後日話8
わんわん泣き続ける王妃様になんと声をかければいいのかわからず、黙ったまま彼女の側にいることしかできなかった。
突然連れてこられたのは見たことのない部屋。ルイスの部屋からはそんなに遠くなくて、造りもルイスの部屋とあまり変わらなかった。ただ家具が少し女性好みに揃えられてあるので、きっと女性が使っていた部屋なんだろう。
ひっく、ひっく、としゃくり上げるような泣き方に変り、落ち着いたかなというタイミングでようやく声をかける。
「あの・・・大丈夫ですか?」
「うん、ごめんな、突然」
いいえ、と首を横に振る。いつも幸せそうに笑っていた王妃様がこんなに悲しんでおられるなんてよほど大変なことがあったに違いない。私じゃ大して力になれないかもしれないけれど、何かできることがあるならなんでもする。
王妃様はハンカチで目元を拭いつつ話し始めた。
「実は、レオナードと喧嘩して・・・」
「ええええええ!?」
喧嘩!?あの常に仲良くしていらっしゃった陛下と王妃様が喧嘩なんてするの!?
「レオナードがドレス破るから・・・」
「破る!?」
「脱がせるときに」
「あっ、脱が・・・え?」
脱がせるのが何故破くことに繋がるの?
話が見えず混乱していると王妃様はどんどん話を先に進めた。
「楽しみにしてた新しいドレスだからって予め言ってたのに!
そう文句言ったら今度はレオナードが『俺よりドレスを優先するのか』って怒りだして。アタシも『そういう問題じゃねえ!』ってキレちゃって・・・」
「あー・・・なるほど」
こんな完璧に見える夫婦でも普通の人間らしい喧嘩するのね。
私は詳細を聞いて少しホッとした。内容的に深刻な感じはしない。破くというのがバイオレンスでちょっと怖いけど。
「それは陛下が悪いと思います」
「だよな!?」
「そもそもドレスは破いたら駄目ですから」
陛下が悪いんだから陛下が謝れば全て丸く収まる。ただ、陛下に謝罪を促すためにもこちらは冷静に諭さなければならない。
「仲直りできなかったらどうしよう」
「大丈夫ですよ」
「はあ、こんな喧嘩したの久しぶりで・・・」
眉尻を下げながらはらはらと涙を流し、落ち込む姿さえ王妃様はとても美しかった。
「やっぱり王妃様たちは滅多に喧嘩しないんですね」
「うん。ルイスとシンシアは喧嘩なんて無縁だよなあ」
「あっ、いえ、・・・しょっちゅうします」
世間一般では婚約中はラブラブの絶頂期だろうに。私は疚しさのあまり視線をさ迷わせながら答える。
王妃様は当然驚いて目を真ん丸にした。
「え?え?あのルイスが喧嘩すんの?」
どのルイスですか?
「はい、まあ・・・そうですね」
「しょっちゅうって、どうやって仲直りすんの?」
「えーと、喧嘩って言ってもすごく内容が下らないものばかりで、ほとんどはどちらも謝らずに終わります。もちろん明らかにどちらかが悪い場合は謝って終わることもあるんですけど」
私もルイスもはっきり言う性格なので言い合いになることはよくある。それは私がドローシアに滞在していたときからそうなんだけど、喧嘩の内容が薄いので謝って仲直りなんてパターンは少ない。ただ、雰囲気が険悪になっても一時間後には何事もなかったかのように戻っていて、何もせずにいつの間にか仲直りしているのが定石だ。
「私もルイスもカッとはなりますが、お互い引きずるタイプではないので」
「へえ・・・やっぱあの子、昔からアタシに遠慮してたのかな」
王妃様はしんみりしながら言う。
「うちは皆変わり者ばっかで、騒がしいし仕事で忙しいから末っ子のルイスにはあんまり構ってやれなかったんだよ。あの子はアタシのことが大好きなのに、小さい頃から妙に聞き分け良くておかしいなって思ってたんだ」
ちょっとだけドキッとした。幼い頃のルイスは大好きな王妃様の迷惑にならないように色々飲み込んで我慢していたんだろうか。人前での彼は誰にでも愛想がよくて優しくて皆に愛される人だけど、それは王妃様の愛情が欲しかったからなのかもしれない。頭がよくて他人が何を考えているか分かっちゃうぶん、余計に頑張ってしまったのかも。
仮面を全て剥ぎ取った彼はこちらが舌を巻くくらい頭がキレるけど、少し我が儘で子どもっぽい所もある普通の青年だ。たまに意地悪で、だけど優しくって、いっつも私の心を振り回すような人。
「そっか、ルイスはシンシアにはちゃんと素の自分でいられるんだな。母親としては情けないけど、ちょっと安心した」
「いいえ、そんな。人が他人に見せる顔がたくさんあるのは誰でも同じですし、ルイスが無理して良い子をやっていたとは思いません。
王妃様が知っているルイスも本当のルイスですよ。ただ私に対してだけちょっと気が緩んでしまうだけだと思います」
彼は人を騙すのが上手いけれど、王妃様がいる時の表情は柔らかい。あれは演技じゃないってことは私もわかる。
王妃様は僅かに微笑んで俯いた。
「ありがと。シンシアは優しいな」
「いいえ、そんな・・・」
「いい話みたいになってるとこ悪いけどそれは違うよ」
げっ、ルイス!
