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姉妹冒険者物語  作者: 並野
王国の竜
26/181

王国の竜・おまけ「彼女が山を嫌う訳」後

「という訳でやって参りましたアミーモ湿地北東、山道への道手前」


山を見上げながら、妹に向けるという訳でも無く一人ピエールは呟いた。

 彼女が見上げた先には灰色の荒れた山々が連なり、のたうつミミズのようにうねる道が緩やかな上り坂となって山の上へ向かって長く伸びている。

 高度は低く、あまり険しくはなさそうだ。


 視線を右へずらすと、山と山の隙間、急角度の斜面に挟まれた底の部分に細い道。

 幅は狭く側面の壁は急で、雨で地盤が緩めば簡単に流れ込んだ土砂が道を塞ぎそうなか細さだ。


「鬼が出るか蛇が出るか」


ピエールの隣に立つアーサーが、同じように山を見上げてぼそりと漏らした。

 二人の格好はいつもの袖付き外套の上に大きな背嚢。

 首には湿地での虫除けの為の膏薬を塗り込んだ布がスカーフのように巻かれ、靴は湿地のぬかるむ道を乗り越えた証とでも言うように泥で盛大に汚れていた。


「準備はいいですね? 姉さん」

「大丈夫、さっきのご飯の時に済ませることは済ませたし」


返答を聞いて頷き一つ深呼吸をしてから、意を決した顔でアーサーは吊してあった盾を腰から外した。

 彼女が携えた革張りの筈の盾は表面に雑草の混じった乾きかけの泥がべったりと塗りたくられ、千切られた雑草の青臭さとアミーモ湿地の泥の臭いでべったりと上書きされている。


「……結局これ意味あるのかな、臭い上に気持ち悪いんだけど。これで効果無かったら馬鹿みたい」


アーサーが盾を装備したのを見て、ピエールは嫌そうに自身の服の襟を捲った。

 彼女の何層かの服の下にあるミスリルの胸当て。それにも、たっぷりと湿地の泥を吸った上で雑草まで編み込まれた包帯が隙間無く巻き付けてある。

 襟を捲ったことで胸元から泥と雑草の臭いが立ち上り、慌てて服を戻すピエール。


「奴らが本当に臭いやその類の何かを感知しているのなら、有効に働く可能性はあります。可能性があるなら試して損はない」

「私の気分に明らかに損があるよ……」

「我慢してください」


有無を言わせぬ口調で断言されながらも、やはり嫌そうな顔のままピエールは唸り声で返事をした。

 気を取り直し、両手で自分の頬を軽くはたく。


「よーし、行こう!」


自分と妹を鼓舞する為、努めて明るく軽快な口調でピエールは宣言した。

 そして二人は、山道を登り始める。


   :   :


