静かに燃える
グラン王国南部にあるチリカという町の端に、真っ白で可愛らしい外観の菓子店がある。前を通ればバターやチョコなどの甘い香りが鼻をくすぐり、思わず店に足を向けてしまう。客入りもよく、人気のあるそこは仲良し兄妹の営む『リトス』という名の店であった。
「いらっしゃいませ」
来客を告げるベルが控えめな音を鳴らし、それほど大きくない店内に春の訪れと共に吹く風のような柔らかな声が響く。接客するにしてはどこか控えめなその声の主は、ガラスケースに菓子を並べる作業を止め、ぴょこんとケースの上に顔を出すように立ち上がった。
肩の上で切り揃えられた赤茶色の髪を止めるように白い帽子を被り、大きな桃色の目をふわりと緩める彼女を一言で表すなら小動物である。ガラスケースから見えるのも彼女の顔だけ。決してガラスケースが大きすぎるのではない。彼女が小さすぎるのだ。
「アリス、出来たぞ」
「はいっ!」
後ろの厨房からかけられた兄の声に返事をすると彼女、アリスは客に笑顔を向けた。
「ちょうどショコラシフォンが出来ましたがいかがですか?」
「もらうわ。ここのは甘すぎなくて好きなのよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると兄も喜びます」
背後から「ありがとうございます!」と元気な声が飛んできて、思わず客と笑い合う。手際よく包装し、会計を済ませたアリスは満面の笑みと共に客を見送った。
再びガラスケース内の菓子と睨めっこをし始めれば、すぐにドアのベルが鳴り響く。アリスが急いで顔を上げると、視界いっぱいに飛び込んでくるのは大きな身体。決して太っているわけではない。もちろん菓子を愛するあまりマシュマロ体型になっている客も(アリスはそれはそれで可愛いと思っている)よく来店するのだが、目の前の人物はどちらかと言うとがっしりしていて鍛え上げられた肉体といったかんじだ。
少しアリスが視線を上げると、険しい顔付きでガラスケースを睨みつける強面の男性の顔があった。短く切られた茶色の髪、太くキリッとした眉、ケーキを映す翠色の瞳、顎の辺りには切り傷の跡が残っている。
もしここが菓子屋ではなくどこかの裏路地であったなら、確実にカツアゲされている様にしか思えないだろう。それ程までに彼の目は真剣で、若干恐ろしくもあった。
「いらっしゃいませ。お決まりになりましたか?」
「……」
アリスは懸命に笑顔を作り出し愛想を振りまく。相手は客だ。怖いからと逃げていいことにはならないし、相手を不快にさせてもならない。
暫し無言の時が過ぎると彼はそのまま無言でいくつかの菓子を指し示した。アリスは慌てて指し示された商品をガラスケースから取り出していく。三種類のケーキやクッキーを買い求めた彼は、その後会計を済ませ店を出るまで一言も言葉を発さなかった。
「ふぁああああ」
無事見送ったアリスの口から言葉にならない声が漏れ出る。かなり緊張していたらしい。まぁ、滅多に彼のような厳つい男性客が来ることもないので仕方がないと言えば仕方がないのだが。
そんなわけで、その厳つく大きな男性客はアリスの記憶の中にはっきりと刻まれたのであった。
それから三日後、その男性客は再び現れた。
前回同様一言も話さず睨みつけるように菓子を吟味し、黙々と指をさして買って帰っていく。一見失礼な態度にも見えるが、何故かその男性客の態度は不快に感じなかった。
アリスがその理由に気づいたのは三度目の来店の時である。その日はちょうどその男性客が来た際に親子の客が店内にいた。母親は彼を見た瞬間ぎょっと目を見開き、咄嗟に娘を背後に隠す。それは母親にとって一種の防衛本能のようなものだったのだろう。正直に言えば彼はそんな反応をされてもおかしくない程に顔が怖い。
しかし、そのような反応が逆に相手を傷つけたり怒らせたりするキッカケになることだってある。彼は明らかに母親の態度に気がついていた。
アリスはどうしようかと考える。母親の気持ちはわからんでもないが、彼がそれほど警戒すべき人なのかわからないのだ。何も問題が起こっていない今、アリスが間に入るのはおかしな話だろう。アリスは判断がつかず黙って状況を見守った。
