第38回:噂のA子は誰?
【SIDE:西園寺麗奈】
お兄さんの過去の恋愛話を聞いて私は自室でずっと考え事をしていた。
恋をする事が必ずしも幸せな関係を生むわけではない。
「ひと夏だけの関係、か」
よく夏が迫ると雑誌等で煽り立てる定番のセリフ。
僅かな時間でも恋人と過ごせたそのA子という人はどう考えていたんだろう?
「ていうか、A子って結局誰だったの?」
私は気になりながら、ベッドを占拠してくつろぐノゾミを抱き上げる。
「ノゾミ、こっちにおいで」
「にゃーっ」
嫌がる素振りも見せずに私の腕の中に収まる子猫。
最近は少しずつ大きくなってきた。
成長と共に見せてくれる表情が違って可愛過ぎる。
「可愛いね、ノゾミ。あっ、そうだ……」
私はノゾミの頭を撫でながら、素直さんに電話をしてみる。
電話をすると彼女はすぐに出てくれる。
『麗奈さん?何なの、私に何か用でも?』
「あのね、お兄さんの恋の話を本人から聞いたの」
『あっ、そのことか。ふーん。それで大体、分かった?』
「話の流れ自体は大体理解できたんだけど、その相手って誰か分からなくて」
私は素直さんに尋ねてみると、彼女は小さなため息をつく。
『世の中には知らなくて良い事がたくさんあるんだよ、麗奈さん』
「どうしても、その相手を教えてくれる気にはなれない?」
『私の気持ちとしては真実は闇の中に葬り去った方がいいと思うの』
ひどい言われよう、素直さんがそんなに言いたくない相手なの?
電話越しでも嫌そうなのがよく分かる。
膝元のノゾミが甘えさせて欲しいのか、指をアマガミしてくる。
「私的には春雛さんとかその辺りだと思うの」
『春雛さん?あー、確かに春雛さんも恭平お兄ちゃんの事を気に入ってるわ。でも、そうじゃない。分かった、教えてあげるから明日、私の家に来て……』
ようやく素直さんが折れてくれて教えてくれる事に。
『その代わり、真実を知ってどうなっても私は知らないからね?』
……だから、そんな怖い事を言われる相手って誰なのよ。
翌朝、私は素直さんの家へと招かれていた。
何気に彼女の部屋に入るのは数えるほどしかない。
学校ではずいぶんと親しくれなれたんだけどね。
「麗奈さんって何でそんなにお兄ちゃんの過去に興味を持ったの?」
「別に……知らない事を知りたい、それだけ。特に意味はないよ」
「嘘だ。アレでしょ?実はお兄ちゃんの事が気になりだしているとか?」
「それは……まぁ、否定はできない事もない事もない気がしない事もない」
自分でも何を言ってるのか分からないくらいに曖昧な気持ち。
実際にお兄さんが気になりかけているのは当たっていると思う。
「まぁ、いいや。そこまで知りたがってるのなら教えてあげる」
「もったいぶらないで教えてよ。その相手って誰なの?」
素直さんは非常に深いため息をつきながら、壁の向こうを指差す。
「……何?」
「だから、その壁の向こうにいる人」
その壁の向こうにいる人……?
「もうっ、鈍いわね。だからぁ、悪魔のような極悪非道のBL好きな私の姉よ。それがお兄ちゃんの元恋人なの。理解した?」
素直さんが言いたくない理由。
それはお姉さんである久遠さんがお兄さんの元恋人だったから。
久遠さんがお兄さんの元恋人だと言われて私は正直に呟いた。
「……嘘でしょ?」
「嘘だと言葉で否定しても、過去は変わらないの。あの悪魔がお兄ちゃんの元恋人。詳しい話が聞きたいのなら聞いてくればいい。部屋にいるみたいだし。どうせ変なゲームか読書している可能性が多いわ。あの腐女子」
私は思わぬ真実に驚くしかなかった。
道理でお兄さんが名前を明かしたくなかったわけだ。
「あれ?でも、お兄さんと久遠さんって今でも仲いいわよね?」
「私も詳細は知らないけど、ケンカ別れしたわけじゃないらしいよ。話しあいによる別れで、幼馴染の関係に戻っただけってお兄ちゃんも昔言ってた。元の関係って言う通り、特に今も違和感みたいなものがないからすごいよ」
「そんなことがあった今でも幼馴染の関係を続けている?そんなことがありえるの?」
少なくとも私ならばきっとそんな関係は築けない。
「さぁ?その辺はお姉ちゃんに直接聞いてよ。私は元々ふたりの交際を反対してたし、今はあんまりあの人に関わらないようにしているの。だから、本当の関係はよく知らないんだ。知りたくもないし」
姉妹仲が悪いのは知ってるけど、本当に嫌ってるんだ。
何だか複雑な気持ちを抱いている素直さんから情報を得て私は隣の部屋へ行く。
直接聞くのは勇気がいるけれど、気になるので尋ねるだけ尋ねてみることにした。
はぐらかされるのならそれも仕方ない。
ノックをすると「どうぞ」と何だか気落ちした声が聞こえる。
「久遠さん、少し話を聞きたいんですけど……?」
「あら、麗奈。今日は素直と遊んでいるの?」
「えぇ、そこで久遠さんの話を聞きたくて。今は時間は大丈夫ですか?」
「時間は問題ないけど、私の精神はかなり落ち込んでいるわよ」
ガックリと肩を落とす彼女。
普段の明るさからは想像もできない。
「ど、どうしたんですか?」
「聞いてくれる?実は……実は大事な人を寝取られたの」
「……はい?」
寝取られって何?
