩いてきた三人に、ここでようやくにして久しぶりの変化が訪れた。

 高く伸びた溶岩の柱で囲まれた、曲がりくねった視界の悪い道を歩いていた三人。

 柱を曲がって前方を視界に納めたアーサーが、足を止めて暫しその光景を眺めた。

 遅れて後ろのリッチーとピエールがそれを目にする。


「お……おお……?」

どこか当惑気味のリッチーの呟き。


 柱を曲がった先に広がっていたのは、切り立った紫溶岩の崖に囲まれた広大な池だった。

 深さは膝より低い。広く浅い池が周囲一帯に広がっており、水の広場とでも言うような様相だ。

 水は透き通っていて、底には泥や砂利などは無く平坦な紫溶岩が一面に広がっている。植物も生えておらず、視界は広々としていた。

 また、よく観察すると水には緩い流れが出来ている。

 恐らくは、どこかから湧き水が染み出している泉なのだろう。


「水辺、あるじゃない」

リッチーが呟く。


 だが姉妹は押し黙ったままだ。難しい顔をしたまま、広い水溜まりを眺めている。

 返事が無く、また表情が険しいことに気づいたリッチー。


「……もしかしてここにも何かいるの?」


と尋ねたが、どちらも曖昧な生返事を返しただけだ。

 首を傾げつつ、詳しい説明を要求する。


「うーん……なんかいそうな感じする。……するんだけど、何だろ、はっきりと分かんない。いるような、いないような」


ピエールはリッチーの質問に対し、自分も首を傾げて自信なさげにそう答えた。

 一方アーサーもやはり訝しげな表情で、今は池の前で屈み込んで何やら水質を調べている。

 酸や毒性はないと一応の確認が得られたようだ。手袋を外し指先で触れても、かぶれたり染みたりということは無い。

 しかし顔色は優れないまま。


「はっきりとしない気配がありますね。何とも不気味です。……迂回する訳にもいかないので、通らざるを得ませんが」

「ここまで長いこと一本道だったもんね」


暫し逡巡してから、アーサーは方位計や携行食などをベルトポーチに戻し剣と盾を構えた。

 同様にピエールもショベルを抜き、リッチーも鞄の巻物や毒針などの位置を整える。

 先頭のアーサーから順番に、池の中に足を踏み入れた。

 なるべく水音を立てないようにす、す、と足を滑らせるように歩く一行。歩きながらも三人は周囲をきょろきょろ見回し、何かいないか、水中に何かないか、と目を光らせている。


「見たところ何もいないわね」

「それが余計不気味です。何よりもおかしな所は、生物がいないこと。これだけ広々とした空間の、しかも貴重な水辺なのに鳥の一羽もやって来ない。……やはり、何かありますね」

「なるべく早く抜けよう」

「そのつもりです」


そう言いながら、三人が更に一歩、ちょうど池の中央付近にまで近づいたその時。

 ぽちゃん。

 進行方向から真左、ずっと遠くで、何かが落ちる音がした。

 三人同時に、即座に振り向く。


「……石?」


ピエールが呟いた。

 落ちてきたのは、どうやら親指ほどの六角柱の黒い石らしい。池の縁、崖から転がり落ちてきたのだろうか。


「あれは……多分形からして黒水晶ね。遠いからよく見えないけど、あんまり綺麗じゃなさそう。でもどうしていきなり落っこちてきたのかしら」

「……」


リッチーが左に目を向けたまま言う中、既にピエールとアーサーは黙って前を向いていた。

 視線の先は、左右の斜め前方にある崖。


 その上にびっしりと出現した、色取り取りの宝石の原石たち。

 リッチーが遅れて気づくと同時に、宝石たちはひとりでに崖を滑り落ち、どざああっ、と池の中へ転がり落ちていく。

 唖然と眺めるリッチーと、周囲一帯に散らばっていた気配の正体に気づき口の端をひくつかせる姉妹。

 崖を転がり落ちた宝石たちはやはり誰が触れるでもなく勝手に動き、大きな一つの塊に集まった。

 体積はおよそ象ほどもある。


「うわあ這い宝石だ……」

ピエールが、小さな声で呟いた。

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