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姉妹冒険者物語  作者: 並野
死闘・蠍鎧
68/181

07

「町中へ撤退だ! トゥルは私が抱える、姉かリスト様が妹を運べ! ヴィジリオは殿で敵の足止めに全力!」


目の前に瀕死の夫が落ちてきたにも関わらずエルマの決断と行動は迅速で、一同は即座にその場から駆け出し始めた。

 膝から下を砕かれぐったりしているアーサーを肩に背負ったリストが、土埃から飛び出す。

 そのすぐ後ろに、鉄球を抱えるピエール。

 三人が出たのを見てから、エルマが呪文を唱えて親蠍の周囲に土埃の上から白い霧を撒きつつトルスティを抱え必死の形相で走り出した。

 最後尾を、ツキカに乗るヴィジリオが受け持つ。


「エルマ! トルスティは!」

「そちらの妹と同程度でしょう。太股から下を砕かれています。私の呪文で治せる範囲ですが、即座に戦線復帰とはいきません。……姉、お前たちの方は?」

「私は大丈夫。アーサーは飛んで避けようとしたけど足が引っかかった。……あいつ、普通の奴より速い」

「本当は僕も回避出来なかったんだ。それを、ぎりぎりのところでトルスティが助けてくれて、それで」

「そうでしたか。……トゥル、良くやったな」


走りながらエルマがそう付け足すと、息荒く呼吸をする初老従者が脂汗をびっしり浮かべながらも、にこりと微笑んだ。

 その直後、後ろから再び巨大な足音が轟く。


「もう動き始めた! 急いで!」


振り向けば土埃も煙幕も消え、眩んだ目も戻ったと思しき親蠍がどごんどごん地面を踏み荒らしながら一行へと走り始めていた。

 切羽詰まった声で叫ぶツキカの背では、ヴィジリオが呪文を放っている。


 小石ほどの魔法弾が一掴み握ってばら撒くかの如く放射され、幅広い面の攻撃となって親蠍を襲う。

 走る速度からして、回避など不可能な軌道だ。

 しかし親蠍は回避行動を取らず、触肢を振り回して飛び散る光弾をほぼ全て受け止めた。

 数粒受け損ねが足や地面に当たり白く凍てつかせるが、勢いの乗った親蠍の力と重量の前に足止めの用を成せず砕け散る。

 鋏は巨大な氷に埋まったものの、鋏同士を力強く打ち合わせることですぐに砕かれてしまった。


「畜生、氷じゃ止まらねえ……ならこっちだ!」


凍結が効き目薄しと判断したヴィジリオが、次に放ったのは地を這って進む無数の光。

 こちらも親蠍は避けずに突き抜けようとしたが、光が至近距離に近づいた瞬間、


 重い破裂音を立てて爆裂した。

 土を抉り空気の弾ける爆風は円柱状に高く炸裂し、すぐ近くにあった親蠍の前足が一瞬風圧で空を掻く。


 損害は皆無。

 だが爆風で押される度に親蠍は減速を余儀なくさせられ、軌道を変えて避ければその分無駄が生まれ最短距離、最高速度で追うことが出来ない。

 そうこうしている内に先頭のピエールが瓦礫の積もる門跡に到着し、瓦礫の境を越え始めた。


「このまま裏路地にでも入って撒いて身を隠し、立て直す間町を相手に暴れて貰う! 町への被害はやむを得ない! 我々が倒れればいずれにしろここは終わりだ!」

「ヴィジリオ、瓦礫登るから揺れる! 片手は掴んでおいて!」


ヴィジリオが地走弾を放つと同時にツキカが蹄で瓦礫の山を登り始め、荒々しくも容易く乗り越えていく。

 先を走るピエールとリストが奥の建物の裏に身を隠し始めた頃、親蠍も瓦礫の前へと到達した。

 次いで建物の陰に滑り込んだ最後尾の二人。

 そのまま奥へ逃げようかというところで、ヴィジリオがツキカの背を叩いた。


「待て、あいつまだ瓦礫越えられてねえ! さっきより威力込めて瓦礫ごと吹っ飛ばしてやる!」


建物の陰から半身身体を出す不細工組。

 ヴィジリオが右手の指輪を突き出し長い詠唱を始め、様子を見るツキカ。

 親蠍の様子を改めて見て、一言。


「……登ってこない。手間取ってる?」


その呟きは本当に小さな、不細工の詠唱に隠れ聞き取るのも難しい独り言だった。

 だが他でもないアーサーが、呟きを耳聡く聞きつけた。

 重傷により意識朦朧とする中、目を見開き叫ぶ。


「早く隠れろっ! 相手が先に瓦礫を投げてくる!」


叫びと同時に瓦礫が爆発した。

 声に驚きながらも咄嗟に身体を引いたツキカの目の前を、瓦礫の欠片が高速で突き抜けていく。

