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私の記憶を封じたのはおばあちゃんで、それは全部、私の為だった。
私が言いつけを守らなかったから私は体を失い、おばあちゃんを悲しませることになった。幼い頃の出来事とはいえ、私の行動が引き起こした結果だ。
その事実に、どよーんと落ち込む私を「まあまあ、仕方ないわよぉ。悪いのは魔物なんだからぁ」と女の人は慰めてくれた。ついでにテーブルや椅子、ティーセットまでいつの間にか用意されていてお茶を勧めてくれたんだけど、あれ、なんだろうね、この既視感。
まあ確かに、ここで私が落ち込んでても仕方がない。なのでおばあちゃんに会えたら「ごめんさい」と「ありがとう」をいっぱい言おうと思う。
また、いつかきっと会えるよね……?
私は紅茶の香りに心を落ち着け、改めて女性のお名前を伺ったんだけどね、この方はアリアネルローゼ様とおっしゃるそうだ。私の記憶を見たことですっかり親しくなった気になったとかで、「リカちゃんって呼んでいいかしらぁ、私の事はアリアって呼んでねぇ」なんて言われた。なんというか、親戚のおばちゃん感がすごい。
「アリア様は精霊なんですか?」
「いいえー、違うわねぇ」
「じゃあ神様?」
「うーん、それもちょっと違うかしらぁ。考え方によるかしらねぇ」
うふふと微笑まれ、誤魔化されてしまった。
えーっと、それでアリア様の話で分かったのは、結局私は「死んでいない」ということ。いや正確には、人の私は幼い頃に死んでいるんだけど、本体らしい精霊体の私は無事で、今回刺された時も「おばあちゃんが作ってくれた体」が駄目になって精霊体だけ抜け出したってことらしい。
で、その体なんだけどね、とても丁寧に精巧に作られていて、私の精霊体との馴染みが良かったことで違和感なく今までやってこれていたんだろうってアリア様は言っていた。いや違和感もなにも、これまで何の疑問も疑いもなく生きてきたよね。
そして自分の体をまじまじと眺めてみたけど……これが、精霊体。なんていうかこちらも違和感はないし、いたって普通。なんとなく体が軽い気はするんだけど、うーん、よく分からない。私は自分が人じゃないなんて思ったことはなかったんだけど、アルクやベル様は何か気付いていたんだろうか。
それにしても世の中不思議がいっぱいだよね。しかもそれが自分のことだなんて本当にびっくりなんだけど、びっくりし過ぎて現実感が薄いし、正直どうしていいのか分からない。とりあえずアルクとお揃いだからいいかなぁって感じなんだけど、その自分の冷静さに逆に驚くっていうか。
なんだろうね、私ってこんな感じだったっけって思う。それとも精霊体になったから思考も変わったとかあるんだろうか……うん、本当によく分からないや。
でね、この場所はもちろん死後の世界ではなかったんだけど、「世界と世界の狭間」だそうで、私が体と分離した時に勢い余ってポーンってあの世界から飛び出しちゃったらしく、それに気付いたアリア様がこの場所に誘導したんだそうだ。
「私ねぇ、ずうっとあの世界を観察してたのよぉ。だってねぇ、せっかくうちのベルちゃんが頑張ったお仕事だったのよぉ。それなのにあんなことになるなんてぇ、酷過ぎるでしょう?」
うちの、ベルちゃん。
「それって、もしかしてベルスベディア様のことですか?」
「そうよぉ、ベルちゃんは私の末の息子でぇ、とおっても優秀で優しくて良い子なのよぉ」
なんとアリア様、ベル様のお母様だった。うーん、あの気難しそうなベル様とこのフワフワした感じの女性が親子って……なんというか全然結びつかない。あとベル様って末っ子なんだね。
「ベルちゃんは真面目でお仕事も一生懸命なんだけどぉ、人付き合いがあんまり得意じゃないしぃ、だから敵も多いのよねぇ」
ため息を付きながら「困ったものよねぇ」って呟くアリア様。
それで色々お話をしてくれたんだけどね、アリア様やアリア様の旦那さんはかなり身分が高くて、ベル様は所謂お坊ちゃまらしい。ベル様は親の七光りって言われるのが嫌でお仕事を頑張って実力で出世もしてるんだけど、本人の性格もあってあまり世渡りが上手くなく、やたらと嫉妬されたりやっかみが多かったそうだ。
だからフランメルが急に閉じられてベル様が帰ってこないって聞かされて、アリア様やご家族はすぐに誰かに嵌められたのかもって考えたし、ベル様を救済しようとした。だけどフランメルの様子はまったく分からないし、帰ってきたベル様の同僚や部下達は何も知らない、分からないって言うばかり。
そんな中で、「仕事が嫌になったから自ら引きこもったんだろう」とか、「一緒に残ったノーマイーラと仲が良かった」とか、「二人は恋人同士であちらでよろしくやっているんだろう」とか、ベル様が聞いたら激怒しそうなことを言う者が現れた。
「そんなことをしてベルちゃんに何のメリットがあるんだって話よねぇ」
