第15回:運命の相手
【SIDE:西園寺恭平】
せっかくの日曜日、俺は久遠に連れられて買い物の荷物をさせられていた。
「おい、久遠。あと何軒回れば気が済むんだ?」
「あと4、5軒ってところかな。今日は服ばかりだからそんなに重くないでしょ」
「……ひとつひとつが重くなくても、荷物を持つ腕は痛い」
久遠の買った荷物を両手に持たされている俺は大きくため息をつく。
彼女とは普段から付き合いがあるため、こんな事も日常茶飯事だ。
男と女。
普通なら“デート”なんて甘い言葉に変えられるはずの俺達の行為は、久遠という幼馴染があまりにも可愛げがないために幻想と消えている。
「恭ちゃん、ぐだぐだと文句ばかり言いすぎ。男らしくないなぁ」
「誰のために俺はこんなことしてるんだろうね。この荷物、全部置いて帰るぞ」
「そんなことしたら、貴方名義でアダルトなものを自宅に着払いで送りつけてあげるから。覚悟しておいてね、いろいろと」
含みを持った久遠の笑みに俺は背筋が寒くなる。
彼女は本気だ、俺の経験がそう警告している。
全くとんだ幼馴染もいたもんだな。
「まぁ、頑張りに免じてそろそろ休憩してもいいけど。もちろん、恭ちゃんのおごりで」
「お前の辞書の中には“ギブアンドテイク”や“ねぎらい”と言う言葉はないのか」
「うーん、残念ながら。“ご奉仕”や“主従”とかの言葉なら山ほどあるわ」
悪びれることなく言い切る辺りが久遠らしすぎる。
本当に“傍若無人”とは彼女のためにある言葉なのではないか。
何だか、文句を言ってるこちらがバカに思えてきた。
「この近くだと……カフェのグラッセでいい?あそこのケーキ好きなんだよね」
「お好きにどうぞ。もう何でもいいから早く帰りたい」
「そうぼやかないの。メニューを決めるくらいはしてあげてもいいわよ」
「それ、普通に迷惑行為だからやめてくれ」
しかも、絶対に俺の苦手なものを選んだりするに違いない。
俺達はそのまま目的のカフェに向かう。
その途中でポツリ、と小さな水滴が降り始める。
「雨?天気予報じゃ今日は晴れのはずなのに」
突然、雨が降りはじめてくる空を見上げて俺は言う。
普通にいいお天気の青い空にわずかな雨雲が浮かんでいる。
「空は快晴なのに雨が降る。気持ち悪いなぁ。恭ちゃん、急ぐわよ」
「そういうなら、お前も荷物を少しは持て」
俺達は早足で目的地に歩き始める。
『グラッセ』は俺もこの繁華街に来たらよく立ち寄るカフェだ。
メニューが豊富で、味もよく、値段もリーズナブルと評判のお店。
ふたりで店内に入り、席に座ったところでようやく俺は一息つける。
「私はレモンティーとモンブランかな。恭ちゃんは?」
「コーヒーとティラミスで。ちょっとトイレ行ってくるから注文しておいてくれ」
「わかった。ごゆっくり~」
俺はテーブルから離れてちょいとラベンダーの香りをかいできたら(トイレの芳香剤)、俺の席にはなぜかオレンジジュースと苺のタルトが置かれていた。
言うまでもなく『メニュー決めてあげる』の有言実行である。
「……久遠、お前ってやつは。注文変えやがったな」
「まぁね。心配しなくてもそれは私のおごり。今日は私がおごるわよ」
「何気に一番値段が安い組み合わせなのは気のせいだろうか」
とはいえ、他人の好意は素直に受け取っておく。
俺が苺のタルトにフォークをさして小さく切っていると、
「……恭ちゃん。もうすぐ夏でしょ。また夏がやってくるわ」
「2回も言わずとも分かってる。梅雨が終われば本格的に夏になる。お前は水泳部だからプールに入れて嬉しいだろ?」
「別に?うちの学園は温水プールのおかげで年中入れるじゃない。先輩たちの活躍のおかげよねぇ」
そういえば、そうだったか。
学園のプールは温水プールなので水泳部はかなり優遇されているらしい。
毎年、全国区レベルの選手を輩出しているからだそうだ。
一年中泳げるのは羨ましいね。
「……もう1年になるわね。私が恭ちゃんに告白したあの日から」
脈絡もなく爆弾を放りなげてくる。
カランと俺のオレンジジュースの氷が音を鳴らす。
