(2)
「あー、違う違う、それ、もっと上のやつ」
脚立に乗って本棚の高い所へ手を伸ばすルイスに私は下から指図する。
「これ?」
「ううん、その右隣」
ルイスが取ってくれた本を受けとると内容を確認してからお礼を言った。
「うん、これだわ。ありがとう」
「いいよ、これくらいさせて」
私たちが居るのはいつもの温室だ。ずっと自室で過ごしていたがたまには外を歩いた方がいいと彼の方から言い出した。「陽の光を当てないと陰気臭くなるだろ」ですって。私は苔か。
温室なら天井がガラス張りになっているので日光が降り注いでいるし、私も久しぶりに暖かな温室で自然に囲まれてリフレッシュできそうだ。
それに恋人として人前に出るのもずいぶんサボってたから、別れただのと噂になる前に仕事しなきゃね。
温室にはいつものメンバーも揃っているため、ルイスも優しさの大盤振る舞い。
「おいでシンシア。こっちに座ろうよ」
ルイスに促された私は彼にピッタリと密着して座る。ルイスも私の顔を見ながらニコニコ、私もルイスの顔を見ながらニコニコ。仲がいいですわね、なんてオリヴィアさんに言われたりして。
これって完璧に恋人みたいだわ。せっかくだからこの隙に色々触っちゃおう。
ルイスの腕にぎゅっとしがみ付いてクンクン匂いを嗅いだ。これじゃあまるで匂いフェチのようだが断じて私は違う。単純にルイスの匂いを気に入っているだけ。
「二人揃って部屋の外に出られるのは久しぶりでは?」
「そうだね。ずっと部屋で過ごしていたから」
「お二人は普段何をして過ごされますの?」
「本を読んでいるか、一緒にチェスしてるかのどちらかが多いかな」
ね?とルイスに言われて私はニコニコしながら頷く。
「ルイスはとってもチェスが上手なのよ」
「そうかな、シンシアの方が上手いと思うよ」
一勝したこともありませんけど。
明かな嘘もノリにノッていた私は機嫌よく頷いた。ちょっとやり過ぎかしら、後で「お前態度変わり過ぎ」って文句言われるかも。
でもまあいいわ。今だけでも恋人になれるんだし。
現実的な所、必ず来る別れを考えると心を交わして愛を確かめ合う作業は必要ない。どうせ脈なしの恋だし、国の関係もあるから本当の恋人関係は望めない。(そして望んだらまた余計なことをしてしまう自信がある)
しかし非常に悔しいことに、とってもとっても悔しいことに、叶わないことがわかってもルイスが好きだという事実は変わらなかった。一緒にいるだけで心臓がぎゅーってなる感覚だとか、顔が熱くなったりとか、分かりやすい自分の反応に好きだと認めたくなくても認めざるを得ないのだ。悔しいけど。何度も言うけど滅茶苦茶悔しいけど。
―――ならばせめて人前だけでも堂々と恋人を堪能すればいい。
暴論だと分かっていたけれど、完全に開き直った私は"今を楽しむ!"という結論で納得した。ルイスに散々文句を言われていた“愛し合っているフリ”も完璧である。
「好きな方とずっと一緒に過ごせるなんて羨ましいです」
「昼間は仕事でいないけどね。できれば24時間一緒に居たいんだけどな」
「まあ、ルイスったら」
そして彼を好きになって気づいたことがたくさんある。私に話しかける時だけ覗きこむように顔を近づける癖とか、やたら人の心の機微に敏感な所とか。前に小鳥ちゃんの一人が苦手なフレバーティーが出された時、ルイスはものの3秒で侍女に別の物を用意するように指示をした。後で聞いたら紅茶の香りを嗅いだ彼女の表情ですぐに苦手だと分かったらしい。
ルイスは恐ろしく人の顔色を窺う人だった。そして何を考えているのかを僅かな表情の変化で読み取ることができる。道理でチェスが上手いわけだと納得したけれど、同時にルイスの気配りと気遣いに感心した。小鳥ちゃんの紅茶の件もそうだけど、基本的にルイスって他人に優しいと思う。
もしかしたらルイスは人が好きなのかもしれない。私はずっと逆だと思ってたんだけど、好きになると見方もずいぶん変わるものね。いい様にばかり見えてしまう。
これが"恋をしたら世界が変わる"ってやつなのかしら。
「そう言えばルイスは朝がずいぶん早いけど仕事の日は何時ごろ起きてるの?」
