後日話11※ルイス視点
嫌がらせを受けた当の本人はケロッとしたもので、着替えた後は再び会場に戻ったけれど、挨拶をする相手の顔は強張りに強張って空気も重いまま式を終えた。
無理もない、シンシアは普通の人なら発狂ものの嫌がらせをものともせず、逆ににこにこと楽しそうにやり返していたんだから。とんでもない事をしでかしたアイスレンの王女たちにも驚くけど、やり返したシンシアにもビビッてしまったんだろう。
怒る暇なんてなかったな、とあの時を振り返って思う。
あの子たちは血を浴びたシンシアが悲鳴を上げたり泣いたりするとでも思っていたんだろう。生憎彼女は医者なので血くらいなんとも思わないし、人前でシクシク泣くような可愛らしい性格ではない。
たまに後先を考えられない馬鹿が存在する。たった一瞬の快楽でその後自分の身に何が起こるのか、誰にでも簡単に想像できるようなことも分からない正真正銘の馬鹿。
相応の報いを受けることになるが、父様と母様が怒り狂っていたので僕が手を下すまでもなさそうだった。後の処分は二人に任せれば十分な制裁を課してくれるだろう。
式を滅茶苦茶にされた上にドレスを汚されたのでレイラ姉さんはカンカンに怒る。
「あのクソアマ″ああああああ!!」
キャラが崩れるくらい怒っている。そしてその怒りの矛先は僕にまで及んだ。
「あんたももっと怒りなさいよ!」
「いや、うん、怒りたかったんだけどさあ」
それより先にシンシアがやり返し始めたものだから手を出す暇がなかった。ああいう時は男としてかっこよく庇ったりするものなんだろうけどそんな隙は全くなかった。僕が情けないわけじゃない、シンシアが逞し過ぎるんだ。修羅場慣れしすぎてるんだよなあ。
「それに、例えば手を出して顔形が変わったとしたら痛み分けみたいになるでしょ」
加害者はアイスレンの王女だ。もちろん格下の相手ではあるけど殴れば僕に非ができてしまう。一瞬の痛みであの悪質な嫌がらせに対する措置が少しでも軽くなるなんてまっぴらごめんだ。
やり返すならもっと根回しをしてじっくりジワジワと追い詰め続けなければ。
「なんの話をしてるの?」
お湯で体を洗っていたシンシアが部屋に戻ってくると、話し込んでいた僕とレイラ姉さんに向かって声をかける。
彼女は髪を拭くのが雑なので毛先からまだ雫が落ちそうになっていた。僕はタオルを受け取ってすぐに彼女の髪を拭き始める。
「大変だったわねえ!大丈夫だった!?」
目に涙を浮かべてシンシアへ駆け寄る姉さん。シンシアは相変わらず平気そうな様子で頷く。
「はい、大丈夫ですよ」
「心配しないでね!あのクソ女は私たちが地獄の果てまで追い詰めてやるんだから!」
それだけのことをしたんだから当然だよね。まああの父様の怒り様を見たらそれくらいで済めばいい方かもしれない。
シンシアはちょっと困ったように笑う。彼女は姉さんのその言葉が本気だなんて思っていないようだ。
「気にしないでください、しっかりその場でやり返しましたから」
「あれくらいじゃ生ぬるいわよ!打ち首よ!」
「打ち首だなんてそんな」
ふふって笑うシンシアは冗談だと思っているが姉さんは本気だ。呑気なシンシアに焦った様子で詰め寄る姉さん。
「一生に一度の結婚式が台無しにされたのよ!?」
「台無しなんて、血くらいで大袈裟ですよ」
大袈裟なわけない。花嫁に大量の血をかけるだなんて歴史的な大事件なんだけど。
僕は大きなため息を吐いて姉さんの背中を押した。このままじゃ姉さんの怒りは増すばかりでいつまで経っても部屋は静かにならない。
「はいはい、この話はもう父様に任せよう。僕たちはこれから2人でゆっくり過ごすんだから邪魔しないでね」
「ちょっと!私の怒りはまだ収まってないわよ!」
「はいはい。続きは父様にね」
無理やり押し込んで部屋の外まで追い遣った。扉をバタンと閉め、鍵をかけて一息つく。
「はあ、大変だった」
「お疲れ様」
君が一番大変だったはずなんだけどね。
シンシアは気が強いから嫌がらせはやり返すけど、他人の悪意に寛容なのでそれ以上の報復はしない。一生に一度の大事な式を荒らされたのに怒りもしないんだから人が好過ぎると思う。
「気にしてるの?」
険しい表情をしてしまったからか、シンシアは心配そうに僕の顔を見上げてきた。僕は少しだけ笑う。
「ちゃんと庇えなかったからね。かっこ悪かったなって」
「後ろから突然ぶっかけられたんだもの。庇うなんて物理的に無理よ」
「そうなんだけどさ。心情的に」