手早く会計を済ませた母親が逃げるように店を出ようとする。右手は娘の手をしっかり握り、左手に買ったばかりのケーキの箱を持って母親が彼の前を横切ろうとしたその時、彼がおもむろにドアの前に立つ。大きな彼がドアの前に立っていては親子が店を出ることはできない。
アリスは慌てて駆け寄ろうとした。だが、その必要は全くなかった。
「どうぞ」
落ち着いたバリトン声が聞こえてきたかと思うと、彼はスマートにドアを開け親子が通れるようにドア側へと身を寄せた。思いもよらない出来事に母親は一瞬動きを止めるも、慌てて礼を述べ店を出て行った。
彼はそのまま静かにドアを閉め、いつものように黙ってガラスケースを覗き込む。その時やっとアリスは気がついたのだ。
彼の動作は一つ一つが優しい。ドアを閉める時は音が聞こえないほど優しく閉める。ガラスケースを覗き込む際は子供がお菓子を選ぶ時のように真剣で、お菓子を包んだ箱を受け取る際はふわりと中身を気にするように大切に受け取る。
確かに強面で無言のためか怖さが増すけれど、彼からは優しさが滲み出ている。
「先程はありがとうございました」
お菓子を包んだ箱を手渡す際、アリスが声をかけると彼は一瞬目を泳がせ眉にくっと力を入れた。
「いえ……」
返ってきた言葉はたったの二文字だったけれど、アリスは何故かとても嬉しかった。
それからも彼は週に一、二回のペースで店にやって来た。男性にしてはなかなかのハイペースだ。もしかしたら誰かにあげているのかもしれない。そう思うと何だかちょっと胸がざわついた。
この店の接客は基本アリスが担当している。だから彼が買う品も簡単に把握することができる。彼は生クリームよりもチョコクリーム派。カスタードも好きなのか結構な頻度でシュークリームなども買って行く。まぁ、彼が好きなのかははっきりしないけれど。
彼が来る予定の前日からアリスはいつもそわそわしだす。彼が来る時間が近づくと身だしなみを整え始める。彼の姿が見えると心臓が煩いくらい騒ぎ出す。
これは病気かな? なんて考える程アリスは幼い歳ではない。見た目はまだ十代と言っても誤魔化せそうだが、実際は二十三歳という周りと比べると若干行き遅れに近い歳だ。だからこれがどういう感情なのかよくわかってはいるつもりだ。
だが、アリスがこの歳まで独身なのには大きな理由があった。アリスの兄が極度のシスコンだからではない。いや、少しは関係しているだろうが、根本的な原因はアリスが奥手なことであった。
今までだって何度か恋をしたことはある。アリスの見た目は小動物のような可愛らしい容姿で、そこそこモテてはいたのだ。しかし、今でこそ仕事である程度の経験を積んだおかげかスムーズに会話しているが、昔は男性と二人きりになるとどうしても緊張してしまい上手く話せず、恋心を告げるという段階にすら辿り着かなかった。
しかも、今回の相手は名前も知らない寡黙な彼である。アリスがアタックしない限り発展することもないだろう。
「うわぁぁああ」
自分の駄目さ加減にアリスの口から情けない声が溢れでる。頭を抱え店の隅で唸るアリスに明るく元気な声がかけられた。
「おねぇさん、どうしたの?」
突然のことに驚き飛び上がったアリスの耳にコロコロと可愛らしい笑い声が届く。視線を向ければそこには赤いドラゴンの人形を抱えた小さな天使の男の子が立っていた。その背後には苦笑いを浮かべている女性もいる。
そう、アリスは客が来ていることに気づいていなかったのだ。
「す、すみません! いらっしゃいませ!」
「大丈夫、かしら?」
「はい! 大丈夫です!」
自分でも何が大丈夫なのかわからないが、アリスは恥ずかしさのあまり人形のようにカクカクと何度も頷いてみせる。母親もそれ以上追求してくることはなく、息子と並んでガラスケースを覗き込みながら菓子を選び始めた。
その時、来客を知らせるベルの音が鳴り響き、大きな影が店内へと入ってくる。ドアへ視線を走らせたアリスは口元が緩むのを止めることができなかった。
「いらっしゃいませ!」