 山道の地面は湿地と違って堅く、ある程度は均されているが大小様々な石が雑多に転がっている為少し歩き辛い。

 二人は俯き加減で、大きな石を踏んで転ばないよう足元に注意しながら足早に進んでいる。


 ざっ、ざっ、ざっ。

 岩山に、土と砂を踏む二人分の足音だけが淡々と響く。

 二人ともうっすらと警戒心を纏わせ、無言のまま周囲に気を配りながら山道を登っていた。

 山道には彼女たち以外には人影も他に動くものも無く、見渡す限り傾斜の付いた灰色の岩場と雲の無い晴れやかな青空だけが広がっていた。


 山道を、数十分も歩いた頃。

 いつものようにピエールが真っ先に反応し、顔を上げた。釣られて顔を上げ、アーサーもそれに気づく。

 足を止め、後ろへ振り向く二人。

 彼女たちの後方、真っ直ぐ百歩分ほど離れた位置。岩石の転がる大地から、一匹の金属ワームが顔を出していた。


 太さは成人男性の胴程度。

 表面の七割を炭のような黒く艶の無い甲殻に覆われ、頭の先端には棘のある(やすり)のような歯がすり鉢状にびっしりと並んでいる。

 その歯の最奥、中央部に粘液を湛える灰色の口。


 現れた甲殻の主は、土中から頭だけ出してこちらへ向けた状態のまま微動だにせずじっと停止している。

 目や鼻らしきものは見当たらないが、その姿勢は二人をじっと見ているように感じられた。


「……」


暫し見つめ合う二人と一匹。

 視線をずらし、姉妹は顔を見合わせた。

 互いに頷き、再び先ほどまでと同じ調子で数歩進む。そして再び振り向く。

 ワームは彼女たちが進んだのと同じだけの距離を詰め、やはり土中から頭だけを出している。


「……」


数歩進む。

 数歩分近づいてくる。

 数歩進む。

 数歩分近づいてくる。

 数歩進む。

 いない。


 その光景に驚くより先に、アーサーが半歩素早く後ろへ跳ねた。

 直後、彼女が踏んでいた地面から穴を開けて勢い良く飛び出してくる黒鉄のワーム。

 その太く短い身体を激しくばたつかせ、一直線にアーサーの左手へ飛びつこうとした所をピエールに蹴り飛ばされて青空へと打ち上げられた。

 少しの間を開けて、泥の詰まったような液体混じりの音を立てて地に落下する。

 ピエールの人間離れした筋力で甲殻の無い柔らかい部分を蹴り抉られたワームは、口から黒ずんだとろみのある体液を漏らしながら、尚も二人へ追い縋ろうと痙攣していた。


 何かを言い掛けたピエールが、口を開いたところで言い掛けた言葉を飲み込む。

 頬を伝う冷や汗と共に、痙攣しているワームから少し離れた場所へ目を向ける二人。

 そこには纏う甲殻の色も大きさも様々な金属ワームがおよそ数十匹、先ほどと全く同じ調子で土中からびっしりと頭を出して二人を見つめていた。


   :   :


「わあああ! わああああーっ!」


動揺を振り払うかのように虚勢の雄叫びを上げたアーサーが、握った剣で飛びかかってきた金属ワームを口から貫き串刺しにした。

 真正面からアーサーの胴体へと一直線に飛びかかっていた小型のワームは、胴体を串刺しにされながらも一向に止まる気配を見せない。

 黒い体液をどぼどぼと垂らしながら全身をくねらせて剣の串を奥へと進み、彼女の腕を伝って胴へと進まんとしている。

 その光景に歯噛みして剣を大きく振り、串刺しにしていた小型のワームを放り飛ばしたアーサー。


 しかし息付く間もなく追加で二匹の金属ワームが彼女の盾を持つ左手と胴に飛びつき、一匹を避け損なったアーサーは胴体に中型のワームの体当たりを受けて姿勢を崩し尻餅を着いた。