シンシアは真顔で少しの間考え込むと、そっと僕に近寄って背中に手を回す。
「ルイスとレイラ様が頑張って準備してくださったのは嬉しかった。でも私にとって大事なのは式の中身じゃなくて隣に誰がいるかよ」
静かに言うシンシアに僕も彼女を抱き返した。
「うん」
「私にとってこれ以上の幸せはないのよ」
「・・・うん」
そうだね。もう僕たちは幸せのてっぺんに居るんだから。誰にも引きずり下ろすことのできないくらい高い高い場所に。
「私のために怒ってくれた皆の手前言えなかったんだけど、正直に言うと嫌がらせとか本当にどうでも良いの。
汚されたドレスの分は自分でやり返しておいたし」
シンシアらしいな、と小さく笑いが漏れる。
「わかった。できるだけ穏便にするように言っておくよ」
「ありがとう」
軽いキスをすると再び僕の肩に頬を寄せるシンシア。
「やっぱりルイスに泣きついた方が良かったかしら。ごめんね、可愛げがなくって」
泣きつくシンシアを想像して、すぐに止めた。全然イメージが湧かない。
「シンシアはシンシアのままでいてよ」
「いいの?一生可愛げのない妻で」
「いいよ。一生そのままでいて」
ずっと大好きだから。
そう言ってまたキスをすると、シンシアは少し照れたように頷いた。
そっと彼女を抱き上げてベッドの上に降ろす。
「それじゃあそろそろ新妻を抱かせてもらおうかな」
少し冗談めかして言うと、シンシアは靴を脱ぎベッドの上で正座をして微笑んだ。
「はい、よろしくお願いします」
「・・・ん」
やっぱり僕は、こんな風に素直で真っ直ぐな君が好きなんだ。眩しくて、眩しくて、眩しくて堪らない。
赤茶の髪を撫でて白い肌に触れると心地よさに自然と口角が上がり、目が眩むほどの幸福感で身も心も満たされていった。
「本当にいいのか?」
父様は少し呆れたように言ったので僕はしっかりと頷いた。
「それがシンシアの望みですから。できれば彼女たちに温情を」
「しかしだな・・・」
深くため息を吐く父様。気持ちはわかる、あれだけ悪質な真似をされてお咎めなしではドローシア王家としての面子が立たない。
「シンシアはあの時やり返して十分満足しているので」
「・・・しかし何もしないわけにはいかない」
「わかっています。ただ彼女の意思を汲んでいただけたらと」
そうか、と父様は静かに言って頷いた。
「わかった。加味しよう」
「十分です。ありがとうございます」
アイスレンの王女たちはそれなりの報いを受ける運命に変わりはない。だけど多少はシンシアの意思を汲んで措置を考えてくれるようだ。
それにしても、と父様は付け加える。
「お前の妻は、恐ろしい娘だな」
真剣な話をしているというのに僕はちょっと笑いそうになってしまった。父様にそんなことを言わせるなんてね。
「そうでしょう。世界一の女性です」
そう言ったら「世界一はヴィラだ」って言い返されるかなって思ったけど、父様は胸を張って言う僕にただ穏やかな表情で微笑んだ。
だんだん遠くなっていくドローシアの城を馬車の小さな窓から眺める。生まれ育った国、大切な家族とお別れの時間だ。
静かに遠ざかる城を眺めていた僕を見ているシンシアに気付いて、彼女の心配そうな表情に笑みが漏れた。
「寂しくないよ、今生の別れじゃない」
家族は皆それぞれ幸せな家庭を築いて幸せに暮らしている。そこには僕が居なくてもなんの問題もない。それに、会いに行こうと思えばいつでも行けるんだから。
僕の言葉にシンシアは唇を引き結んで頷いた。
「・・・そうね」
「そんなに不安?」
「そうじゃなくって、私が寂しいの」
「そっか」
色々あったからね。
シンシアにも僕と同じようにドローシアでの思い出がたくさんある。大切に想っている人たちも居る。
彼女を横から抱き寄せて、赤毛の髪をゆっくりと撫でた。
「また来られるよ」
「うん・・・」
「グレスデンの陛下たちが待ってる」
新しい生活が始まる。
決して穏やかではないだろうけど、シンシアが愛した国だ。僕たちが力を合わせれば十年後にはもっと豊かになり、二十年後にはさらに豊かになっているはず。
僕はドローシアとお別れをして、グレスデンの歯車になる人生を選んだんだ。
「楽しみだな」
未来への期待が膨らむのは傍にシンシアがいるからだ。
「私も楽しみ」
二人で視線を合わせて再び小さくなっていくドローシアの城を眺める。
今度この国に来るときは、シンシアのようにグレスデンの王家として誇りを胸に抱いていることだろう。
後日話 おしまい





