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姉妹冒険者物語  作者: 並野
王国の竜
19/181

出立者-01

 王国で過ごした夜も開け、目覚めた冒険者たちにハンスが語った夢の内容は、そのようなものだった。

 語り終えたハンスは、砕けた時計の前に屈み込む。


「改めて見れば、時計の真意も分かる。壊されているのは全て年を計る機能のあるものだ。それも全てが、本来儂が戻る筈だった年月に壊されておる……」


ひしゃげて剥き出しになった文字盤の上を滑る、老人の枯れた指。


「その夢の最後には、クリスとメルヒ、ハンナというあの少女、蛇のオアミィが出てきた。蛇を肩に乗せたクリスを中心に三人、別れと感謝の言葉を告げて、それから儂に、めげるなよ、これからも頑張れ、そう激励を行ってから消えていった。……のう、皆。この夢は真実だと思うか? それとも、哀れな死に損ないが生み出した都合のいい慰めの妄想だと思うか……?」


俯いて、虚空に投げかけたハンスの問い。

 中年二人が言い淀む中、ピエールが鼻を詰まらせ瞳を潤ませながらも一人確かに力強く、きっと本当のことだと肯定した。

 顔を上げ、立ち上がったハンスが笑う。


「ありがとうよ、ピエール。……さ、帰ろうか」


そして。冒険者たちは、レールエンズ王国を後にした。


   :   :


 二日と半日かかった行きの路は、帰りでは実に倍以上の時間がかかった。

 原因は主にアーサーだ。左足を損傷した彼女と、それを支えて歩くピエールのペースに合わせた歩み。

 むしろこれでも、相当速い方だと言えるだろう。


 朝方、陽も登り始めた頃。森を抜け久々に開けた視界に出た冒険者たち。

 横で付き添っていた二人のガットが、森から出ずぎりぎりの位置で立ち止まった。


「ヴォール、ヴル、グル」

「ヴォルグルーヴ。ヴルルール」

「ヴル」

「ヴォール」

「ヴォール」


最後に挨拶を交わしてから、ガットたちは引き返して森へと帰って行く。

 それを見送ってから、アーサーもガットと会話する為の呪文を解いた。


「……行ったか」


後ろへ振り返ってから、気を張っていたアロイスが大きくため息をついた。

 横ではオットーも、歩きながら同じように脱力している。


「まさかガットどもに森の中を護衛されるたあ、人生初めての体験だべ」

「彼らも王国の件には悩まされていた側ですから。言わば恩人、無碍にはしませんよ」


ピエールに支えられゆっくりと歩くアーサーが、数度喉の調子を確かめてから呟いた。


「アーサー、大丈夫?」

「大丈夫ですよ。時間は食ってますが、そう体力を使っている訳でもありませんからね。姉さんこそ大丈夫ですか?」

「私も大丈夫だよ。後少し頑張って歩いていこう」

「ええ」


姉妹の歩みに合わせ、冒険者たちは平原を進む。

 到着も間近ということで、全員余裕綽々の浮ついた雰囲気だ。


「はー、あったけえ肉が喰いてえべ。皮をカリっと焼き上げた鳥肉を貪りながら、呪文で凍る寸前までキンッキンに冷やした酒をぐいっといきてえ」

「おい止めろオットー、俺まで腹が減ってくる。……爺さん、帰ったらどうする? やっぱ真っ先にあの町長の所まで報告に行かなきゃいけねえよな?」

「そうだの、流石に報告を後回しという訳にはいくまい。……だが、儂とて帰ったら真っ先に暖かい食事とうまい酒をくいっとやりたいわい。役所の会議室に食事を持ち込んで貰えぬものかの」

「それいいな。帰ったら説得頼むぜ、爺さん」

「聞いて貰えるかどうかは分からぬが、言うだけ言ってみるさ」


   :   :


