(2)
ルイスの仕事は減るどころかどんどん忙しくなり、ついには滅多に顔を合わせないまでになってしまった。フィズさんが着替えや私物を部屋に取りに来ることも多くなり、さすがに寂しいと言うよりはルイスの身体が心配になってくる。
一方私は周囲の人たちがまるで腫れものを扱うかのように接してくるようになり、私のことを心配してくれているんだなあと思うとその気遣いが嬉しかった。
ミランダ様も毎日夕食に付き合ってくださって、ルイスがいないならばいないなりに私はドローシアの生活を満喫している。
変化があったのはそんな生活にも慣れてきたある日の午前。いつも通り温室へ向かう途中の廊下で、舞踏会の時にダンスに誘ってくれた衛兵のお兄さんが話しかけてきた。
「シンシア王女、おはようございます」
「あら、おはよう。今日はいつもより早いのね」
彼は午後に出勤することが多く、この時間帯に警備についているのを見るのは初めてだった。
お兄さんはひとつ頷く。
「はい。朝番の奴が風邪を引いたので代わりに出たんです。でももう交代の時間なので」
「そうだったの。冬場は病気も流行るものね、あなたも気をつけて」
「ありがとうございます」
私は生まれてからほとんど病気らしい病気をしたことはないけど、妹のルイーゼはしょっちゅう風邪をひいていた。今年は大丈夫だろうか。
グレスデンの家族の事を考えていると、お兄さんは遠慮がちに私に話を続けてくる。
「あの、よろしかったら兵の訓練場にご案内いたしましょうか?今、ルイス殿下が訓練に参加していらっしゃるって聞いたので」
「それは私が見学してもいいものなの?」
「ええ、もちろんです。あまりお時間は取れないと思いますが、少しは殿下とお話できると思いますよ」
最近あまり顔を会わせていないから気を利かせてくれたのね。私は有難く頷いた。せっかくドローシアに来たのだから兵がどのような訓練をしているのかも気になる。ルイスは・・・あまり期待しないで、見られたらラッキーくらいに思っておこう。
「じゃあ、行ってみようかな」
「案内します」
お兄さんに連れてきてもらった訓練場は屋外だった。日当たりが良く細かい土が敷き詰められた広大な土地には、衛兵の服を着た多くの男性が剣を手にそれぞれ試合形式で戦っている。その光景はグレスデンとあまり変わりはなかったけれど人数の規模が桁一つ違った。迫力があって壮観。
私はちょうどよい石段があったので一番上の段に座り、少し上から眺めつつルイスを探し始める。しかし私より先にお兄さんがルイスを発見して右の方を指差した。
「あ、いましたよ。あちらです」
「ほんとだ・・・」
遠くてハッキリとは見えないけれど、黒い髪を靡かせながら一心不乱に剣を振っている姿は確かにルイスのものだった。彼があんなに動いているのを久しぶりに目にしたので思わず顔が綻んだ。よかった、元気そう。
捲った袖からいつもは隠されている腕の筋肉がチラリと見えていて、どちらかというと中性的な顔立ちの彼がいつもより男気があり色っぽく見える。荒い息とか、髪から滴る汗とか、国中の女性が涎を垂らしながら集って来そうなほど。
こりゃーたまらん、眼福だわと私は穴が開きそうなほど彼の姿を見つめた。
「お呼びしましょうか?」
気を利かせてくれたお兄さんの提案に私は首を横に振った。見られたら私は十分だし邪魔はしたくない。いくら恋人を装っているからといってやっていいことと悪いことがある。それにプライドが高いからか、仕事と私どっちが大切なの?と迫るような聞き分けの悪い女にはなりたくなかった。
我ながら可愛くないなと思う。こういうときは一目散に駆け寄って甘えたり大きな声で声援を送るような女性が愛されるんだろうに。
「きゃー!ルイス殿下ー!」
そうそう、ちょうどあんな風に・・・。
ルイスのすぐ側にはウェーブがかった黒髪の小柄なご令嬢が手を大きく振りながら声援を送っていた。ハートを振り撒いて、あああの子はルイスのことが好きなんだな、とすぐに分かる。
衛兵のお兄さんかハッと息を飲んだ。
「すみませんっ、いらっしゃっているとは聞いていなくて・・・」
「構わないわ」
たぶんあの子が噂のイズラ王女だろう。思ってたよりも若い、オリヴィアさんと同じかひとつ下くらいかな。小柄ですごく華奢で思わず手を差し伸べたくなるような女の子。なるほど、私と正反対のタイプだわ。
鉢合わせさせるつもりはなかったお兄さんバツが悪そうにしているので、私は笑って気にしていないことを伝える。
「いいのよ、私はルイスが見たかっただけだから。もう少ししたら部屋に戻るわ」
「本当によろしいんですか?」
「ええ」
二人の間に入るような真似をして話をややこしくしたくない。もしも揉めたら最悪だ。
しばらく訓練している様子を見学して、さてそろそろ帰ろう、と腰を上げる。
ところが立ち上がり終わる前にズンズンと大股でこちらに近づいてくる女の子の姿に気づいた。
げ。見つかった。
「貴女、もしかしてシンシア王女ではありませんか?」
「ええ、そうよ。こんにちは」
近くでイズラ王女を見た感想は、“やっぱり細い”。小振りな鼻とパッチリした大きな目は人形のようで声までもすごく愛らしい子だった。
「わたくしはイズラ・ディートリヒ・フォン・サイラスと申します」
彼女の丁寧な挨拶に自分も膝を折って正式な礼をする。わざわざ私に何の用だろう。
「グレスデンのシンシアです。はじめまして」
「ルイス殿下とお付き合いされていると聞いております」
「ええ、まあ」
肯定すると、ふーん、と眉間に皺をよせながら値踏みするように見回される。
「なんだか私が思ってた方と違いますね。殿下から大輪の百合のようにとても美しくおしとやかで淑女の鏡のような女性だと伺っていたのですけど」
「ははは・・・」
ルイス、相変わらず嘘のつき方が半端ない。
「殿下とのお付き合いは長いんですか?」
「数ヶ月程度よ」
「グレスデンには帰られないんですか?」
「帰るわよ、そのうち」
「いつ帰られるんですか?」
「さあ、それはお父様が決めることだから」
「ではいつかはドローシアからは去るんですね」
「まあ・・・そうなるね」
わあ、すごい煽ってくる。やだよー揉めたくないのに。
どうしよう、と助けを求めて周りを見渡しても、頼りなさそうにアワアワしてる衛兵のお兄さんしかいない。さっさと部屋に戻りたいのにイズラ王女がガンガン話しかけてくるから切り上げるタイミングがなかった。
「殿下のどこが好きなんですか?」
「や、優しいところ・・・かしら」
「ご趣味は?」
「チェスよ」
「殿下と二人きりの時は何をしていらっしゃるんですか?」
「チェスか読書かしら」
「わたくしのことはご存じでしょうか。ルイス殿下から何か聞いていらっしゃる?」
「いいえ、特には」
「それでは本題なのですけれど、いくらで満足していただけます?」
「はい?」
次に続いた言葉に私は自分の耳を疑った。
「いくら払えば殿下と別れてくださいます?」
お金でルイスと別れろ、ですって!?
