みんな聞いて!
ルイスと結婚して早2年、医師として育てていた弟子たちが独立したことで私の仕事が落ち着き、そろそろ子どもが欲しいからと避妊を止めたらあっさり妊娠した。
実は一度、私がルイスと別れてドローシアからグレスデンに帰った時に妊娠したかもしれないと僅かな可能性に期待してしまったことがある。もちろんすぐに月のものが来て何事もなかったけれど、もしかしたらルイスの赤ちゃんを抱けるかもしれないと期待してしまった分、妊娠していないと分かった時のショックはルイスとのお別れ以上に辛くてやるせなかった。
だけど、今度は本当にルイスの赤ちゃんをこの手に抱くことができる。しかもルイスを夫として迎えたこの家庭に迎え入れることができる。まだ体に大きな変化はなく実感は薄いけれど、確定した時は涙が出るくらい嬉しくて言葉にならなかった。
―――そして。
「ねえ、ルイス」
「んー?」
部屋でテーブルの上に積まれた資料で埋もれそうになっているルイス。生返事ということは頭の中の半分はまだ仕事のことで埋め尽くされているんだろう。
「赤ちゃんできたのよ」
「へえ、お乳張ってたからそうかなって思ってたよ」
「う、うん・・・」
なんだろう、この反応。全然嬉しそうじゃない。種付けしたんだから妊娠して当たり前だろってことなのかしら。そこんところのドローシアの価値観はよくわからないわ。
「まだ初期なんだけどね。名前とか考え始めるのは気が早いかしら」
「じゃあ生まれるのは来年だね。名前は・・・そのうちでいいんじゃない?」
「そうね」
考えるのはお腹が膨らみ始めてからでもいいか。男の子と女の子の名前どちらも考えておかなければ。
「まだまだ油断ならない時期だし気が早すぎるのも良くないわよね。でも一応お母様のお墓に報告に行こうかしら。喜んでくださるだろうなあ。
あ、その前にお父様に報告しなきゃ。私ったら浮かれすぎよね、普通に考えてお父様に報告する方が先なのに」
ペラペラと喋る私とは対照的にルイスは忙しいのか物静かだった。しかし私は浮足立っていてルイスの無関心っぷりなんてどうでも良かったため、緩み切った頬を隠そうともせずに喋り続ける。
「うーん、他にも準備することはあるけど・・・今は安静が第一かしら。食欲も落ちてきてるししばらくは体調不良も覚悟しておいた方が良さそう」
酷い人のつわりはかなり過酷だから心の準備はしておかないと。既につわりの兆候があるので私は結構重い方な予感がする。
「んー、まあ水飲んでるなら大丈夫だよ」
「あ、そうよね」
そうだそうだ、ルイスの言葉で思い出したけど果実酒はアルコールが入っているから止めた方がいいのよね。真水は保存が効かなくて果実酒より高価だけど、大事な赤ちゃんのためなんだからこれくらいの贅沢は構わないはず。
「私、ちょっとお父様のところに行ってくる」
報告してミランダ様に色々話を聞かせていただこう。こういう時って経験者が側にいるとすごく心強いわ。あまり関心が無さそうな父親より全然頼りになる。
「うん」
ルイスは相変わらずの生返事だったので、私はそれ以上の会話を諦めて早々に部屋から出た。
ルイスと違ってお父様はとても喜んでくださった。無事に生まれればお父様にとっては初孫、そして王家に新しく血を繋ぐ存在が誕生するわけだ。グレスデンの情勢的にも子を迎えるのに何の支障もないし、全てが順調で理想的だ。
その日の昼食、いつも通り家族で食卓を囲めばさっそく話題は赤子一色だった。
「我が家で出産だなんて久しぶりですねえ。お目出度いわ」
懐かし気に言うのはミランダ様。
「今はとにかく安静にしなければな」
お父様も浮かれているのかいつもより表情が柔らかくて声も優しい。アディやマリアたちも赤ちゃんの誕生が待ち遠しいのかそわそわして落ち着きがなかった。
なんだか幸せでむずむずしてくる。皆の期待が私のお腹に宿っている命へ集まっているのを感じて、嬉しくて上手く言葉が出てこない。
一方でルイスはケロッとしたものでいつも通りだ。まあ男性はいきなり妊娠したと聞いても実感がないだろうし生まれるまでは関心が薄いのも仕方ないのかもしれない。
「赤ちゃんって見てるだけで癒されますよね」
「わかります。存在が尊くって目頭がじわっと熱くなるんですよ」
「そうそう」
私とミランダ様は大きく頷き合った。赤子は何にも例えがたいほど無垢でまっさらだ。未来の可能性とか、希望とか、あの小さな体にいろんなものをいっぱい詰め込んでいる。
話していると早く抱っこしたくなってきた。出産への不安がないわけではないけれど、お産に立ち会うことは偶にあるので産婆ほどじゃないけれど勝手は良く知っている。私は安産体型だしきっとなんとかなるだろう。
「ルイス殿もおめでとうございます」
「・・・ん?」
後に仕事が詰まっているからだろうか、急いで食べ進めていたルイスは声を掛けられるとフォークを口に咥えたまま顔を上げてお父様の方を向いた。
「私も最初はピンと来なくてねえ。まあそのようなものですよ」
「う、うん・・・・・・・・?」
ルイスはちょっと戸惑ったような曖昧な返事。さては今まで話聞いてなかったわね?
