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第39回:触れる心

【SIDE:西園寺恭平】


 夜が終われば新しい朝が来る、希望の朝かどうかはその日の気分次第だけど。

 そんな当たり前の日常、繰り返される日々の一部。

 ただ、その日の朝は……少しだけいつもと違って見えた。

 

「……さん」

 

 誰かの呼ぶ声にうっすらと俺は目を開く。

 

「お兄さん、起きてください」

 

「はい?」

 

 俺を揺さぶるのは由梨姉さんか。

 そう思っていたのだが、俺の瞳に映る少女の瞳は蒼かった。

 蒼い瞳の美少女、我が愛しの義妹。

 麗奈が優しい口調で俺を起こしている。

 

「早く起きてください。学校に遅れますよ」

 

「え?れ、麗奈!?な、なぜ、俺を起こしに?」

 

「……面倒ですが、頼まれただけです。由梨さんは日直で朝早くに出て行きました」

 

「あー、なるほど」

 

 姉さんがいないから、代わりに麗奈が起こしに来てくれたのか。

 

「お兄さんって朝は弱い方なんですね」

 

「うーむ。朝起きるのは苦手かもな」

 

「……たまには早起きしてみればどうですか?何か良い事でもあるかもしれませんよ」

 

 彼女はカーテンを開けて、窓から差し込む光を取り入れる。

  

「……二度寝しないように。では、私はもう行きます」

 

「うん。起こしてくれてありがとう」

 

「今度は自分一人で起きてくださいね。さすがに毎朝、お兄さんを起こす係りにはなりたくありません」

 

 やれやれと肩をすくめる妹。

 可愛らしい妹キャラとして『早く起きてね、お兄ちゃんっ』的な展開を希望するぞ。

 

『お兄ちゃん、起きてよ。起きてくれないと……』

 

 起きてくれないと何をするんだ?

 

『……悪戯しちゃうよ?他の誰かには言えない、い・た・ず・らっ』

 

 人には言えない悪戯って何ですか!?

 今の麗奈には妄想程度しかできない自分が悲しいです。

 

「朝ご飯は作ってくれているので、早く食べにきてくださいね」

 

 だけど、いつもと麗奈はどこか違うように見えた。

 何か、ちょっと雰囲気が違うような……?

 いつもなら嫌悪感みたいなものがあるのに、今日はそれを感じさせない。

 

「あっ、そうだ。麗奈」

 

「はい?なんですか?」

 

 俺が声をかけると彼女はこちらを振り向いた。

 漆黒の髪に蒼き瞳、クールビューティーを絵に描いたような美少女。

 そんな麗奈の横顔にいつもながら見惚れてしまう。

 

「おはよう。今日もいい1日になるといいな」

 

 いつもなら挨拶もろくに返してくれない妹。

 

「……おはようございます」

 

 挨拶をするだけして、彼女は部屋から去っていく。

 ただの挨拶だが、麗奈からそんな風に挨拶を返してくれるとは珍しい。

 俺は今日は雨が降るんじゃないかなと窓の外を眺めた。

 本日の天気は快晴、麗奈の行動に関わらず秋晴れのいい1日っぽい。

 というか、挨拶程度で喜ぶ俺は思春期の娘に嫌われて、家での居場所がどんどん失われている世間のお父さんみたいだ。

 

「さて、今日も一日、頑張りますか」

 

 義妹がほんの少しだけ優しくなったように感じた朝。

 俺は気持ちよく朝の目覚めを迎えられたのだった。

 

 

 

 

 誰にだって過去に思いをはせる事くらいはある。

 俺だって、それなりに過去があるわけで。

 

「……うーむ、人生とは難しいね」

 

「あら?キョウの人生なんてそんなに思い悩むものではないでしょう?」

 

 失礼な発言をしれっと言うのは春雛だった。

 秋風が肌寒く感じ始めてきた通学路を歩きながら学校に登校する。

 さきほど、合流したばかりの春雛はさっそく俺をいじめていた。

 

「ひどいなぁ。春雛は朝から容赦がないぞ。優しさを求めます」

 

「だって、キョウはバカな子なんだから悩んだ所で意味なんてないわ」

 

「お、俺にだって悩む事はあるんですよ?だって、俺は思春期真っ盛りの少年だし」

 

「そうね。無駄に元気な下半身の悩みはあるでしょうけど」

 

 ひどい言われようだ、俺は下半身だけで生きてるというんですか。

 そんなことは……な、ないよ、ホントだよ!?