 森を抜けてから丸一日平原を歩き、冒険者たちが町へと戻ったのは夕方のこと。

 町を出てから十日にも満たぬ長いようで短い旅を終え、一行はようやくサンベロナへと帰還した。


「ようやく戻ってきたな……」


先頭を歩くアロイスが、視界の先に広がる外壁を眺めながら感慨深く呟いた。

 他の冒険者たちも、各々町を見ては感銘のため息を洩らしている。


 サンベロナの北門は、夕方ということもあり閉じられている。巨大な木製の門の脇に、小さな勝手口が一つ。

 アロイスがそこに駆け寄って数度扉を叩くと、やや間を空けて門の向こうから返事が返って来た。


「誰だ?」

「レールエンズに向かってた調査隊だよ。戻ってきたから開けてくれ」


きっかり十秒。

 一切の反応も無く間が空いてから、慌てた様子で乱暴に勝手口の門が開かれた。次いで、弾かれるような勢いで門番の男が飛び出してくる。


「ほ、本当か、本当にレールエンズに向かっていた調査隊なのかっ? ……おお、あなたはハンス殿! では本当に……!」


驚きと興奮で上擦った声で、勢い良く門番はまくしたてていく。

 続いて調査の内容を尋ねようとした所で、アロイスに強引に遮られた。


「俺たちは疲れてんだよ、その辺にしろ。大体町長から勝手に聞くなって止められてただろ。今から役場に直行してそっちで話するから、詳しい話は町長の説明を待ってくれ」

「あ、ああ、そうだな。すまない」


若干気落ちした様子だが、それでも門番の興奮は冷め切らない。目を輝かせながら道を開け、門を通過する冒険者たちをアロイス、ハンスと見送っていく。

 そして、二人三脚で門をくぐる姉妹とすれ違いかけた時。


「うえっ、臭え!」


門番が大きな声で叫び、鼻を摘んで四歩ほど後ずさった。

 不意打ちじみた突然の大声に一切の表情無く、目だけを見開いて門番を凝視するピエールとアーサー。


「何だお前ら、うわ、臭っさ! 腐った生肉みたいな臭いだぞ、一体何が、お、おいこっち来んな臭え! 目に来る!」


鼻をつまみ、薄目になって空いた片手で門番は二人を追い払う手振りをした。

 言葉の真意を呑み込むにつれ、流石のピエールも羞恥で顔を真っ赤に染め、アーサーは俯いて唇を噛み、小刻みに震え始めた。

 その前後では、男三人が気まずげな訳知り顔で羞恥に染まる二人を見つめていた。


「……そらそうか。俺たちはもう慣れてたが」

「あれだけ腐敗物を浴びていれば当然よな。早く帰ろうと身体もろくに洗えなかったしの」

「あーあ」


門番に遠巻きにされながら、俯いて門をくぐる姉妹。

 後ろのオットーが小走りで近寄り、無言でピエールの頭にぽんぽん、と数度右手を乗せた。


「泣きたい」


顔を赤らめたピエールがぼそりと呟く横では、俯いたアーサーが無言で目に涙を浮かべていた。


   :   :


「……これが、儂らがレールエンズで見てきた、全ての事柄になる」


役場の会議室内。語り終えたハンスが、机の上に両肘を突いて手を組んだ。

 机の上には、竜鱗石と翡翠で飾られた薄緑に輝く王冠が一つと、ティアラが二つ。それに、腐竜の尾として用いられていた短剣。

 計四つのレールエンズの遺物が、調査が行われたことの証明として並べられていた。

 向かいに座る町長や幹部たちは、一様に暗い顔で俯いている。中には、溢れる涙を拭っている者さえいた。


「……蓋を開けてみれば何とも虚しく、そして悲しい話よな。とにかく、ハンス殿。それに冒険者たちよ。本当によくやってくれた。報酬は用意してある、じきに職員が持って来るから暫し待っていてくれ」