今日も来てくれた、とアリスは浮かれていた。だから周りの変化に気がつかなかった。
「う、うわぁあああんっ!」
突然店内に響き渡った甲高い泣き声。思わずビクッと身体を揺らしたアリスだったが、慌てて声のする方を見れば、先程まで満面の笑みを浮かべて菓子を選んでいた少年が大粒の涙を流して泣いているではないか。少年の視線の先は僅かに眉を下げている彼で、アリスはすぐに状況を理解した。
「ほら、泣かないの! どうしたの? ねぇ、なんにも泣くことなんてないのよ」
母親も何故息子が泣き始めたのか理解しているのだろう。泣き止ませようと必死に少年に語りかけている。アリスも母親同様どうしたものかと焦っていた。
怖くないよ〜と励ますのが一番少年の心情に寄り添っているだろう。しかし、それでは彼の顔が怖いとはっきり断言してしまっているのと変わらない。それはあまりにも失礼だ。きっと母親も同じ事を考えているに違いない。
彼の方も困っているのだろう。僅かに眉尻が下がり、目が泳いでいる。
一瞬、店内に何とも言えない空気が流れた。ここは店員としてなんとかしなくては、とアリスが意を決して踏み出そうとした時、それよりも早く彼が動き出す。
入ってきたばかりのドアから素早く外へと出ていったのだ。ドアが閉まった事で彼には聞こえないと判断したのだろう。母親が「怖くないわよ。ほら、泣き止みなさい。もういないでしょう?」と少年を宥める。
ヒクッヒクッと小さくすすり泣きながらも、少しずつ落ち着きを取り戻してきた少年にアリスは胸をなでおろすと、店の外へと視線を向けた。ガラス張りのせいでよく見える店の外で、彼は少年が落ち着いたのを確認したのか安堵の表情を浮かべている。強面のせいでわかりにくいが、アリスにはそれがはっきりとわかった。
アリスの視線に気がついたのか、彼は小さく頭を下げるとその場を後にしようとアリスに背を向けた。もう一度来てくれるのか、それとも別の店に寄るのか。アリスはそれがとても気になって仕方がなかった。
「ごめんなさい。あの男性にも失礼なことを……」
彼を目で追っていたアリスに母親の恐縮したような声がかかる。ハッとしたアリスは、すぐさま笑みを浮かべ「私から謝りの言葉を伝えておきますから」と労りの言葉を返す。
「……ごめん、なさい」
あんなにも眩しかった笑顔は鳴りを潜め、少年は赤いドラゴンの人形をぎゅっと強く抱きしめながら悲しそうに頭を下げた。
どちらにも非があったわけじゃない。彼が強面なのも、そんな彼の顔に泣いてしまったの、相手を傷つけようとしてしたことではないのだ。アリスはそっと少年の頭を撫でる。
「大丈夫。きっと彼もわかってくれるわ。だから、美味しいケーキを食べて元気を出してね」
アリスは先ほど親子が選んだケーキを手早く箱に詰め、母親に渡す。その箱を見つめる少年の瞳に明るさが戻ってきた。その時、店の外から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「おい、待てっ!」
「待てって言ってるだろうが!」
男達の怒鳴り声が少しずつ大きさを増していく。近づいてくる、そうアリスが思った時、店の窓の端から大きな影が走りこんできた。
アリスは思わず息を呑む。その姿を見間違えることはない。何故なら、つい先程すまなそうに店を出て行った彼だったのだから。
「エドワードさんっ!」
誰かがそう叫んだと同時に、彼の反対側から凄まじいスピードで突っ込んでくる影。
「どけぇぇえええ!」
怒号と共に彼に突進していく、彼と変わらないくらい大柄な男を目にし、アリスは思わず「危ない!」と叫んだ。男の手には包丁のようなものが握られていたのだ。
あたりの空気が一気に冷え込んだ気がした。アリスの隣にいる親子は息を詰めている。
だが、彼は逃げる素ぶりもなく、男の前に立ちはだかった。そして、自分に向かってくる刃物を持った手を華麗に流し、バランスを崩した男の腕を素早く掴むと、その巨体には似つかわしくない素早い動きで男の手を後ろに回し、足を払うと同時に男を地面にねじ伏せた。
