(2)
「申し訳ありませんでした」
私は身体を90度以上曲げて深く頭を下げた。
椅子に腰かけている完璧な美麗を誇る男性、ドローシアの国王陛下は低い声を出す。
「経緯は理解した。・・・が」
「はい・・・」
取り返しがつかないことをやってしまった。怒られて当然だ。
陛下は元々ある威圧的な雰囲気に、さらに怒気を滲ませて話を続ける。
「神官庁に入るには許可がいる」
「はい・・・」
いくら舞踏会でザフセンに誘われたからって、窓から入るのは非常によくなかった。あのときは勇み足のあまり非常識な行動を取ってしまった。後悔しかない。
「許可、と言っても神官庁は神聖な場所、高位の神官にしか入る許可が与えられることはない」
「え、でもザフセン神官長が・・・」
「シンシアが嘘をついていると言っているわけではない」
怒鳴られているわけではないが雰囲気にあてられて胃がすり減ってしまいそうなくらい恐ろしい。
それでも陛下が私の話を信じてくださっているのはよくわかった。毒殺の件はすぐにでも調査を開始してくださるとのことで、本当に有り難い。
「神官庁はドローシア王家の人間でも立ち入りはできない場所だ」
ブワッと全身から脂汗が吹き出る。ドローシア王家の人間でさえ・・・ってなんじゃそりゃ。そんな場所に私は侵入してしまったなんて。
「さらに、神官庁内は全て神官の管理下にある。もし庁内で捕らえられていた場合、神官の裁量で裁かれることになる」
「裁量?」
「好きにできる、ということだ」
目の前がクラッとした。毒殺なんて企んでいる彼らが私を捕まえたらどうするのか、考えるまでもない。
「ルイスに助けられたな」
「・・・はい」
あの時、ルイスが来たときに、彼が必死に私を外へ連れ出してくれたことを思い出した。煙が充満してよく見えなかったけど、私は確かにルイスに連れられて外へ飛び出した。抱き留められていたから大した怪我はなかったが、変わりに私を庇ったルイスは意識を失ってしまったのだ。
「外に出たのはよい判断だ。処遇はこちらで決めることができる。今回は無知な客人が迷いこんだと誤魔化しておく」
「本当にそれだけでよろしいのですか?責任を持って罪は償います」
「構わん。国を治めるのは俺だ。王の決定に逆らう者はいない。
ザフセン側もルイスを怪我させた手前、ばつが悪くて文句は言って来られないだろう」
すごい、独裁的だ。しかし巨大な権力を持つ陛下をもってしても力が及ばない場所、それが神官庁。改めて私はなんて恐ろしい場所に所に足を踏み入れてしまったんだろう。
「申し訳ありませんでした」
私は数度目の謝罪をした。謝ってすむ問題じゃないけど謝らずにはいられない。
陛下はうむ、とゆっくり頷く。
「とにかく大事にならず良かった。ルイスも恋人を守れたなら本望だろう」
いいや、ルイスは絶対怒ってる。悪態つかれるだろうし、謝っても許してくれないかも。
だけどさすがに今回はいくらでも暴言を受け止めるわよ、暴力だろうがなんだろうが甘んじて受けるわよ。私が悪いんだもの。
「とりあえず、二人の仲が上手くいっているようでなによりだ」
「・・・」
もうすぐ破綻するかもしれない。
「部屋に戻りなさい」
「はい」
私はもう一度深く頭を下げると陛下の部屋から退出した。扉を閉めてもう見えなくなった陛下のいる方をぼーっと見つめると、大きくため息を吐いてからルイスの部屋へ帰り始める。
なんだかすごく頭がパンパンだ。神官たちがどれだけ私を敵視していたのか、どれだけ権力を持っている存在なのか思い知った。オリヴィアさんのスカートの件も、毒殺を目論まれていたことも、信じがたいけれど事実。
それを理解せず私はザフセンの誘いに乗ってしまい、始終協力してくれていたルイスに怪我をさせてしまった。普通なら重罪ものだ。
どうやって謝ろう。
ルイスにかける最初の言葉が思い付かず悶々としているうちにも部屋に着いた。陛下の部屋からルイスの部屋は近いから。
そうだ。目が滲みる煙を浴びてしまったからシャワーでも浴びよう。その間に謝罪の言葉を固めておこう。
「あ、おかえり」
居た。既にルイスが部屋に居た。
私は全力で走るとスライディングをしながら土下座をかます。
「すみませんでしたー!!」
「あはは、言うと思った」
何を言われるかと思えば彼は普通に笑っていて(しかも部屋には誰もいない)、私は自分の耳を疑って顔を上げる。クソボケとか死ねとか言われると思ったのに。
「なにそれすっごい面白い顔」
「怒ってないの?」
「僕の説明不足でもあるからね。言葉の順番を間違えた。それに頭突きであんなに動けなくなるのも想定外だった」
「すみませんでしたー!!」
そういえば思いっきり頭突きしたんだった。ひたすらベコベコと高速腕立て伏せ状態で土下座し続ける。
「カッとなってやりました!本当に申し訳ありませんでした!」
「いいよそれもう」
酔いそう、と言う彼に私は控え目に顔を上げた。ルイス、本当に怒ってないみたい。
「あれ?目が充血してる」
彼の目が少し赤い。あの変な煙のせいだとすぐに気づいた。
「うん、ちょっと痛い」
「目薬もらわなかったの?私も使ったみたけどすごく効いたわよ」
「もらったよ。けどちょっと上手くできなくて」
へえ、器用なのに意外。
私はハッと思いつく。
「私に手伝わせて!お詫びもかねて!」
私のせいで目が痛いのだからそれくらいのお手伝いはしなければ。
ルイスは一瞬ピクリと頬をひきつらせる。
「遠慮しとく。お前下手そうだし」
「やらせて!大丈夫、目薬くらいさせるわよ!」
「・・・」
「任せて!」
渋るルイスを押しきった私は目薬の在り処を教えてもらうと、さっそくそれを持ち出して彼に詰め寄った。
「ほら、上向いてて」
嫌そうな顔をしながらしぶしぶ顔を上げるルイス。蓋を開けると素早く右目に一滴落としたが、目薬が落ちる直前に瞳がサッと閉じられて不発に終る。
むっ?これは手こずる感じ?