町長の一人が、机の前に座る相手を順番に見比べた。アロイス、オットー、ハンス。


「それで、ハンス殿の話を聞く限りでは一番の功労者らしい、女の冒険者二人はどうしたのだ?」

「あいつらなら宿に帰っただ」

「至近距離で腐った汁を浴びまくってる上、相当の重傷でとても人前に出れる状態じゃねえからな。身体洗って、怪我もある程度治ったらまた来るだろ。その時爺さんにでも確認して貰えばいい。……えーと、あいつらが泊まってた宿の名前何だった?」

「妖精の止まり木亭、だったかの」


   :   :


 未だ人通り少なく静かなサンベロナの中央道。その途中に並ぶ、妖精の止まり木亭。

 その中にはカウンターの向こうで肘を突き、気怠げな様子のアーノル。

 ぼんやりと宙空に視線を投げていたが、建物の外からこちらに向かってくる足音に気付いて入り口の扉へと視線を動かした。

 何十年もこうしていれば、通過するだけの通行人の足音と、ここを目指して歩いてくる客の足音の区別も付いてくる。

 やがて足音は扉のすぐ向こうまで近付き、多少乱暴に扉が開かれた。


「いらっ……うおっ」


いつも通り投げやりに発されかけた言葉が、途中で驚きのうめき声へと変化した。

 その理由は、入ってきた二人の人間が顔見知りであったこと。

 そして、その二人は顔や腕など至る所に包帯が巻かれ、およそ生きている人間とは思えない強烈な臭いを発していたこと。


「おっちゃん頼むから臭いのことは言わないで」


アーノルが続けて何か言うより早く、入ってきた二人の内の片割れ、ピエールが泣きそうな顔で釘を刺した。言葉半ばに、口を半開きにした状態で一瞬固まる宿屋の主人。

 暫しの間を開けてから、再び喋り始めた。


「……分かった。とりあえずは言わん。じゃあ別のことを聞くが、お前らが帰ってきたってことは、もしかして、やったのか」

「やったかやってないかで言えば、やった。とりあえず、身体洗いたい。それから、部屋が空いてたらまた数日泊めて欲しい。空いてる?」

「あ、ああ。部屋はお前らが使ってた部屋がまだ空いてる。……とりあえず、身体洗ってから戻ってこい。裏の洗い場の場所はお前らも覚えてるだろ」

「うん、ありがと。所で、ニナはどう? 風邪治った?」

「今はもう平気だ。心の方はまだいまいちだが」

「そっか」


二人三脚で器用に身体を翻し、二人は再び宿を出た。

 そのまま建物の脇を通過し、足音は裏へと回り始める。


「……くっせえ。ただの汚れじゃねえぞあの臭い。何してきたんだあいつら。アンデッドじゃねえだろうな」


足音が遠ざかり聞こえなくなってから、心底不快そうにアーノルは吐き捨てた。


   :   :


 服の上からざばざばと贅沢に水を浴び、背嚢の隅に仕舞われ使い渋っていた石鹸を丸々一個使い切るほど念入りに身体中を洗い、帰路防寒の足しにと仕方なく着ていたボロ切れ同然の上着を、辛うじて靴底を剥がさず踏ん張っていた靴を、指の部分が無くなった指抜き状態の手袋を、腐臭が染み着きとても使う気になれないその他様々な装備品たちを。

 大量の道具を捨て、血の染みた包帯を全て取り替え傷を洗い、それでも彼女たちの身体から腐敗臭を拭い去ることは出来なかった。


「……はあ」


宿のロビーの椅子に座り、ピエールは憂鬱そうにため息を付いた。未だ顔を包帯で覆われ、左腕は添え木と包帯で固定されている。


「……」


その隣ではアーサーが、姉よりも更に暗い顔で俯いて座っていた。両の二の腕と机の下の左の脛は包帯が分厚く巻かれ、長かった後髪は腐食により長さがまばらで子供が適当に切ったような乱雑さだ。先端も縮れている。