そのあまりの速さに、周りで見守っていた者たちが唖然としていたほどだ。男を追っていたのだろう第二騎士団の騎士たちが、すぐさま男を捕縛する。
店の外ということもあり、普通の会話は聞こえてこないが、親しげに騎士と言葉を交わす彼の様子から、もしかしたら彼は騎士様なのでは、とアリスの頭に一つの考えが浮かんだ。
騎士たちとの会話を終え、連行される男を見送った彼がふっと振り返る。その瞬間、アリスと彼の目がばっちりと合った。
小さく会釈する彼にアリスも会釈を返す。もしかしたら、さっき叫んだ声が聞こえてしまっていたかもしれない。そう思うと、なんだか急に恥ずかしくなった。
「凄い、 凄いっ! 凄く強い!」
突然、店内に響き渡る大きな声にアリスはビクリと肩を揺らす。声の主は隣にいた少年だった。
少年の視線は彼に釘付けだ。彼の顔を見て泣いていた先程とは全く違う、羨望のこもった眼差しを一心に彼に向ける少年を見て、アリスは小さく笑った。
少年が勢いよくドアを開け、彼の元に駆け寄る。自分の顔を見て泣いてしまった少年だと気付いたのだろう。彼は眉尻を僅かに下げ、こちらに助けを求めるかのように視線を向けた。
けれど、少年はそんなことに気づかない。飛びつかんばかり彼に近づいた少年は、ぴょんぴょんと跳ねながら手に持っていた赤いドラゴンの人形を彼に見せた。
「ぼく、騎士様になるの! それも竜騎士様! だって、スティアドラゴンはかっこいいから! おじさんみたいに強くなったら、ぼくもなれるでしょう?」
無邪気な笑みで必死に訴えかける少年の頭を、彼の大きな手が優しく撫でた。
「その気持ちがあればなれる。俺もスティアドラゴンが大好きだ」
そう言った彼の顔をアリスは絶対忘れない。緑の瞳をふわりと細め、口角を上げた彼の優しい笑顔。
アリスはドキドキと苦しいくらい高鳴る鼓動を、息を止めてグッと必死に抑えた。
♢
「なぁなぁ、アリス。これは何だ? 兄ちゃんはこんな商品作った事ないんだけど」
「私が作ったの。いいでしょ? 別に」
「なっ! アリスの手作り!? おい、ちょっと待ってくれよ。それ、誰に渡すんだよ!?」
「もう。いいから、早く後ろに戻ってよ」
ぎゃあぎゃあと未だに言葉をぶつけてくる兄をバックヤードに押しやったアリスは、手元にある小さな箱に視線を落とし、口元を緩めた。
箱の中には、小さな赤いドラゴンの人形が様々な模様のトリュフチョコレートの入った籠を抱えて座っている。もちろん、トリュフチョコレートもドラゴンの人形もアリスの手作りだ。
「……今日は来る日だと思うんだけど」
アリスはそわそわと落ち着かない様子で店の外を眺める。待ち人はもちろん強面だけど優しい彼だ。今日はアリスの勝負の日である。
この前の謝罪と何度も通ってくれる事への感謝を込めて、このプレゼントを彼に渡すのだ。
突然そんな事をしたら引かれるかもしれない、とアリスはわかっている。だから、箱は店のものを使用したし、「感謝の気持ちを込めてお客様にお渡ししているんです」と警戒されにくい文言も練習を繰り返してきた。
もちろん、実際は配ってなどいないが、ここは目を瞑ってほしい。それくらい、アリスは彼と会話をするきっかけが欲しかった。
なぜアリスがこんなにも焦っているのか。それは、先日の犯人を捕まえた件以来、彼に対する周りの目が変わったからだ。
彼がよく街に出没するという話は聞いていない。けれど、週ニペースで菓子を買いに来るくらいだから、目撃情報はアリスの耳にも届いていた。その多くが好意的なのだ。
『怖いけれど』というフレーズは必ずつくが、その後に続く言葉は良い事ばかり。それが悪いとは言わない。むしろ良いことだろう。
だけど、彼の話題が全く聞こえてこなかった以前と比べると、今の状況はアリスを焦らせた。
今回の恋も諦めるか、という考えが浮かんだのも確かだ。だけど、あの事件後も足繁く通ってくれる彼を見ていると、諦めたくないと思った。せめて、会話を……できるなら、誰のために菓子を買っていくのかを知りたい。
もうすでに彼に恋人ができていたら、そこで諦めればいい。そんなできそうもないことを考えながら、アリスは大切そうに箱を一撫でした。
ーーカランカランッ!