 

「それに、人生に悩むほど深い人生を生きてないでしょ」

 

 春雛に一刀両断されてしまう。

 相変わらず、俺に厳しい幼馴染さんです。

 

「そんなことないぞ。俺の人生だって武勇伝もあるし、それなりに波乱万丈な人生だぞ」

 

「それなりに?具体的には?」

 

「えっと……特にありません、普通の人生です。適当に嘘ついてごめんなさい」

 

 素で問われると俺は大して壮大な人生を送ってるわけではない。

 

「春雛のいじめっ子。か弱い幼馴染をいじめて楽しいですか!」

 

「嫌ね、いじめてなんかいないわよ。キョウってからかいがいがあるだけ。キョウのダメっぷりは見ていて楽しい」

 

 くすっと微笑する彼女に俺はため息をついた。

 この大和撫子、最近、ちょっとサディストに目覚めかけております。

 春雛は俺をいじめるのが楽しいらしい、大和撫子の容姿に似つかわしくない性格だ。

 

「拗ねるのもいいけど、どうしたの?人生に悩むなんて」

 

「俺も考える事はある。妹の麗奈が何だか雰囲気がほんの少しだけ改善したっぽいからさ。何かあったのかなって」

 

「麗奈さん?彼女、中学生だったわよね。それくらいの歳の子は、きっかけがあればいろいろと変化するものでしょう。それが思春期というものよ。キョウだってそうだったじゃない」

 

「そういうものなのか。女の子の心だけはよく分からない」

 

 春雛はそんな俺をそっと頬を撫でてくる。

 

「……女心を理解するのはキョウにはまだ早いんじゃないかしら」

 

「それなら、春雛が教えてくれる?」

 

「教えて欲しい?私が教えてあげてもいいけれど……適任者がいるじゃない」

 

「適任者って……ぐわっ!?」

 

 いきなり背後からの攻撃に俺はのけぞる。

 危うく春雛の豊満な胸に飛び込みそうになった(惜しい)。

 

「な、何しやがる、久遠!?」

 

 こんな真似をするのは久遠しかいない。

 春雛も彼女の姿が見えたのだろう、俺の背後には久遠がいた。

 

「おはよう、恭ちゃん。春雛ちゃんも」

 

「おはよう……って、さらっとスルーするな。俺の背中に攻撃を加えた理由は?」

 

「攻撃?可愛い幼馴染がおはようと言いながら抱きつこうとしただけじゃない。幼馴染のシチュでしょ?」

 

「……そんな甘さのカケラもないイベントでしたが?」

 

 背後から突き飛ばす、それは幼馴染イベントでは断じてない。

 背後から抱きついて、甘い声で「おはよう」とささやく……それこそが幼馴染イベント……久遠にされたらビビるけど。

 春雛は俺と久遠のやり取りに笑う。

 

「相変わらず、ふたりは面白いわね」

 

「春雛、笑わないでくれ」

 

「笑えるんだからしょうがないわ。そうだ。久遠、キョウが女心を貴方に教えてもらいたいそうよ」

 

 な、なに、こいつにその話をするのか!?

 思わぬ春雛の行動に焦る俺。

 案の定、久遠はにやっと嫌な笑みを浮かべていた。

 

「へぇ、女心かぁ。恭ちゃんがそんなものに興味を持つとは……まさか女装でもしたいの?ついにそっちに目覚めた?最近、流行ってるものね。おネエ系。恭ちゃんはコスプレ趣味だし、そういう気があるんじゃないかと思っていたのよ」

 

「違うっ!俺は着せる方専門で着る方じゃない!誰が女になりたくて、そんな事を尋ねるか!?女心の意味が違う!?」

 

「あははっ。冗談よ。そんなにムキにならなくても。私は女装男子も好物だけど、恭ちゃんは可愛くないから似合わない。可愛い男の子じゃないと女装は意味はないわ。むしろ、恭ちゃんだと萌えないし、気持ち悪いからそんな姿を見せないで」

 

 なぜだ、否定されていいはずなのに、この屈辱は……腐女子、怖いわ。

 