「5時前かな」
「早っ」
まだ日が昇る一時間も前から起きてるのね。・・・って私もグレスデンに居た頃は日の出と共に起きてたのに、こちらに来てからはずいぶん朝寝坊するようになってしまった。そろそろ生活リズムを元に戻さなければ。
「そんなに早く起きても誰も仕事場に居ないんじゃない?」
「兵士の朝稽古に参加してるんだよ。身体も鍛えられるし、目覚ましにもなるし」
「剣扱えるの?意外」
あまりルイスが剣で戦っている姿は想像できなかった。きっと絵にはなるんだろうけど。
ふふ、と笑ったオリヴィアさんが口を開く。
「王侯貴族の男性は剣術をたしなむものなんですよ」
「へえ。私は鍬しか使えないわ」
「わあ、シンシアに似合いそう」
鍬が似合うって言われても嬉しくない。当然ルイスもわかってて嫌味で言ってるんだろうけど。
なんで他人には優しいのに私には優しくないのかしら、この人。慣れちゃったから急に態度を変えられても怖いけど、好きになってもイラっとするものは普通にイラっとする。
「グレスデンは王族の方も畑を耕すんですか?」
「ええ、もちろんよ。微々たるものだけどないよりはマシだわ。普段は村の慰問に周ることが多いけれど」
「慰問ですか、素晴らしいですわ」
「ただ様子を見に行くだけよ」
政治をするのが国王の役目。貴族の相手で忙しいお父様に代わって私はお母様とよく国中の村を馬で訪れていた。何も施すものがなくても村の人達は涙を流してお母様の訪問を喜んでくれていたから。
「・・・懐かしい」
そう呟いた言葉はよくなかったかもしれない。笑顔を忘れていた私に皆は急に黙ってしまった。
「やだ、そんなに気にしないで。いい思い出なの」
幼いころから国中に愛されているお母様が誇らしかった。お母様が国や家族を捨ててしまった今でもそれは変わらない。そんなに感傷に浸っているつもりはなかったんだけど、気を遣わせてしまったようだ。
「本当にみんな優しいわね、ありがとう」
私はずっと前向きだ。ルイスとの関係が上手く行っている間はグレスデンの事も心配ないし、おまけに好きな人と恋人のフリまでできてしまうのだ。
美味しい食事にきれいな服、優しい友達に囲まれて穏やかな毎日を過ごしていながらこれ以上望むならば罰があたってしまう。
私は皆に心配をかけないよう大袈裟なくらいに笑ってルイスの腕にぎゅっと抱き着いた。
人前では恋人気分を味わえると言っても2人きりの時はそうはいかない。ところがルイスのようにコロコロと仮面を変えることなどできない私は気持ちを切り替えるのが非常に難しかった。腕に抱き着いてしまいそうになったり、やたら密着して座ってしまったり、頭が混乱して人前でしているように2人きりの時にもついやってしまう。
徹底的に隠すつもりだったのに、不器用な私には人前だけ恋人気分を味わおうなんて土台無理な話だった。
肝心な本人はと言うと、私の意味深な態度もまーったく気にしていない。間違って2人きりの時に手を繋いでしまっても嫌がられることはないけど優しく握り返されることもない。突き放されるより全然マシだけど、本当にどうでも良さそうな態度だから乾いた笑いしか出てこなかった。あ、この人私に全く興味ないのね、と。
私ばっかりこんなに振り回されて悔しい・・・。
「今日は私が毎回二手づつ。ルイスはいつも通り一手ね」
駒をスタート位置に並べながら言うとルイスの手がピタリと止まった。
「それって僕に勝たせる気微塵もないよね」
「当たり前でしょ。ハンデよ」
「ハンデになってないよ。それは出来レースって言うんだよ」
「大丈夫大丈夫」
先行ね、と言って私は駒を二回動かした。ところがルイスは二手目の駒を元に戻そうとするので私はその手を両手で押さえて阻止する。
「勝負にならないんだけど」
「いいじゃない、心は広く持たなきゃダメよ」
「勝ちたいからって手段を選ばなくなってきたね」
「勝ちたいんじゃないわ。あんたの悔しそうな顔が見たいだけ」
お互い譲らず、グギギギと音がしそうなほどの激しい駒の取り合いが始まった。ルイスは見掛け以上に力が強いから手強い!
