84話 準備完了
ぼくたちは熱海に来ている。
初日の夜、緊張してる里香とぼくは、それをほぐすために海を見に来ていた。
「落ち着いてきた?」
「うん、まだドキドキするけど、だいじょうぶ」
隣に座る里香が、ふわりと笑う。
握っている手が、さっきまでは氷みたいに冷たかった。けれど今は温かくなっている。
生物の授業でやってけど、人は緊張すると手先が冷たくなるそうだ。
ということは、温かくなった今は、緊張がほぐれたってことだろう。
「準備……OKだから」
「それって……」
「しんちゃんを、受け入れる……準備」
里香がぼくに、真剣なまなざしを向けてくる。
顔は赤くて、照れてるけど……すごいまじめそうだ。
「あなたが、好きです。上田真司くん。あたしのこと……受け入れて、くれますか?」
……ぼくらは最初、偽の恋人関係だった。
でもお互いをしることで、思いが募っていって、付き合うに至った。
そして……それから少なくない時をともにして、こうして今……結ばれようとしている。
長い、長い道のりだったなって、思った。
でも全然辛くなかった。楽しい道のりだった。
なにより……うれしかった。里香が、ぼくを受け入れてくれるってことが。
大好きな人が、同じくらい、ぼくのことを大好きって思ってくれてるってことだから。
「ぼくも、好きだよ、里香。ぼくは……君のすべてを受け入れるよ」
浮ついた気持ちなんかじゃない。
ぼくはもう、里香しか見えない。彼女を一生かけて幸せにする。
二人の間に子供ができたら、子供も、家族も、みんな幸せにする。
その覚悟が……できた。
「…………」
里香が静かに涙を流す。それが悲しいからじゃないことは、もうわかっている。
ぼくらは繋がっている。心で。精神で。
だから、体の、もっと深い部分で、もっと……繋がりたかった。
ぎゅっ、と里香を抱きしめる。
彼女もまた抱き返してくる。
ぼくらは、唇を、そして、体を重ねたのだった。