「女装する趣味はない。春雛も変な奴に変な事を言うな」

 

「そう?私よりも、女心ならば久遠の方が理解しやすいでしょう?」

 

「……ふふっ。恭ちゃんが知りたいなら、乙女心を教えてあげるわ。特別にね」

 

「腐ってる女の心を知るのは怖いんだよ」

 

 春雛と久遠のふたりにコンビを組ませると俺には立場も逃げ場もない。

 

「そう言えば、ふたりは以前に交際していたじゃない」

 

「ギクッ」

 

「女心を知りたいなんて、キョウにしては今さらじゃないの?」

 

 春雛が微妙な話題に触れてきた。

 俺はどう対応するか迷うが、久遠は特に気にする事もなく、

 

「女心が分からないヘタレさんだから、私と破局したのよ」

 

「あー、なるほど。キョウってホントにヘタレだものね」

 

「俺の株価が暴落していく……」

 

「心配しないで。既に恭ちゃんは皆の中で高値をつけたことなんてないもん。いつだって安値のままよ」

 

 それは地味に傷付くわ。

 

「恭ちゃんが女の子の心を理解できる男の子だったら、私との関係もうまくいってたかもね?」

 

「ホントかよ?あの恋は……互いに恋に憧れてただけだろ?」

 

「……本当にそう思ってるなら、久遠が可哀想ね」

 

「仕方ないよ、春雛ちゃん。それがこの恭ちゃんなわけだし」

 

 久遠と春雛はふたりして苦笑をする。

 俺って、どこまで低評価なんでしょうか。

 

「恭ちゃん。ひとつだけ言っておいてあげるけど、私は恭ちゃんと恋人になったことに意味はあったと思うの」

 

「俺との恋に、ね?」

 

「私は恋をして楽しかったもん。ひと夏の思い出にするくらいはね。恭ちゃんだってそうでしょ?」

 

 久遠との関係、それは俺達にとって過去のものだ。

 消せるものじゃないし、あれから今も続く幼馴染の関係には文句はない。

 彼女はそっと俺の肩を叩く。

 

「そーいうわけで、恭ちゃんの麗奈の恋がうまくいく事を祈ってあげるわ」

 

「……顔がにやけていますが?」

 

「昨日、麗奈から相談を受けたのよ。最近、恭ちゃんの変態行為には目に余るものがあるって……可哀想な麗奈。恭ちゃんってばひどい。いたいけな少女に何をしているのだか」

 

 そ、そんなバカな……俺は何もしてませんよ!?

 知らない所で久遠に相談するほど、麗奈が傷付いてたというのか?

 

「キョウって……義理の兄妹なのをいいことに、いけない事をしているの?」

 

「春雛ちゃんも気をつけてね。恭ちゃんは変態です」

 

「今さらだけど、気をつけるわ。変な趣味に巻き込まれたくないもの」

 

 そう言って俺から距離を取るふたり。

 お願いです、そんな寂しい態度を取らないでください。

 

「ご、誤解だ。それはない、そんなことはなーい!?」

 

「キョウだからこそ、否定できないというか」

 

「ホント。恭ちゃんと付き合ってた頃もコスプレさせられたり、変態趣味を押し付けられたもの。恭ちゃんの欲望は怖いよ。気をつけないと何をされるか」

 

「待て、久遠。お前は俺の趣味に付き合ってくれなかったじゃないか」

 

 俺の趣味=可愛い女の子にコスプレをさせる。

 ハッ、春雛の前ではこのネタは禁句なのに!?

 

「コスプレ……相変わらずなのね、キョウ」

 

 自ら暴露してしまい、春雛から白い目を向けられる。

 

「これだから男の子って……キョウの変態。私に近づかないで」

 

「違うんだ、春雛。誤解だ、それは誤解なんだっ。だから、俺から逃げないでくれ」

 

「恭ちゃん、春雛ちゃんに嫌われちゃったね」

 

「誰のせいだ、誰の!?ちくしょー、久遠のば……い、いや、何でもないから暴力はやめて!?ぎゃー!?」

 

 朝の空の下で俺の情けない声が響く。

 久遠の事も色々とあったけど、互いに過去として乗り越えている。

 あの結末を含めて、これが俺達の関係なんだって……。

 だからこそ、俺は次はちゃんとした恋をすると決めているんだ。

 

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