あまり聞いた事のない言葉に?マークを浮かべる。
彼女は自分のPC画面を指差しながら、
「だから、健吾が俊哉に寝取られたのよ。バッドエンドが寝取られってどんなルートよ。私は和喜を狙っていたのに、まさか俊哉ごときに奪われるなんてありえないわ。まさか、キスを拒むから気になって後をつけたらそんな関係だったなんて。裏切られたぁ、ぐすっ」
「……ごめんなさい、話の流れがさっぱりと分かりません」
「分からなくていいから。お姉ちゃん、麗奈さんに何を教えているのよ」
ムスッとした顔で素直さんが私の背後にいた。
どうやら気になって、来てくれたらしい。
「何よ、素直ちゃん。貴方にボーイズラブの何が分かると言うの!?攻略寸前にライバルキャラに奪われてしまったこの悲しさが貴方に分かると言うの!?分からないでしょう?それなのに気安く否定をしないでっ!」
「黙れ、腐女子!真面目な顔で言ってるのはただの変態趣味じゃない。分かりたくもないし、興味もないから。男同士のカップリングなんて微塵も関わりたくないから黙って。麗奈さん、この腐った姉に近づいたらひどいめにあわされるから近づかない方がいいわよ」
「ひどいわねぇ。素直ったらBLを批判するなんて。男同士だからいいんじゃない。素晴らしい世界よ?」
うっとりとした表情で答える久遠さんに素直さんはドン引きの様子。
私がお兄さんのコスプレ趣味を嫌うのと同じ気持ちなのかもしれない。
「気持ち悪いからもうその話はしないで。ママ達にまた色々と買ってる事を言いつけてやる。一度パパに怒られればいいのに。……で、そんな事はいいの。麗奈さんがお姉ちゃんに聞きたい事があるって。余計な事を言わないで答えてあげて」
「寝取られの意味?寝取られって言うのは……」
「バ、バカじゃないのっ!?誰もそんな意味なんて聞いてないっ。少しは女として、恥じらいくらい持ってよ」
顔を赤くして否定する彼女に私は「恥ずかしい事なの?」と呟く。
しばらく、ボーイズラブについて意見を言い合う姉妹の話についていけない。
何気に素直さんって詳しいんだけど気のせい?
それはさておき、本題を彼女に尋ねてみることにした。
「お兄さんと過去に交際していたと言うのは本当ですか?」
「恭ちゃんと……?誰から聞いたの?そこで丸まってる素直ちゃん?」
「ぐすっ、BL嫌い……NTR嫌い……この姉、もう嫌ぁ……」
ちなみに素直さんは先ほど、BLゲームの画面(私も目をそらしたい生々しい画像)を直視したせいで布団に丸まって怯えている。
男同士の禁断な関係が何がそこまで彼女を恐怖させているのか、ついていけなかった私には疑問だ。
「お兄さんからも話は聞いてます。相手が誰なのか、素直さんからやっと聞けて……」
「ふーん。麗奈は私と恭ちゃんが付き合っていた過去が知りたいんだ」
本当に交際していた過去があったらしい。
改めて驚く私に久遠さんは昔を思い出すような口調で言う。
「そうね。去年の夏休みの間だけ付き合った事があるのは事実よ」
「……本当にそうだったんですか?」
「別に隠すつもりはないんだけど、お互いに“なかった事”にしているの。私も恭ちゃんもアレを付き合っていたなんて認めてしまうと、今の関係まで壊れてしまいそうだもの。実際に恋人のような関係をしていたのは間違いないのにね」
そう呟いて彼女はそっと机に飾られているフォトフレームを私に見せる。
「1年前の夏、私達が付き合ってた頃の写真よ」
仲良く寄り添いながら微笑む二人。
今の二人の関係とは少し違うけども、とても幸せそうに見えた。
「……仲よさそうですよ?それなのにどうして?」
「お互いに恋に恋をしていただけだったの。異性や恋愛に興味があって、それをずっと傍にい続けてた心を許せる幼馴染同士で求めあってしまった。何て言えばいいのかしら。心で通じあえなかったというのかな」
「久遠さん。もしかして、今でも……?」
お兄さんにとっては割り切れた過去でも、久遠さんは今もこうして引きずっているんじゃないのかなって。
今でも……彼の事を好きなんじゃないの?