 二人とも全体的に薄着だが、胴の部分だけは替えの服をしっかり着込んでいる。

 その姉妹を、一人分離れた席から見つめる宿屋の親子。二人とももれなく鼻に手やハンカチを当てている。


「……まだそんなに臭う?」


ピエールの呟きにニナは心底申し訳なさそうに、躊躇いがちに頷いた。

 そしてニナの隣のアーノルが、眉をひそめつつ答える。


「臭えよ。まだ腐った肉か魚みてえな臭いが残ってる。さっきよりはましだが、それでも人間の臭いじゃねえ」


あまりにもはっきりとした物言いにアーサーが無言で机に突っ伏し、逆にピエールは軽く笑い飛ばした。


「はは、まあしょうがないか。相手が相手だったし。……それに、それだけ臭くても宿に泊めてくれるんだから、むしろ感謝しないとね」

「無事……と言っていいのか分からんが帰ってきて、とにかくお前ら、やったんだろ? だったら英雄様だ、追い返す訳にはいかねえ」

「そんな大したものじゃないけどね」

「あ、あの、ピエールさん。アーサーさん。それで、レールエンズはどうなってたんですか?」


逸る気持ちを押さえ切れず問いかけるニナ。

 ピエールは返事の代わりに、持っていた小さな麻袋から中身を取り出して机の上に広げた。


 一つ目は、焦げ茶色の長い髪一房。

 二つ目は、切り取られた布地に縫いつけられた、掌ほどの大きさの竜神を模したアップリケ。

 三つ目は同じく竜神をかたどった、竜鱗石製の念入りに磨かれたペンダント。


 最初に出された髪に首を傾げていたニナだが、アップリケを見て小さく息を飲み、最後のペンダントを見た瞬間、大きく目を見開いた。

 鼻に当てていたハンカチをずらし、鼻だけでなく口元も同時に押さえる。


「これ、まさか」

「うん、ハンナちゃんの。……遺品」


言おうかどうか迷いつつも、最後に一言、ピエールは付け足した。

 躊躇いがちにニナの顔色を伺うと、彼女の見開かれた瞼の端から、雫がじわじわとほんの少しずつ溢れ始める。

 口元を押さえたまま、涙の雫が一筋、細く小さく頬を伝った。


「ニナ」


アーノルが椅子から立ち上がり、ニナの元へと駆け寄った。震える小さなその肩に手をかけようとした所で、少女は涙を流しながらも、しっかりとピエールを見返して言い返す。


「遺品、なんですね。ハンナちゃん、本当に、死んじゃったんですね。もう、いないんですね」

「……うん」

「お城で、どんなことがあったか、ハンナちゃんはどうなってたのか、教えてくれますか……?」

「うん。私も、ニナには知ってて欲しいから」


   :   :


 ハンスが見た夢も含めことの顛末を語り終えたピエールが、アーノルが出したコップに注がれた暖かいミルクを音を立てず一口含んだ。

 横のアーサーは、つまらなそうに机に突っ伏したままだ。横目で、いつ話が終わるのかと言いたげな顔で姉を見つめている。


「お城は、お姫様は……そんな風に、なってたんですね……」


臭いも気にせずピエールの向かいの席に移動していたニナが、目から鼻から滝のように流れ落ちる雫を拭いながら、鼻声で絞り出すように言った。


「お姫様は、残酷なその光景を見て心が壊れちゃって……偽物の竜神様と一緒に、ずっと国を守って……それで、それでも、最後はそのお友達の、ハンスって人にもう一度会えたんですね……」