 瓦礫が掠り、先端から小指一本分消し飛ぶ白褐色のツインテール。

 破裂した瓦礫は既に半壊状態だったいくつもの建物を完全に破壊し、先の外壁崩壊の時とは違い上方向にも吹き飛んだ無数の瓦礫が時間を空けて空から降り注ぎ始めた。


「つ……ああっ!」


注ぐ瓦礫の豪雨の音に、誰かの呻き声が紛れる。


 先の一瞬、親蠍が行ったことは至極単純だ。

 瓦礫の山に鋏を下からねじ込み、思い切り振り上げただけ。

 それでも巨大な魔物の力で放り投げられた瓦礫は爆発と呼ぶに相応しい勢いと破壊力を備え、一行は疎か、遠く離れた無関係の人々や空を飛ぶ蠅たちにも被害を及ぼした。


 住民が籠城中の建物が空からの一撃で天井や窓を破壊され、穴から蠅が滑り込む。

 死体を抱えた蠅に直撃したかと思えば、地面に落ちた死体を再び別の蠅が浚う。

 その癖子蠍たちは、何らかの理由で悟っていたのか隠れ防ぐ体勢を取っていたので影響は無い。

 だめ押しと言わんばかりの一撃で、町の被害は更なる拡大を見せた。


「つうっ……」


瓦礫の雨が止んだ後の一行。

 エルマが仲間たちの状況に素早く目を向ける。


 抱えている夫、姉妹、王子には瓦礫による目立った損傷は無い。

 だが少女の上半身を捻り背に乗る不細工を盾で庇っていたツキカの左肩が、不自然な形に変形し薄い桃色に変色しているのを捉えた。

 その肩を至近距離で見ているヴィジリオ。

 彼の眼前で、桃色になった部分から見る見る内に深紅の水滴が滲み、雫は次第に流れとなり激しく出血し始める。


 桃色に変色していたのではない。

 肉が削げ、断面が露出していたのだ。


「お、おい、血が!」

「ヴィジリオは怪我してない? 良かった」

「……ツキカ、他は? 走れるか?」

「左肩に掠っただけ。走れる」

「では止まらず移動再開、ツキカの怪我の応急処置はヴィジリオが走りながらしろ」


目の前で流れる血に露骨に同様する不細工とは裏腹に、ツキカ自身は殆ど平静そのものだ。

 その反応にエルマも大事ではないと判断し、一行はエルマの指示で再び怪我人を抱えたまま飛び出した。

 ヴィジリオが、だくだくと血を流すツキカの左肩を改めて至近距離で観察する。

 走るリズムに揺られて飛び散る血が、不細工の頬を汚す。


「よし、今すぐ治してやるからな」

「お前がするのはあくまで処置だけだ。本格的な手当は私がするから、あまり魔力を使い過ぎるなよ」

「分かってるっつうの」


ヴィジリオは若干不機嫌気味に返しながらも、手慣れた様子で小声で呪文を唱え応急処置を行う。

 水で流して桃色の光を注ぐと直に血の流れも止まり、再び呪文の水で軽く洗い流した。

 次にツキカの下半身、馬の腰部分に提げられている鞄から包帯を取り出し、緩く巻く。


 一連の応急手当が済んだ辺りで、一行は足を止めた。

 子蠍の気配が密集する場所を避けるように移動し、辿り着いたのは町の南方、隅にある薄汚れた一軒の民家。

 南外壁の真下に存在するおかげでどうにも薄暗く陰気。その上他の民家と空間が空いていて、他から浮いているような印象だ。

 みすぼらしいその民家には扉が無く、いかにも何かが扉ごと壁をぶち抜いて侵入したような大穴が残っている。

 肩で息をしながら、エルマが汚れた民家を上から下へ見下ろした。


「……何匹いると思う? 私は一だ」

「うーん、僕は数までは分からないな。明らかな存在感は感じるけど」

「あたしも一匹だけだと思う」

「俺も同意見だ」

「姉、お前は?」


話を振られたピエールが、抱えていた鉄球を地面に降ろした。


「一匹だけかな。それと近くに小さいのが一つ。……小さな子が生き残ってる」


言いながらピエールが王子の前まで近づくと、背負われていたアーサーが震える手つきで握っていた革張りの丸い小盾を手渡した。

 盾を受け取ったピエールが自身の腰の鞘からも手斧を抜き、姿勢を低くし滑り込むように民家の中へ。


 斬撃音、打撃音、悲鳴、斬撃音。

 計三発の後、民家の中からピエールが一行を呼ぶ声が届く。


「……もう倒したのか。単独、しかも三発で」

「あいつ、マジで冗談みてえな戦闘力だな」

「……君たちさ、本当は人間じゃなくて人の皮を被った魔物か何かなんじゃないの?」


驚きつつも訝しむツキカの問いかけを、アーサーは意識朦朧を装って聞き流した。


   :   :