彼の話をしてるところを本人に聞かれてしまったようで、私は気まずさに上手く笑えず固まってしまった。しかし当の本人は飄々とした様子。
っていうか来るのが遅い。さてはのんびりして来たわね!?
「周りに良い子にしてたんじゃなくて、シンシアが苛めて欲しそうな顔してるからだよ」
なんじゃそりゃ!
「あっ、わかるっ!」
嘘でしょ!?
謎の同調をした親子にかける言葉を失って黙り込む。苛めてほしそうな顔ってなに、どんな顔なのよ。
「ヴィラ、ここにいたのか」
あ、陛下!
現れた陛下の姿に、途端に強張る王妃様の表情。喧嘩したばかりなんだから当然か。
重苦しい雰囲気に何を言い出せば良いのかわからず誰もしばらく口を開かなかった。ようやく話が始まった切っ掛けはルイスのひと言。
「で、どっちが悪いの?」
「レオナード!」
「ヴィラだ」
こりゃ駄目だわ、と私はすぐに仲裁に入る。
「元はと言えば陛下が王妃様のドレスを破いたからですよね?」
「邪魔だったのだから仕方ないだろう」
仕方なくないよー。全然よくないよー。
どうやったら分かってくださるんだろうと頭を悩ませていると、王妃様が怒って勢いよく立ち上がった。
「あれはアタシが楽しみにしてた新しいドレスだって言っただろ!?破くなら他のドレスの時にしろよ!」
他のドレスならいいの!?
「俺よりも新しいドレスを優先するとはどういうつもりだ!」
意味が分からない!
一触即発の雰囲気に頭を抱えていると、まあまあとルイスが二人の間に入った。
「母様、今度から破かれたくないドレスは父様がいない時に着ればいいよ。
父様、ドレスを優先するのかって怒ってるけど、母様を悲しませてるんじゃ父様が母様を優先していないってことになるでしょう。一番は母様なら母様を悲しませないのが最優先。自分が母様を優先できてないのに母様にしろって言うのは我が儘がすぎると思いますよ」
しーん、と再び静まり返る。
王妃様は無言でそっぽを向き、陛下は深く考え込んでいるのか眉間の皺がピクピク動いていた。
「・・・悪かった」
低く小さな声でぽつりと言う陛下。良かった、ちゃんと謝れる方で。
王妃様も謝罪の言葉を聞くなり緊張で張りつめていた表情を柔らかくする。
「アタシもちょっと言い過ぎた、ごめん」
っはあああああ。
無事に仲直りできて安堵のあまりすっごく大きなため息を吐く。一時はどうなることかと・・・。
「シンシア、逃げるよ」
「え?」
「ほら早く」
有無を言わさず二の腕を掴まれてルイスに連れ去られる。早足で廊下を逃げるように駆け抜け、元居た部屋の姿形が全く見えなくなった所でルイスの手の力が抜ける。
「どうしたの?」
「どうせ仲直りしたらイチャつきだすに決まってるから」
なるほど。
「ルイス、さすがね。あの陛下をちゃんと謝らせることができるなんて」
「―――だからなに?」
ひえっ、滅茶苦茶機嫌が悪い!
先程まで普通に見えたのに、急に眉間に皺が寄って態度に刺が出始めた。これはものすごく機嫌が悪い時のだ。
「ど、どうしたの?」
せっかく王妃様たちが仲直りして"めでたし"で終わりそうなのに。
ルイスはなにかが弾けるかのように感情を露にして言う。
「あのさあ、こっちは何度もお預けくらってんの!我慢してんの!
今度邪魔されたら3日部屋に閉じ込めるからな!」
何故私に怒る!?
「仕方ないでしょ!王妃様が大変だったんだから!ちょっとは協力してよ!」
「嫌だ!」
「ルイスのご両親でしょ!?心配じゃないの!?」
「知らない!」
子どもか!
「いいんだよ、放っておいても勝手に仲直りするんだから!」
行くよ!と無理矢理手を引かれて部屋に連れていかれる。
強引で自分勝手でムカムカしていたのに、部屋についてキスされたらころっと忘れてしまい、私は夢中になってルイスにすがり付いた。





