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姉のマリーエさんとの婚約を破棄して妹のリリーナさんと婚約しようとしたライナス。
どうやらロイさんに随分と自分に都合の良い話を吹き込まれたようだ。信じるのもどうかと思うけど、思ってもみなかった事態にだいぶ混乱している。
「そんな……婚約者がいるなんて聞いてない」
ライナスはこの時初めて辺りを見回し、父親のボーグの顔を見た。そして青ざめる。
「ち、父上、あ、こ、これは……」
勝手な振舞いの挙句の婚約破棄。ボーグの計画は台無しだ。ライナスに向けられる視線は限りなく冷たかった。
まずい、という焦りの表情を浮かべるライナス。
「こんなこと、認められない……そもそもお前は何者だ、婚約者など嘘に決まっている! それにそうだ、これは契約違反だろう!!」
自分の置かれた状況が分かってきたのだろう、ライナスは叫び出した。
「契約? ああ、例の。ええ、知っていますよ。しかしあなたはマリーエ嬢と婚約したではないですか。契約違反など言い掛かりは良くないですね。それに私とリリーナの婚約が嘘とはまた心外な……確かに私の都合で表立っての発表はしていませんでしたが、それはあまりにも失礼ではありませんか?」
余裕の表情で話すエミール君。
「それとも、私達の婚約に何かご不満があるようでしたら申し立てでもなさいますか? いいですよ、受けて立ちましょう」
うん、煽ってるねぇ。
いつもご飯を美味しそうにパクついている時とは違ったお貴族様モードのエミール君。実は彼は最初から私達と一緒にいた。アルクの術で見えなくしてもらい、タイミングを見計らって姿を現してもらったのだ。
もうばっちりな登場だったよね。突然の王子様の登場にあちこちで女性の歓声があがったけど、こんなに目立っちゃって大丈夫かなと心配になってしまう。
あとさっきエミール君が言っていた“申し立て”なんだけど、これは貴族の婚約に対して反対とか異議がある場合に取られる制度だ。申し立てがあると申し立てをした人とされた人でいわゆる決闘が行われる。
決闘の方法は何でもいいんだけど、剣での戦いが一般的だそうだ。まあ現在は申し立て自体がほぼ行われることがないそうだけど、きちんと認められている古くからある制度らしい。
ちなみに決闘の勝敗によって婚約の取り消しなどが行われるし、怪我を負ったり命を落とすこともあるけど、この場合はもちろん相手を殺しても罪には問われない。
ライナスは決闘する勇気なんてないから申し立てなんて出来るわけがない。なのに往生際悪く喚いているのは誰から見ても大変見苦しかった。
そんなライナスを見かねたのか、友人と思われる一人がそっとライナスに近付き耳元にささやいた。
目を見開くライナス。唖然とした表情で目の前のエミール君を見つめる。
「あ、メル、ドラン……?」
どうやらエミール君がエミール・メルドランだと知ったようだ。ライナスは貴族とはいっても下級貴族の子息にすぎない。そう、どうあがいても初めからライナスに勝ち目はないのだ。
唯一チャンスがあるとすれば決闘だけど、まあ実力もないライナスでは瞬殺だよね。
膝から崩れ落ちるライナス。
しかし少しするとはっと顔をあげた。
「マリーエ!」
名前を呼んでマリーエさんに向かう。
ようやくマリーナさんとの婚約継続以外にこの事態の収拾の道がないと気付いたらしい。
「喜べ、私はやはりお前と結婚してやろうではないか!」
どうして上から口調なのかが理解できないよねぇ。それにもう手遅れだ。
「お断り致します」
マリーエさんは呆れたように溜息をひとつ付いた。
「な、何故だ、お前は私が好きなのだろう?」
まだそんな事を言っている。
「……そのような事実はございません。一体どなたから聞かれたのですか?」
「そ、それは……」
ライナスの目がロイさんを探すが既にどこにもその姿はない。
「いやしかし……そ、そうだ、どうせ誰にも相手にされないお前と結婚してやろうと私が言っているのだ、大人しく私と」
「マリーエ!」
ライナスの言葉を遮って、一人の男性がマリーエさんの前に跪いた。
「え、……フランツ・カーター? どうしてあなたがここに……?」
マリーエさんが呟いた名前は騎士団に所属するマリーエさんの同僚騎士だった。こんな場所にいるはずのない男の姿にマリーエさんは驚き、不思議そうな顔をする。
「マリーエ、どうか俺と結婚して欲しい」
跪いたまま男はマリーエさんを見つめる。
突然の事態へ驚きながらも男の言葉にマリーエさんは顔を真っ赤にさせた。
「フランツ、あなたいきなり何を?」
「君が婚約したと聞いた時、俺は死ぬほど後悔した。どれほど君に思いを告げていれば良かったかと……。今この機会を逃すことは出来ない。君が好きだ、どうか俺と結婚して欲しい」
最初は目を見開いて、段々と目を潤ませて男の言葉を聞くマリーエさん。
目の前で自分を真っ直ぐ見つめる瞳に、諦めていた想い、心の奥底に沈めた想いが溢れ出す。
「どうか、この手を取ってくれマリーエ。愛している」
「フランツ……」
マリーエさんが手を伸ばし、フランツさんの手を取った。
「ああ、マリーエ、夢のようだ」
「フランツ、私もよ」
お互いの手を取り、幸せそうに見つめ合う二人。
「な、な……」
完全に二人の世界だ。
それを側で唖然と見ているだけのライナスはもはや言葉が出ない。
「まあ、なんてロマンチックなの」
「素敵……」
周囲からは感嘆の溜息が漏れ、温かい拍手まで起こっている。デイルズ家のご両親は涙を流して喜んでいるし、リリーナさんもとても嬉しそうだった。うんうん、良かったね、マリーエさん。
ところが、だ。
「ちょっと待った、俺もマリーエに結婚を申し込む!」
「いや私もだ! マリーエ、私と結婚しよう!」
何故か次々にマリーエさんの周りに求婚者が現れた。
マリーエさんとフランツさんの二人は手を取り合ったまま驚いて目を見開いている。
ええ、なにこれ。
さっきまでの良い雰囲気がどこかへ行ってしまったんだけど、これは一体……。
周りを見たら何やら手を振る笑顔の騎士団長さんがいた。
ちょっとあなた、何してくれたんですかっ?!