 人の子供より一回りほど大きい灰色の甲殻を持つワームが、アーサーの上で狂ったようにのたうつ。

 鑢のような口だけはぴったりと彼女の胴に合わせたまま、奥の物を口にしようと無我夢中で全身をくねらせ掘り進もうとしているのだ。


「しゃおらーッ!」


アーサーの上で暴れる金属ワームをかけ声と共に手斧の背で殴り飛ばし、ピエールは彼女の手首を掴んで引っぱり起こした。

 立ち上がるやいなや間髪入れず横へ跳ねて土中からのワームを避け、更に横合いから飛び込んでくるワームを盾の縁で打ち返すアーサー。

 その調子で各々数匹の金属ワームの突撃を凌いでから、隙を見て二人は再び山道を駆け登り始めた。


「なにこれ、なにこれーっ! あはははは!」


前から横から飛びかかってくる金属ワームを回避し殴り飛ばし大声で笑いながら荒れた坂道を走るピエール。

 若干自暴自棄の気が感じられるが、それでもまだ余裕がある。


「笑い事じゃっ、ありませんよっ」


対するアーサーは、顔にも態度にも殆ど余裕がない。

 衣服の胸元はずたずたに引き裂かれ、辛うじて胸当てには到達していないものの表面を覆う泥の包帯がちらちらと見え隠れしている。

 顔にも、じんわりと汗が滲んでいた。


 二人が山道を登る速度は相当速く、既に山頂までの登り道を半分以上進んでいる。

 しかしその分消耗は大きく、更に後ろから金属ワームの濁流が山道をぼこぼこに荒らしながら押し寄せている為休む余裕は全く無い。


 正面の地面から何の前触れも無く飛び出してきた鮮やかな薄黄色の金属ワームを、事前に気づいていたピエールはあっさりと斬り捨て横へ払いのける。

 横目で見たアーサーが、一際艶のあるその甲殻に気づいて顔を歪めた。


「ああ……、あれきっと、稲妻烈石の甲殻だ……、あれ一匹で千ゴールドは堅い……」


なのに取りに行く余裕が無い……。

 そう付け足し、泣きそうになりながらもアーサーは地面に転がる輝く甲殻を持ったワームを見送った。

 登り道はあと二割。もうじき頂上だ。


   :   :


「ね、姉さん、あそこで、一息、付きましょう……」


疲労が色濃く身体に滲み、今にも地に膝を突きそうなアーサーが指さしたのは、頂上付近に刺さるようにして埋まっている巨大な大岩。

 まるで物見櫓のようになっており、ワームたちには登ることは出来ないだろう。


 ピエールが頷き返し、姉妹は得物を鞘に戻して岩へと飛びついた。

 直角よりはやや緩い八十度程度の岩壁をさながら虫か、でなければ猿のようにカサカサと這い登っていく。

 彼女らが登ったすぐ下の岩壁に金属ワームの荒波が激しく打ち寄せるが、登ることは出来ないようで岩の真下に堆積していくばかりだ。


「っは、はっ、はっ、はっ……」


何とか岩を登り終えたアーサーが、地に肘と膝を突いて激しい呼吸を繰り返す。

 ピエールは自分たちが登ってきた岩壁とその下に殺到している金属ワームを一瞥してから、アーサーの隣に腰を降ろした。彼女の方はまだまだ体力には余裕がありそうだ。


「アーサー、大丈夫?」

「はあっ……はっ、はっ、は……」

「治癒の薬使う? 飲んだら多少は体力の足しになると思うけど」

「はあ……っ、はっ……はーっ……いえ……、いいです……っ」


荒い呼吸の合間に辛うじて返答を絞り出し、背嚢を背負ったまま仰向けに寝転ぶアーサー。

 荒れた呼吸を、時間をかけて整えた。


「……姉さん、下、どれくらいいますか」

「三、四十匹はいると思う。まだ下で出待ちしてるよ」

「そう、ですか。……多分ここも、長くは、持ちませんね。その内、倒されますよ、ここ」

「まじで」

「まじです」

「……凄いなー。私たち大人気」

「全く、その通りで。……まさか、ここまで、とは……。止めておけば、よかったですね」

「それは今言ってもしょうがないよ」

「それも、全く、その通りで……」


起きあがったアーサーが背中に手を回し、背嚢の側面にある革の水筒を手に取った。

 同じように水筒を手にしたピエールと並んで、飲み口に口を付ける。


「……にっが」

「汲みたてほやほやの、新鮮なアミーモ湿地の水ですよ」

「なんて嬉しくない新鮮さ」

「こういう時こそ、気力の高まる美味しい飲み物が、よかったですよね」

「ね……」


力無く笑い合い、二人はベルトポーチから食料を取り出してつまんでいく。

 小さな木の実、魚の塩漬け、乾パンなど。パンは所々に毛並みのよいフサフサの黴が生えており、黴を地面の岩で荒く削ってから口に放り込んだ。

 次いで苦みのある湿地の水を口に含んで少しでもふやかし、強引に嚥下を行う。


「はあ……美味しくない……美味しいもの食べたい……」


心の奥底からにじみ出るようなアーサーの呟き。

 その一言も、岩の下で激しく発され続けるワームたちが岩をかじり削る音に紛れて山に消えていった。


   :   :


 物憂げな調子のまま食事や軽いマッサージを行い、二人は再び走り出す準備を整えて山から見える景色を眺めていた。

 山の反対側も荒れた斜面に曲がりくねった細い道が続き、その先、山を降りた先には森や草原地帯が大きく広がっている。


「こんな状況じゃなきゃ、見晴らしの良さをもうちょっと楽しめたのにね」

「そうですね」

「所でさ、思ったんだけどこんなに集まるならこのワームで一稼ぎ出来そうじゃない? 山の麓でちょっと殻を集めてすぐ戻って町で売るとか」

「どうやって金属ワームを呼び寄せたのか不審がられて面倒なことになるから難しいですね。呼び石になる高価な金属を持ってると思われたらまた愉快な人たちに絡まれることになりますよ」