じっとり湿ってぐしょぐしょになったハンカチで強引に目と鼻を拭い、ニナは目を赤く腫らしながらも無理に微笑もうとする。


「ハンナちゃんも、死んじゃったけど、でも、立派にお姫様を守ろうとして、それで、最後はお姫様と、そのメルヒちゃんっていうエルフの女の子と、一緒に、一緒に……」


最後まで言い切れずに再び涙腺が決壊し、感極まったニナは両手で顔を覆って大声で泣き始めた。横でアーノルが、ニナの頭を優しく撫でさする。

 ピエールがそのやり取りを無言で見つめる中、ニナはおよそ三分近く泣き続け、泣きやんでからも更に数分、手で顔を覆ったまま鼻を啜り続けた。


   :   :


 部屋番号十二番、二人の姉妹が最初に泊まっていた一室。

 その部屋に、小さく控えめなノックの音が二度、木霊した。

 部屋の中から軽く明るい口調で返事が届き、ニナは扉をゆっくりと開く。

 既に陽も暮れ夜に染まった部屋は暗く、部屋の隅でぴくりとも揺らめかない小さな火だけが部屋内を照らしていた。

 その中で、ベッドに横たわっているピエールとアーサー。


「二人とも、食事がで……っ」


言い掛けた言葉は、部屋の中にむわりと篭もった臭いによって妨げられた。

 強い不快感と、若干の気恥ずかしさを滾らせたアーサーに睨まれ、無意識に鼻を押さえかけたニナの左手は寸での所で動きを止める。


「おっ、来た来た。もうお腹減って死んじゃいそうだよ」


ピエールに右手で手招きされ、ニナは気を取り直して床に置いていた大きなトレイを両手で抱え持ち、部屋の中へと入った。つい先ほどまで号泣していた彼女の瞳はまだ赤く腫れている。

 足音を立てない歩みで室内を歩き、二つのベッドの境の床にトレイを置くニナ。


 その時何の気なしにベッドの上のアーサーに視線が向かい、彼女の左すねと二の腕を見て、息を詰まらせて硬直した。

 治癒呪文による手当と包帯の交換を兼ね、露わにされていたアーサーの傷口。

 すねには少女の手首ほどの大きさの穴が今なおぽっかりと空き、その内部は薄桃色の肉がまるで無理矢理詰め込まれているかのように盛り上がっている。

 二の腕もごく薄い表皮が覆うのみで、所々皮膚や肉ではない別の物体が見え隠れしていた。

 両腕を労る実にゆっくりとした動きでベッドの上に投げ出された治癒呪文用の銅板を袋に仕舞い、アーサーはすぐ隣で硬直しているニナを横目で睨む。


「私の怪我が、そんなに珍しいですか」

「あ、い、いえその」

「いやー普通びっくりするでしょ。こんな派手な怪我、戦う人でも無ければそうそう見れるもんじゃないよ」


アーサーに睨まれて言い淀むニナにフォローを入れつつ、ピエールはベッドから降りてアーサーのベッドの横まで移動した。

 後ろから右手を回して支えながら、アーサーをベッドの下の床に座らせる。それから自身も隣に腰を降ろした。


「さ、とにかく食べよ。今日の夕飯はなーにかな?」


包帯の隙間から出ている顔をにこにこと嬉々に染め、楽しそうにピエールは床のトレイへ視線を向けた。


「……有り合わせの物で作ったので、あまり豪華なものではないですが、その、どうぞ」


そう言って差し出されたのは、紅麦の粥。

 ただし毎朝ここで食べていたものとは違い、汁気が少なく固めに煮られている。具も、丁寧に角切りにされた芋やベーコンがたっぷりと入っていて、粥というよりは雑炊といった方が近い。