「目を閉じちゃ駄目でしょ」
「うーん、どうしても苦手でさあ」
「次は瞬きしちゃ駄目よ」
「わかった」
再びルイスが上を向いたので、人差し指と親指でルイスの目を大きく開けて固定した。これでもう閉じれまい。
「そのままね」
ポタッと1滴さすと、彼の目を目掛けて落としたはずなのに見当違いの場所に落ちて流れていった。もちろん私はルイスが動いたのを見逃さなかった。
「ルイスー!?真面目にやってるの?」
いくら指で固定しようと顔ごと動かれては意味がない。ルイスはポキポキと首を鳴らしながら仕切り直す。
「なぜか反射的に避けちゃうんだよね。次は動かないように気を付けるよ」
結構深刻だわ、これ。私がやってあげると豪語したのはいいけど、無事にやれるか不安になってきた。
私はベッドの布団をパンパン叩く。
「ちょっと、ここに仰向けになって。今度は顔と目の両方を固定するから」
「どうやって?」
「いいから」
しぶしぶベッドに横になったルイス。私は靴を脱いで彼の頭上に座ると、太股で彼の頭を挟み込み固定した。もちろん指でルイスの目をこれでもかというほど開く。
「なにこの体勢」
「乙女の太股に挟まれてうれしいでしょ?」
「いや、寝技かけられてる気分なんだけど」
嘘でもうれしいって言いなさいよ。
私は太股に力を入れてギリギリとルイスの頭を締め付けると、意を決して目薬の握り方を変えた。今度は絶対に失敗しないようにそーっと落とす。
しかし、強く指で開かせて居たはずの瞼がそれを上回る力で閉じてしまった。直接入ってはいないけれど、仰向けに寝ているお陰で目薬はまだ瞼の上で留まっている。
「そのままパチパチして!パチパチ!」
瞬きすれば目に入ってくれる。と期待したものの、ルイスは何故か両手で拍手をし始めた。
パチパチ―――ってそれ違う!
「拍手なんて求めてないの!目を開けなさいって言ってるの!」
「無理、無理、開かない」
「そんなバカな。ぐっと力を入れてみて」
「ぐっ」
「口で言われても・・・」
そうやってわたわたしている間にせっかく瞼の上に留まっていたのが流れ落ちていってしまう。私はそれをハンカチで拭いながら大きく項垂れた。たかが目薬でこんなに手こずるなんて。
ルイスは私を見上げながら得意顔。
「ほら、無理って言ったよね?」
「得意気に言わないでくれる?」
誰にでも苦手な事があるのはわかるけど、ルイスの目は充血していてまだ痛そうだった。ここで諦めるわけにはいかない。どうにか・・・もっと確実にできるアイデアを捻り出さなければ・・・。
「ルイス、そのまま動かないでね」
「無駄だと思うけど」
「いいから。手はお腹の上、顎を少し上げて。そのまま動かないで」
ルイスが口を閉ざして動かなくなったのを確認すると、覚悟を決めた私はふうっと小さく息を吐いてから一気に顔をルイスに寄せた。
―――ちゅっ
よっしゃ、今だわ!
ルイスが驚いて目が大きく開いたチャンスを逃す手はない。私は素早くササッと両目に目薬をさした。
よしよし、成功。一時はどうなることかと思ったけど上手くいってよかった。
「もう瞬きしていいわよ」
「・・・他に何か言うことない?」
「なによ。口の端よ?端。セーフでしょ」
いつもベタベタ触ってきてたのはそっちじゃない。驚くだろうなとは思ったけど、唇の端っこにキスしただけでそこまで驚かれるとはね。
私はベッドから降り目薬の蓋を閉めてから元の場所に仕舞う。ルイスものそっと起き上がった。
「そんなに嫌がらないでよ。舞踏会でお尻撫でられたこと忘れてないわよ」
「いや、普通にビックリした」
「ビックリさせるためにやったもの」
まあ、助けてもらった御礼とお詫びを兼ねて、ね。無事に目薬もさせて一石二鳥よね。
「じゃあ目薬が必要になる度にキスしてもらわないと」
「その時は別の驚かせる方法考えとくわよ。っていうか目薬くらい自分で出来るように努力しなさいよ」
私は顔で笑いながらも心の中で泣いていた。
―――私、男の趣味悪すぎやしないか。