「……それは嫌だ」

「こっそり山に入って、高価な金属の甲殻を一枚だけ選り分けて、偶然珍しい甲殻持ちを発見した、という体にすれば疑われず多少の小遣いには出来るかもしれませんが、やるならそれくらいが限界ですね……」


呟いたアーサーが、自身の真上を見上げた。時刻は昼前、太陽は後少しで真上に登ることだろう。

 早朝にアミーテを出たことを鑑みれば、山を登り始めてからおよそ半日というところだ。


「そろそろ行きましょう。夜になる前に抜けないと危険です」

「分かった」


二人は気を取り直し、岩の縁に手をかけた。両の手足を最大限に活かし、慎重に岩壁を降りていく。

 足元には殺到する金属ワームの群れ。

 二人は岩壁半ばで停止した。


「アーサー」


呼びかけに頷き、アーサーは右手を岩から離して腰のポーチの内部を探る。

 取り出したのは一つの巻物。サイズは小さく手の中に収まる程度だ。

 表面にはびっしりと細かい情報が書き添えられている。冷気、品質不明、ハト村道具屋、三百七十ゴールド、など。


 片手で留めを外し、記された文字を読んで下にいるワームの群れへと向けた。

 光と共に発される、白く輝く冷気の波動。噴出する白い粉のような冷気が二人の足元で狂乱する金属ワームたちを凍て付かせ、その甲殻共々白黴のような煌めく霜で塗り潰していく。


「結構凄いじゃん」

「……その辺の村で買った割には珍しく当たりでしたね。殆ど期待していませんでした」


効力を失った巻物を投げ捨て、二人は凍り付いて動きを止めたワームを越えて地面へと飛び降りた。


「うわ、岩がワームにかじられて逆さまの三角形になってる。本当に放って置いたら倒れちゃいそう」

「二分、いや一分余裕があればあの凍った水色の甲殻を剥いで持って行けるのに。鏡石だからきっと五百ゴールドにはなるのに……ああ勿体ない」


同じタイミングで一瞬振り向き全く別のことを呟きつつ、二人はすぐに前を向いて山道を駆け下り始めた。

 その後ろを、再び大量の金属ワームが猛追していく。


   :   :


 道に転がる石の一つを踏んで姿勢を崩し、声一つ上げる間も無くアーサーは前のめりに転倒した。

 斜面を転がり、背嚢の一部が破れ空いた穴から小さな食器の類がこぼれ落ちていく。


 そこにすかさず飛びかかるワームの群れ。

 大小異なるでっぷりと太ったワームが四、五匹揃ってアーサーの胸元へと一直線に殺到し、ワーム同士空中で衝突した所をピエールによって即座に薙ぎ払われた。

 薙いだ勢いのまま、手斧を突き出した状態でさながら小さな嵐のような力強さで二回転し押し寄せる他の金属ワームたちをまとめて斧の背で打ち据え吹き飛ばす。

 彼女の額には少量の汗が浮かび、茶色の前髪が艶やかな額に張り付いていた。


「アーサーッ!」


妹を叱咤激励するピエールの鋭い叫び声。咆哮と共に左手で引き起こし、再び並んで走り出す。

 姉が走りながら、ちらりと横目で伺ったアーサーの顔色。

 完全に疲弊し切っており、青ざめ汗だくだ。注意力も衰え、足元の岩を避けるのも覚束ない。

 二人が頂上から山を駆け下り始めて五時間。進んだ下り道はおよそ七割、陽も暮れ始めている。

 これからがラストスパートだ。


   :   :