俺はそのままジュースを飲みながら久遠の顔を見つめた。
どこか遠くを見つめる彼女、俺も同じような顔をしてるんだろうな。
「そういや、そういうこともありました」
お前からまたその話題を切り出されるとは思っていなかった。
「過去よ、すべては過去。私が恭ちゃんを好きだと思っていた、恭ちゃんも私を好きだと思っていた。それが違うと気付いたのは夏の終わりだったわ」
少しの沈黙、互いに何ともいえない雰囲気が漂う。
「ひと夏の恋だったけども懐かしい」
これは誰にも言ったことがないが、俺と久遠は去年の夏休みの1ヵ月間だけ交際をしていた事がある。
いや、あれは付き合ったとは言えないかもしれないが。
なぜなら、俺達の恋愛は最初からなかったことにして、これまで通りの生活に戻ったから。
だから、お互いの中で久遠と俺は今でも元恋人という間柄ではない、ただの幼馴染だ。
「よくある話じゃない、幼馴染同士が恋に落ちるなんて。ありきたりなラブストーリー」
「……珍しいな。その話を蒸し返すなんて、どういうつもりだ?」
「他人の前で言うつもりはないわよ。お互いに、他人からそういう目で見られたくはないでしょう。ただの事実。もう1年も経つという話題よ」
久遠のいう過去は、俺にとってもただの過去。
暗黙の了解で、自分から話すことはしなかった。
「初めて告白してキスをした時、その違和感に気付かなかった。初めて、恭ちゃんに抱かれたとき、私はその違和感に気付いた。お互いに恋に恋していただけだったんだって。恋愛感情なんてどこにもなくて、相手は近くにいた親しい異性だったら誰でもよかった。そう気づいたときに私たちの恋愛ごっこは終わったわ」
今でも覚えてる、冷めていく感情の寂しさ。
どんな行為にも意味がなくて、愛のある真似ごとに過ぎなかったんだ、と。
俺達の間に恋愛なんてなかったんだ。
その事実に気づいたとき、好きだと感じていた気持ちはどこにもなくなっていた。
「ふふっ。恭ちゃんの初めての相手が私だって、麗奈や素直に言ったら面白いことになりそう」
「……お願いします、冗談でもやめてくれ。特に俺は麗奈の攻略中だ。邪魔はするな」
「あははっ、幼馴染との恋愛の真似ごとなんて忘れてしまうような過去よ。私は誰にも言うつもりはないし、恭ちゃんも言うつもりはないでしょ」
あれから久遠との関係は今も続いている。
幼馴染として、壁のない信頼できる人間として付き合っている。
変わらないもの、いや、何も変える事ができなかったという方が正しい。
「あの頃の俺たちは今よりも少し若かった。それだけさ」
「私は今も十分に若いわよ。ただ、あのような痛い恋をする過ちはもう犯さない」
本当に好きな人間ってどういう相手なんだろう。
俺はそれを知りたかった、少なくとも目の前にいる久遠ではなかった。
彼女の存在は愛ではなく、もっと別の感情だったんだと思う。
「……ねぇ、ちょっと苺のタルト食べていい?」
彼女はそう言うとモンブランを食べているフォークでタルトを食べる。
「やっぱり、甘いわね。ほら、私のも一口、お返しにあげる」
「ん、やはりここのケーキは程よい甘さだな」
彼女が俺の口に直接ケーキを運んでくる。
俺が口を軽く開くとそのまま彼女は押し込むように口に入れてきた。
フォークについた苺のタルトとモンブラン、二つの味がする。
「私と間接キスね。この前の春雛ちゃんも同じことをしていたわ。彼女もきっと、私と同じ。信頼はあっても、恋愛ではない。彼女とは私のようなことをしちゃダメよ」
くすっと笑みを漏らす久遠。
普通なら間接キスで喜ぶところなのに、全然、嬉しくないのはどうしてだろうね。
俺の考えを表情から察したのか、それとも彼女も同じ気持ちなのか小声で彼女は言う。
「ホント、不思議。今でも思うもの、私と恭ちゃんの関係って不思議なんだって。私と恭ちゃんの関係。今の行動とか普通に恋人っぽいのに全然そういう気分じゃないんだもの。あの頃からそう、私達は恋人らしくしてもなれなかったわ」
久遠はどこか茶化すように言う。