「諦めなって。僕は敗けが確定してる試合はしないんだ」
「知らない!諦めない!勝つまでは!」
「強情!」
「なんとでも言いなさいよ!」
フギー!っと色気もへったくれもない声を上げながら体重をかけて引っ張り続けるのに、ルイスはその場に踏み留まってビクともしない。このままどちらかが力尽きるまで膠着状態かと思いきや、突然聞こえてきた声に驚き飛び上がった。
「仲良いなあ、お前ら」
驚いたルイスが先に手から力を抜き、全力で引っ張っていた私は後ろのソファへ豪快にすっ転ぶ。
声の主は王妃様だった。いつの間に部屋に入ってきたんだろう、全然気づかなかったんだけど。
「母様、年頃の息子の部屋に勝手に入ってこないでよ」
「まあまあ、気にすんなって」
いやいや、少しは気にしましょうよ。
王妃様はピッカーと後光が射すほど輝かしい笑顔でルイスに何かを手渡した。四角くて薄い箱みたいなもの。何が入っているんだろう。
「出先で偶然ランスと会ってさあ、お土産預かってきたぞ。二人でどうぞ、だってさ」
「まあ、ランス王子が!?」
相変わらずの風来坊でいらっしゃるのね。わざわざ私たちにお土産だなんて、本当に何が入っているんだろう。
私はルイスの手を揺すって彼を急かした。
「開けてみて」
王妃様はお役御免とばかりにさっさと部屋から出ていった。ルイスが包み紙を開けたところで現れた幾多もの茶色くて円い物体に首を傾げる。
「なあに?これ」
「チョコレートだよ。知らない?」
「ちょ、チョコレートって、あの!?これが魔女の秘薬なの!?」
「なんの話してんの?」
「だって、ほら、食べたら魂を吸いとられるっていう伝説の・・・」
「だいぶ違うね」
んん?話が噛み合わない。
「ほら、食べてみなよ」
ルイスはひと粒手に取ると私の口に押し付けてきた。私は慌てて仰け反る。
「やだっ、何するのよ!」
「物は試しでしょ」
「嫌よ!そこまで言うならルイスが先に食べなさいよ!」
彼は相変わらずぐいぐいチョコレートを押し付けて来るものだから、恐怖した私はソファの後ろに走って逃げた。ところがルイスは私の後を追って来る。
「食べてみなよ、美味しいのに」
「嘘、ルイスが先に食べてってば」
「そんなに僕が信用できないの?」
「逆に自分に信用があると思ってるの?」
部屋の中をグルグル周りながら逃げる私に追いかけてくるルイス。これだけ嫌がっても彼はまだ諦めない。
「いい加減に諦めてよ!」
「食べたらね」
「嫌な予感しかしないの!」
「強情だなあ」
「どっちが?」
早歩きを続けて息が上り始めた。まずいわ、最近運動不足だから・・・。
「魂吸いとられるなんてあるわけないでしょ。冷静に考えてみてよ」
「冷静に考えて、あんたがこんなに私に食べさせたがる他の理由が思い当たらない」
「僕そんなに酷い人じゃないよ」
「人が踊ってるのを指差して大笑いしてたの誰よ」
部屋の中をぐるぐるぐるぐると歩いて歩いて歩き続けて、とうとう根負けした私はソファに倒れ込んだ。
疲れた・・・。
「はい、どうぞ」
ルイスはそれはもう心底意地悪そうな顔で笑いながらチョコレートを口の前まで差し出してきた。
まあいっか、さすがルイスでも毒になるようなものは食べさせないだろうし、せっかくのランス王子からのお土産なんだからひと口だけいただこう。
ムカつくから自分から口を開けたりはしなかったが、ルイスはお構いなしに指ごとズボッと勢いよく私の口の中に突っ込んできた。容赦ないわね!ルイスの指が歯に当たったんだけど!
「ん!?あまっ!」
無理矢理食べさせられたチョコレートは食べたことのない味だった。味が濃い、っていうか甘い。
「・・・お菓子?」
「そうだよ。この間チョコレートが入ったマフィン喜んで食べてたじゃん」
「そうなの!?全然気づかなかった・・・」
ドローシアは珍しい食べ物ばかりだから何でも気にせず口にしていた。いつの間にか童話で魔女の秘薬だと言われていたチョコレートまで食べてたなんて。
「どう?魂吸い取られた?」
「大丈夫・・・たぶん」
「はい」
箱ごと貰った。
チョコレートの件は解決したが、チェスの件はどちらも譲らず決着しなかった。仕方なく私は諦めて、全く違う方法でゲームを始める。
「違う、その手間違ってるよ」
ルイスは今私が置いた駒を置き直した。勝ちたいなら勝てるようにルイスがサポートする―――根本的に何かが違う気がするんだけど、賄賂を貰ったし、まあいいでしょう。
『ルイス』対『私&ルイス』の戦いは順調に進んでいく。
「こっちはどう?」
「ダメ。それならさっきの手の方がマシだよ」
いちいちルイスの解説を挟みながらのチェスはゲームというより指導を受けている気分だ。勝ち誇った気にはなれないけど勉強にはなる。これはこれで中々楽しかった。
「やったー!勝ったー!」
ずいぶん夜が深くなってしまったが、見事初勝利を収めた私は両手拳を握って立ち上がった。ルイスの力は借りたけど・・・よくやった私!
「ヨカッタネー」
棒読みが過ぎる。
「素直に祝ってよ」
「これってシンシアが勝ったことになるの?ほとんど僕がやり直したよね?」
「もちろん私の勝ちでしょう」
「納得いかないんだけど」
納得して。
私の勝ちだと押し通せば「わかったわかった」と意外にもあっさりと敗けを認めた。あら、珍しいこともあるのね。
「ルイスが優しいなんて」
明日は空から槍でも降るのかしら。
「しばらく仕事が忙しくなりそうだからね」
「罪滅ぼしね・・・」
今日はたくさん一緒に居られていい日だったわ。





