(1)
お母様が亡くなっていたことを知った翌日は熱も無いのにベッドの中から出られなかった。有難いことにルイスからも侍女たちからも何も言われなくって、丸一日は何もせず何も食べずに過ごした。
三日目になると動揺していた心も少しは落ち着いてきて色んなことを考えられるようになった。なんでミランダ様はお母様を殺したんだろうとか、ミランダ様に協力した神官は今どこにいるんだろうとか。お父様にこのことをどうやって伝えるべきなのか非常に迷って、答えが出ないままなんとなく過ごした。
四日目になるとあまり食べていなかった反動が一気にきて、お腹が空くから一日中なにかしらつまんでいた。
そろそろオリヴィアさんたちに一報を入れないと心配させちゃうかなと思ったので手紙を書いた。何を書こうかすごく迷って、結局当たり障りのない普通の文章になった。
ちなみにルイスはずっと半休状態で午後からはずっと一緒に居る。私に声をかけるでもなくソファで本を読んだり昼寝したりしていて、慰めてきたりするようなことはなかった。それでも一人は寂しいから一緒に居てくれて嬉しかった。慰められてもなんて返事すればいいのかわからないし。
「ねえ、ちょっと外に出ようよ」
久しぶりに誘われたのは、五日目にルイスが仕事から帰ってきてからのことだった。
「外って、散歩ってこと?」
「うん。東の庭園に入る許可をもらったんだ。この時期だからあまり花は咲いてないけど、珍しい植物がたくさんあるよ」
「そっか・・・行く」
このまま部屋に引きこもってウジウジするのも良くないなと思っていたので、ルイスの提案は有難く受け入れさせてもらった。
今日の寒さは厳しいので暖かいローブを着て外に出る。厳しいとは言ってもドローシアの気温はグレスデンに比べたらとても穏やかなので、外を散歩するのに何の支障もない。
「今日は寒いね」
ルイスは灰色の空を見ながら言う。
「それでもグレスデンよりずっと暖かいわよ」
「どれくらい寒くなる?」
「どれくらいかしら。水を外に出したら半刻もせず凍るわね」
「冬はずっと家に籠るんだったよね」
私は頷いた。グレスデンにとって食糧難に苦しむ一番過酷で辛い時期でありながら、家族でゆっくり過ごせる貴重な時間でもある。
「外に出る人たちもいるんだけど、頻繁に吹雪になるから命がけなの。森へ狩りに行っても生きて帰れる可能性は半分くらいよ」
だから冬が来る前に食料を確保しなければならない。これが一番大変なのだ。食料と薪さえ確保できれば、後は裁縫をしたり道具を作ったりして冬が超えるのをひたすら待つ。早く雪が溶けますようにと祈りながら。
本城を出て東側に少し歩いた所に蔦で覆われた立派な長いアーチが現れて目を輝かせる。
「すごい、あれが東の庭園?」
「そうだよ」
「普段は入っちゃ駄目な所なのよね」
「母様の私物だから」
そうか、わざわざ王妃様に許可をもらってくれたんだ。涙もろくなっている私は優しさが身に染みて、目頭が熱くなったけれどぐっと堪えた。
寒い時期に開花する種類はとても少ないが、東の庭園ではその希少な花を至るところに咲かせていた。それでも花の色合いが足りなかったり緑だけで寂しい場所は置物や装飾物で飾られていて、一言で言い表せばゴージャス。王妃様らしいなと微笑ましい気持ちになる。
「すごい・・・」
自然な雰囲気の温室とは違った趣で圧倒される。広大な敷地なのにどこを見ても完璧に整えられているので、今日明日では全て見尽くすことはできないだろう。
ルイスはのんびりとした歩調で歩く私の後ろをついてくる。周りに人がいなくて恋人のフリをする必要はないから手は繋いでくれないらしい。ちょっとだけ手は寂しかったけれど庭園に集中できるのであまり気にならなかった。
「あら?」
黒いもぞもぞするものに気付いて小首を傾げる。茂みにあるもこっとした物体は私の声に反応したのか顔を上げてこちらを見つめて来た。
―――ワンコちゃん!
「可愛いーーー!!」
黒くてシュッとした身体の立派な犬が居たため私は両手を広げて駆け出す。大人しいその子は私に抱きしめられるがまま動かなかったので、私はここぞとばかりに撫でまわした。
「可愛い!幸せっ!」
毛が短めで顔つきは凛々しく、つぶらな瞳が堪らない!舐め回したいくらい可愛い!しかも温かくて手触りが気持ちいいの!至福!至福!
「あっ!」
私が反応するより先にルイスの声が出た。心のままに触りまくっていると、犬の口の中に私の手が消えて頭が真っ白になる。手が―――食べられてる!