 かくして民家へと入った一行を出迎えたのは、尾針の先がねじ曲がり、右の鋏と頭部を切断された物言わぬ子蠍。

 と、放心している少女とその子を胸に抱えるピエールのいる、鮮血で汚れた一室だった。


「おーよしよし、もう魔物はやっつけたから、落ち着いて」


抱かれる少女の齡はピエールの半分も無いだろう。継ぎ接ぎの服、土埃に汚れた身体、ぼさぼさの長い髪と、いかにも貧しい家の少女という風貌だ。


「……この家の生き残りか? 状況からして親は殺されたと……」

「エルマ」


無遠慮な言葉を放ちかけたエルマをリストが諫める。

 当の少女は"親は殺された"という言葉で再びぐずりかけたのを、ピエールが抱きしめて抑えた。


「姐サンはこういう状況での思いやりにいまいち欠けるよな。なんていうか、ナチュラルに他人も自分同様強い心があると勘違いしてるって感じ」

「……」

「"まさかヴィジリオに言われるとは思わなかった、このデリカシーゼロ男に"って思ってる顔ね」

「いやゼロじゃあないだろ、五くらいあるだろ」

「一万点満点なら五点くらいあるかもね」

「……そんなに? 俺そんなにデリカシー無い?」

「はいはい、そこまで長く続ける話じゃないからもういいでしょ。食べ物取って。あと水も」


言い合いながら床にべたりと腰を降ろす不細工組。

 不細工はツキカに乗ったまま、馬の背に吊ってある荷物から小袋を取り出し吊っていた本人へ渡す。

 受け取った小袋から干した果物を口に運び、合間合間にヴィジリオへ向けて雛鳥の如く口を開け呪文の水を要求するツキカ。

 釈然としない顔のエルマも、抱えていた夫を床に降ろし服の袖で汗を拭い大きく一息。


「……では私はこれから怪我人の手当に入る。姉は外の警戒を。その間そこの生き……娘は、リスト様が面倒を見ておいてください」


生き残り、と言いそうになったのを飲み込みつつ指示を出すエルマ。

 アーサーを床へ横たえたリストが少女の前に腰を降ろし、ピエールが一旦外へ出て鉄球を回収してから窓の縁へ。

 親蠍の暴れる音が建物の中にいても聞こえてくるが、一行を見失ったのか探す気が無いのか破壊音がこちらへ近づいてくる兆候は無い。

 ピエールは閉じていた窓をごくわずか開けて、空を飛ぶ蠅と子蠍の動向に意識を傾けている。

 こちらもベルトポーチからいくつか食料を取り出し、暫しの食事休憩だ。


 一方エルマは、重傷を負った二人の状態を改めて診察し始めた。

 まずはナイフで衣服を裂き、足を露出させた。

 千切れることなく足そのものは残っているものの、随所から折れた骨が飛び出し皮膚に穴を空けている。

 骨は砕け肉は潰れ、そのままでは足の切断は当たり前、切断したところで生きていられるかすら怪しい重傷だ。

 血の滲む足を神妙な顔で睨むエルマ。

 睨みながら、服のポケットから小瓶をいくつか取り出す。


「治すのにどれくらいかかりそう?」

「二人合わせて小一時間という所だろう。……心配するな、これ以上に酷い怪我人は過去に何千人も診てきた。無理矢理ねじ切られて、骨も砕け薄皮一枚だけ繋がっているような腕を元通りにしたこともある。これでもエル・トレアでは"冷酷な聖女"なんて異名で通ったものだ。上手くやる」

「その異名、聖女はいいけど"冷酷な"なのかよ」