「さぁ?……幼馴染としては好きよ。でも、今はそれ以上はどうだろ?自分でも良く分からない。キスをしたりするのに抵抗はないけど、恋人同士になれるかと言うのは別な話が気がするし。単純なはずなのに難しいわ」
久遠さんは苦笑いを浮かべると、そっとフォトフレームを撫でる。
「この頃は確かな恋を感じていたのかな。今となってはよく分からない」
「特別な相手には違いないんですね」
「そうね。でも、麗奈が心配しなくても私が恭ちゃんと付き合うことはない。それは私達の運命ではないと思うの。だから、遠慮なく恭ちゃんと好きあっていいのよ?」
「……は?えっと、勘違いですっ。わ、私は別にお兄さんなんか好きじゃありません」
慌てて否定をすると彼女は「本当にそう思ってるの?」と私に言い聞かせるように、
「人が人を好きになる最初のきっかけ。それはね、相手の事を知りたいと思った瞬間から始まるのよ?そういう小さな気持ちの積み重ね、それが恋となっていく。麗奈さんは今、つぼみ状態。その気持ち、大きくなると面白くなるわ」
「……そこの腐女子の姉。適当な事を言って、麗奈さんをからかわないで」
ようやく復活した素直さんが文句を言う。
「えー?今、私、すごくいい事を言ってない?」
「麗奈さんがお兄ちゃんを好きなわけがない。好きになんてならないの」
「何でそれを素直ちゃんが決めつけるわけ?あっ、この子、もしかして恭ちゃんを独占されるのが嫌なの?相変わらずの恭ちゃん好きね。ホント、こういうのもブラコンって言うのかしら。あのコスプレ大好きなお兄ちゃんのどこが好きなの?」
「お兄ちゃんは私のお兄ちゃん何だから当然じゃないっ。お兄ちゃんの悪口は許さないっ!ていうか、今すぐうちの姉と交換して欲しい。……きゃっ!?い、嫌ぁ。私にBL物の本を押し付けないで~っ」
「ほぅ。この私と恭ちゃんを比べて、恭ちゃんを選ぶの?」
軽く怒った久遠さんの逆襲を受けて撃沈する素直さん。
彼女たちと話をしていて、私は不思議な気持ちは抱いていた。
お兄さんが気になるのは事実で、だから、過去を知りたいと思った。
それが久遠さんは恋の始まりだと言っていたけど、本当にそうなの?
「よく少女漫画とかで見ていて、知ってるつもりでしたけど、恋って難しいものなんですね」
「ホントの恋は単純よ。相手の事を常に考えてしまう病気みたいなもの。自覚したら負けなんだ。私はそこまで踏み込めなかった気がするけども。麗奈も女の子なんだから良い恋をしなくちゃいけないわ」
久遠さんはそう言って私に微笑みを見せた。
後ろでBL本で苛められてる素直さんが「何が恋よ、不純な恋はダメー、男同士反対っ!」と叫んでいる。
これだけいじめられていれば、素直さんが久遠さんを苦手にしている理由がよく分かる。
「……もしも、恋だとしたらどうすればいいんですか?」
「私の経験だけど、素直に認めてしまいなさい。下手な言い訳をせずにね。余計なことを考えてしまうと自分が苦しいだけよ。そうしないと私みたいにどうしたいのかすら分からなくなってしまうもの」
やっぱり、久遠さんにも思う所はあるようだ。
私は小さく頷いておく。
もしも、お兄さんに恋をしたら……?
私がお兄さんを好きになるなんてありえないと思うけど、自分に素直になる事は覚えておくことにした――。