聞き慣れたベルの音に勢いよく顔を上げたアリスは、店内に入ってくる彼の姿を視界に入れて、思わず息を呑んだ。彼は一人ではなく、二人で来店してきたのである。
「へぇ〜、ここがエドワードがいつも菓子を買ってくる店かぁ」
ぐるっと店内を見渡した後、ニコリとアリスに爽やかな笑みを向けたのは、金色の髪と瞳をした、十人中十人が美男子だと言うに違いない程整った容姿の男だ。
「レオンさん。少し黙っていてください。というか、なんで付いてきたんですか」
人でも殺していそうな鋭い眼差しを受けても、レオンと呼ばれた男はひるむ様子もなく彼、エドワードに笑いかける。
「いや、だってエドワードが出入りできる菓子屋さんって滅多にないから気になるでしょう?」
「余計なお世話です」
「でも、こんなに可愛らしいお店だとは思わなかったよ。ねっ?」
そう言ってレオンはアリスに微笑みかける。どう反応すればいいか迷ったアリスは無難に「お褒めいただきありがとうございます」と礼を口にした。
エドワードはそんなレオンを無視するようにガラスケースの前に立ち、中身を物色し始めると、いつものように無言でいくつかのケーキを指差す。それをアリスが箱に詰める。お決まりのパターンだ。
そんな二人のやり取りを少し後ろから眺めていたレオンは、面白いものを見るような目でアリスを見つめる。
「君はエドワードが怖くないの?」
「え?」
思いもよらない問いかけにアリスは接客スマイルも忘れ、間抜けな顔をレオンに向けた。自分を見つめる金色の瞳は、笑っているけれど、その奥は全く笑っていないように思える。まるで嘘偽りは簡単に見破れるぞ、と言われているみたいだ。
アリスは深呼吸を一度して、エドワードへ視線を送った。
「怖くなんてありません。とてもお優しい方だということは、わかっていますから」
エドワードの眉がピクリと動き、翠の瞳がアリスを写した。真っ直ぐ自分を見つめる瞳にアリスは微笑みかけると、小さな箱をエドワードに差し出す。
その箱に視線を落としたエドワードは、あからさまに動揺した。その姿が可愛く見えてくるのだから重症である。
「もしよかったら、これ、受け取ってください」
「これ、は?」
「よくご利用くださるお客様への感謝の品ということにしておいてください。トリュフチョコレートなんですけど、いつも買ってさし上げてる方に渡していただいてもかまいませんから」
「……え」
固まったまま動き出さないエドワードの様子に、レオンは堪らず吹き出した。
「ほら、お客様への感謝の品ということらしいから受け取っておけ」
「あ、どうも」
慌てて箱を受け取ったエドワードの耳が僅に赤く染まっている。それに気づいているのはレオンだけだ。アリスもそこまで見る余裕などない。
「でも、店員さん。一つ勘違いしてるよ。ここで買った菓子は、全部こいつが食べてるんだ。こう見えて甘党なんだよ」
「へ? あ、そうなんですか」
「ちょっと味見させてもらったら美味しくてさ。紹介してくれって言ってるのに、なかなか連れてきてくれないから、今日はこっそり後をつけてきたんだ」
「そうだったんですね」
誰かに渡しているわけじゃないんだ、とアリスは内心喜んだ。これはチャンスがまだあるかもしれない。
「あ、あの。また、お待ちしてますね」
そう言ってアリスが購入分が入った箱をエドワードに差し出せば、エドワードは小さく会釈をしながら、いつもの優しい手つきで箱を受け取る。それだけで、トクンと小さく胸が疼いた。
そして、エドワードはくるっと体の向きを変えると、レオンの腕を取り、引っ張るようにして店を去っていく。「俺まだ買ってないって!」というレオンの抗議が、聞き入れられることはなかった。
二人が去った店内で、アリスは身体から力が抜けたようにその場でへたり込む。それを、ちょうど出来た菓子を持ってきた兄が発見し、何があったと騒ぎ立てるのだが、恋の一歩を踏み出したアリスにとってはどうでもいいことであった。
《登場人物紹介》
【第四騎士団南支部竜騎士隊隊員】
エドワード(25歳)
相棒のドラゴンの名『オネリ』
短髪の茶色、翠の目、顎に傷のある強面の顔は若干老けて見え、本人も地味に気にしてる。
真面目で、寡黙。表情があまり変わらずわかりづらいが、長い付き合いの仲間達は何となくわかる。
かなりの甘党。
アリス(23歳)
赤茶色のボブ、桃色の目、大きな瞳の小動物系。
エドワード行きつけの菓子屋の店員。
頻繁に買いにきてくれるエドワードが気になっている。
兄は腕のいいパティシエだが、かなりのシスコン。将来はエドワードの敵……かも?