「……エルマは若い時からいつもこの調子で……骨折したり、(はらわた)を引き裂かれて戻ってきた兵士を即座に治してはしかめっ面のまま尻を叩いて最前線に送り返してましたからな……。"あいつがいる限り、勝つか死ぬまで戦場から逃げられない"などとよく言われておりました……」

「……余計な口を叩くな、トゥル」

「最初に異名を話に出したのは、自分ではないですか……」


重傷を負いながらもぽつぽつ話すトルスティに、エルマは言葉では止めながらも満更でもない表情を見せていた。

 堅かった雰囲気がわずかながら緩くなり、一行の心に一瞬の安らぎが訪れる。

 一行は暫しの休息と、怪我の手当に入った。



   :   :



「おおおっ!」


突き出された盾で全身を強烈に打ち返され、突撃体勢にあった蠅がふらつき地面すれすれに落ちかけた。

 打撃の衝撃が残る身体で必死に飛び上がろうとするが、続けざまに振り下ろされた鈍器が胴に三割ほどめり込み蠅は動きを止める。

 いい加減慣れた手つきで蠅を仕留めたレイナルドだが、その表情は少し暗い。

 振り下ろした鈍器を持ち上げ、一息。


 ……吐こうとするも再び空からの襲撃が後ろにいるミレイアに向かっているのに気づき、盾を前面に構え即座に庇いに走った。

 重い衝撃が盾を伝い、青年の身体にも響く。

 硬く詰まった筋肉による体当たりはその大きさとは裏腹に相当な威力があり、腰細森に棲む大猪の突撃にも劣らない。

 疲労の滲む身体を必死で奮わせて腕に力を込め、盾に貼り付く蠅を盾ごと壁に叩きつけた。

 盾を引き一歩下がり、その間に庇われたミレイアが呪文の光弾を蠅へ向けて飛ばす。

 が、今回は威力が甘かったのか蠅の機動力が完全には削がれておらず、呪文は紙一重の差で避けられ蠅は上空へと逃れていった。


 殺せはしなかったが、一応の撃退には成功したらしい。

 武具を握る両手をだらりと下に降ろし、今度こそ大きく息を吐くレイナルド。

 だが彼の元へ届けられたのは、辛辣な一言だった。


「力が入ってないから逃げられたじゃない! もっと頑張りなさいよ!」


ミレイアの黄色い叫び声が針のような鋭さをもってレイナルドを襲う。

 だが男は何も言い返すことなく、ただ黙ったままだ。


「ミレイア、無茶を言うな。連戦続きで疲れるのは仕方がない」

「でも……!」

「どちらにしても追い返すことには成功したのだから、良しとしましょう? ね?」


レイナルドのフォローに入ったクルスとセレスに何か言い返そうとするも、不機嫌そうな顔で押し黙るミレイア。

 言葉に出来ない焦燥感と不安が、彼らの心を苛んでいるのだ。

 それが最も早く噴出したのが、彼女だったに過ぎない。


「いいから行くぞ。あいつらの言い分を聞くのは癪だが、一応様子くらい見てやると決めた筈だ」


不満げに吐き捨てながらも、中央広場のど真ん中を通って目の前の建物、組合支部の扉を目指すクルス。

 彼の表情にも、疲労の色が見え隠れし始めていた。


「……」


周囲を警戒しながら歩くクルスの後ろに、三人が続く。

 中央広場。

 元は町の中心部であり、普段はいくつもの露店と大勢の人々が溢れ、町の活気の象徴となっていた場所。


 それが今では、見る影はどこにもない。

 どこにもない人影。

 周囲には人っ子一人おらず、人らしい姿をした死体すら転がっていない。死体は全て蠅が浚う為、残っているのは子蠍が散らかし、その上蠅にすら浚うに値しないと判断された切れっ端だけだ。