 それが大きめの丼に二杯、食欲をそそる匂いと共に湯気を立ち上らせている。


「おー、色々入ってる。十分だよニナ、こんな時間なのにわざわざ作ってくれてありがとね」

「いえ、そんな、その。……あの、お食事の手伝いとかは」

「いいです」


ピエールの左腕、それからアーサーの二の腕に一瞬視線を走らせてから、ニナは切り出した。

 しかしアーサーに即答され、言葉半ばに口を閉ざす。


「……そ、そうです、か。で、では、私は、これで。食器は、部屋の外に出しておいて貰えれば、後で、回収しますので」

「うん、分かった。気を遣ってくれてありがとね」


笑いかけるピエールに対し控えめに笑顔を返してから、ニナは部屋を後にした。

 それを見送ってから、ピエールは器を手繰り寄せ右手に乗せるような形で持つ。


「はい」


ベッドの縁に背中を預け、横並びに座る二人。持ち上げられた器から、スプーンだけを持ったアーサーがゆっくり慎重に中身を掬う。

 まずは、隣の姉に。スプーンを差し出せば、ピエールは首を伸ばしてそれを啄む。咀嚼しながら満面の笑顔で微笑んだのを確認してから、アーサーは再び中身を掬い今度は自分の口に運ぶ。


 固めに煮られた紅麦の粒は弾力があり、噛めばぷちぷちと確かな歯応えを感じさせる。加えて野菜は新鮮で肉の量も多く、下処理のされた薬草が香ばしい強い風味を醸し出していた。

 有り合わせにしては、相当手間のかかった一品だ。


「おいしい……」


口の中の物を飲み込んだピエールが、頬を緩めて幸せそうに笑う。

 彼女の口に再びスプーンを差し出してから、アーサーも同じように微笑んだ。


「この薬草、森の初日に摘んでパン粥に使ったものと同じ種類の筈ですが……味も風味も全く違う。最初は別物かとすら思いました。どうやったのでしょうか……、ニナの料理の腕は中々です」

「あの時のあれは本当においしくなかったもんね。本当に」

「……まあ、味は、そうですが」


わずかに舌先を覗かせて悪戯っぽく微笑むピエールと、それを一瞬だけ横目で睨みつつもすぐに力を抜いて微笑むアーサー。

 緩やかな空気が、二人の間に流れる。


「姉さん、手疲れてませんか?」


問いかけてから、アーサーは再び粥を自身の口に含む。


「大丈夫だよ。疲れたら床に置くし」

「そうですか。ならいいのですが……せめてこう、小さな机か何かでもあればいいものを。気が利きませんね」

「そんなこと言って、本当はこうして食べさせ合うのも割と好きな癖に。二人しかいないんだから照れ隠しなんかしなくていいじゃん」

「……ふふ」


ピエールの指摘を軽く笑ってごまかし、アーサーは再びスプーンを姉の口元へと差し出した。

 やがて一杯目の器は空になり、二杯目に手が伸ばされる。そちらも二人で分け合い協力しながら消化し、食事を終えた二人は後始末の後互いにベッドの上に戻った。

 明かりが消され、部屋内は闇に染まる。


「はあ……眠い」

「こんな状態で外に出ても仕方ありませんし、暫くは寝坊も気にせず宿でのんびりしてればいいですよ。今回の報酬の受け取りと、武具屋に寄るのはなるべくなら早めにしておきたい所ですが」

「そういえば、また武器買わないといけないんだったね。斧は持って帰って来たけどもうとても使えそうにないし、剣なんか下取りすら出来そうにないからって捨てて来ちゃったし……」

「武器だけじゃありませんよ。盾に張る革も、上着も、スカートも。何もかも無くなったじゃないですか。魔法の薬だって手当てでほぼ全て使ってしまいましたし、装備を揃えるのにいくらかかるやら。ハンスやアロイスを抱き込んで、役所であの町長相手にゴネたら経費として報酬とは別に補填して貰えませんかね……そうでなくとも今回の仕事で七千は余りにも安い……」

「もー止めなよそういう嫌なこと言うの」

「面倒臭くなんて無いですよ、これからの為に大事な……」

「終わり終わり、今日はこの話はおしまい。また明日ね、おやすみ」


ピエールに強引に話を中断させられ、アーサーはいかにも不満げに闇の中で唸った。

 しかしそれ以降何かを言うことも無く、部屋は静かな寝息で満ちていく。

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