開いた口が塞がらないとはこのことか。私は彼女の両肩に手を乗せて力強く揺すった。
「ちょっと!どこで覚えたのそんなこと!お金で人を動かしちゃいけませんって教わったでしょ!?」
「やめてください、子ども扱いしないで!」
「子どもじゃないの!10代前半でしょう!?」
「わたくしは今年で17です!」
同い年・・・!?
色々衝撃的過ぎて私は揉め事を起こしてはならない、という大事なことを忘れて大騒ぎしてしまった。訓練に集中していたはずのルイスもさすがにこの騒動には気づいて、剣を仕舞うとゆっくりとした歩調でこちらへやって来る。
「シンシア、来てたんだね」
「あ、うん・・・ちょっと見学に・・・。でも今から部屋に戻るところだから」
私は慌ててイズラ王女から距離を取り、明後日の方を向きながらまるで何事もなかったかのように取り繕う。ところがイズラ王女は肩で息をしていて興奮状態であることを隠せていない。
「まだ私は納得してません!
グレスデンは貧しいと聞いています!国の為にも貴女の為にも受け取るべきでは?」
まだ言うか。
「どうしたの?なにかあったの?」
当然ルイスはきょとん顔。私は悪いことはなにもしてません、と手と首を横に振ってアピールしたけれど、彼の疑いの眼は私に向けられていた。ああ、日頃の行い・・・・。
イズラ王女はルイスの側に寄って必死に訴え始める。
「本当にこの方とお付きあいされているんですか?聞いていた話とずいぶん違います」
「そうかな」
「わたくしてっきりエルヴィーラ王妃様のようにお美しく完璧な方だと思っておりましたのに」
「シンシアは世界一の女性だよ」
ね?とルイスは笑って私の頭の上に手を乗せた。
嬉しすぎて、嘘だと分かっててもそんなこと言ってもらえるなんて思ってなくて、私は感情を誤魔化すために唇を噛んで俯いた。
イズラ王女はまだまだ納得できない様子で更にルイスに詰め寄る。
「殿下は趣味が悪くていらっしゃいますね」
ところが彼は返事をすることなくぼけーっと心ここにあらずで、無言が続いた後に彼女の頬へ両手を伸ばす。
「わー、このパン生地よく伸びるなあ」
「いたいっ!いたいいたーい!」
「ちょっと!?ルイス!?」
ルイスは何を思ったのか急にイズラ王女の頬を摘まんで思いっきり横に引き延ばした。彼女は当然痛みに悲鳴を上げて、私は慌てて2人を引き離す。
「どうしたのいきなり!」
「あー・・・・ごめんごめん、疲れててさ。身体を動かしても全然眠気が覚めなくて・・・。ハア、あのクソオヤジいつかあの髭燃やしてやる」
疲労のあまり性格の悪さが隠しきれていないわ・・・!
「少しだけでいいから仮眠とりましょうよ、ね」
うつらうつらし始めたルイスはこくん、とひとつ頷き階段に座ったまま突然動かなくなった。え?ここで寝るの?
顔を近づけてみればくーくーと気持ちよさそうな寝息を立てていてしっかり寝入っている様子。首を痛めそうだけどせっかく眠ったのだししばらくはこのままにした方が良さそう。
「部屋からひざ掛けを持ってきてくれるかしら」
衛兵のお兄さんに頼むと彼は回れ右して全速力で部屋へと走って行った。さすがに寝ているルイスを放置するのは気が引けるので私は今すぐ部屋に戻るのを諦めて彼の隣に腰を下ろす。
せっかくだからと、赤くなった頬を抑えて呆然としているイズラ王女にも声をかけた。
「あなたも座ったら?」
しかし彼女は今起こった出来事にまだ頭がついていっていないみたいだ。まあ無理もないけど。
「な、な、一体何が・・・」
「深い意味はないから気にしないで。ルイスはただ寝惚けてただけよ」
「寝惚け・・・」
「寝不足なの」
とりあえず座りなさいよ、と言うとイズラ王女は少し躊躇った後(おそらくドレスが汚れるから)、遠慮がちに距離を置いてルイスの隣にゆっくりと腰を下ろした。