 ひたすらに飛び散った血。千切れ飛んだ断片的な手足。血溜まりの中にこんもりと落ちた内臓。

 それらだけが、中央広場に存在する人間の痕跡だった。

 鐘が鳴った時点で畳まれたのか、露店も今は殆ど無い。

 血液の生々しい赤や乾き始めた黒が散った、寂しいほどに広々とした場所だ。


 上に横にとせわしなく視線を滑らせるクルス。

 空には未だ無数の蠅。さきほどの撃退の記憶が新しい為暫くは閃光のことを狙いはしないだろうが、再び時間が経つ、あるいは隙を見せれば襲ってくるだろう。

 横には生物の姿は無し。いくつかの建物は子蠍による破壊の痕跡があるが、中を漁り終えたのか子蠍そのものの姿は見受けられない。


 ぐにっ。


 ずっと上と横にばかり目を向けていたクルスが、地面に転がっていた何かを気づかず踏みつけた。

 視線を降ろせば、踏んでいたのは誰かの左手首から先。ほっそりとしていて若々しく、指には作りたてらしき小綺麗な指輪がはめられている。

 若い女性、恐らく新婚だ。


 少し逡巡してから、苦々しい表情でクルスはその手を拾い上げた。

 指輪を抜いて懐に納め、手首を置く。

 拝借するつもりはない。

 この襲撃の後、畜生にも劣る死体漁りの手に任せるよりは、自分が確保しておいた方が家族の手に戻しやすいだろうという判断だ。

 もっとも、受け取るべき家族が生き残っているとは限らないが。


 そうこうしている内に組合建物の前まで辿り着いた四人。

 表は普段のように開け放たれてはおらず、堅く閉ざされ中の様子は隙間ほども窺えない。

 いくつか蠅や子蠍が叩いたような跡が残っているが、依然として建物に穴は開けられていない。

 "どこの組合の建物も、非常時に避難所として機能するよう分厚く丈夫に作られている"