ルイスは咀嚼していたものを飲み下すとチラリと私の方へ助けを求める視線を寄越した。適当に話を合わせろってことね、はいはい。
「そうですね、ルイスも私も初めてですしお互いのペースでのんびりやって行こうと思います」
「シンシア様はしっかりしていらっしゃるから安心ですね」
「ミランダ様方が居てくださるからですよ」
隣にルイスがいて、家族に見守られているからこうやって穏やかな気持ちでいられるのだ。今は穏やかというよりも興奮の方が強いかもしれないけど。
「そうだね。シンシアはしっかりしてるから僕も安心だよ」
あ、さり気無く話合わせてきた。
ルイスはまるで前から会話に参加していたような空気を出しながらさり気無く交ざって来た。
ミランダ様はちょっと困ったように笑いながらルイスへ返事をする。
「そんな、シンシア様だけではなくルイス様もしっかりしなくては」
「ん・・・うん」
あ、また話題迷子になってる。フォローしなきゃ。
「出産では男性は無力ですから、私もそんなに期待はしていません。お産自体は何度も立ち会ったことがありますし産婆もいますから平気ですよ」
「でも産まれた後が大変ですよ?」
確かに産むより育てる方が大変だろうけど、そこのところはあんまり心配していない。ルイスは「子どもって騙されやすいから扱いが簡単」とかなんとか言ってたけど実は大の子ども好き。きっと自分の子どもが産まれたらちゃんと可愛がれるいい父親になると思う。
ルイスは「ああ、出産の話か」とようやく納得して、さっきまで若干戸惑っていた表情をキリッとして話し出した。
「資金に余裕があるから平気でしょ」
「こればっかりはお金の問題じゃないでしょう?もちろんお金も大事だけどそれ以上に愛情は必要だわ」
「そう?放っておいても割と元気に育つよ?」
うーん、ルイス自体が結構放任で育ったからかなあ。お父様たちは若干表情を強張らせていたけど、ルイスの育った環境を思えばそう言うのも無理ないかもしれない。
「でもできるだけ愛情を込めて育てたいじゃない?」
「それは母親の仕事でしょ」
なるほど、ドローシアって父親は育児に参加しないものなのね。グレスデンも格式高い家は母親や乳母がメインで育てるものなのでルイスの意見も文化的に衝突するようなものではない。
「ルイス殿は男の子がいいですか、女の子が欲しいですか?」
空気を読んだお父様が微妙に話題を逸らしてルイスへ訊ねた。
ルイスは小首を傾げながら不思議そうに答える。
「え・・・別にどっちでも・・・」
なんだかどうでも良さそうな返事だ。
「嬉しくないの?」
純粋に疑問に思って訊ねるとどもるルイス。
「え、うん、うん・・・?嬉しいけど・・・」
「別に無理しなくていいのに」
そりゃあ喜んでくれたら私としては嬉しいけど、無理して背伸びしてくれなくてもいいんだけどな。ルイスのことは信用しているし、赤子を迎える十分な環境はあるから不安も少ないし。
煮え切らない微妙な返事しかできないルイスに、アディは遠慮がちに口を開く。
「でも、あの、父親になるのですから、もっとしっかりしなくては。僕もできる限りお力になれるよう頑張りますので・・・」
「何言ってんの?父親?アディ、どこのお嬢さん孕ませたの?」
「ルイスこそ何言ってんの?父親になるのはルイスでしょ?」
「えっ・・・―――妊娠って、シンシアが!?」
「そうよ?」
今までなんだと思ってたのよ。
ルイスはガタッと音を立てて急に立ち上がると―――・・・一目散に城下まで走って行ってしまった。
「みんなぁーーー!!シンシアが妊娠したあああああ!!」
「ねえねえ!聞いてよ!シンシア妊娠したんだけど!!来年赤ちゃん産まれるよ!!」
「シンシア妊娠したよー!!僕もうすぐ父親になるんだって!!」
ぎゃああああああああ!!
「んで、何だと思ってたの?」
どうやらルイスは勘違いしていたらしい。私が妊娠したと気づいたルイスは城下を駆け回り私が妊娠したことを大声で触れ回り、自慢して、更に馬に乗って近くの村まで報告に行ってしまった。
はしゃぎすぎたルイスは疲れたのか私の膝の上に頭を乗せながらぐったりと横になっている。
「馬かと・・・」
「馬の妊娠だと思ってたのね」
そりゃえらい勘違いだこと。
ルイスが喜んでくれて嬉しいけどあまりのはしゃぎっぷりにさすがの私も恥ずかしかった。だってルイスったらすっごい大声で叫んで回ってたんだもの。城までずっと声が届いていたんだから。
「そろそろ欲しいねって話してたじゃない」
「だってついこの間のことだよ?そんな早くできるなんて思ってなくて・・・」
「それはそうね・・・私も驚いたけど」
お母様と違って妊娠しやすい体質なのかしら。有難いことだわ。
「早く産まれないかなあ」
私の膝の上に頭を乗せたままお腹に向かって頬擦りするルイス。甘えている様子はルイスの方が大きな子どもって感じだ。
「そうね、でもまずはこっちの大きな子どもを堪能させてよ」
私がそう言いながらルイスの黒髪を撫でると、彼は上を向いて私の顔をチラリと見た。
「それって僕のこと?」
「よしよし」
「・・・・・・・」
あ、まんざらでも無さそうだ。ルイスは結構な甘えん坊だから産まれるまではうんと構っておこう。
「でも産まれたら頑張ってよね、お父さん」
「もちろん。そういえば赤ちゃんってどんな服着せればいいのかな。生地は柔らかい方がいいし、洗濯も頻繁だから丈夫で乾きやすいものがいいよね。あ、でもその前にシンシアにしっかり栄養とってもらわないと。栄養と言ったら鳥の心臓なんてどうだろう?ショーケンまで買いに行こうか?新鮮な方がいいし鳥をまるごと買ってこっちで捌いちゃおう。後は優秀な医者をドローシアから呼んで・・・三人いれば足りる?」
・・・散財しないように見張っておかなくちゃ。