 飛びかかってきた金属ワームに向け突き出されたアーサーの剣は、狙いを外れワームの鑢状の歯へと命中した。

 安い鋼鉄(はがね)の剣先がガリガリと削られ、それでもなんとか空中にいるワームの方向を逸らして横へ払いのける。

 自身の真横に落下したワームを反撃されるより速く蹴り飛ばし、アーサーは剣を翻して正面から飛びかかる別のワームに斬撃を見舞った。

 一直線に胴へと飛来するワームを、低く屈み下から削ぎ落とすように横へ一閃。

 甲殻の無い腹の部分を的確に抉り削ぐ、見事な一撃だ。


 だが。疲労の影響もありそこで気を緩めたのが、アーサーの失敗だった。

 胴を半分以上抉られ、死に体ながらも金属ワームの勢いは逸れず、緩まない。

 黒い体液をまき散らし空中でのたうつワームの抉れた傷跡が、一瞬油断したアーサーの胸元に直撃した。

 粘性のある黒ずんだ体液が跳ね、彼女の胴を、腕を、顔を汚していく。

 飛沫がかかり無意識に目を瞑って顔を逸らした時には、既に周囲を飛びかかってくる金属ワームに囲まれている最中だった。


「がっ……」


胴体に一匹の体当たりを受け、直後に三匹が次々と後ろから飛び込んできて衝突事故を起こし、四匹分の衝撃で倒れたアーサーが握る盾に甲殻すら未発達の小さなワームが数匹殺到した。

 普段のアーサーなら体液の飛沫程度で顔を逸らすことなどしないし、倒れてもすぐに姿勢を立て直したことだろう。

 だが、疲労の極まった今の彼女にはそれも満足に行えない。

 上半身を体液で汚し尻餅を着いた状態で、暫しの間意識を失ったかのように呆けてしまった。


 妹の名を叫びながら周囲の金属ワームを斧で斬り捨て、盾に群がる幼体を足で押し退け踏み潰したピエールが、泥の塗られた盾の隙間にあるそれを見つけた。

 傾く夕日を確かに反射し、砂の中の砂金のように強く輝くミスリルの盾の表面に。


「あっ……」


カムフラージュが剥がれたことに気づいたピエールが、一言漏らした直後。

 彼女たちの後方、数十歩分離れた位置から巨大な金属ワームが大地を貫き姿を現した。


   :   :


 遠目から見た長さはおよそ人間の五、六倍。

 その長さに見合うずんぐりむっくりの極太な胴体を持ち、赤、黄色、白、緑など様々な色が滅茶苦茶に混じり合ったまだら模様の甲殻を備えている。

 その風貌、一目見ればピエールにも正体の想像はすぐに付いた。

 あれこそが、この山の主たる金属ワームだろうということを。


 ぎぎぇ、ぎちちちちえぇぇ……!


 金属か硝子が擦れるような耳の奥を掻き毟る強烈な不快音を立てる山の主。

 その鳴き声とも甲殻を震わせる音ともつかない心を苛む音を鳴らし、主は姉妹へと山道を縫うように大穴を開けながら突進し始めた。


「う、うおおああーっ!」


目を剥き、動揺を露わにして絶叫するピエール。

 既に立ち上がっているアーサーの手を引き、慌てて全速力で逃げ始めた。

 武器を鞘に戻し、何かを喋る余裕すらないアーサーの右手を左手で引いてピエールは一直線に山道を駆け下りる。

 その後ろをどごむどごむと派手に大地を揺らし道を荒らしながら、やはり一直線に姉妹を追う山の主。


 最早二人には、主以外のワームに構っている余裕はどこにもない。

 真正面から襲い来るワームはピエールが右手で殴り飛ばし、横合いから迫るワームは食いつかれようと服を千切られようととにかく振り払い後ろへと投げ捨てる。

 後ろへ捨てることさえ出来れば、あとは全て山の主が勝手に平らげてくれるという寸法だ。


「はっ、はひ、ひええ、ひえーっ!」


流石のピエールもこれには笑う余裕が無いようで、どことなく間の抜けた叫び声を漏らしながら無我夢中で山道を駆け下りていく。

 夕日で橙色に染まる岩山を、困憊した妹を引っ張りまるで飛び跳ねるように走る小さな姉。

 そしてその後ろを猛追する丸々太った巨大な金属ワーム。


 夕焼け山を、二人と一匹の黒いシルエットが駆けてゆく。

 大地を踏み返し、石を避け、坂を飛び降りて。

 時折別のシルエットが土中から現れては、後ろの巨大な影に飲み込まれ消え去る。

 同様に一人の背嚢からも中身がぽろぽろと漏れ、やはり巨大な影へと消えていく。

 不快音を裂き鳴らし、我を失った勢いで巨体は荒ぶり、小さなものは飲まれ消える。

 日暮れの赤い夕焼け山を、二人と一匹が駆けてゆく。


   :   :


