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気が付いたら見知らぬ場所に立っていた。
さっきまでいた都会の街中ではなく、どこまでも続いていそうな草原が目の前に広がっている。
ここは、どこだろう……
日差しは暖かく、そよそよと吹く風が気持ち良い。
確実に日本ではなさそうだし、初めてガイルを訪れた時のような甘くて濃い空気を感じる。
何もない草原だったけれど、あたりを見回したら遠くに一本の木が見えた。目印になるような物はそれしかなくて、とりあえず私はその木に向かって歩き出した。
何も考えたくないと思っても思い出してしまうのはさっきの二人の姿だ。
知らず知らずに出る溜息は重く、気持ちは沈む。
笑っていた。
とても嬉しそうに、楽しそうに……
胸が締め付けられて苦しくなり、思わず掴んだ胸元の手に力がこもる。
やっぱり、ダンジョンでの二人の距離の近さは見間違いじゃなかったんだって思う。
いつからあんなに仲良くなったんだろう。
ずっと前から?
知らなかったのは私だけ?
もしかして、アルクが出掛けていたのはヒナちゃんのところ?
昨日はヒナちゃんが居たから出掛けなかったの?
どうして、何も言ってくれなかったんだろう。
私が二人の邪魔をするとでも思われたんだろうか。
どうして……
どうして、どうして、どうして……
頭の中がグルグルする。
何もかもが辛くて悲しい。
別にアルクが誰を好きになったって、誰を選んだって私には関係のないことだ。
私が勝手にアルクを好きで、勝手に失恋しただけなんだって分かってる。
分かってるけど……
私はあふれる涙を止めることも出来ず、泣きながら歩いた。
途中でパンプスは脱いだ。
ヒールで草原は歩き辛いし、さっき走ったから足が痛かった。
裸足で草を踏みながら歩いていくと、前方には目印にした木が青々とした葉を茂らせている様子が見えた。
とても大きな木だ。
どれくらい歩いたのか、やっと木の根元に辿り着いた。
そして同時に、その木の幹に背を預けて座りこむ一人の男の人の姿を見つけた。
誰だろう。
私が近付いてもその人は動かない。
目を閉じて眠っているように見える。
肩まで伸びたプラチナブロンドの髪に白い肌。
瞳の色は分からないけれど、全体的に色素が薄い。
とても綺麗な人だ。
何故かどこかで会ったことがある気がするけれど、今の回らない頭では何も思い出せなかった。
私は考えるのをあきらめて、その人の横に少し離れて腰を下ろす。
別にこの人を無理に起こす気はなかった。
どう考えても私はこの場所に無断で入った侵入者だろうし、この人を起こしても特に聞くこともないし怒られたくもない。
家に帰るなら扉を出せばいいだけだ。
扉でここへ来たのだから使えるとは思う。
だけど今は帰りたくなかった。
だってもしアルクがいたらどう接していい分からないし、そもそもアルクはもうあの家には帰ってこないかもしれない。どちらであっても辛いことに変わりはない。
そしてもし扉が使えないならそれでもいい。帰らなくてもいいというだけで、今の私にはむしろその方が悩まずに済んでありがたいとさえ思う。
私は膝を抱えて頭を埋めた。
なんだか、とても疲れた。
ああ、駄目だこれ。
もう何も、考えたく、ない……
◇
「リカっ!!」
伸ばした手は届かず、扉は消えた。
一体、何処へ?
リカは何故逃げた?
分からない……
私は、何を間違えた……?
「アルクさんっ、里香さんはっ?」
ヒナが追い付いて聞いてきた。私は首を振る。
「扉で何処かへ行ってしまった」
「ええっ、こっちでも扉って使えるんですか?」
「いや、以前検証した時は使えなかった。今までも使ったことはない」
「え、じゃあ行き先は? ガイルですか?」
「分からない。それに……扉はいつもと少し違って見えた」
「そんな……」
リカが居なければ私は世界を自由に移動出来ない。追いかけられない状況にもどかしさと焦りがつのる。
「ああ、どうしようっ。里香さん絶対に変な誤解してますよ、早く説明しないといけないのに~!」
ヒナが慌てているが、誤解とはどういうことだろう。
先程、店を出たあとに急にリカの気配を感じた。顔を向けると少し先にリカが居てとても驚いたが、声を掛けるより先にリカは私に背を向けて走り去ってしまった。
何故、と思ったが反射的に追いかけた。
しかしリカは呼んでも止まってくれなかった。
リカはどうして行ってしまったのだろう。
それに……私に背を向ける一瞬に見せたあの表情。
どうしてあんなに悲しそうだったのか……
その時だった。
「あのう、すみません。お二人は里香ちゃんの知り合い、ですか?」
私とヒナが話していると、そこに声を掛けてくる者がいた。
「里香ちゃんが何処に行ったか分かりますか? 参加するパーティーの時間がもうすぐで行かなきゃいけないんですけど……」
リカの友人か。彼女もリカを追って走ってきたのだろう、少し息が荒かった。
私とヒナは顔を見合わせたが、私があまり話す気がないと分かったのかヒナが返事をした。
「あの、私達は里香さんとは親しくさせてもらってます。今日、里香さんがお友達と婚活パーティーに行くって話も聞いてました。ただここで会ったのは偶然で、そのう……ちょっと行き違いというか誤解があったみたいで……たぶん里香さん、しばらく戻ってこないと思います」
申し訳なさそうに話すヒナに彼女は困惑していた。
「そう、ですか。あの……里香ちゃんはこんな風に私を置いて何処かへ行っちゃうとかそんなことしない子だし、どうしたんだろうって、私、心配で……。その、里香ちゃんは大丈夫なんでしょうか。居なくなったのって、その誤解が原因ってことですか?」
リカが居なくなった原因。それは私も知りたかった。
「ヒナ、リカは何故消えた? 誤解とは何のことだ?」
「ええっ、なんでアルクさんが分かってないんです?」
私の言葉にヒナは目を丸くして「うそでしょう」と呟くと、「分かりました、説明しますから」と少し呆れ気味に言われた。私が何を分かっていないというのだろうか。
しかし、ここで先ほどの女性が「私も話を聞きたい」と言い出した。
「え、お姉さんパーティーはどうするんですか?」
「どうせ里香ちゃんのことが気になって集中できなさそうだし……」
ヒナの問い掛けにパーティーは欠席すると言う。ヒナは困ったように私を見るので、仕方ないだろうと頷いた。この友人のことはリカからも何度も聞いていたし、リカのことが心配だというのも本当だろう。
ヒナは「分かりました」と了承を返して三人で話をすることになった。
さらに女性は場所はどこかあてがあるのかとヒナに尋ね、ヒナが「ないです」と答えると「じゃあ丁度良さそうなお店があるからそこへ行きましょう」と言う。そして「その前にパーティーの欠席を連絡をするから少し待ってもらえますか」と言って私達から離れて電話を掛け始めた。
「なんだかすごくテキパキした人ですね。頼りになりそう」
ヒナは感心していたが、やがて私にリカのことをどれくらい話すかと聞いてきた。リカの力やあちらの世界のこと、私のこともだろう。
「場合によっては話しても構わないのではないか。信じるかどうかは分からないが」
「ですよねぇ」
ヒナはうーんと唸っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「里香さん、大丈夫かな……」