ですよねぇ。まあそんなことを言うのはベル様を嫌ってた一部だったそうなんだけどね。
噂はともかく、ベル様の最終報告はまだだけどフランメルの整備は完了していたし、あとは担当者を置いてあの地は放置、というか見守りという形に移行する予定だった。
あ、担当者っていうのはその世界の維持管理が一任される存在で、それこそ私が考えるその世界の神様みたいなものかなって思った。アリア様の説明だと、担当者以外がその世界に手を出したり何かしたりするのは原則禁止されているそうだ。
でね、その担当者がフランメルにはまだ居なくて選定中だったなんそうなんだけど、自分が創造に係わった世界に愛着を持つことはよくあるし、ベル様が担当するなら別にそれでいいですよーっていう話になったんだって。
アリア様達は「いやいや、そういう話じゃない。それならそれでちゃんと手続きを踏んで担当になればいいだけだし、世界を閉じるなんてことをする必要はない」って訴えたそうだけど、ベル様の真意は確かめようがない。
なので「自らの意思で閉じこもった」という一部の推測と、アリア様達の「故意に閉じ込められた」という訴えとが対立することになってしまった。「ほんとにムカつくわよねぇ」とアリア様はご立腹だった。
そしてなにより調査の結果、「内部から閉じられたものを外からこじ開けようとすると世界が崩壊する恐れがある」とかで結局この件は現状維持、何もしないってことになったそうだ。
「そりゃあねぇ、せっかくベルちゃんが頑張って整備した世界なんだから出来れば壊したくはないしぃ、崩壊しちゃったらベルちゃんが無事で居られるかも分からないんだものぉ、どうしようもないわよねぇ」
なんとなくだけどベル様が無事なら崩壊してもいいって風に聞こえた気が……考え過ぎ、だよね?
とにかくだ、現状維持が決定してどうすることも出来ず、アリア様は外からフランメルを見守り続けたそうだ。
「そうしたらねぇ、最初はなぁんにもなかったんだけどぉ、ある時から少ぉしだけど変化が現れたのよぉ」
本当にわずかだったようだけど、がっちがっちだったフランメルの周囲に「揺らぎ」が現れたんだそうだ。アリア様はそれに希望を見出して注意深く観察し、どうやらフランメルを出入りしている誰かがいるようだってことを突き止めた。
「それって、もしかしておじいちゃんですか?」
「いいえー、もっともっとずぅーと前のことよぉ」
おじいちゃんが訪れるよりもずっと前に、フランメルを訪れた誰かが居たらしい。どうやったのかは分からないけど、あの状態のフランメルでも出入りできるということが分かった。そして出入りすることで揺らぎが生まれるということも。
「でもねぇ、変化は小さすぎてぇ、まだこちらからは何も出来なかったのよぉ」
そこからは耐久戦、ひたすら持ったそうだ。別に待つだけではなく、アリア様はなるべく色んな世界の担当者に働きかけてフランメルに世界を繋げて欲しいとお願いをした。
「ほらぁ、きっかけは多い方が良いでしょぉ」
なんかね、ブロックされてても送ることは可能らしくて、数打てば当たるかもって思ったようだ。
いやでもさ、可能性はある訳だし、もし入れちゃったとして帰ることって出来るんだろうか。疑問に思って聞いてみたら……「うーん、それはちょっと分からないわぁ」とサラリと返された。いやいやいや、無責任過ぎだし駄目でしょうそれ。
それにさ、担当者以外が別の世界に手を出すのは禁止だって言ってなかったっけ。そんなことして大丈夫なんだろうかって思ったし、よく相手もお願いを聞いてくれたなと思ったんだけどね。「別に直接何かした訳ではないしぃ、お礼はちゃんと用意したわよぉ」とのことだった。いいのかね、それで。
で、結果、奇跡的にフランメルを訪れる者も居たそうだけど、ほとんど変化なし。それでアリア様もこれは駄目かもって、あきらめかけた時に現れたのがおじいちゃんだったらしい。
私達の住む世界はアリア様達の管轄外らしくて、おじいちゃんが来たのは本当に偶然だったそうだ。なんでも「相性ってあるのよねぇ」とのことだったけど、私もそうなんだろうか。
そしておじいちゃんの訪問は一度で終わらず、その後、何度も何度もフランメルを行き来した。それが積み重なってほんのわずかではあったけれど「緩み」が出来たそうだ。
「ベルちゃんにねぇ、一生懸命呼び掛けたのよぉ、それなのにあの子、全っ然反応しないんだものぉ」
喜んだアリア様は息子に連絡を取ろうとしたけど反応はなし。「まったくもぉ」と怒ってたけど、たぶんベル様は引きこもってたんだろうなぁって思う。やっぱり寝てたのかな。
それからは反応のないベル様はではなく、一番干渉しやすそうな場所を探したそうだ。
「それがダンジョンだったのよねぇ」
「ダンジョン……」
にっこりと、でも少しだけ含みの有りそうなアリア様の笑顔は、なんとなくベル様に似ているなぁって思った。