 坂はやがて緩やかになり、道に転がる石は減り大地に草が生え始めた。山の終わりだ。

 だが、山の主は依然として無我夢中で狂ったように姉妹を追いかけ続けている。

 既に小さな金属ワームたちが消え去った中、丸々太った身体を器用にくねらせて草の茂みを避けながら地面を削ぎ暴れるまだらの巨体。

 茂みを避けて動いている為、主の動きは遅い。が、逃げる姉妹も今は大きく速度を落としていた。


 その最大の要因は、姉の肩に担がれている妹の存在だ。

 既に体力の限界を迎え走れなくなった長身の妹を、背の低い姉が肩に背負って道を駆けている。

 これではいくら人間離れした身体能力を持つピエールといえど、走る速度は遅くなる上体力の消耗も相当なものだ。事実その顔には疲労の色と大量の汗が色濃く滲んでいた。


「ちょっ、山降りた、のに、まだ追いかけてきてる、アーサー、どうすればいいの、アーサー」


ちらりと一度後ろを振り向いたピエールが、息を切らしながらも自身の肩で半死半生の状態になっているアーサーに呼びかけた。

 ぐったりとうな垂れたままのアーサーが、顔も上げず絶え絶えの口調で返事を返す。


「道は、だめ、です……、森へ、緑へ……、奴ら、は、植物、食べれ、ず、進めず……」


指示を聞き、直角に曲がってピエールは道を逸れ草むらへと飛び込んだ。

 胸ほどの高さの草が一面に伸びる視界の悪い中を、右手に抜いた斧を振りかき分けて進んでいく。


 山の主の追跡は、草むらに入っても止まらない。

 だがどうやら草の生えた土を掘り進むことは出来ないようで、打ち上げられた魚のような不格好さで草むらの上を飛び跳ね暴れながら進んでいた。

 主の巨体が跳ねる度、どしん、どすん、べたんと打擲音を轟かせて大地が揺れる。

 更に巨大なワームの金切り音で、静かだった草むらは一転して大騒ぎだ。大地が一揺れする度に、草地に生息している野鳥や鹿、果ては人間大の芋虫や翼を持つ河馬に似た奇妙な動物などが驚き戸惑って逃げ出し、迂闊に草むらから飛び出した所をすかさず狙った猛禽やそれ以上に巨大なトンボに捕まって補食されていた。


 草むらをかき分けたピエールの視界に抱卵中の大嘴が写るが、相手が反応する前に斧の背で先制攻撃を行い怯ませてその場を駆け抜ける。

 その少し後に荒ぶる山の主が現れることになるが、大嘴とその卵がどうなるかは今の彼女には考える余裕もない。


   :   :