パクリと音も無くいきなり食べられた私の手はぬめっとした舌の感触があって飛び上がった。
「ぎゃあっ!」
「待って待って、引いたら怪我するから!」
「食べられたー!」
「動くなって!」
「手がぁー!」
パニックで暴れているとルイスが犬の上顎をそっと持ち上げて私の手は無事解放された。噛みつかれてはいなかったので怪我はない。ただし、ヨダレでベットベト。
大騒ぎしたので衛兵たちがバタバタと走って様子を見に来る。何事もないのを確認すると彼らはすぐに戻って行ったけど・・・―――お騒がせしました。
可愛い黒のワンコちゃんも衛兵たちについてどこかへ行ってしまった。
私とルイスはしばし無言。
「・・・」
「・・・洗う?」
彼の提案に汚れた手を持て余していた私はコクリと頷いた。
私の手は近くにあった井戸の水で洗い流し、ルイスのハンカチで拭かれていた。っていうか拭き方がめちゃくちゃ雑なんですけど。愛がない。
「ったく、バカじゃないの。あんな勢いで飛び掛かったら普通に噛まれるよ。うちの犬だったから歯を立てられなかったものの・・・」
辛辣だわあ。
「だって可愛いじゃない。グレスデンにも裕福な貴族の家で飼われてる犬が居てね、白くてふわふわで夢のように可愛いの。もう一目惚れ」
「まあ、寒いから野生はしてないか」
「狼なら偶にいるわよ、すごく大きな身体のやつ。でも触りたいのに危ないから近づけないのよね」
当たり前じゃんバカか、とルイスは呆れ声。そんなに言うことないじゃないのと私は抗議した。
「なんで気持ちわかってくれないの?ルイスは好きな動物いないの?猫派?」
あ、もちろん猫も好きよ。
「動物?ならイノシシだよ」
「これはまた随分変わった趣味ね」
イノシシ好きなんて初めて聞いたわ。
私の手を拭き終わったルイスはポケットのハンカチを仕舞いながら口を開く。
「まあね。一年前ちょっと前、兄さんに連れられて国外へ出たんだ。すっごく田舎でさあ、そこでイノシシの家族に会ったんだよね。だけど狼の群れが食糧を求めてイノシシを襲おうとしていて」
「ええっ」
「ところが一匹のイノシシが家族を守るために前へ出て狼の群れに向かって突進して行ったんだよ。勝ち目なんてないのに迷いもなく」
まあ凄い、と純粋に私は感心する。
「凄い気迫で一直線に向かってくるイノシシに驚いた狼たちは逃げていったんだ。あの素晴らしい走りは一生忘れないだろうね」
「すごい、素敵な話じゃない」
全然期待していなかったけれどとてもいい話だった。勝ち目のない強敵にも家族を守るために立ち向かうなんて、イノシシってそんな勇敢な子もいるのね。
「まあ全部嘘なんだけど」
「ああ、うそ・・・え!?」
―――嘘!?ハア!?
固まっていた私はニヤッと笑ったルイスの襟首を掴んだ。まったくこの人は!ナチュラルに嘘ついて人を騙して!
「ルイスー!?」
「ごめんごめん」
全然謝罪に心が籠ってない。
「どこから!?どこから嘘なの!?」
「大体は。ああ、でもイノシシは普通に好きだよ。後先考えず真っすぐ突き進んで行くの最高に面白いよね。挙句には障害物に思いっきり体当たりしてさあ、バカっぽくって可愛い」
うわあ、と私は顔を歪ませてルイスを見た。優しい一面ですっかり忘れかけていたけどこの人は素で性格が悪いんだった。
「感動して損した・・・」
「残念だったねえ」
私はルイスを恨みがましい目で見て、軽く肩をグーで叩いた。
「ん?」
突然頬に冷たい感触があって驚く。何事かと空を見上げればしとしとと小さな雪が降り始めていた。ルイスも私につられて上を向く。
「道理で寒いと思った」
「・・・そうね」
ドローシアでの初雪。ここで雪が降るくらいだからグレスデンは既に深く積もっているだろう。つまり、もうお父様は今年中にドローシアに戻られることはない。・・・私も、グレスデンに帰ることができない。あのお母様が愛した故郷に帰りたくても帰れない。
―――春になって雪が溶けるまでずっと。
地面に降りた雪はあっという間に跡形もなく溶けて水になる。繰り返し繰り返し水になっていくだけの雪を見ていると儚くて物悲しい気分になってくる。
「寒いし部屋に戻ろうか」
「うん」
今度は手を繋いでくれた。私の手は水に濡れたばかりで冷たかったけれど、ルイスは文句も言わずに温かくて大きな手で包み込んでくれた。