 いつ聞いたのかも忘れた話が、クルスの脳裏にぼんやり浮かんだ。


「周囲の警戒を頼む」


他の三人にそう告げ、クルスが組合の扉を強く叩いた。

 ごん、ごん、と分厚い扉の奥に伝わるであろう力を込めて扉を叩く少年。


「組合内部、生存者はいるか? "閃光"のクルスだ。様子を見に来た」


扉越しに何かの物音。

 反応ありだ。


「閃光? 閃光なのか? 俺たちを助けに来てくれたのか?」

「まあ、そんなところだ。中の様子は……」

「閃光だ! 閃光が来たぞ! 俺たちを助けてくれる! あの化け物どもを皆殺しにしてくれるって!」

「おい待て! まだ何かすると決まった訳じゃ」


曖昧に肯定したクルスの一言で、向こうが急に慌ただしくなったのが扉越しの四人にも分かった。

 クルスが慌てて押し留めようとするが内部の喧噪はどんどん増していく。

 そして扉が開かれた。


「げっ」


ミレイアの率直な呻き声。

 扉の向こう、組合ロビーでは、数十人の住民がすし詰めになっていた。

 その人数の多さに驚きながらも、クルスは三人に合図し中へと素早く滑り込んだ。

 再び扉を閉め鍵をかけ直す。


「閃光! 早く助けてくれ! あの外を荒らし回ってる虫けらを根絶やしに」

「いいから静かにしろ」


狂喜の勢いで自分たちを囲んでくる住民を何とか抑えつつ、閃光はぎっしり密集している人の群れを軽く見渡した。

 殆どが一般の住民だ。少数冒険者もいるようだが、クルスが知る限り全員まともな腕前の無い冒険者未満でしかない。

 とはいえ、冒険者なら職員の顔も知っているだろうから話が早い。

 クルスは人をかき分け、入り口から一番近く、部屋の壁際にいる冒険者の一人に近づいた。

 自身と同程度の年齢の少女だ。腰には短刀と短弓を提げていて、卑屈そうな笑みで少年を見返している。


「これは閃光様じゃないか。どうしたのさ中に入ってきちゃって。もしかして流石の閃光様でもあの怪物にはお手上げかい?」

「襲撃の鐘が鳴らされた時からここにいた筈の、本部から来ていた女はどこにいる? そもそも組合の職員はどこだ? 職員の姿がどこにもないが、奥か?」

「おや、閃光様が魔物退治ほっぽりだして職員の女口説きとは、流石は」


剣の鍔が壁を打った。

 余裕の態度でクルスを煽ろうとした少女が、首に刃を当てられて言葉を失う。


「……お前、俺が冗談で職員を探してると本気で思ってるのか? この非常時に、お前のような雑魚のたわごとを笑って聞き流すと本気で思ってるのか? そもそもお前はどうなんだ? その腰の得物で、蠅の一匹でも殺して住民を救ってやったのか?」


余裕の無い怒りを込めてクルスが刃の腹を少女の首へと押しつける。

 刃に付着していた黄土色の蠅の体液が首を汚し、少女の顔から余裕が消えた。

 目尻に涙を滲ませながら、引き攣った媚びた笑みを浮かべる。


「わ、わ、悪かったよ、ちょっとからかっただけじゃないか、ゆ、許してよ、ね?」

「職員の居場所について心当たりは?」

「し、知らない、あたしは鐘が鳴ってからここに来たけど、職員の姿はどこにもなかった、おかげで備品やカウンター内の小銭も掻っ払い放だ、ぎっ」


剣を引くと同時に空いていた左拳を少女の鳩尾にねじ込み、剣を鞘へ納める。


「屑が。お前のような奴がいるから……」


心底忌々しげに吐き捨てながらクルスは入り口付近、他の三人がいる場所まで戻った。


「職員の場所は聞けたか?」

「いや。どうも鐘が鳴った後に職員はどこかへ行ったらしい。居場所不明だ」

「もう死んでるんじゃないの?」


率直なミレイアの言葉に、否定も肯定もせず思案に耽るクルス。

 と、突然。

 少年の思考をもぶち破るかのように、入り口の扉が強く叩かれた。


 どおん、どおん。

 それは明らかに人間の力ではない、大型の獣の体当たりのような衝撃。

 建物内で一斉に引き攣った短い悲鳴が洩れた。

 男だろうが大人だろうが関係無く恐怖に染まった表情で一瞬悲鳴を上げ、入り口から離れるように、奥へ奥へと詰め始める。

 入り口前の閃光四人も、数歩下がって身構えた。


「せ、閃光様! 何とぞ、何とぞ私たちをお助け下さい!」

「お前らこの町で一番強い閃光様なんだろ! 早く何とかしろよ!」


後ろから投げかけられる言葉を聞き流しながら、扉に視線を貼り付ける四人。


「どうする? こっちから開けて出迎えるか?」

「何言ってんのよ馬鹿じゃないの、この状況で扉開けてノコノコ出て行くとか」

「ですが、もしこのまま扉が破られたらこの建物の避難所としての機能が失われてしまいます」

「これで破られるようじゃ、今開けて出てもその内壊される。壊されなければそれでよし、もし壊れたら俺たちが返り討ちにして壁代わりになるしかない」


どごっ、どごっ。

 小声で四人が言い合う間にも、着実に扉へぶつけられる力。

 相談が終わってから更に数度打撃が行われ、

 扉が叩き破られた。


「下がれ!」


前面に盾を構えたレイナルドが前に飛び出し、破壊された扉の破片を盾で防いだ。

 住民たちの恐怖と悲鳴が最高潮に達する中、土埃の向こうに二つの影。

 二匹の子蠍が、閃光の前に現れた。

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