 目に映るものを全て薙ぎ払いながら草むらを駆け抜け、森へと辿り着いたピエール。

 アーサーの指示で低木の茂みが深い方へ樹木数本分分け入り、太い大木の根元で停止する。

 少女たちの十倍はあろうかという太さの木の幹に背嚢ごと背を預けつつ、息荒くピエールは後ろを追っていた山の主へ視線を向けた。


 一直線に暴れ進んでいた主は森の手前に着くと、一度大きく不快音を鳴らしてから森と草むらの境界、植物が少ない地面を選んで大地へ潜り込む。

 大地の底から、ぐぐぐぐ、とくぐもった低い振動音が響く。

 震える音はやがて姉妹の足下へと移動し勢いを付けて真下から迫り上がり……一際巨大な衝突音を鳴らして停止した。


「……木の根、直撃……」


アーサーが絞り出した一言で、それに気づいたピエール。

 後ろを向いて背を預けていた樹木と根元の地面を確認すると、確かに少し衝撃でずれたような跡が残っている。


 勢いのある衝突音は数度繰り返されたが、結局巨木が一切折れなかったことで収まりを見せた。

 最後に一度大地の奥底から響くような巨大な金属が擦れる音が轟き、山の主の雰囲気は周囲から消え失せる。

 後には木の根元でへたり込むピエールとその肩に担がれたアーサー、そして盛大に荒らされた草むらの痕跡だけが残った。


「は、はは、やった……乗り越えた」


巨木に背を預け暗い森の天井を眺めながらピエールは呟き、それから肩に乗っていたアーサーを降ろした。

 降ろされたアーサーは生まれたての子鹿のような動きでピエールから離れ茂みに顔を突っ込み、地面に両手を着いて胃の中身を盛大に逆流した。

 全て出し終え服の袖で口元を拭ってから、やはり震えつつピエールの隣に這い戻る。

 手足が一定位置から上へ上がらないようだ。


「大丈夫?」


顔を青白くし、未だに息の荒いアーサー。

 姉の呼びかけに答える余裕も無く、手振りだけで返事をして背中の水筒に手を伸ばした。

 旅路の貴重な水を無駄にする訳にはいかず、口を濯いだアミーモ湿地の苦水をそのまま飲み込む。

 数度口を濯ぎ水を嚥下してから、ようやく一息ついた。


「っはあ、は、はっ、はぁ……」


木に背を預け脱力し、荒い呼吸を繰り返すアーサー。

 横のピエールも水筒の水を飲んで、ようやく力を抜いた。


「これから、どうする?」

「……少し、ここで、休みましょう……。すぐに、動くと、あいつが、戻ってくる、かも……」

「ここで大丈夫? 森の何かに襲われたりとか」

「あいつが、暴れました、し……暫くは、皆、警戒、してる、筈です……。でも、ずっとじゃ、無いから、休んだら、道まで、戻りましょう……」

「分かった」

「……もう、絶対、に……。金属ワームの、いる場所、なんか、行かない……」

「これは想像以上だったね……」


会話は途切れ、二人は食糧を取り出して口にし始める。

 長時間動き続けた上アーサーなどは嘔吐した直後だが、だからこそ食べねば死活問題だ。

 ポーチ内だけでなく、背嚢からも大きな袋を取り出し淡々と食事を続ける。


「そういえばさ、私大事なことに気づいたんだけど」

「……どう、しました」

「アミーモ湿地ってさ、つまりアミイモ湿地ってことだよね? アミイモが取れる湿地だから、アミーモ」

「……」

「気付いた時びびっと来ちゃった。凄くない? 隠された地名の謎だよ」

「……はぁー……大事なことと、言うから、何かと、思えば」

「えー、何その反応」

「その程度、名前を聞けば、誰だってすぐに、気付きますよ」

「そうかなあ」

「……では、私も一つ、大事なことを話しますね」

「何さ」

「アミーテの町で、アミーモ大蛙の、卵。食べたじゃないですか」

「うん、あの苦クリーミィね」

「あれ実は、蛙の卵じゃなくて、芋虫なんです」

「……えっ」

「その名も直球、アミイモムシ。生涯あの姿の芋虫で、アミイモが主食。アミイモムシがアミイモを食べ、アミーモ大蛙がアミイモムシを食べ、人がその三種全てを食べる」

「……」

「姉さんのことですし、芋虫と聞いたら、絶対嫌がるだろうと、思いましたからね。なので伏せました。……今更吐こうとしても、もう消化された後ですし、出ませんよ。というか勿体ないから、なるべく吐かないでください」

「……今になってあの食感が口の中に浮かんで来てしょうがない、つらい……」

「……シャルンに、着いたら、少し奮発して、いいもの、食べましょうか……」

「うん……」


   :   :


 そうして草原の道で一晩明かし、港町へと続く道を進む二人。

 後に到着したシャルンの酒場で「山道を登ったら大量の金属ワームの死体が転がっていて拾い集めただけで大儲けした男」の噂話を聞き、心に大きなダメージを受けることになるがそれはまた別の話。

 姉妹の旅は続く。

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