キスをしても、抱きしめあっても、お互いに気持ちの高揚はなかった。
恋してドキドキしない相手、それは本当の意味で恋愛だと言えるのか。
「どうしてかなぁ。私と恭ちゃん、フラグが立たないのよ。逆に何だか心地いいわよね。異性として、意識しないでいられるなんてある意味幸せだわ」
確かに俺と久遠は一緒にいても、一線を越えた後でさえもちゃんとした恋愛感情は抱けなかった。
この関係は他の誰かではありえないだろう。
「……お前は俺相手に今さら攻略フラグを立てたいのか?」
俺がそう言うと久遠は彼女らしからない真面目な表情をしていた。
「バッドエンドのフラグなら立ちそうだけどね。何度、想像してもハッピーエンドにはならない。実際にはノーマルエンドってところかしら?私と恭ちゃん。相性いいくせに、同じ運命が交わる事がなかった。これも“運命”だったのかな」
「そういう運命だから、ってか。そういう言い方らしくないな」
彼女は静かに紅茶のカップに触れる。
少しだけ波紋を揺らす紅茶を眺めながら、
「運命。人がその出来事を運命だと考えることができる瞬間。そう思える事があるって幸せだと思わない?それがいい事か、悪い事は別にしても」
「……運命は後からその出来事を美化した言葉だって前に誰かが言っていた。それでも、俺は運命って言葉を信じてるけどな。綺麗事といわれても俺はこの言葉が好きだ」
俺と麗奈の関係は運命だと信じている。
俺が彼女を好きになった、この恋を抱いた気持ちは本物だと信じたい。
「偶然と必然、運命……。起きてしまった出来事を美化するための言葉。それが運命」
人と人が触れ合えば多少なりとも印象に残る出来事が起こる。
それが生きているという事だから。
「でも、私は今だからこそ言える。恭ちゃんとの運命って言うのも望んでみたかった」
今日の久遠はどこか彼女らしくない発言が目立っていた。
俺は気になってその事を尋ねてみる。
「どうしたんだ、今日は?何からしくないな」
「私ね……今日は生理なの。ものすごく憂鬱な気分なの」
また男が聞かされて困る言葉をにやけながら言いやがる。
「お前のネガティブ思考に付き合わされて過去の話をしてたのか」
「いいじゃん。たまには過去の総括ってのも必要じゃない。これからも幼馴染の関係を続けて行くためにもね」
真面目なのはそういう理由か。
俺はあえて、明るい口調で久遠に言う。
「雨、やんだみたいだぜ。そろそろ買い物の続き、行くか?また俺をこきつかうつもりなんだろう?」
「当然じゃない。もう少しだけ、付き合ってもらうわよ?」
「しょうがないな。最後まで付き合うよ」
付き合いの長いふたりだからこそ何も言わなくても分かる事がある。
互いの距離の持ち方、上手な相手との付き合い方。
だてに幼馴染してるわけじゃない。
「……いつのまにか雨がやんだわね」
「ただの通り雨だったんだろう」
店の窓から快晴の空を見上げる俺達。
少しだけ俺の知らない久遠の一面を見たからか、心は少しだけ穏やかになる。
相手の事をよく知ってるようで知らない事がたくさんある。
「あっ、恭ちゃん。ついでにお会計の方、よろしくね~♪」
「ちょい待て。今日はお前のおごりだって言っただろ。だから、メニューを勝手にきめて……って、こら、勝手に外に出るな。ち、ちくしょうめっ!こういう事をするから、お前って奴は……はぁ」
「あははっ、ごちそうさまでした。恭ちゃん、愛してるわよ」
「あっそう。この悪魔め、やってくれる……」
彼女は何事もなかったかのように歩き出す。
その横顔にはいつもの意地悪な笑みはない。
「――ホントに今日の久遠はらしくないぜ?」
人は自分の世界を常に“綺麗事”で美化したがる生き物だ。
美化した出来事“運命”って奴を信じてもいいじゃないか。
信じるだけなら誰も傷つかない。
広いこの空の下で、恋愛感情を抱けなかった奇妙な運命の男女が楽しく笑いあう。
これもまたひとつの運命だと俺は思うことにした。
俺はこの運命を繰り返さない。
次の“恋愛”では必ず別の運命を掴み取るさ。




